今日はとにかく、この話題です。
小生は、実は…なんだかんだありますし、最近は眉をひそめたくなることばかりですが
、読売ジャイアンツのファンです。
ですが、「12球団の中で、一番好きな選手は誰
」という問いに対しては真っ先にこう答えます
。
『広島カープの 前田 智徳 選手です
』
と。
その前田選手が遂にやりました
。
昨日の中日ドラゴンズとの試合の8回裏に、チームの仲間の奇跡的な結束力で、この回の「9番目のバッター」として打席に立ち、見事にチャンスをものにしてレフト前にヒットを放ち、2000本安打を達成しました
。
(その記事は、先方が削除するまではこちらから読むことができます。)
前田選手、本当におめでとうございます
。とても嬉しいです
。
それにしても前田選手…その「男気」は一体どこから湧き上がってくるのでしょう。その湧き上がり方たるや、まるで泉のようです。
そもそも、小生がジャイアンツ・ファンなのに、何故、カープの前田選手が「一番好き」なのか…。
それは、前田選手が背番号「31」番で、センターのレギュラーだった時の事です。
対戦相手は、小生がファンのジャイアンツ。
試合は接戦で、カープがリードしていましたが、先発の北別府 学 投手が力投すれば、この回でカープの勝ちが決まったような試合展開でした。
ですが、土壇場で、前田選手が守備でミスをして、北別府投手の勝利投手の権利を帳消しにしてしまいます。
その時の前田選手の悔しがり様…尋常じゃなかったです。
確か隠れて泣いていたようにも記憶しています。
よっぽど自分に対して「悔しい」気持ちが強かったのでしょう。
ところが…です。
最後に回ってきた自身の打席で、逆転の本塁打を放って、結局カープが勝ったのです。
勝利投手は北別府投手ではなかったのですが、チームは勝ちました。
その時のヒーローインタビューです。
前田選手は、こう答えたように記憶しています。
「僕のミスで、北別府さんに迷惑をかけた。だから…どうしても打たなければならなかった…。」
そういうと、後は言葉が震えていました。懸命に涙をこらえていたようです。
本当に、自分に厳しく、悔しくて、自分が許せなかったのでしょう。
それを小生は見て、「敵ながらあっぱれ
。素晴しい
。なんという男気だ
」と。
それからです。前田選手が大好きになりました
。
ですが、決してここまでの過程は「平坦」ではありません。
いや、「平坦」だったら、もっと早く2000本安打は達成している選手です。
それだけの優秀な選手です。
努力の積み重ねが「孤高の天才」の名を欲しいままとしたといったほうが、実は正しいかもしれません。
1995年にはアキレス腱の断裂で戦線離脱。
復帰しても怪我が多く、フルシーズン働く事ができません。
2000年には古傷に「メス」を入れます。
そして、ここまで、我慢に我慢を重ねて、まさに「満身創痍」の状態で達成した記録です。
復帰後は、「ただ、走りたかった…」という思いで、ここまで気持ちを絶やさずに頑張ってきました。
とっても価値がある
ように思います。
その前田選手の「男気」は、全く衰えていません。
それが昨日の試合のヒーローインタビューです。
「ここまでのチームの戦いを考えると、悔しい気持ちがあった。その責任を考えると…。」
「(9番目のバッターとして8回に打席が回って…)今日はないと思った。梵、東出、新井…。みんなありがとう。最高の形です。ここで打たんわけにはいかなかった。」
「怪我をして、チームの足を引っ張って…こんな選手を応援していただいて、ありがとうございました。」
「今日のことは、一生忘れない。」
そして、名球会入りについては…
「こちらからお願いしてでも入れていただきたい。金田さんにお越しいただくのは申し訳ない。こちらから(ブレザーを)いただきに行きたいですよ。」
なんという「男気」でしょう。
こういう選手は、やはり野球の神様は裏切らないんですね…きっと。
前田選手の顔…実はコース博士の学位を取得した、小生の大学院時代の1年先輩とそっくりで、その先輩もどちらかというと「人事を尽くして天命を待つ」タイプで、多くを語らないお方でした。前田選手と性格も似たタイプですね。
その意味では、親近感がとってもある選手です。
これからも、1日でも長く、現役を続けてください。心から応援します。
とにかく、おめでとうございます。
小生は、実は…なんだかんだありますし、最近は眉をひそめたくなることばかりですが

ですが、「12球団の中で、一番好きな選手は誰


『広島カープの 前田 智徳 選手です

と。
その前田選手が遂にやりました

昨日の中日ドラゴンズとの試合の8回裏に、チームの仲間の奇跡的な結束力で、この回の「9番目のバッター」として打席に立ち、見事にチャンスをものにしてレフト前にヒットを放ち、2000本安打を達成しました

(その記事は、先方が削除するまではこちらから読むことができます。)
前田選手、本当におめでとうございます


それにしても前田選手…その「男気」は一体どこから湧き上がってくるのでしょう。その湧き上がり方たるや、まるで泉のようです。
そもそも、小生がジャイアンツ・ファンなのに、何故、カープの前田選手が「一番好き」なのか…。
それは、前田選手が背番号「31」番で、センターのレギュラーだった時の事です。
対戦相手は、小生がファンのジャイアンツ。
試合は接戦で、カープがリードしていましたが、先発の北別府 学 投手が力投すれば、この回でカープの勝ちが決まったような試合展開でした。
ですが、土壇場で、前田選手が守備でミスをして、北別府投手の勝利投手の権利を帳消しにしてしまいます。
その時の前田選手の悔しがり様…尋常じゃなかったです。
確か隠れて泣いていたようにも記憶しています。
よっぽど自分に対して「悔しい」気持ちが強かったのでしょう。
ところが…です。
最後に回ってきた自身の打席で、逆転の本塁打を放って、結局カープが勝ったのです。
勝利投手は北別府投手ではなかったのですが、チームは勝ちました。
その時のヒーローインタビューです。
前田選手は、こう答えたように記憶しています。
「僕のミスで、北別府さんに迷惑をかけた。だから…どうしても打たなければならなかった…。」
そういうと、後は言葉が震えていました。懸命に涙をこらえていたようです。
本当に、自分に厳しく、悔しくて、自分が許せなかったのでしょう。
それを小生は見て、「敵ながらあっぱれ



それからです。前田選手が大好きになりました

ですが、決してここまでの過程は「平坦」ではありません。
いや、「平坦」だったら、もっと早く2000本安打は達成している選手です。
それだけの優秀な選手です。
努力の積み重ねが「孤高の天才」の名を欲しいままとしたといったほうが、実は正しいかもしれません。
1995年にはアキレス腱の断裂で戦線離脱。
復帰しても怪我が多く、フルシーズン働く事ができません。
2000年には古傷に「メス」を入れます。
そして、ここまで、我慢に我慢を重ねて、まさに「満身創痍」の状態で達成した記録です。
復帰後は、「ただ、走りたかった…」という思いで、ここまで気持ちを絶やさずに頑張ってきました。
とっても価値がある

その前田選手の「男気」は、全く衰えていません。
それが昨日の試合のヒーローインタビューです。
「ここまでのチームの戦いを考えると、悔しい気持ちがあった。その責任を考えると…。」
「(9番目のバッターとして8回に打席が回って…)今日はないと思った。梵、東出、新井…。みんなありがとう。最高の形です。ここで打たんわけにはいかなかった。」
「怪我をして、チームの足を引っ張って…こんな選手を応援していただいて、ありがとうございました。」
「今日のことは、一生忘れない。」
そして、名球会入りについては…
「こちらからお願いしてでも入れていただきたい。金田さんにお越しいただくのは申し訳ない。こちらから(ブレザーを)いただきに行きたいですよ。」
なんという「男気」でしょう。
こういう選手は、やはり野球の神様は裏切らないんですね…きっと。
前田選手の顔…実はコース博士の学位を取得した、小生の大学院時代の1年先輩とそっくりで、その先輩もどちらかというと「人事を尽くして天命を待つ」タイプで、多くを語らないお方でした。前田選手と性格も似たタイプですね。
その意味では、親近感がとってもある選手です。
これからも、1日でも長く、現役を続けてください。心から応援します。
とにかく、おめでとうございます。