2月に起こった衝撃的なこと。それを書こうと思ってこんなに過ぎてしまった。
お手伝いをしているほうの居場所の代表の方が2月の初めに亡くなった。
一昨年から何度も入退院を繰り返し、でも元気そうに居場所の会場にいらしてた。
最後に会ったのはいつだったか。
入院をしていても、グループラインに色々参加してくれていた。
今遡って見たら、昨年11月の初めに連絡いただいていた。それを最後にもう連絡はなかった。
「私の方は一進一退を繰り返し、ご迷惑をお掛けしていますが、皆様のご尽力を頂き、11月から事業責任者Mさんの基、活動が続けられ、安心しています。サポーターの皆様には、引き続き若者への寄り添い、情報収集、提案に努めていただきたく、よろしくお願い申しあげます。この事業の統括責任者であるMさんが方針や最終決断をする立場にありますので、そこに関わる事項はMさんに確認してからの情報発信をして頂きたく、引き続きよろしくお願い申しあげます。」
こんなこと言ってたんだと思い出した。
昨年何度も集まり、代表のBさんが1人でやっていたお仕事をみんなに振り分けてみんなでやってきた。
Bさんが心配した引き継ぎは彼がいなくなってもみんなで話し合い、上手く引き継がれ、居場所も継続できている。
11月には講演会もあった。それをサポーターだけでやるのも初めてだったが、なんとか上手くできた。若者たちも協力し動いてくれた。
そう、私が喋らなかったあの彼と初めて話した日だ。
講演会のあと、ラインでやり取りがあって、そこに「わ」とひと文字だけBさんから入ってきた。
私は…とでも書きたかったのだろうか。
今度代表になったMさんはその「わ」にお返事をしていた。
「Bさん😀ご連絡ありがとうございます!
無事に講演会終了しました。皆様のおかげでなんとか形にすることができました!
面談希望も3組あり、対応しています。
とてもよい会だったと思います」
見ていてくれているBさんにちゃんとお返事をした。
ほんとうにいい人ばかりの中で、私もいい人になれそうな気がする。
じつを言うと、私はBさんが亡くなってからそんなに泣くことはなかった。
実感がないというのが一番で、お葬式もなかったので知らないうちにいなくなった感じで喪失感とかがそんなになかった。
これこそが彼が上手くみんなに引き継いでいったということなんじゃないかと思う。
一緒に講座の担当をしているOさんは、会ったときまだまだ引きずっていた。若者たちも相当ショックを受けていた人もいた。
が、今までと変わらぬ会場でちょっと拍子抜けな感じもあった。
これからも若者に寄り添って彼の思いを引き継いでいく。伴走する、そういつも話していた。
さあ、今日も卓球の講座に行ってきます。
Bさんが昨年夏に最後に立ち上げてくれた講座。ただピンポンと遊んでいるだけだけど、やってよかった。
講演会の日のこと