一昨日は計画通り出かけた。
今年は大音響で音楽(という名の雑音)をかけているスタンドが多くて、建物の中にいると耳がつぶれそうだった。
それもあり、芝生になった中庭の部分でたくさん休んだ。
同じく休んでいる人が沢山で、建物内は禁煙のためそこで喫煙している人もいた。
私は喫煙をしないので、煙をぱーぱー出している喫煙者がいるとどこかに隔離したい衝動に駆られる。
煙が来た時は布を鼻と口に当てて、少ししのいでいた。
タバコ害もひと段落、空気がきれいになった時に、左横に白い影が私の方向に向かってとてとてと来るのをみた。
?・・・ と思ったが… ちょうどこうそんのような大きさで、白いお背中を見た。
急いで娘に言った。娘は私の右側にいたのでもちろん見えなかった。
タバコの煙???と思ったけれど、煙が地面近くをゆるゆると移動するとは考えにくい。それに、風向き的に私の方に向かって煙が流れてくるということは不可能だった(私の後ろから前に向かって風が流れていた)。近くでタバコを吸っている人はいない。あれだけの白い影は、私の隣で吸い、地面と平行になるように煙を出し、かつ風向きが正しい向きでなければ無理だ。
こうそん、一緒に来てくれたんだねえ。。。
去年は、お留守番だったもんね。いろいろなところに一緒に行けるね。
と、温かい気持ちになった。
昨日は洗濯をしたり、羊毛フェルトに挑戦したり、ピアノをやったりしてそれなりに忙しくしていたのがよかったか、そんなに悲しくならなかった。
出かけたくないなどと思っていたけれど、やっぱり気持ちが変わるから出かけるのはいいなあなどと思ったくらいだった。
でも、本日。
お昼前の少しの時間と、お昼を食べてから、娘の部屋で娘のマンガを読んでいた。
娘は雨戸を20%くらいしか開けていない(シャッター式なので下が開く)。
今日は最高気温33℃とそれなりに暑い。こうそんとモルの2人がいればエアコンもつけようと思うが…モル一人のために、誰もいない居間にエアコンを付けるのは不経済だ。
そのため、雨戸をあまり開けず(=暑くならない)、かつ扇風機も回して温度的には快適な娘の部屋に、モルのケージも運び込んだ。
これで、モルが暑い思いをしないだろう。
そうやっていたけれど…
モルがケージの中でかさっと動いたり、スタスタと出て来たりした音を聞いて、こうそんのことを思いだした。
むか~し、娘と私が同じ部屋にいて、娘はゲームをやったり本を読んだり、私は仕事したりしていて、こうそんが一緒の部屋にいた時のことを思いだした。
引越ししてからはそのような機会はすっかりなくなってしまった。
こうそんも、2018年に入ってから(4歳半)は外に出てもあまり動くことがなく、あまり長く外に居ずに「お家に帰りたい」と合図していたので、ゆったり外に…ということもなくなってしまった。
その時はそれなり(お家に帰りたい)の理由があったけれど、今となってはもっともっと遊べばよかった…
でも、もうどんなにそう思ったってこうそんは戻ってこない…
顔を上にあげての合図や、こうそん、と呼ぶと反応してくれたり、もうそういうのは「生で」見ることはできないんだと思ったら、胸が苦しくなり、そして前述通り雨戸を20%くらいしか開けていないこともあり、急に息苦しくなって娘の部屋から出た。
実は、一昨日の外出時、空港に到着する飛行機、離陸する飛行機が高速鉄道から見えた。
空は雲一つない真っ青な空で、3年前に日本に帰省した時の日本の空のようだった。千葉の南の海に、たくさん船がいたっけ・・・
あの時は、フランスに帰ればこうそんがいると思っていたっけ。
フランスに到着した時、日本の実家がまた遠くなったことに悲しい思いをしたけれど「こうそんが待っている」と思ったっけ…。
最初は、飛行機だ~ばいば~いと、誰にも見えないように手を振ったりしていたけれど、その時も急に悲しくなって泣いた。
娘が「ばいばい~とやっていたかと思ったら、その2分後に見たら顔が真っ赤でたくさん泣いているからびっくりした」と言っていた。
ご都合主義ではなくて、本当にこうそんは私が笑っていたり、リラックスしていたりしている方が嬉しいと思ってくれていると感じる。
それに、いつでも近くにいてくれているとも感じる。
モルも私の愛情を必要としてくれていると感じるけれど・・・
時々は悲しくなってしまったって、いいよね・・・。
今年は大音響で音楽(という名の雑音)をかけているスタンドが多くて、建物の中にいると耳がつぶれそうだった。
それもあり、芝生になった中庭の部分でたくさん休んだ。
同じく休んでいる人が沢山で、建物内は禁煙のためそこで喫煙している人もいた。
私は喫煙をしないので、煙をぱーぱー出している喫煙者がいるとどこかに隔離したい衝動に駆られる。
煙が来た時は布を鼻と口に当てて、少ししのいでいた。
タバコ害もひと段落、空気がきれいになった時に、左横に白い影が私の方向に向かってとてとてと来るのをみた。
?・・・ と思ったが… ちょうどこうそんのような大きさで、白いお背中を見た。
急いで娘に言った。娘は私の右側にいたのでもちろん見えなかった。
タバコの煙???と思ったけれど、煙が地面近くをゆるゆると移動するとは考えにくい。それに、風向き的に私の方に向かって煙が流れてくるということは不可能だった(私の後ろから前に向かって風が流れていた)。近くでタバコを吸っている人はいない。あれだけの白い影は、私の隣で吸い、地面と平行になるように煙を出し、かつ風向きが正しい向きでなければ無理だ。
こうそん、一緒に来てくれたんだねえ。。。
去年は、お留守番だったもんね。いろいろなところに一緒に行けるね。
と、温かい気持ちになった。
昨日は洗濯をしたり、羊毛フェルトに挑戦したり、ピアノをやったりしてそれなりに忙しくしていたのがよかったか、そんなに悲しくならなかった。
出かけたくないなどと思っていたけれど、やっぱり気持ちが変わるから出かけるのはいいなあなどと思ったくらいだった。
でも、本日。
お昼前の少しの時間と、お昼を食べてから、娘の部屋で娘のマンガを読んでいた。
娘は雨戸を20%くらいしか開けていない(シャッター式なので下が開く)。
今日は最高気温33℃とそれなりに暑い。こうそんとモルの2人がいればエアコンもつけようと思うが…モル一人のために、誰もいない居間にエアコンを付けるのは不経済だ。
そのため、雨戸をあまり開けず(=暑くならない)、かつ扇風機も回して温度的には快適な娘の部屋に、モルのケージも運び込んだ。
これで、モルが暑い思いをしないだろう。
そうやっていたけれど…
モルがケージの中でかさっと動いたり、スタスタと出て来たりした音を聞いて、こうそんのことを思いだした。
むか~し、娘と私が同じ部屋にいて、娘はゲームをやったり本を読んだり、私は仕事したりしていて、こうそんが一緒の部屋にいた時のことを思いだした。
引越ししてからはそのような機会はすっかりなくなってしまった。
こうそんも、2018年に入ってから(4歳半)は外に出てもあまり動くことがなく、あまり長く外に居ずに「お家に帰りたい」と合図していたので、ゆったり外に…ということもなくなってしまった。
その時はそれなり(お家に帰りたい)の理由があったけれど、今となってはもっともっと遊べばよかった…
でも、もうどんなにそう思ったってこうそんは戻ってこない…
顔を上にあげての合図や、こうそん、と呼ぶと反応してくれたり、もうそういうのは「生で」見ることはできないんだと思ったら、胸が苦しくなり、そして前述通り雨戸を20%くらいしか開けていないこともあり、急に息苦しくなって娘の部屋から出た。
実は、一昨日の外出時、空港に到着する飛行機、離陸する飛行機が高速鉄道から見えた。
空は雲一つない真っ青な空で、3年前に日本に帰省した時の日本の空のようだった。千葉の南の海に、たくさん船がいたっけ・・・
あの時は、フランスに帰ればこうそんがいると思っていたっけ。
フランスに到着した時、日本の実家がまた遠くなったことに悲しい思いをしたけれど「こうそんが待っている」と思ったっけ…。
最初は、飛行機だ~ばいば~いと、誰にも見えないように手を振ったりしていたけれど、その時も急に悲しくなって泣いた。
娘が「ばいばい~とやっていたかと思ったら、その2分後に見たら顔が真っ赤でたくさん泣いているからびっくりした」と言っていた。
ご都合主義ではなくて、本当にこうそんは私が笑っていたり、リラックスしていたりしている方が嬉しいと思ってくれていると感じる。
それに、いつでも近くにいてくれているとも感じる。
モルも私の愛情を必要としてくれていると感じるけれど・・・
時々は悲しくなってしまったって、いいよね・・・。
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