#当日中に投稿出来なかったので翌日掲載となります。
本日の散歩目的地は、神奈川県横須賀市の浦賀(出発は久里浜)です。
黒船来航で知られる土地ですね。
ルート:京急久里浜駅~怒田城跡(吉井貝塚)~ペリー公園~千代ケ崎砲台跡~浦賀燈明堂~浦賀奉行所跡~浦賀奉行所開設300周年記念のデザインマンホール~浦賀コミュニティセンター分館~浦賀城跡~神奈川県立観音崎公園(観音埼灯台、北門第二砲台跡、北門第一砲台跡、海の見晴らし台、戦没船員の碑)~浦賀駅
10:10頃、京浜急行線・京急久里浜駅へ到着。
北方向、直線距離約730m先へ移動。
10:30に「怒田城跡(沼田城跡)」へ到着。
台地全体が平安時代末期の山城で、
海上活動を活発に行っていた三浦一族の根拠地と言われています。
城跡としては、曲輪、空堀、土橋の跡が残っていました。
ただ、この場は城跡としてよりも貝塚の発見場所としての方が重要度が高いようです。
台地西側に第一貝塚、北側に第二貝塚があって、
「吉井貝塚」と呼ばれています。
貝塚は縄文時代早期から中期にかけてのもので、
「吉井貝塚を中心とした遺跡」として県指定史跡となっています。
南南東方向、直線距離約1.7km先へ移動。
11:10少し過ぎ頃、「ペリー公園」へ到着。
園内には「ペリー記念館」が建ち、無料で入館出来ます。
館内にはペリー来航に関する歴史的資料や模型などが展示されていました。
園内には他にも「ペリー上陸記念碑」が設置されています。
浦賀に来航したペリー艦隊は、
その隣の入江である久里浜に上陸して
アメリカ大統領からの国書を日本側に引き渡したそうです。
東北東方向、直線距離約1.3km先へ移動。
11:55少し過ぎ頃、「千代ケ崎砲台跡」へ到着。
江戸時代の台場に、明治時代になってから陸軍が西洋式の砲台を建設した要塞跡で、
土曜・日曜・祝日のみ公開されています。
近年まで一般公開が制限されていたためか築造当初の姿がよく残っています。
文部科学省の文化財保護法により史跡に指定されました。
施設内には一部立ち入り制限があったり、
足元が危うい箇所があるなど、ガイドの方の立ち合いが必要となります。
ガイドの方の解説を聞きながら40分ぐらいかけて施設内を巡りました。
北東方向、直線距離約490m先へ移動。
13:05少し過ぎ頃、「浦賀燈明堂」へ到着。
和式灯台の跡です。
江戸時代の元禄の頃から明治時代に入って洋式灯台である観音埼灯台が登場するまで、
港に出入りする船にとって灯台の役目を果たしていました。
昭和時代に入って、残っていた石垣の上に当時の外観を復元したそうです。
西北西方向、直線距離約990m先へ移動。
13:30頃、「浦賀奉行所跡」へ到着。
主に江戸湾を守るための船改め、海難救助を行うための地方役所として機能したそうです。
また、ペリー来航の際には浦賀奉行所が交渉を行ったとの事。
堀の跡の石垣と石橋が残っていますが、
敷地内は現在更地になっています。
北方向、直線距離約520m先へ移動。
「関東大震災慰霊塔」へ到着。
この慰霊塔前の歩道上に、
浦賀奉行所開設300周年記念のデザインマンホール蓋が設置されていて、
そちらの写真撮影が目的です。
また、この傍では「浦賀の渡し」が運航されていました。
大人400円(横須賀市民は200円)で、対岸へと渡る手段として利用出来ます。
別途50円支払う事で自転車も持ち込めます。
利用してみたかったのですが、もう一か所寄る場所があったので見送りました。
北西方向、直線距離約500m先へ移動。
13:55頃、「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」へ到着。
ここでは、上記マンホール蓋のマンホールカードが配布されています。
カードを入手後、資料館の二階で展示物を見学しました。
東南東方向、直線距離約860m先へ移動。
移動途中、「浦賀の渡し」の対岸側でも写真撮影。
14:30頃、「浦賀城跡」へ到着。
浦賀港の入り口である東叶神社の裏山が戦国時代末期の山城で、
北条氏康が三崎城の支城として築いたと言われています。
長い石段を上った先が主曲輪となっていました。
曲輪の端からは浦賀水道が一望出来ます。
曲輪の北側に堀切があるらしいので突撃したら、
藪&蜘蛛の巣が立ちはだかり、危うく迷いかけました。
おまけに、肝心な堀切跡の写真は取り逃しておりました。
北東方向、直線距離約2.0km先へ移動。
15:40頃、「神奈川県立観音崎公園」へ到着。
時間があれば園内に併設されている「観音崎自然博物館」へも入場してみたかったのですが、
時間的に無理と判断して見送りました。
園内で最初に目指したのは「観音埼灯台」です。15:55到着。
日本最初の洋式灯台として誕生。のぼれる灯台の一つです。
参観寄付金として300 円(中学生以上)を払って灯台内部へ。
最上部から外に出てみると、目前には海原が・・・高い!
そう言えば、高所恐怖症という訳ではありませんが、
高いところはあまり得意じゃなかった。
手摺りが低かったり隙間の大きな柵だったりすると、
不安感が強まる傾向にあります。
風景を楽しむ間もなく早々に退散しました。
次に目指したのは「北門第二砲台跡」です。16:10少し過ぎに到着。
公園内には三か所に砲台跡が残っていて、これもその一つです。
明治時代に陸軍が首都圏防備の要塞とした土地を、
戦後、都市公園として整備した公園したため、
園内各所に砲台跡が残さされています。
第二砲台跡は砲座に当たる部分が残っていますが、
周囲には樹木が繁茂していました。
次に目指したのは「北門第一砲台跡」です。
しかし、ここで選択ミスに気付きました。
灯台からは第一砲台跡の方が近く、
第二砲台跡から第一砲台跡を経由すると、
ほぼ灯台近くまで戻る事になり、
更に次の場所を目指す際は10分程後戻りが必要でした。
第一砲台跡には16:25頃到着。
こちらは休憩スペースとして整備されていました。
次に目指したのは「海の見晴らし台」です。
レンガの隧道を抜け、16:35頃に到着。
ここにも砲座跡のようなものがありました。
観測所だったのかもしれませんが。
(後で調べたら第三砲台跡との事でした)
高台からの眺めは良かったです。
次に目指したのは「戦没船員の碑」です。16:40少し過ぎ頃到着。
戦争で亡くなった戦没船員の慰霊とともに平和を祈念する場所です。
当初予定ではこの後、園内にある「三軒家砲台跡」を経て、
近隣にある「走水低砲台跡」まで行くつもりでしたが、
「花の広場」で17:00のチャイムを聞きました。流石にタイムアップです。
いずれリベンジしたいと思います。
公園から出て最寄りのバス停を探していたら、
停留所に丁度バスが到着したので乗り込み、
17:20頃、バスの終点である京浜急行線・浦賀駅へ到着しました。
本日の散歩は以上です。
本日の散歩目的地は、神奈川県横須賀市の浦賀(出発は久里浜)です。
黒船来航で知られる土地ですね。
ルート:京急久里浜駅~怒田城跡(吉井貝塚)~ペリー公園~千代ケ崎砲台跡~浦賀燈明堂~浦賀奉行所跡~浦賀奉行所開設300周年記念のデザインマンホール~浦賀コミュニティセンター分館~浦賀城跡~神奈川県立観音崎公園(観音埼灯台、北門第二砲台跡、北門第一砲台跡、海の見晴らし台、戦没船員の碑)~浦賀駅
10:10頃、京浜急行線・京急久里浜駅へ到着。
北方向、直線距離約730m先へ移動。
10:30に「怒田城跡(沼田城跡)」へ到着。
台地全体が平安時代末期の山城で、
海上活動を活発に行っていた三浦一族の根拠地と言われています。
城跡としては、曲輪、空堀、土橋の跡が残っていました。
ただ、この場は城跡としてよりも貝塚の発見場所としての方が重要度が高いようです。
台地西側に第一貝塚、北側に第二貝塚があって、
「吉井貝塚」と呼ばれています。
貝塚は縄文時代早期から中期にかけてのもので、
「吉井貝塚を中心とした遺跡」として県指定史跡となっています。
南南東方向、直線距離約1.7km先へ移動。
11:10少し過ぎ頃、「ペリー公園」へ到着。
園内には「ペリー記念館」が建ち、無料で入館出来ます。
館内にはペリー来航に関する歴史的資料や模型などが展示されていました。
園内には他にも「ペリー上陸記念碑」が設置されています。
浦賀に来航したペリー艦隊は、
その隣の入江である久里浜に上陸して
アメリカ大統領からの国書を日本側に引き渡したそうです。
東北東方向、直線距離約1.3km先へ移動。
11:55少し過ぎ頃、「千代ケ崎砲台跡」へ到着。
江戸時代の台場に、明治時代になってから陸軍が西洋式の砲台を建設した要塞跡で、
土曜・日曜・祝日のみ公開されています。
近年まで一般公開が制限されていたためか築造当初の姿がよく残っています。
文部科学省の文化財保護法により史跡に指定されました。
施設内には一部立ち入り制限があったり、
足元が危うい箇所があるなど、ガイドの方の立ち合いが必要となります。
ガイドの方の解説を聞きながら40分ぐらいかけて施設内を巡りました。
北東方向、直線距離約490m先へ移動。
13:05少し過ぎ頃、「浦賀燈明堂」へ到着。
和式灯台の跡です。
江戸時代の元禄の頃から明治時代に入って洋式灯台である観音埼灯台が登場するまで、
港に出入りする船にとって灯台の役目を果たしていました。
昭和時代に入って、残っていた石垣の上に当時の外観を復元したそうです。
西北西方向、直線距離約990m先へ移動。
13:30頃、「浦賀奉行所跡」へ到着。
主に江戸湾を守るための船改め、海難救助を行うための地方役所として機能したそうです。
また、ペリー来航の際には浦賀奉行所が交渉を行ったとの事。
堀の跡の石垣と石橋が残っていますが、
敷地内は現在更地になっています。
北方向、直線距離約520m先へ移動。
「関東大震災慰霊塔」へ到着。
この慰霊塔前の歩道上に、
浦賀奉行所開設300周年記念のデザインマンホール蓋が設置されていて、
そちらの写真撮影が目的です。
また、この傍では「浦賀の渡し」が運航されていました。
大人400円(横須賀市民は200円)で、対岸へと渡る手段として利用出来ます。
別途50円支払う事で自転車も持ち込めます。
利用してみたかったのですが、もう一か所寄る場所があったので見送りました。
北西方向、直線距離約500m先へ移動。
13:55頃、「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」へ到着。
ここでは、上記マンホール蓋のマンホールカードが配布されています。
カードを入手後、資料館の二階で展示物を見学しました。
東南東方向、直線距離約860m先へ移動。
移動途中、「浦賀の渡し」の対岸側でも写真撮影。
14:30頃、「浦賀城跡」へ到着。
浦賀港の入り口である東叶神社の裏山が戦国時代末期の山城で、
北条氏康が三崎城の支城として築いたと言われています。
長い石段を上った先が主曲輪となっていました。
曲輪の端からは浦賀水道が一望出来ます。
曲輪の北側に堀切があるらしいので突撃したら、
藪&蜘蛛の巣が立ちはだかり、危うく迷いかけました。
おまけに、肝心な堀切跡の写真は取り逃しておりました。
北東方向、直線距離約2.0km先へ移動。
15:40頃、「神奈川県立観音崎公園」へ到着。
時間があれば園内に併設されている「観音崎自然博物館」へも入場してみたかったのですが、
時間的に無理と判断して見送りました。
園内で最初に目指したのは「観音埼灯台」です。15:55到着。
日本最初の洋式灯台として誕生。のぼれる灯台の一つです。
参観寄付金として300 円(中学生以上)を払って灯台内部へ。
最上部から外に出てみると、目前には海原が・・・高い!
そう言えば、高所恐怖症という訳ではありませんが、
高いところはあまり得意じゃなかった。
手摺りが低かったり隙間の大きな柵だったりすると、
不安感が強まる傾向にあります。
風景を楽しむ間もなく早々に退散しました。
次に目指したのは「北門第二砲台跡」です。16:10少し過ぎに到着。
公園内には三か所に砲台跡が残っていて、これもその一つです。
明治時代に陸軍が首都圏防備の要塞とした土地を、
戦後、都市公園として整備した公園したため、
園内各所に砲台跡が残さされています。
第二砲台跡は砲座に当たる部分が残っていますが、
周囲には樹木が繁茂していました。
次に目指したのは「北門第一砲台跡」です。
しかし、ここで選択ミスに気付きました。
灯台からは第一砲台跡の方が近く、
第二砲台跡から第一砲台跡を経由すると、
ほぼ灯台近くまで戻る事になり、
更に次の場所を目指す際は10分程後戻りが必要でした。
第一砲台跡には16:25頃到着。
こちらは休憩スペースとして整備されていました。
次に目指したのは「海の見晴らし台」です。
レンガの隧道を抜け、16:35頃に到着。
ここにも砲座跡のようなものがありました。
観測所だったのかもしれませんが。
(後で調べたら第三砲台跡との事でした)
高台からの眺めは良かったです。
次に目指したのは「戦没船員の碑」です。16:40少し過ぎ頃到着。
戦争で亡くなった戦没船員の慰霊とともに平和を祈念する場所です。
当初予定ではこの後、園内にある「三軒家砲台跡」を経て、
近隣にある「走水低砲台跡」まで行くつもりでしたが、
「花の広場」で17:00のチャイムを聞きました。流石にタイムアップです。
いずれリベンジしたいと思います。
公園から出て最寄りのバス停を探していたら、
停留所に丁度バスが到着したので乗り込み、
17:20頃、バスの終点である京浜急行線・浦賀駅へ到着しました。
本日の散歩は以上です。