2月に救急車で運ばれてから、いろいろありました。
いろいろ思い、いろいろ体験し、いろいろ考えました。
日々顔を合わせ、こんなに濃い時間を共有したのは、大人になってから無かったことです。
半年間、毎日毎日「生き様」と「逝き様」を見せてもらって、ありがとう。
大切な時間を持てたことで、わたしは今、さみしくありません。
弟ナオシマジローが、再び病院に泊まってくれた夜中、ちうちうは旅立った。
「最期、看取ったのか?」
と、ナオシマジローにたずねると、
「いやー、もう、爆睡していて、看護師さんの『ちうちうさん!ちうちうさーん!』という声で目が覚めたよ。」
その日の担当看護師さんは、ちうちう一番お気に入りのTさん。
偶然か、計画的か、Tさんに看取られて、また「にやっ」と笑いながら逝かはったのでしょう。
ナオシマジローが帰った日は、わたしが簡易ベッドで泊まった。
次の日、やって来たジンコサンが眠そうなので、
「座って寝てんと、このベッドで寝たら?」
とすすめたら、日差しが眩しいと、顔にハンカチをのせて横になった。
回診に訪れた看護師さん、めっちゃびっくりさせてしまった。
アーニーいわく、「・・・・・それ、ブラックすぎるで。ジンコサン。」
ちうちうが、「チチキトク」状態になったので、わたしの弟ナオシマジローが、帰京した。
夜中に何かあった時のために、ちうちうの横に簡易ベッドを置いて、泊まってくれた。
「夜中にちうちうが、突然起き上がってベラベラしゃべりだして、
これは夢かー?現実かー?って混乱して、
動こうと思っても金縛り状態で、あーびっくりしたあ。」
という1夜を過ごしたらしい。
2晩、父と過ごして、状態は安定していたので、
「ボクを待ってはった訳じゃなかったみたい~。」
と、大事な仕事を片づけに、1度島へ帰って行った。
直島に船で着いて、こんな腰の低い人がいたら、ナオシマジロー。↓
わたしには絶対できないわあ。尊敬。
ちうちうは、ホスピスで、人工呼吸器とか胃ろうとか、延命治療は一切なく、自然に生ききった。
自然に食が細くなり、自然に声が出にくくなり、最後はアイスクリームを看護師さんに少しづつ食べさせてもらった。
「ハーゲンダッツのバニラあるえ。食べる?」
と聞くと、うんうんとうなづくので、冷凍庫から出してきた。
「ちうちうさーん、何の味がしますかー?」
と、看護師さんが尋ねはると、かすれた声で、
「マッチャ・・・」
と答えた。
えー、間違えて持ってきたのか?それとも、味も分からなくなてしまったのか?と、顔を見合す看護師さんとジンコさんとわたし。
ふと、ちうちうを見るとにや~っと笑っている。
もおお、わざとやー、冗談やん。
わたしが聞いた、ちうちうの最期の声は、「マッチャ」。
ちうちうのお見舞い、何度も足を運んでくれたアーニー。
アーニーの顔を見ると、ちうちうの下っていた血圧が、元に戻った。
お通夜も告別式も、たくさん手伝ってくれたアーニー。
火葬場から戻り、会食の席はそっとぬけさせてもらった。
アーニーと一緒にお手伝いしてくれた親戚の20代メンズが、気付いて、
「あれっ?アーニーは?ぬけた?デートかあ?」
いやいやいや、実はライブへ行ったの。
「えっ?だれの?AKBとか?」
いやいやいやいや、実はエアロ・スミス。
「ビーチ・ボーイズとか、リンゴとか、エアロとか、ポールとか、今のうちに行っとかなね。いつ昇天されるかわからへんしね。」
と渋好みの、アーニー。
「りんごって、椎名林檎?」
と40代叔父から聞かれたけど、いやいや、リンゴ・スターですから。
次は、東寺さんでローリー見るそうな。
私の父、ちうちう。
6月15日誕生日に、日本バプテスト病院のホスピスに入院した。
大文字山を間近に望むお部屋で、「送り火の日は、みんな集めてパーティーや。」と言っていた。
先生や看護師さんたちの手厚い看護のおかげで、せん妄も落ち着き、痛みや苦しみもなく、大往生した。
きのう、8月16日五山の送り火の日、親戚、友人、みんな集めてお葬式。
ちうちうの、企画・演出・実行力に脱帽。
数年前、父が制作した版画です。
モウト、高校1年の夏休み、オーストラリアでホームステイ。
高校2年の夏休みは、夜行バスとビジネスホテルに泊まって、東京へ。
高校3年の今年の夏は、どこに泊まっているかというと・・・
病院。
歯の矯正を始めて、親不知を3本抜くことになり、
「夏休みに入院して、一気に全部抜いちゃう。」
と、いつもの旅行鞄に荷物をまとめ、とっとと入院してしまった。
術後は順調ですが、顔、めっちゃ腫れてます。