
これは確かに日本の名車だ。・・が知人ぞ知る秘密がある。この車は1967年4月に発売され1970年10月に発売中止されるまで337台が生産された日本初の本格2シータースポーツカーだ。しかし本当はこの車はあの2輪メーカーのヤマハが作った車なのである。
1960年に日産はドイツ系アメリカ人のデザイナー、グラーフ・アルブレヒト・ゲルツ元伯爵にスポーツカーの設計・デザインを依頼した。ゲルツは一台の2シータースポーツカーを設計し、日産はその試作を当時提携していたヤマハに依頼した。しかしその後、日産は計画を自社設計のSPフェアレディ1600に変更してしまう。
ヤマハ自身も日産との提携を解消し、1964年にこの計画をトヨタに提案し、トヨタはこれに乗った。ヤマハは設計を渡す代わりに生産を行う契約であったという。この車のエンジンはヤマハ製だというのは有名な話だが実は車の設計そのものがアメリカのデザイナーでヤマハが全面的に関わっていたものなのである。そのうえひょっとしたら日産2000GTになってた可能性もあったわけだ。
従ってやはりこれは実質的にヤマハ2000GTなのである。その後ヤマハは4輪社メーカーを目指すがその夢かなわず4輪車メーカーにはなれなかった。
でも映画「007は二度死ぬ」にボンドカーとして登場したこの車のオープンカーはメチャメチャ格好よかったな〜。出自はともかくやはり名車なのである。
参照資料:94年6月号『ビギン』世界文化社
1960年に日産はドイツ系アメリカ人のデザイナー、グラーフ・アルブレヒト・ゲルツ元伯爵にスポーツカーの設計・デザインを依頼した。ゲルツは一台の2シータースポーツカーを設計し、日産はその試作を当時提携していたヤマハに依頼した。しかしその後、日産は計画を自社設計のSPフェアレディ1600に変更してしまう。
ヤマハ自身も日産との提携を解消し、1964年にこの計画をトヨタに提案し、トヨタはこれに乗った。ヤマハは設計を渡す代わりに生産を行う契約であったという。この車のエンジンはヤマハ製だというのは有名な話だが実は車の設計そのものがアメリカのデザイナーでヤマハが全面的に関わっていたものなのである。そのうえひょっとしたら日産2000GTになってた可能性もあったわけだ。
従ってやはりこれは実質的にヤマハ2000GTなのである。その後ヤマハは4輪社メーカーを目指すがその夢かなわず4輪車メーカーにはなれなかった。
でも映画「007は二度死ぬ」にボンドカーとして登場したこの車のオープンカーはメチャメチャ格好よかったな〜。出自はともかくやはり名車なのである。
参照資料:94年6月号『ビギン』世界文化社