さてさて金沢二日目・・・まだまだ旅は続きます
ってか写真の枚数が半端ないもんで
備忘録代わりにブログ更新しておりましてすみません
金沢から加賀温泉駅までJR(特急)で移動
そこから加賀周遊バス“キャンバス”の“山まわりコース”に乗車
ガイドさん同乗してて各所の説明もさすがって感じ
あちこち見所を回れるのでとってもお薦めです
“石垣の博物館”とも呼ばれる『金沢城』
天文15年(1546)本願寺により金沢御堂が創建
天正11年(1583)前田利家が入城→本格的な城づくりが始まる
その後は加賀藩前田家百万石の居城として発展
明治以後は陸軍の拠点だったとは
終戦から平成7(1995)年までは金沢大学のキャンパス
平成13(2001)年9月から“金沢城公園”として一般に開放
城内には五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓などが復元されてますが
北陸新幹線の金沢開業に向けて現在も復元整備中
石川門の右手に金沢大学発祥の地の石碑
「金沢大学誕生の地」と刻まれた平板状の碑と
写真にある荀子の“学は以て已むべからず”の碑
歴史の重みを感じます
天文15年(1546)本願寺により金沢御堂が創建
天正11年(1583)前田利家が入城→本格的な城づくりが始まる
その後は加賀藩前田家百万石の居城として発展
明治以後は陸軍の拠点だったとは
終戦から平成7(1995)年までは金沢大学のキャンパス
平成13(2001)年9月から“金沢城公園”として一般に開放
城内には五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓などが復元されてますが
北陸新幹線の金沢開業に向けて現在も復元整備中
石川門の右手に金沢大学発祥の地の石碑
「金沢大学誕生の地」と刻まれた平板状の碑と
写真にある荀子の“学は以て已むべからず”の碑
歴史の重みを感じます
お天気にも恵まれて堪能いたしました
兼六園のほぼ中心部にある“霞ヶ池”
園内最大の池面積は約5800㎡最も深いところで1,5m
周りに栄螺山・内橋亭・徽軫灯籠・虹橋・唐崎松・蓬莱島が配置され
四季折々の庭景を楽しめます
約20種/200本の梅の木が楽しめる“梅林”
昭和43年の明治百年記念事業で全国の名梅を集めて造成
北野天満宮・大宰府・湯島天神・水戸偕楽園などが協力
3月には紅白の花が咲き誇るんですって見応えありそう
かつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれていた“瓢池”
兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています
名前の由来はもちろん瓢箪のような形をしていることから
池の中には不老長寿の島『神仙島』をかたどった
大小二つの島があります
まだまだ美しいところがいっぱいありましたよん
次は金沢城んじゃ、また明日
兼六園のほぼ中心部にある“霞ヶ池”
園内最大の池面積は約5800㎡最も深いところで1,5m
周りに栄螺山・内橋亭・徽軫灯籠・虹橋・唐崎松・蓬莱島が配置され
四季折々の庭景を楽しめます
約20種/200本の梅の木が楽しめる“梅林”
昭和43年の明治百年記念事業で全国の名梅を集めて造成
北野天満宮・大宰府・湯島天神・水戸偕楽園などが協力
3月には紅白の花が咲き誇るんですって見応えありそう
かつて蓮池庭(れんちてい)と呼ばれていた“瓢池”
兼六園の作庭はこの辺りからはじまったと言われています
名前の由来はもちろん瓢箪のような形をしていることから
池の中には不老長寿の島『神仙島』をかたどった
大小二つの島があります
まだまだ美しいところがいっぱいありましたよん
次は金沢城んじゃ、また明日
兼六園はとにかく広い
木々の名前や種類を見ながら歩くだけで気分は爽やか
んでもって『明治紀念之標』
中央に日本武尊像左に石川県戦士尽忠碑の明治紀念之標
西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるもの
銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像
両脇の赤松は京都の東西両本願寺の門跡から移されたもの
それから『根上松』
大小40数本の根が地上2mまでせり上がった兼六園名物の一つ
13代藩主・斉泰が土を盛り上げて若松を植え根を深く土で覆い
成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものと伝えられている
そして兼六園に隣接する加賀前田家の奥方御殿“成巽閣”
建立は文久3年(1863)加賀藩13代藩主/前田斉泰
母/真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として建てた建造物
江戸時代末期の大名屋敷の代表的建築で国の重要文化財
季節に応じて多彩な表情がありそうデス
木々の名前や種類を見ながら歩くだけで気分は爽やか
んでもって『明治紀念之標』
中央に日本武尊像左に石川県戦士尽忠碑の明治紀念之標
西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるもの
銅像の身長は5.5m、明治13年(1880)日本で最初に建てられた銅像
両脇の赤松は京都の東西両本願寺の門跡から移されたもの
それから『根上松』
大小40数本の根が地上2mまでせり上がった兼六園名物の一つ
13代藩主・斉泰が土を盛り上げて若松を植え根を深く土で覆い
成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものと伝えられている
そして兼六園に隣接する加賀前田家の奥方御殿“成巽閣”
建立は文久3年(1863)加賀藩13代藩主/前田斉泰
母/真龍院(12代斉広夫人)の隠居所として建てた建造物
江戸時代末期の大名屋敷の代表的建築で国の重要文化財
季節に応じて多彩な表情がありそうデス