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NF4のジオメトリー解らん、Iさんに聞け

2019-03-17 19:14:53 | 阿部語録 -HRC時代-
阿部語録ーHRC時代ー2

NF4のジオメトリー解らん、Iさんに聞け

2年後の1988年に、W-GP125のレギュレーションが単気筒に変更になります。国内GP125クラス用に
RS125R(ND4)をHRCから市販していましたが   エンジン(NEW-CRベース)、フレーム共新設計で
単気筒に変更となる1年前の1987年にNF4を上市し、走り込み、セットアップ、トラブルをシューティングし、
1988年から市販レーサーでW-GPチャンプを狙う意気込みで私(LPL)は計画してました。
そのNF4を設計するにあたり、モトクロッサーから進化してきた鉄フレームのND4をベースにジオメトリーを
発想する気になれず、また、ヨーロッパの50,80のチャンプ車を参考にしても、ENG位置や前後ウエイト比、
ジオメトリーに個性が有りすぎて参考にならず。走行系の親分も教えてくれるフリして逃げの一手でし
たね。阿部ちゃん、どうしょぅーと聞いたら、”オレも解らん、125のスペシャリスト Iさんに聞け”の一言
そうでした、Iさんは125で日本チャンプになり、MFJからのご褒美で自分の単気筒125を持って、
スパ・フランコルシャン(W-GP)に出場、当時はIさん以外は2気筒でしたので、ズバズバ抜かれて
怖い思いをしたと言ってました。そして、リベンジで、自分用の実戦車のレイアウトを画いてました。
オー,平松っあん、オレ(Iさん)のレイアウトを使ってくれ でした。日本チャンプが実戦から得たジオメトリー
ですから、即、納得がいきました。そのNF4を浜松工場で作ってもらい、3年後(1989年)に安価な
市販レーサーでW-GP 125クラス・チャンプをGET。私の計画は達成できました。そしてNF4は(8000台)
以上生産され レースの底辺を支え レースショップも潤い、MOTO-GPのチャンプ(かな)も育てました。
阿部ちゃんは他のクラスのエキスパートをちゃんと見ていて、平松、あいつはスゲーゾ、オレに無いものもって
いる、Iさんにちゃんと聞けでしたね。
NF4の最終確認はスズカのYYさん(阿部指名)に走行して貰いました、鉄のフレームとはフィーリングが違うが、
乗り方変えれば速く走れますでした。
これはフィクションであり、実名は出せません。


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