りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

帰属

2024-04-22 11:27:03 | 更級日記
菅原孝標女によって書かれたのではないか?そう推測される物語が結構たくさんある。言うなれば菅原孝標女「帰属作品群」。もしそれらすべてがそうだとしたならば、別種の疑問が立ち上がる。
これほど多くの作品が、どうした理由で菅原孝標女作品としてではなく、作者不詳のままで措かれたのか?
これは後世にではなく、当時の事情。もっと言えば、読み手ではなく、書き手の事情。。。なのではないか?菅原孝標女御本人の事情として、「匿名性」が担保されなければならない事情があったから?
推測と呼ぶより、これは憶測に近い。あれやこれやの想像はひと通りしてみる。想像は楽しいが、結局のところ、仔細はわからずじまい(^o^;)研究者が確定できないことには、相応の理由があるのですな(^ω^ゞ

菅原孝標女「帰属作品群」の中で、もっともそれらしいと目されているメジャーな作品をあげるなら「夜半の目覚め」と「浜松中納言物語」。なるほど~(*‘ω‘ *)と思う。
いずれも作者を認める決定的な証拠を欠いている。実証的な証拠という点について、専門家が未だ決定的なものを見出していないところを、僕が代わって決定できるなんて微塵も思わないのだけれど、テキストを読んで感じてしまうなにごとかは、どうにも否定し難く手元に残る。
作者が好んで、あるいは無意識に選択してしまっているテーマがあるならば。
文体というものが確かにあるのならば。
物語を書くその動機というか、隠しきれない書き手の視線の運び方とか、文体としか呼びようのない文章の手触りが「更級日記」を思い起こさせる。そう感じさせる作品が作者不詳の物語群の中に未だに置かれている。

作者不詳の「浜松中納言物語」は「更級日記」の作者の筆によるという説はずいぶん古くから提出されている。実証的証拠、物的証拠に欠けるとされているが、一方でこの説が覆ったという話も聞かない。
少なくともこの物語は菅原孝標女の作としてよいのではないだろうか?と僕は思っている。
作品の中味が、すでに作者を名指ししているように読めて仕方ないのだ。
逆を考えてみる。すると、むしろその方が説得力を増すような。
「浜松中納言物語」の作者が「更級日記」の作者であるなら、僕にはさらにしっくりくるのである。





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