SFには"liquid life"(液体生物、液状生物)というものが登場する作品があります。このようなワードのタイトル記事はwikipediaにもありませんが、日本語版なら架空のものの一覧の一覧、英語版なら"Fictional_animals" (カテゴリー・架空の動物)>や、その下位分類の"Fictional_parasites_and_parasitoids" (カテゴリー・架空の寄生体)から各個のものは探せそうです。
"liquid life"や"液体生物"での検索ではまじめな生物学の記事もたくさんヒットして架空生物の記事はむしろ少ないです。"液状生物"ではモンスターたちの{起源/オリジン}第1回:本当は怖いスライムの恐怖(2018/05/24)を始めとしてスライムの記事で埋め尽くされています。スライムだけに(^_^)。他のスライムさえ埋め潰してます。
wikipediaの記事によれば、「架空の生物としてのスライムが初めて出現したのはアメリカの作家ジョセフ・ペイン・ブレナンの「Slime (邦題: 沼の怪)」(1953年3月号のウィアード・テイルズ誌に掲載)においてのことである。また、現在のスライムに繋がる直接の祖先としては、1931年にH・P・ラヴクラフトが発表した長編小説「狂気の山脈にて」に登場する黒い粘液状の生物ショゴスが挙げられる[1]。」とのことで、ファミ通の記事ではさらに詳しく書かれています。
スライムはさらさらの液体というよりはゲル、正確な物理化学用語ではゲル状物質の流動状態であるゾルからできていると言えるでしょうが、まあ全ての細胞内の原形質というものはゾルゲル転移をしながら流動していると言えるわけで・・・。多くの細胞というものはゾルが袋に詰まっているものと言えます。そしてアメーバや粘菌、白血球などは袋も形を変えることができ流動することができるので、細胞全体も流動物のごとく変形するというわけです。
アメーバはむろん、スライムも個体というものに別れているものが多いようで、複数の個体が合体して1つの個体になってしまうなどということはあまりないようです。増えるときには分裂はしますが。これがもっとサラサラの液体となれば、コップ1杯、いや惑星上の海ひとつが全てひとつの液体生物なんてことが想定されます。こんな真の液体生物?は実在のものはまだ発見されていませんが、フィクションではなんといってもスタニスワフ・レム(Stanisław Lem)『ソラリス(Solaris)』(1961年)の生きている海が有名です。ソラリス以降はおそらく数多くの液体生物が登場しているのではないかと思います。
そして私の知る限りでは最初に液体生物が登場したSF作品は、ラルフ・ミルン・ファーリィ(Ralph Milne Farley)『Liquid Life』(1936/10)です。日本語訳は[Ref-1,2]に紹介されているものがあります。
英語版が無料公開されていますので、これを読んでみましょう。ちなみにリンク先に書いてあるように、この英語版はProject Gutenberg Canada Ebookという『本好きの下剋上』に出てきそうな人達が作ったもののようです。
『Liquid Life』は短編で4章に分かれています。
1. The Filterable Virus
2. The Overdosed Solution
3. The Virus Turns Alchemist
4. Dee's Promise
出だしは単に"Solt pond"と呼ばれる、変哲のない塩水の池の近くのキャトルミューティレーション("cattle mutilation")風の出来事から始まり、この池で養殖を目論んでいる"Millionaire Metcalf"(百万長者のメトカーフ)が資金を出して、3人の個性的な科学者、化学者の Jack Dee、生物学者の Ivan Zenoff、生化学者の Hans Schmidt、が調査を始めます。とはいえ、この池の水はまるで酸のように人にやけどを負わせ、半分溶けたような牛の死骸も原因は池の水らしいことはわかっていました。
会話からは普通の若者にしか思えない3人ですが、実は優秀だったようで、この水が生きていることを突き止めます。それは第1章タイトルにもある"The Filterable Virus"(濾過性ウイルス)だったのです。
現在ではウイルスという言葉は、細胞を持たず、したがって自前の代謝機構も持たない遺伝子だけの生物(いや生物とは定義されないことも多い)だけを指すことが普通ですが、元々の意味は「毒」や「病毒」というものであり、日本語では「濾過性病原体」という言葉がありました。つまりこの小説の時代の"Filterable Virus"の"Virus"は普通の病原菌も含めた病原体という意味だったのです。
19世紀には多くの感染症の病原体である細菌が突き止められていましたが、世紀末には、細菌を濾過できるようなフィルターでも通り抜け、顕微鏡でも見つからない病原体が存在することがわかってきました。そして生化学者の Hans Schmidt は説明します。
=================引用開始==================
Up until recently it was supposed that a filterable virus was merely a culture of germs so minute that even the finest porcelain filter could not remove them from the liquid.
But early in nineteen-thirty-six it was discovered that the reason why these germs wouldn't filter out was that there were no germs there. The liquid itself was alive—a sort of living colloidal crystalline solution.
================== 私の訳 ============
最近までろ過性病原体とは 細菌の産生物(culture of germs)に過ぎないと考えられていた。最も細かい孔の磁器フィルターでさえ、それを液体から取り除くことができなかったからだ。
しかし1936年の初めに、これらの細菌がろ過されないのは、そこに細菌がいないからだということが発見された。液体自体が生きていたのだ。ある種の生きたコロイド状の結晶溶液だったのだ。
=================引用終り==================
もちろんこれは作家の嘘です。実際の科学史では[Ref-3]、1932年の透過型電子顕微鏡(TEM)の発明によりウイルスが粒子として観察できるようになり、1936年にはタバコモザイクウイルスの結晶化がなされています。
濾過性病原体が濾過性であることが初めて報告されたのは1892年のD.Iwanofskyによる、「タバコモザイク病に感染したタバコの圧搾抽出液がフィルター濾過後も感染性を維持していることが示された」という報告です。Iwanofskyはこれを細菌の産生する毒素によるものと考えました。その後1898年、ベイエリンク(M.W.Beijerinck)が、上記の濾液には新しいタイプの感染因子が含まれていると確信し、その因子が細胞分裂を行う細胞内でのみ増幅することを観察して、"contagium vivum fluidum"(感染性の生きている液体)と名付けました。
どうやら小説では、この1898年のBeijerinckによる「生きている液体理論」が1936年に証明されたという話になっているようです。
さて小説では、生物学者の Ivan Zenoffが、猫の聴覚中枢に使用していた電極(スピーカーに繋がれていたもの)を猫を溶かした池の水に突っ込んだところ、スピーカーを通じて液体と話ができるようになります。生きているどころか知性さえ持っていたわけです。さてこの結末や如何に。それは御自分でお確かめください。小説ではこの液体生物のことを"virus"と書いたり"the loud speaker"(大声のスピーカー)と書いたりしていますが、翻訳ソフトで訳させると"the loud speaker"が場所により様々に訳されてしまいますので御注意を。
ちなみに『Liquid Life』の液体生物はまさしく池の水全体で1個の生物らしいのですが、その一部が別の容器に入れられると、残った部分とテレパシーが通じるということはなくて別の意識となるようです。といった何やら意識の単一性の問題も少しストーリーに入ってきているようです。
以上、ひとつの古典SFの話でした。
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Ref-1) ameqlist 翻訳作品集成(Japanese Translation List)のラルフ・ミルン・ファーリィの項より
1a) 宇野輝夫(訳)「液体生物」 S-Fマガジン,(1961/12) No.24、ロバート・シルヴァーバーグ(Robert Silverberg)編『ミュータント傑作選』講談社文庫 (1974)。国立国会図書館に所蔵。
1b) 福島正実(訳)『液体インベーダー』国土社/少年SF・ミステリー文庫14,(1983/09)ISBN4-337-05444-8 国土社/海外SFミステリー傑作選7,(1995/11)ISBN4-337-29907-6
Ref-2) 海外ミステリ総合データベース「MISDAS(ミスダス)」の学年誌付録小説リストのリストにある「作家別リスト 海外作家 フ」の項より
2a) 怒る水 訳者=福島正実/挿絵=中島靖侃 【画像】 [中学一年コース1962-03] ★原作『液体インベーダー』/H・G・ウエルズ「奇蹟をおこす男」併録
2b) 怒りの水 訳者=福島正実/挿絵=岡野謙二 【画像】 [中学二年コース1967-08] ★SF
Ref-3) ウイルス発見の歴史
3a) 大阪大学・蛋白質研究所・蛋白質解析先端研究センター・超分子構造解析学研究室のウイルスの発見とその歴史
3b) wikipedia「ウイルス学の歴史」
"liquid life"や"液体生物"での検索ではまじめな生物学の記事もたくさんヒットして架空生物の記事はむしろ少ないです。"液状生物"ではモンスターたちの{起源/オリジン}第1回:本当は怖いスライムの恐怖(2018/05/24)を始めとしてスライムの記事で埋め尽くされています。スライムだけに(^_^)。他のスライムさえ埋め潰してます。
wikipediaの記事によれば、「架空の生物としてのスライムが初めて出現したのはアメリカの作家ジョセフ・ペイン・ブレナンの「Slime (邦題: 沼の怪)」(1953年3月号のウィアード・テイルズ誌に掲載)においてのことである。また、現在のスライムに繋がる直接の祖先としては、1931年にH・P・ラヴクラフトが発表した長編小説「狂気の山脈にて」に登場する黒い粘液状の生物ショゴスが挙げられる[1]。」とのことで、ファミ通の記事ではさらに詳しく書かれています。
スライムはさらさらの液体というよりはゲル、正確な物理化学用語ではゲル状物質の流動状態であるゾルからできていると言えるでしょうが、まあ全ての細胞内の原形質というものはゾルゲル転移をしながら流動していると言えるわけで・・・。多くの細胞というものはゾルが袋に詰まっているものと言えます。そしてアメーバや粘菌、白血球などは袋も形を変えることができ流動することができるので、細胞全体も流動物のごとく変形するというわけです。
アメーバはむろん、スライムも個体というものに別れているものが多いようで、複数の個体が合体して1つの個体になってしまうなどということはあまりないようです。増えるときには分裂はしますが。これがもっとサラサラの液体となれば、コップ1杯、いや惑星上の海ひとつが全てひとつの液体生物なんてことが想定されます。こんな真の液体生物?は実在のものはまだ発見されていませんが、フィクションではなんといってもスタニスワフ・レム(Stanisław Lem)『ソラリス(Solaris)』(1961年)の生きている海が有名です。ソラリス以降はおそらく数多くの液体生物が登場しているのではないかと思います。
そして私の知る限りでは最初に液体生物が登場したSF作品は、ラルフ・ミルン・ファーリィ(Ralph Milne Farley)『Liquid Life』(1936/10)です。日本語訳は[Ref-1,2]に紹介されているものがあります。
英語版が無料公開されていますので、これを読んでみましょう。ちなみにリンク先に書いてあるように、この英語版はProject Gutenberg Canada Ebookという『本好きの下剋上』に出てきそうな人達が作ったもののようです。
『Liquid Life』は短編で4章に分かれています。
1. The Filterable Virus
2. The Overdosed Solution
3. The Virus Turns Alchemist
4. Dee's Promise
出だしは単に"Solt pond"と呼ばれる、変哲のない塩水の池の近くのキャトルミューティレーション("cattle mutilation")風の出来事から始まり、この池で養殖を目論んでいる"Millionaire Metcalf"(百万長者のメトカーフ)が資金を出して、3人の個性的な科学者、化学者の Jack Dee、生物学者の Ivan Zenoff、生化学者の Hans Schmidt、が調査を始めます。とはいえ、この池の水はまるで酸のように人にやけどを負わせ、半分溶けたような牛の死骸も原因は池の水らしいことはわかっていました。
会話からは普通の若者にしか思えない3人ですが、実は優秀だったようで、この水が生きていることを突き止めます。それは第1章タイトルにもある"The Filterable Virus"(濾過性ウイルス)だったのです。
現在ではウイルスという言葉は、細胞を持たず、したがって自前の代謝機構も持たない遺伝子だけの生物(いや生物とは定義されないことも多い)だけを指すことが普通ですが、元々の意味は「毒」や「病毒」というものであり、日本語では「濾過性病原体」という言葉がありました。つまりこの小説の時代の"Filterable Virus"の"Virus"は普通の病原菌も含めた病原体という意味だったのです。
19世紀には多くの感染症の病原体である細菌が突き止められていましたが、世紀末には、細菌を濾過できるようなフィルターでも通り抜け、顕微鏡でも見つからない病原体が存在することがわかってきました。そして生化学者の Hans Schmidt は説明します。
=================引用開始==================
Up until recently it was supposed that a filterable virus was merely a culture of germs so minute that even the finest porcelain filter could not remove them from the liquid.
But early in nineteen-thirty-six it was discovered that the reason why these germs wouldn't filter out was that there were no germs there. The liquid itself was alive—a sort of living colloidal crystalline solution.
================== 私の訳 ============
最近までろ過性病原体とは 細菌の産生物(culture of germs)に過ぎないと考えられていた。最も細かい孔の磁器フィルターでさえ、それを液体から取り除くことができなかったからだ。
しかし1936年の初めに、これらの細菌がろ過されないのは、そこに細菌がいないからだということが発見された。液体自体が生きていたのだ。ある種の生きたコロイド状の結晶溶液だったのだ。
=================引用終り==================
もちろんこれは作家の嘘です。実際の科学史では[Ref-3]、1932年の透過型電子顕微鏡(TEM)の発明によりウイルスが粒子として観察できるようになり、1936年にはタバコモザイクウイルスの結晶化がなされています。
濾過性病原体が濾過性であることが初めて報告されたのは1892年のD.Iwanofskyによる、「タバコモザイク病に感染したタバコの圧搾抽出液がフィルター濾過後も感染性を維持していることが示された」という報告です。Iwanofskyはこれを細菌の産生する毒素によるものと考えました。その後1898年、ベイエリンク(M.W.Beijerinck)が、上記の濾液には新しいタイプの感染因子が含まれていると確信し、その因子が細胞分裂を行う細胞内でのみ増幅することを観察して、"contagium vivum fluidum"(感染性の生きている液体)と名付けました。
どうやら小説では、この1898年のBeijerinckによる「生きている液体理論」が1936年に証明されたという話になっているようです。
さて小説では、生物学者の Ivan Zenoffが、猫の聴覚中枢に使用していた電極(スピーカーに繋がれていたもの)を猫を溶かした池の水に突っ込んだところ、スピーカーを通じて液体と話ができるようになります。生きているどころか知性さえ持っていたわけです。さてこの結末や如何に。それは御自分でお確かめください。小説ではこの液体生物のことを"virus"と書いたり"the loud speaker"(大声のスピーカー)と書いたりしていますが、翻訳ソフトで訳させると"the loud speaker"が場所により様々に訳されてしまいますので御注意を。
ちなみに『Liquid Life』の液体生物はまさしく池の水全体で1個の生物らしいのですが、その一部が別の容器に入れられると、残った部分とテレパシーが通じるということはなくて別の意識となるようです。といった何やら意識の単一性の問題も少しストーリーに入ってきているようです。
以上、ひとつの古典SFの話でした。
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Ref-1) ameqlist 翻訳作品集成(Japanese Translation List)のラルフ・ミルン・ファーリィの項より
1a) 宇野輝夫(訳)「液体生物」 S-Fマガジン,(1961/12) No.24、ロバート・シルヴァーバーグ(Robert Silverberg)編『ミュータント傑作選』講談社文庫 (1974)。国立国会図書館に所蔵。
1b) 福島正実(訳)『液体インベーダー』国土社/少年SF・ミステリー文庫14,(1983/09)ISBN4-337-05444-8 国土社/海外SFミステリー傑作選7,(1995/11)ISBN4-337-29907-6
Ref-2) 海外ミステリ総合データベース「MISDAS(ミスダス)」の学年誌付録小説リストのリストにある「作家別リスト 海外作家 フ」の項より
2a) 怒る水 訳者=福島正実/挿絵=中島靖侃 【画像】 [中学一年コース1962-03] ★原作『液体インベーダー』/H・G・ウエルズ「奇蹟をおこす男」併録
2b) 怒りの水 訳者=福島正実/挿絵=岡野謙二 【画像】 [中学二年コース1967-08] ★SF
Ref-3) ウイルス発見の歴史
3a) 大阪大学・蛋白質研究所・蛋白質解析先端研究センター・超分子構造解析学研究室のウイルスの発見とその歴史
3b) wikipedia「ウイルス学の歴史」
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