きみの靴の中の砂

深夜急行(2007)





 その秋、週末の夜も遅くなって、頼まれていた原稿がようやく書き上がったときのことだ。

 ぼくは、突然、大阪にいる水口イチ子に逢いたいと思った。

 かれこれ、もうふた月ほど顔を見ていない。こんなことなら、イチ子が東京にいるうちに、もっと一緒にいる時間を作っておくんだった。後悔が募る。

 Macintosh のディスプレイの右上、時計のデジタル表示は22時07分。
 ぼくは思い立って、取材用にいつでも出かけられるようにと準備しているバッグをつかむとオフィスの灯を消してエレベーターに走った。
 東京駅八重洲口は目と鼻の先。まだ、トラベルプラザは開いているだろうか。大阪行きの新幹線の最終は、もう二時間も前に発車してしまっている。

 幸い、トラベルプラザは、まだ営業していた。
「今夜の『銀河』にまだ空席はありますか」
「今夜の『銀河』ですね...」しばらく時間を置いて係員が「まだ空きがあります。おひとりですか」と聞く。
 係員は切符とクレジットカードを戻しながら「『銀河』下り101号大阪行き、10番線、23時ちょうど発は、間もなく発車です」と注意を促してくれた。

 東海道本線で運行される史上最後の寝台急行『銀河』は、午後11時、東京駅の10番ホームをガタンという振動音を発して、静かに離れた。

 席に着くなり、早速、ぼくはイチ子にメールをする。
『どうしても、きみに逢いたくなった。今、東京駅から銀河に乗ったところ。この方が始発の新幹線で行くよりも早くきみに逢える。明日朝、大阪駅4番線、7時18分着。新大阪じゃないよ、JR大阪駅だよ!』

 発車して間もなく行なわれる検札。切符に押された検札印には『大阪車掌区』の文字。この列車には、すでに大阪の乗務員が乗り組んでいるのだ。
 検札終了後、寝台列車らしい車内放送と共に室内灯が減灯される。

「すでにおやすみのお客様もおいでになられますので、この放送を持ちまして、明朝、大津到着前まで車内放送はいたしません。皆様、おやすみなさい」

 商用でこの列車を使い慣れた乗客達は早々と眠りに就いたようだ。
 ぼくはきみに逢える興奮からか、なかなか眠れない。ウトウトしたかと思えば、駅に停車する度に(東京 - 品川 - 横浜 - 大船 - 小田原 - 熱海 - 静岡 - 岐阜 - 米原 - 大津 - 京都 - 新大阪 - 大阪)目が覚める。
 途中、どこの駅だったか、細く開けたカーテン越しに、長い長い車列のJR貨物が厳かな車軸の音を残して追い抜いて行った。深夜の東海道本線は、今も間違いなく日本の鉄道貨物輸送の大動脈なのだ。

 いくらも眠らないうちに夜が明ける。

 車内放送の再開。
「皆様、お早うございます。この列車は、間もなく...」
 大津を過ぎれば、京都は目と鼻の先。さらに小一時間もすれば、『銀河』は早朝の風を切って、いよいよ終点大阪駅4番線に颯爽と入線するだろう。

 京都を過ぎた頃、彼女から返信メールがあった。

『おはようございます。昨夜は遅かったのでメールを控えました。これから大阪駅に出迎えます。何号車に乗っていますか?』

 ぼくは確認するためにポケットから切符を取り出すのだった。




Elton John with Kiki Dee / Don't Go Breaking My Heart


 

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