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ソフィスト(8) アテナイ対スパルタ

2015-07-05 06:24:53 | 歴史
 以下の文は私の作った年表を参考にするとわかりやすいでしょう。

 ソクラテスやソフィスト達が生きた時代、古代ギリシャは多くの都市国家(ポリス)に分かれていましたが、その中でも有力なアテナイとスパルタが覇権を競っていた時代とも言えます。特に、アテナイとスパルタを中心とするギリシャ軍がペルシャ戦争に勝利した後、デロス同盟の盟主としてアテナイが力を伸ばし始めてから両者の対立が深まったようです。この状況は第二次世界大戦後の米ソ冷戦(Cold War)や戦前戦中の連合国対枢軸国の対立を連想させます。田中美知太郎はこの状況を民主派と独裁派(反民主派)との闘争ととらえていて、「民主国アテナイと反民主国スパルタとの対立」とか「ペロポネソス戦争なるものは、一面において、ギリシャ各地に見られた両派のこのような国内闘争が国際戦争に発展したものだった」と述べています[3)p86]。むろん文献3の執筆年には米ソ冷戦はまだ起きていないので、念頭にあるとしたら連合国対枢軸国の対立でしょう。そして当時の日本では田中の考えをストレートに表現したらちょっとヤバかったかも知れません。

 おもしろいことにアテナイ市民にも親スパルタ派と呼ばれる人たちがいて、『ゴルギアス』1)中でカリクレスから「耳のつぶれた連中[2)p244]」との蔑称で呼ばれています。またペロポネソス戦争終結後の前404年に生まれた短命の三十人政権(三十人僭主; Thirty Tyrants)の人達は親スパルタ派でスパルタの政治体制を評価していたと言われています。プラトンもアテナイの民主制を批判し、現代的見地からは独裁制につながるとしか思えない哲人政治を理想としていて、『プロタゴラス』p1062)にも「スパルタ人たちが哲学と言論にかけては最高の教育を受けている」との記載があり、どうもプラトン自身が親スパルタ観を持っているように見えます。このような状況は、米ソ冷戦時に自由主義陣営諸国にも共産主義が広まっていた状況を連想させます。

 しかしアテナイとスパルタの対立がイデオロギー対立だったかというと、それは怪しそうです。デロス同盟諸国がアテナイの影響で民主制に変えたということはあったのかも知れませんが、アテナイが積極的に民主制を広めようとしたかどうかは定かではありません。またウィキペディアの記事から判断する限り、スパルタの政治体制が反民主制とは言えないと思います。王が二人いて、その仕事はむしろ戦争時の将軍と言った方がよいようで、事実上の最高決定機関は終身身分の長老会です。が、二人の王以外の長老会のメンバー28人は全市民参加の民会により選ばれ、多くの決定は民会で決められたようです。これは制度上は直接民主制と呼ぶのが適切でしょう。スパルタを全体主義と表現するのは*1実態について誤解を招くでしょう。軍国主義と表現するのは*2、まあ国家総動員法下の戦前日本を連想させすぎないなら、語意的には許されるかも知れません。

 スパルタが特異なのはその「直接民主制」を支える国民の育て方と、その結果としての市民達(アテナイ同様に男性限定)そのもの、と言えるでしょう。7歳から親許を離れて共同生活で教育され、18歳での成人後も共同生活を続けて団結を高めたのです。若い男性の集団生活という慣習自体は原始共同体ではよく見られるもので、その共同生活の場(いわば寮)は男子集会所(Men's house)と呼ばれています。スパルタの制度はこのような原始共同体での制度を下敷きにしていたと私は想像しますが、成人後もずーっと同様な生活だというのが特殊です。さらに貨幣流通に制限を加えるという鎖国的政策により、市民間の経済格差も存在せず、というわけです。現代の資本主義経済社会の中にも、このような閉じられた共同生活をあえて選んだ人達が何グループかいるようです。

 なお、このような体制はリュクルゴス(Lykrgos)という人物が一人で作ったかのごとき話が、クセノフォン(Xenophon)『ラケダイモン人の国制』やプルタルコス(Plutarchus)『ラケダイモン人たちの古習』などで述べられています。スパルタに関する記録のほとんどは外国から見た記録で、スパルタ自身の自国の記録はほとんどないようです。

 次にスパルタとアテナイが対照的なのは奴隷の在り方です。スパルタには、スパルタ人(男女含む)、ヘイロータイ(heilotai)またはヘロット(helot)ペリオイコイ(perioikoi)という3種類の人間がいました。ペリオイコイは半自由民とか周辺民とか表現され、主に商工業に従事し、納税と従軍の義務以外は自由に活動できたようです。ヘイロータイは被征服民で農業に従事し移動の自由などはありませんでした。このヘイロータイが奴隷と呼ばれることはが多いのですが、住んでいる土地を離れて売買されるということでもないので「奴隷身分の農民8)」「農奴w1a)」と呼ぷこともあります。人口比はウィキペディアによれば、男性市民0.8-1.0万人、ヘイロータイ15-20万人、ペリオイコイ2万人、です。男女同数として比をとれば、8%,82%,9%、です。これは江戸時代の士/農/工商の推定比率1/8/1と一致しますから、経済的な生産と消費のバランスという点では同様だったのでしょう。一次産業に従事し、移動の自由がなく、殺されても泣き寝入り、と並べると日本の江戸時代の農民も同様で、これは古代中世の多くの国々の農民も同様ですね。確かにヘイロータイは奴隷と呼ぶよりは農奴と呼ぶ方が適切なようです。違いと言えば、多くの国々では農民や農奴も同じ民族ないし国民で、民百姓の暮らしを守ることは支配者の責務という建前は存在していたということでしょうか。

 一方スパルタ以外の多くのポリスの奴隷は市場で売買される文字通りの奴隷でした。アテナイでは多い時には人口の1/37,8)と言われています。ウィキペディアによれば、男性市民とその家族が計8万人、奴隷6万人、在留外国人3.5万人ですから、奴隷は34%で確かに総人口の1/3です。比率から言うと一家に一人は奴隷を持てる計算になりますが、銀山で数百人規模で使われてもいたようですし、手工業でも多く使われてもいたようですから、持てない家もあったことでしょう。コインの散歩道というサイトの記事「古代アテネの市民生活」によれば、奴隷1人の価格は200~500ドラクマで*3、1ドラクマは一家が1日なんとか暮らせる金額とのことですから、現在の日本で言えば数百万円、高級自家用車くらいの感覚ですね。用途も考えるとむしろ、近未来の家事用ロボットというところでしょうか。

 このような奴隷では当然ながら家族は持てないでしょう。所有者がわざわざ奴隷の子供を養うはずもありません。家族どころが自分たちの共同体でそのまま生活していたヘイロータイとは大きな違いです。所有者の視点では、ヘイロータイは自国で自給できるが奴隷はどこかから持ってこなくてはなりません。その供給源は、戦争捕虜と債務奴隷と言われていますが、アテナイではソロンの立法以後は、市民(とその家族も?)を債務により奴隷化することは禁止されました[w1a),7)p35,8)p57,62]。となるとアテナイなどの奴隷の多くは多分輸入であって、どこかでは奴隷狩りみたいなことも行われていたはずだと想像できます。

 いずれにせよこの時代は戦争に負ければ奴隷化される危険が常にあった時代で、06/13日の記事で述べたように「戦争は国家の安全をもたらす正義だ」というのが常識だったということです。


---- 注釈 ---------
*1) 信州大学によるサイトスパルタとアテナイの教育を比較して
*2) 7)p35「市民団内部の平等を徹底して結束を高めるとともに、リュクルゴス(Lykrgos)の制とよばれるきびしい軍国主義的規律に従って生活し」
  [8)p62-63]「リュクルゴスというのは伝説上の人物の名前で,彼がスパルタ特有の厳しい軍国主義的な制度をつくったとされているのです。この制度では,男性市民は7~30歳まで集団生活を通じて肉体的にも精神的にも厳しい訓練が義務づけられ,女性市民すらも格闘技や円盤投げなどの訓練をさせられました。」
*3) 日本西洋古典学会の記事では1~10ムナ(100~1000ドラクマ)。

---- 参考文献 ---------
1) プラトン(著);加来彰俊(訳)『ゴルギアス (岩波文庫)』岩波書店(1967/06/16)
2) プラトン(著);藤沢令夫(訳)『プロタゴラス―ソフィストたち(岩波文庫)』岩波書店 (1988/08/25)
3) 田中美知太郎『ソフィスト (講談社学術文庫 73)』講談社(1976/10)
4) 納富信留『ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)』筑摩書房 (2015/02/09)
5) ジルベール ロメイエ=デルベ(Gilbert Romeyer‐Dherbey); 神崎繁(訳);小野木芳伸(訳)『ソフィスト列伝 (文庫クセジュ)』白水社(2003/05)
6) 斎藤憲『ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典(岩波科学ライブラリー)』岩波書店 (2008/09)
7) 佐藤次高; 木村靖二; 岸本美緒『詳説世界史B [81-世B-005]』山川出版(2004/03/05発行)
8) 鈴木敏彦(編)『ナビゲーター世界史B (1)』山川出版(2005/04発行)

---- 参考ウェブサイト ---------
w1) 日本西洋古典学会の公式ホームページ
w1a) 奴隷について[http://clsoc.jp/agora/column/minidictionary/slave.html]
w2) ギリシャ哲学セミナー論集: 古代ギリシャ哲学研究者による論文多数あり
w3) 古代ギリシャ文献の翻訳 by 野次馬集団: 古代ギリシャ原典の翻訳多数

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