記者会見やインタビューで、「この記者にはリテラシーがない」と思うような質問が出ると感じたことのある人は多いと思います。また「確認しますが」との前置きで、「同じこと質問するな」と言いたくなるような、どうにも理解力が低いのではないかと疑わせるような質問をした記者を見たこともあります。
しかし、です。実は彼らの中の一部の人達は、敢えてリテラシーがない読者や視聴者の立場になって質問しているのではないでしょうか? だとすればこれは、一般人と専門家とのパイプ役たる報道人のプロの技と言えるのではないでしょうか? 専門家の言葉は得てして難しくなりがちです。それを「確認しますが、○○ということで良いのですね?」と、素人にも理解しやすい表現に置き換えて問う。もちろん記者自身は中身を理解していて、自分の責任で○○という表現の記事にしても良いのかも知れません。しかし、敢えて専門家の確認を取るのも誠実さのひとつと言えるでしょう。専門家から見ると○○という表現は誤解を与えやすくて拙い、ということもあるかも知れませんし、ならば××がいいか、とか専門家の側もより理解されやすい表現を鍛えることができます。互いに学び合おうという心構えがありさえすれば。
考えすぎと思う人もいるかも知れませんが、例えばNHKの特集番組などでアナウンサーが専門家に尋ねるような番組では、自分自身が知らないことではなくて一般人なら疑問に思うだろうとの立場からの問いがあるように思えます。また例えば囲碁将棋番組では女流棋士が生徒役を勤めることが多いですが、彼女らの棋力なら明らかだろうと思われることでも初級者の立場で質問していることもあります。その意味では、NHKのある番組でアナウンサーが専門家に弟子入りして勉強した結果をプレゼンテーションするという試みがありましたが、なかなかおもしろい試みだと思いました。
しかし話変わって、上杉隆のこの残念な記事の中の質問は、本当に科学リテラシーが欠けていたゆえとしか考えられません。
http://diamond.jp/articles/-/11596
「オバマ大統領や他国の首脳が言っていることが間違いなのでしょうか。それとも日本だけが違うのですか?」って・・・。これはいわゆる○×テスト式教育の弊害というものなのでしょうか?
・距離と危険度の相関は連続的であり、ある距離で0か1に分かれたりはしない
・連続量のどこで切るかはコストとの兼ね合いで判断したものであり、
数値が客観的事実なのではない
・外国人にとっての退避コストは地域住民より遙かに低い
以上考えれば、外国政府の指示の方が遠い距離になるのは自然に思えるのですが、この80km圏問題をネット検索してみると、その点を冷静に指摘しているのは以下のブログくらいでした。いやはや。
http://www.ohzawa.net/2011/03/30km80km.html
2011年3月21日月曜日
避難範囲30km(日)と80km(米)の違い
関連する日本経済新聞の滝順一の記事
また上杉隆の「80キロは世界中の政府が最低限の基準としているもの」という表現もミスリーディングされやすいですね。少なくとも私は、「諸外国の法令ではそのような共通基準があるのだろうか?」とあわてて調べまくってしまいました。実は80km(≒50マイル)という数値はアメリカでのシミュレーションから得られたものらしいです。となるとこれは、「諸外国はとりあえずアメリカの判断にならった」というのが正解ではないでしょうか?
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/16/world/asia/japan-nuclear-evaculation-zone.html?scp=1&sq=estimates%20of%20potential%20exposure&st=cse
The New-York Times
UPDATED March 25, 2011
The Evacuation Zones Around the Fukushima Daiichi Nuclear Plant
http://radi-info.com/q-3/
日本保健物理学会の会員を中心とした有志によるサイト
上杉隆の記事はちゃんと根拠やソースも示してあることが多く、決してデマを流すような人ではないと思いますが、上の場合は科学リテラシーの欠如のゆえに事実の認識を間違えています。このような自然科学系の知識や理解が要求される報道では、誰か信頼できる理系ブレーンを持つのが良いのではないでしょうか?
しかし、です。実は彼らの中の一部の人達は、敢えてリテラシーがない読者や視聴者の立場になって質問しているのではないでしょうか? だとすればこれは、一般人と専門家とのパイプ役たる報道人のプロの技と言えるのではないでしょうか? 専門家の言葉は得てして難しくなりがちです。それを「確認しますが、○○ということで良いのですね?」と、素人にも理解しやすい表現に置き換えて問う。もちろん記者自身は中身を理解していて、自分の責任で○○という表現の記事にしても良いのかも知れません。しかし、敢えて専門家の確認を取るのも誠実さのひとつと言えるでしょう。専門家から見ると○○という表現は誤解を与えやすくて拙い、ということもあるかも知れませんし、ならば××がいいか、とか専門家の側もより理解されやすい表現を鍛えることができます。互いに学び合おうという心構えがありさえすれば。
考えすぎと思う人もいるかも知れませんが、例えばNHKの特集番組などでアナウンサーが専門家に尋ねるような番組では、自分自身が知らないことではなくて一般人なら疑問に思うだろうとの立場からの問いがあるように思えます。また例えば囲碁将棋番組では女流棋士が生徒役を勤めることが多いですが、彼女らの棋力なら明らかだろうと思われることでも初級者の立場で質問していることもあります。その意味では、NHKのある番組でアナウンサーが専門家に弟子入りして勉強した結果をプレゼンテーションするという試みがありましたが、なかなかおもしろい試みだと思いました。
しかし話変わって、上杉隆のこの残念な記事の中の質問は、本当に科学リテラシーが欠けていたゆえとしか考えられません。
http://diamond.jp/articles/-/11596
「オバマ大統領や他国の首脳が言っていることが間違いなのでしょうか。それとも日本だけが違うのですか?」って・・・。これはいわゆる○×テスト式教育の弊害というものなのでしょうか?
・距離と危険度の相関は連続的であり、ある距離で0か1に分かれたりはしない
・連続量のどこで切るかはコストとの兼ね合いで判断したものであり、
数値が客観的事実なのではない
・外国人にとっての退避コストは地域住民より遙かに低い
以上考えれば、外国政府の指示の方が遠い距離になるのは自然に思えるのですが、この80km圏問題をネット検索してみると、その点を冷静に指摘しているのは以下のブログくらいでした。いやはや。
http://www.ohzawa.net/2011/03/30km80km.html
2011年3月21日月曜日
避難範囲30km(日)と80km(米)の違い
関連する日本経済新聞の滝順一の記事
また上杉隆の「80キロは世界中の政府が最低限の基準としているもの」という表現もミスリーディングされやすいですね。少なくとも私は、「諸外国の法令ではそのような共通基準があるのだろうか?」とあわてて調べまくってしまいました。実は80km(≒50マイル)という数値はアメリカでのシミュレーションから得られたものらしいです。となるとこれは、「諸外国はとりあえずアメリカの判断にならった」というのが正解ではないでしょうか?
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/16/world/asia/japan-nuclear-evaculation-zone.html?scp=1&sq=estimates%20of%20potential%20exposure&st=cse
The New-York Times
UPDATED March 25, 2011
The Evacuation Zones Around the Fukushima Daiichi Nuclear Plant
http://radi-info.com/q-3/
日本保健物理学会の会員を中心とした有志によるサイト
上杉隆の記事はちゃんと根拠やソースも示してあることが多く、決してデマを流すような人ではないと思いますが、上の場合は科学リテラシーの欠如のゆえに事実の認識を間違えています。このような自然科学系の知識や理解が要求される報道では、誰か信頼できる理系ブレーンを持つのが良いのではないでしょうか?
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