最近ふとプラトン作の『ゴルギアス』1)と『プロタゴラス―ソフィストたち』2)を読みましたが、これがおもしろい。まるでネット上の上質な討論を読むように楽しめました。これらを読むまでのソフィストに関する私の理解は、まず詭弁家という意味の蔑称であること、実際はプラトン(Plato)やソクラテス(Socrates)と同時代の思想家たちでプラトンの一連の著作で悪者にされたらしい、ということくらいでした。そして現在では、詭弁家という意味と共に議論の上手い人、議論を愛する人という意味でも使われる、ということくらいです。
この2作のあとがきや他の文献を見ると、ソフィストとは古代ギリシャではもともと「賢人」の意味だったものが、ソクラテスの時代には、今日でいう教養教育・全人教育・ゼネラルアーツ教育などを有料で与える職業教師を指す言葉となったようです。そして『プロタゴラス―ソフィストたち』によれば、プロタゴラスは最初のソフィストと自称しています。このプロ教師たるソフィストたちは、ときに熱狂的に賛美されるたり重宝されたり尊敬されるとともに、どこかうさんくさく見られることもあったようで、「青年を腐敗させる」[3)p189]という非難も浴びていました。実際、ソクラテスが刑死した裁判では、「青年を腐敗させるソフィスト」というのが罪状のひとつでした。
ではまず『ゴルギアス』の感想から述べていきます。これは、ゴルギアス、ポロス、カルゥリクレスという3人との討論を描いており、前2者は他の史料でも実在が確認できる人物ですが、カルゥリクレスだけは『ゴルギアス』以外の史料には登場しません。ただしあとがきによれば、実在した可能性も高いようです(p355)。もっとも実在とはいえ、この作品中の人物はソクラテス/プラトンに都合よくデフォルメされた可能性が高く、実際の本人たちとは異なるところがあると考えるのが無難でしょう。あとがきでも、ゴルギアスは当時の弁論家たちの、ポロスは時代の風潮を無批判無反省に受け入れている青年たちの、カルゥリクレスは露骨な実利主義にたつ実際政治家たちの、類型として登場させたのだろう、と述べられています(p350-358)。
なお、カルゥリクレスの「ルゥ」は原文では「小文字のル」です。
そしてソクラテス/プラトンが議論に勝つことは既定路線ですから、相手の議論が少々甘くなるのは、これまた既定路線と言えるでしょう。まあしかし、そんなことは一時忘れて知的格闘の世界を楽しんでみましょう。
なお以後の出典記載で通常のページ数の他に数字とA~Eで場所を示すことがありますが、これはこの手の古文献記載での共通方法で特定の版(ステファヌス版プラトン全集)の箇所を示す方法らしいです。そのことは文献1)~5)の凡例に書かれています。
さて全体的感想をまず述べれば、ソクラテスこそが最強の詭弁家だ!!。ゴルギアスは弁論術の専門家かつ教師であるという自分の仕事に誇りをもつまじめなプロフェショナルですが、一問一答式の討論ではソクラテスの議論を切り返すことができません。ポロスはまだまだ論理的思考が未熟だし、カルゥリクレスもソクラテスの議論についていけず、終わりの方では逆切れしている始末です。
全体構成は導入部(p11-19,447A-449D)を除けば3つに分かれています。ゴルギアスとの討論(p20-58,449D-461B)、ボロスとの討論(p58-129,461B-481B)、カルゥリクレスとの討論(p121-279,481B-523E)、です。カルゥリクレスとの討論が半分以上を占め、ここでソクラテス自身の考えも語られているのですが、まずは全38ページのゴルギアスとの討論だけに絞ってみましょう。
ソフィスト(2)へ続く
参考文献
1) プラトン(著);加来彰俊(訳)『ゴルギアス (岩波文庫)』岩波書店(1967/06/16)
2) プラトン(著);藤沢令夫(訳)『プロタゴラス―ソフィストたち(岩波文庫)』岩波書店 (1988/08/25)
3) 田中美知太郎『ソフィスト (講談社学術文庫 73)』講談社(1976/10)
4) 納富信留『ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)』筑摩書房 (2015/02/09)
5) ジルベール ロメイエ=デルベ(Gilbert Romeyer‐Dherbey); 神崎繁(訳);小野木芳伸(訳)『ソフィスト列伝 (文庫クセジュ)』白水社(2003/05)
この2作のあとがきや他の文献を見ると、ソフィストとは古代ギリシャではもともと「賢人」の意味だったものが、ソクラテスの時代には、今日でいう教養教育・全人教育・ゼネラルアーツ教育などを有料で与える職業教師を指す言葉となったようです。そして『プロタゴラス―ソフィストたち』によれば、プロタゴラスは最初のソフィストと自称しています。このプロ教師たるソフィストたちは、ときに熱狂的に賛美されるたり重宝されたり尊敬されるとともに、どこかうさんくさく見られることもあったようで、「青年を腐敗させる」[3)p189]という非難も浴びていました。実際、ソクラテスが刑死した裁判では、「青年を腐敗させるソフィスト」というのが罪状のひとつでした。
ではまず『ゴルギアス』の感想から述べていきます。これは、ゴルギアス、ポロス、カルゥリクレスという3人との討論を描いており、前2者は他の史料でも実在が確認できる人物ですが、カルゥリクレスだけは『ゴルギアス』以外の史料には登場しません。ただしあとがきによれば、実在した可能性も高いようです(p355)。もっとも実在とはいえ、この作品中の人物はソクラテス/プラトンに都合よくデフォルメされた可能性が高く、実際の本人たちとは異なるところがあると考えるのが無難でしょう。あとがきでも、ゴルギアスは当時の弁論家たちの、ポロスは時代の風潮を無批判無反省に受け入れている青年たちの、カルゥリクレスは露骨な実利主義にたつ実際政治家たちの、類型として登場させたのだろう、と述べられています(p350-358)。
なお、カルゥリクレスの「ルゥ」は原文では「小文字のル」です。
そしてソクラテス/プラトンが議論に勝つことは既定路線ですから、相手の議論が少々甘くなるのは、これまた既定路線と言えるでしょう。まあしかし、そんなことは一時忘れて知的格闘の世界を楽しんでみましょう。
なお以後の出典記載で通常のページ数の他に数字とA~Eで場所を示すことがありますが、これはこの手の古文献記載での共通方法で特定の版(ステファヌス版プラトン全集)の箇所を示す方法らしいです。そのことは文献1)~5)の凡例に書かれています。
さて全体的感想をまず述べれば、ソクラテスこそが最強の詭弁家だ!!。ゴルギアスは弁論術の専門家かつ教師であるという自分の仕事に誇りをもつまじめなプロフェショナルですが、一問一答式の討論ではソクラテスの議論を切り返すことができません。ポロスはまだまだ論理的思考が未熟だし、カルゥリクレスもソクラテスの議論についていけず、終わりの方では逆切れしている始末です。
全体構成は導入部(p11-19,447A-449D)を除けば3つに分かれています。ゴルギアスとの討論(p20-58,449D-461B)、ボロスとの討論(p58-129,461B-481B)、カルゥリクレスとの討論(p121-279,481B-523E)、です。カルゥリクレスとの討論が半分以上を占め、ここでソクラテス自身の考えも語られているのですが、まずは全38ページのゴルギアスとの討論だけに絞ってみましょう。
ソフィスト(2)へ続く
参考文献
1) プラトン(著);加来彰俊(訳)『ゴルギアス (岩波文庫)』岩波書店(1967/06/16)
2) プラトン(著);藤沢令夫(訳)『プロタゴラス―ソフィストたち(岩波文庫)』岩波書店 (1988/08/25)
3) 田中美知太郎『ソフィスト (講談社学術文庫 73)』講談社(1976/10)
4) 納富信留『ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)』筑摩書房 (2015/02/09)
5) ジルベール ロメイエ=デルベ(Gilbert Romeyer‐Dherbey); 神崎繁(訳);小野木芳伸(訳)『ソフィスト列伝 (文庫クセジュ)』白水社(2003/05)
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