城壁めぐりを終え
次の目的地まで住宅街の急な階段をのぼる。
私はどこを歩いてるのかさっぱり検討がつかないけれど、旦那さまの頭の中にはしっかり地図が存在するみたい。
これにはいつも感心させられる。
11:00AM
開けた通りに出ると… あった!「Cafe Buza(カフェ・ブジャ)」
見過ごしてしまいそうな狭い入口を入ると
そこは白いパラソルと眼下に広がるアドリア海
これで何本目!?のレモンビール。 ヌナ達も美味しそうに飲んでいたよね。
と、ここで思わぬ出会いが!
↑左側に座っているピンクのお方。歌手ヤン・ヒウンさんだった!!!
歌は聞いたことないけれど「探せ!おいしいTV」を何度か見たことがあるので直ぐにわかった。
コッポダヌナの影響は芸能人にも広まっているのだろう。
こちらのカフェ、食事はサンドイッチ程度しかないので
一杯飲みながら景色を楽しむのにいいお店。
下まで降りてアドリア海を間近に感じるのもいいだろう。。。
城壁めぐり4
スタートしておよそ40分。
10:25AM
いまさらだけど、遊歩道はどうなっているかというと
2人が通れるほどの狭い道幅は一方通行なので行き交う混雑はない。
見下ろす路地裏
北のスルジ山側にくると、アドリア海に向かってオレンジの屋根瓦が連なる美しさに惚れ惚れ。
飛び交うツバメがまたいい感じ。
上から見るとオレンジが様々なのがわかる。
色鮮やかなものは砲撃後に修復されたものだというから、屋根をみるだけで被害の大きさが想像できる。
城壁からよ~く見えるお宅に干してあるのはブラ!? (≧∇≦)
城壁内で最も高いところにあるミンチェタ要塞
キツい階段を登って見えた景色はやはり最高だった。
ところで、このオレンジの屋根瓦を見ると思い出すのが「魔女の宅急便」。
クロアチアに旅立つにあたって情報収集している際、ドゥブロヴニクが舞台だという記事を沢山目にした。
魔女の宅急便は1度も観たことがなかったけれど、こんな風景の中ホウキにまたがり飛んでいる姿は直ぐに思い出された。
それならば旅行前に1度観てから行こうか! と思ったが結局観ずに旅立った。
帰国後、たまたま見つけた事実。
「魔女の宅急便」の舞台はスウェーデンのストックホルム、バルト海のゴトランド島ヴィスビーの町だったということ。
あ~無理して映画見なくてよかった(・・;)
そしてもうひとつ
「紅の豚」がアドリア海沿岸が舞台というのも有名な話。
こちらも観たことないのでわからないが、アドリア海沿岸というだけならドゥブロヴニクってことでもないのかな。。。
というわけで、城壁めぐりが終了。
下りた時刻は10:50AM
ちょうど1時間の空中散歩だった♪
城壁めぐりのつづき
ピレ門入口から登って間もなく見えてきたクロアチア国旗。
国旗について調べてみた。
クロアチアの国旗は汎スラヴ色の赤、白、青の横縞3色に分かれる。
真ん中に位置する赤白チェックのマークはシャホヴニツァ(Šahovnica)と呼ばれている国章で
その上に並ぶ5つの紋章は10世紀に建国されたクロアチア王国の5地域、中央クロアチア、ドゥブロヴニク、
ダルマチア、イストラ、スラヴォニアの5つを表している。
この国旗が使用され始めたのは独立後の1991年。
ドゥブロヴニクの歴史についても少し調べてみた。
1979年に世界遺産に登録されたドゥブロヴニク。
1991年、ユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によってドゥブロヴニクは7ヶ月間包囲される。
観光客で賑わっていたドゥブロヴニクへの砲撃は1991年から1992年にかけて続き、2000発の砲撃は街の70%が崩壊した。
街は壊滅状態に陥り、ユネスコ危機遺産に登録。
1995年以降、ユネスコの支援により市民たちの手と世界中からのボランティアによって再建された。
そして1998年に危機遺産リストから除外された。
修復はユネスコのガイドラインに忠実で崩壊前と同じ素材を使ったそうだ。
ほんの23年前に悲しい歴史があったとは・・・今の美しい姿からは想像すらできない。
アドリア海が見えてきた。
写真中央奥に見えるのはピレ門を守ったボカール要塞。
↑に写っている見張り台から撮影。
所々にある崩れた壁。これは内戦の傷跡なのだろうか。。。
旧市街からスルジ山
たわわに実るオレンジは個人宅のものかな
先程よりだいぶ上がってきた。
ボカール要塞の対岸に見えるのはロヴリイェナツ要塞。海抜37mの岩山に立ち海陸の双方から街を守る役目を果たした。
このあたりから進行方向右手は果てしなく続くアドリア海。
旦那さまは城壁が低いといってアドリア海をのぞき見ることは出来ず、いや壁に近づくことも出来ずキュンキュンしてた。
鐘楼につづき2度目のキュンキュンだね(≧∇≦)
朝食を食べ終えた頃は土砂降りだった雨。
このままだとドゥブロヴニクを満喫できない!と落ち込んでいたら・・・
9:00AMを過ぎると青空が見え始めた。
まだ小雨が降っていたけれど、これならイケると判断し出発!
ホテルを出て数分、雨はすっかり止みいいお天気に♪
そうなれば城壁歩きもテンションがあがる。
と、そのまえにビーサンを買いに行こう。
この旅行では歩きやすいスリッポンだったけれど雨上がりにキャンバス地を履きたくないし、
サンダルはヒールがあるので長時間歩くのには向かないということで、旧市街にあるこちらのお店にお邪魔。
「aqua」
コッポダヌナでイ・スンギがナPDとお揃いの水着一式を買い揃えたお店。
ここでブルーの可愛いビーサンを購入。サイズが豊富なのでビーサンでもジャストサイズを見つけられた。
価格は少々お高めで179kn(¥3,600ほど)
では、ピレ門にある城壁入口でチケットを買い(100kn) 全長1940m、厚さ5m、高さ20mの城壁1周スタート!
因みに城壁は、最初に造られたのは7世紀とされるが今日見られる主要な部分は12世紀から17世紀にかけて造られている。
オノフリオ噴水を上から見ると丸さがよくわかる。
城壁の内側にプラツァ通り
ここでもゴミ箱&灰皿は完備
そろそろアドリア海が見えてきたヽ(*´∀`)ノ
つづく
夕飯を終えて21:00PM
ライトアップされた旧市街の夜景は格別に美しい。
「大聖堂」 1667年震災後再建。バロック様式
「旧総督邸」 ラグーサ共和国時代の総督の邸宅。住居と同時に執務室・裁判所・評議会・行政府が置かれた政治の中枢。
度重なる地震や火災で損傷したが幾度かの改修を経てゴシック・ルネッサンス・バロック様式が調和する姿となった。
「プラツァ通り」 西のピレ門と東のルジャ広場を結ぶ200mほどのメインストリート。
「聖ヴラホ教会」 ドゥブロヴニクの守護聖人、聖ヴラホを祀る教会。かつてロマネスク様式の協会があったが、
地震で損傷、のちに火災で焼け落ちたために1715年にバッロク様式で再建。
「時計塔」
「路地裏」
「プラツァ通り」 オレンジ色のランタンと輝く石畳。
「オノフリオの大噴水」 1438年に造られた噴水で12km離れた源泉から水を引いている。
1667年の大地震で装飾の多くは失われたが16面の顔のレリーフは姿を留めており、
500年以上たった今でも水を出し続けている。
最後はワンコ まだパピーちゃんかな(o^^o)♪
22:30PM ホテルへ帰りましょう
19:50PM 夕飯を食べるべく再び旧市街へやってきた。
お邪魔したのは旧港に面した「Lokanda Peskarija(ロカンダ・ペシュカリヤ)」
店先には多くのテラス席が並びローケーション抜群。(店頭の写真撮り忘れ)
でも、やはり夜は肌寒い!ということで店内へ。
このセット、どこのレストランにも置いてある。オリーブオイル・ワインビネガー・塩コショウかな。
日本なら醤油・ソース・塩コショウだね。
レモンの香りが爽やかなウェットティッシュは後ほど使うことに。
日本語メニューあり
白ワイン
生牡蠣は一個からオーダーできるので試しに4個。
日本のものと違って平たい感じ。お味は・・・美味しい♪
臭みが少ないからいくらでも食べれそう。もっと注文すればよかった。
たこサラダ
海老のグリル
2人では多いかと思いきや、これがなかなか美味しくて手が止まらなかった。
殻ごとグリルしてあるから香ばしさがいいんだよね。私はアヒージョより好きだな。
手は汚れるけれどレモンのウェットティッシュがあれば問題なし。
最後のデザートはロジャータ。ダルマチア風プリン。
特にお気に入りだった海老のグリル、おうちでも真似てつくったら美味しかった♪
ごちそうさまでした(´∀`)
次は夜の旧市街へ