Journal de Cochon d'inde ♪こうそん日記♪

2013年10月1日に、娘の誕生日プレゼントとして我が家に来た、可愛すぎるモルモットのこうそん(♀)の日記です。

波と食欲(2019年6月21日・金曜日)

2019-06-21 18:56:51 | ままの独り言
題名だけ見ると海に行って食欲もりもり?といった元気元気な雰囲気ですが、「ペットを失った」後のことについての内容です。

ハッキリ言って暗い記事ですが、今後私と同じような状態になった方に、少しでも参考になればと思い書くことにします。


こうそんがいなくなってから9日。いや、6月12日の朝起きたらもう動かなくなっていたのだから、10日と言ってもいいのかもしれない。
こうやって書いていて、もうそんなにたつのか、と驚いている。

もしかしたらどこかに書いているかもしれないけれど、12日から食欲がなくなった。
思い出せる限りで、私が食べたものを書く。

12日(水曜日) 夜にご飯を一口、ブラウニーをひとかじり (気持ち悪くなってそれ以上受け付けなかった)

13日(木曜日) 昼 フランスパンにバターをぬったもの。たしか4枚くらい食べたか。
        夜 白米 + 焼いた鮭

14日(金曜日) 夜 白米 + からあげ(だったと思う)

15日(土曜日) 昼 
        夜 

16日(日曜日) 昼 
        夜 Osso buco (子牛の足・骨つきのお肉を、邪道だけれどトマトソースで煮込み、パスタと共にいただく料理)

17日(月曜日) 昼 スムージー (心理士のところに行き、気分が変わったためか)
        夜 Osso buco の残り

18日(火曜日) 昼 Osso buco の残り
        夜 ごはん、のり、みそ汁

19日(水曜日) 昼 ソーセージ + ほうれん草のオムレツ
        夜 ごはん+茹でエビ2尾

20日(木曜日) 昼 ごはん + ナゲット
        夜 カレーカルボナーラ、デザート=マンゴー

21日(金)

(ちなみに娘は別メニューの時があり、娘にはもっとしっかり作っています)

食べたものがあまり思い出せなくても、まあ普通かなとは思うが、どちらにしてもあまり食べていない。
娘が昼にもいる日(火~木曜日、土日)は、昼も食べていたが、いないと食べない。本当は食事を作りたくないが、娘は食べ盛りでたくさん食べたいのだから、母親としての義務でなんとか最低限をこなしているだけ。

ご覧いただいているとおり、それなりに食べているので、「全然食べていないの、可哀想でしょ」自慢ではない。
逆だ。本当はもっとしっかり食べなければならない。

悲しくて泣いていることについては、娘も含め、誰もが「泣いた方がいい」という。
しかし、食べることについては誰も「食べなきゃダメだよ」と口をそろえる。インターネットで「ペット 別れ 悲しい」といったワードで検索するとほぼ必ず「悲しい時には思いっきり泣くといい。けれど、必ず食べる(または何かを口にする)こと」とある。

これは本当にそうだと思う。
もし、心が痛くて痛くて食べられない方がいたら、一口でも何でも、食べられるだけ食べてほしい。私は上に偉そうに「食べたもの」を色々並べているが、中にはごく少量の回もある。が、食べることの大切さを、今日本当に理解した。

というのは、食べてからも号泣レベルで泣けることがあるけれど、精神状態は健全に近い形になるからだ。
一方、食べないと、精神面への影響がてきめんだ。
今日の朝は、こうそんはいないんだ・・・と思いながらも、普通だった。洗濯しながら、こうそんが敷いていた敷物を洗うことは、もうないんだと思うと悲しくなり、ベランダで泣いた。

仕事で忙しく、また母親との電話も予定されていたし、昨日取っておいた「カレーカルボナーラ」の残りはそんなわけで食べなかった。
少しでも食べればよかったと後悔している。というのは、落ち込みが激しくなっているからだ。

うちにある冷蔵庫は、ブーンとモーター音をさせていることが多い(たぶん、詰め込み過ぎによる・汗)
それが、昨日位からモーター音が止んでいることが多いのだ。

そうすると、静けさが際立つ。今まではこうそんとモルの2人がいて、こうそんが活動開始するとモルも出てきて牧草を食べたり、何と言うか生活音があった。あと、こうそんが寝ている時のすぴー、すぴー、という音もあった。というか、こうそんもしっかり寝ていて何の音もしていない時もあった。

冷静に考えると、この静けさは上述のとおり「冷蔵庫のモーター音がやんでいる」ため。モーター音がやんでいるのは、私が食欲がなく、あまり食材を調達してこない(うえに、野菜の量も半分だし… ために、程よい内容量となった冷蔵庫がフル稼働している必要がないからだと分かる。以前は、奥に入れていた食材が凍っていたほどなので、詰め込み過ぎでモーターフル稼働だったのだ。

それが。

これだけ静かという事実が、もしかしたらこうそんがものすごく息が荒かったのに、気が付かなかったから。こうそんがいなくなったからこんなに静かなんだ。ではずっと前からゼイゼイしていたのか。病気だったのではないか。それほど息が荒かったのに11日まで病院に行かず放置してたのか!結局見殺しに近いものがあるのではないか!!と、6月初めに「仕事にかまけ、さまざまな負荷でアップアップと自覚していた」自分のことは覚えているだけに、隣にいたのに、息が荒かったのをきっと聞いていたのに、気づいていないというかみごろしに・・・

へと、考えがどんどんどんどん下向きになったのだ。

その後、母と話している時に、獣医がバイトリル6日分を出したことや酵母菌は3週間与えてくださいだ、ビタミンは1ヶ月分だのやったことを思いだした。危篤状態なら「危ないかもしれない」は絶対に言ったはず。本当に死の間際と判断していたら、手遅れだから安楽死という提案もあったはずだ。

「肺の中に水の音がしますが、まあまあ早く来院しましたから(assez rapide)処置もできますし。よかったです」と、間違いなく言っていた。

月曜日が祝日だったのでうう~・・・と思いながら、火曜日の午後(予約なし)にすぐに病院に行ったし、小動物を診る獣医が「処置できますし」と言っていたから「最後の最後まで放置」ではなく、やはりモルモットに関してたくさんの経験がある方がおっしゃっているとおり「寿命をまっとうした」ということなのだろう。

後悔を自責へと転換させて自分を虐めるという精神状態と、食事をとっていないというのが、本当に正比例する。

そんなきれいごと・・・と思われるかもしれないが、さまざまなところで「(そのペットが)愛していた人が苦しみぬいている姿をみたら、悲しくなる。泣くのは、自分がいなくなったから悲しくなった、だけれど苦しみをみたら、ペットも心が痛む」とあった。

なんでも、虹の橋広場の時間と、こちらの時間は違い、こちらの10年間があちらの1日?くらいとのこと。私が長生きできたとしても、こうそんは4~5日待つ程度の話である。

それでこうそんのことを思いだした。どうしても、よろよろになってしまっていた最後の2日間の姿がよみがえり悲しくなるのだが、よろよろになっても、私が「後ろ足のマッサージしよう!」とやったら、歩けるようになった。
そして、あの子の本来の気質は「甘えん坊だけれど、線引きができる」だった。

私があの子を抱っこして「あ~、もう悲しいなあ~」などと思っていると、優しい背中を向けて黙って撫でられていてくれるが、おしっこしたくなれば、私がどんなに感無量な状態の時でも、ちゃんと伝える。
ケージに戻すとおしっこをした後で「う~ん、ちょっとお腹がすいちゃったな」と、こちらがものすごく沈んでいようがなんだろうが、牧草をポリポリ食べたり、またはちゃんと寝たい場合は「さ、おねんねおねんね」と、スタスタと隠れ家に入っておねんねしていた。

寄り添う時は寄り添い、自分のことはしっかりしていた。

だから、私がこんなにぺしゃんこだと、こうそんに呆れられるなあと思う。あの子は、私が心からうれしい!嬉しい!と思っていると、くるるるる、くるるるる とその気持ちに呼応してくれる子だった。だから、今こんなに辛い思いでは、あの子も辛いだろう。

こうそんを見習うなら、悲しむときは悲しみ、こうそん大好きだよ!と声に出して言っても、自分のこと(食べる)はしっかりやるべきだ。
こうそんなら「私がママより長く生きられないのは、知っていたよね?だから、しょうがないんだよ。いつかはこうやってお別れしなきゃいけなかったの。でも、いつもママのところにいるよ。分かったらちゃんと食べてね!こうそんは最後の最後までちゃんと食べてたよ!!」と言うだろう。

食べなくては。
自然に虹の橋に行くその日まで、ちゃんと生きなければ。

食べなかったら、遅かれ早かれきっと精神的なものになる。そのうえで生きていくとなると娘にも迷惑がかかる。生きていかなければならないのだから、食べるんだ。

一口でもいい。ヨーグルトだけでもいい。

もし、愛していたペットとこの世でのお別れをして、ずっと食事がのどを通らないという方がいたら、(私もぜんぜん立ち直っていないので、説得力がないかもしれませんが)


・好きなものを
・無理しないで、食べられるだけ
・できたら、朝・昼・夜と間隔よく


食べませんか。食べるのがきつければ、栄養たっぷりのスムージーや、スープ(汁物)なら、のどを通ります。
そういえば、先日(ちょっと行儀が悪いですが)お味噌汁ご飯をやったら、おいしくのどを通りました。

お別れをすると、少なからず後悔があります。
自分のせいだとまで思えるところまで行くことも、あると思います。

私の場合「だから、私は自分だけ食べてヘラヘラできない」などという考えに行きました、いや、現在形でいきます。

だけど、ずっと楽しく笑ったり、よーしよーしと愛情いっぱいの目を向けてくれていた人がそんな風になったら、一緒にいたペットはきっと悲しいと思います。だから、食べましょう。少しずつ。

それで、動物たちに負けないよう頑張って立派に生き抜いて、いつか虹の橋を渡った時に「あの時はものすごくつらかったけど、〇〇ちゃんが生き抜く姿を思い出して、頑張ったよ!」と、胸を張って感謝を伝えられるようにしませんか。これから毎日、その日に食べたものをこのブログにアップします。最低昼・夜の2食はいただこうと思っています。 

なんだか偉そうに書いていますが、結局自分自身への鼓舞です。
それで、でも、私と同じような状態の方がいて、これを読み、その人も少しだけでも「食べてみよう」という気持ちになってくれたら何よりだなあと思いました。

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