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髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

ラーツー計画の実行

2018-07-21 | ツーリング
そんな訳で、最近アウトドア付いてる我が家だが、一家4人が揃ってキャンプするとなると、スケジュールの調整や準備が大仕事となってなかなか気軽には外へ出かけることは出来ない。

さてどうしたものかとネットをぐるぐるしていると、「ラーツー」という言葉に当たった。

「ラーツー」とは、ツーリングに出かけた先でラーメンを食べることだ。

装備は熱源と鍋とインスタントラーメンとバイク。

たったこれだけ揃えれば自分一人で小旅行に出かけられる。

休日の前夜、バックパックにアルコールバーナー、クッカーセット、ペットボトルの水、明星チャルメラ(しょうゆ味)を放り込んで準備完了。
早朝から出かけたかったが、子供たちの保育園送りが終わり、洗濯物を干し終わった10時ごろから出かけた。

向かう先は道志村。
自宅から1時間半くらいで到着できる。
午後は長男の習い事の付き添いがあるので、それまでに帰宅しなければならない。

晴天の下、中央道を相模湖まで走り、県道76号線を通り道志みちを目指す。
平日なので道はガラガラだけど、急ぐこともないので早そうなバイクに道を譲ってのんびり走る。
5月上旬の峠道は光のコントラストがとても美しく、空気の香りも鮮度がいい感じがして、自然とニヤニヤしてしまう。

250TRは、ほんのりとしたパワー不足を感じるが、トコトコと頑張って坂を駆け上がる。

街中は夏の暑さだったけど、峠道に入ると日陰は冷んやりとして気持ちがいい。これは帰り道には感じなかったので、昼が混じってこない、朝だけの特権なのかも知れない。


ゆっくり走って1時間半でこんなに素敵な景色が見られるのは幸せですね。

道志村某所に到着し、川へ降りられてゆっくり腰を落ち着かせられる場所を探しつつしばしバイク移動。


ここが最高だったのですが、ちょこちょこ人が来るので断念。


美しい景色を求めてどこまでも行ってしまいそうです。

到着していそいそと川へ降りる。
そこは静寂の中…ではなく、ざーという水の音しか聞こえない。
それも優しい音ではなく、轟音に近い。
軽く周囲を散策して、テーブル代わりになりそうな水平な岩を探す。
アウトドア活動を始めて、実に楽しいなと感じるのは、自然の中で、こういったテーブルや日常で使うような品物を探したりすることだ。
岩や石をテーブルにしたり、木を並べてテーブルにしたり、枝を削って箸にしたり。
これが「工夫」の原点なんだろうと思う。


この景色を見ながらのラーメンにしようと決めました。

実のところ、アルコールバーナーを使うのは今日が初めて。
とはいえ使い方は簡単で、バーナーに燃料用アルコールを注いでライターで点火するだけだ。
やや難しいな、と思ったのは燃焼時間がどれくらいなのか分からなかった点くらいか。

周囲を散策しながら待つことしばし10分くらい?
湯が沸いたので、明星チャルメラ(しょうゆ味)を、コンビニで買った煮卵を2個入れて食べた。



まあ普通の味だった。
しかし周囲の景色は鮮やかで目には心地よい刺激があり、川の流れる轟音に包まれて耳の鼓膜も喜び、脳みそを取り出して川でじゃぶじゃぶ洗ってまた元に戻すようなリフレッシュ感を味わえた。

その後も周囲を散策し、あまり長居はぜずに帰路に付いた。


少し降りた場所には小さな滝が。音が伝えられないのが残念です。

14時半には長男を保育園に迎えにいき、習い事へ出かけた。

結論。

また富士山に行きたいなあ。
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地獄ツーリング再び!宿の消失!39度の灼熱と台風のアウターバンドの果てに!

2017-08-12 | ツーリング
そんな訳で、Kawasakiの250TRで8月5日(土)に東京から石川県志賀町へ行き(途中4時間睡眠あり)、8月7日(月)に東京へ帰ってきた。
往復1120キロの旅をここに記録する…つもりだったが、帰りに巻き込まれた台風5号がもたらした豪雨で、細かいことはどうでもよくなってしまった。

豪雨に巻き込まれた部分をハイライトに記録する。

筆者スペック
バイク:Kawasaki 250TR 2012年式かな? 走行距離約8000キロ どノーマル
ライダー:44歳チビハゲソフトデブメガネいて座AB型





8月5日(土)19:00

仕事を終えて世田谷の真ん中へんから出発。ルートは

関越自動車道練馬

上信越自動車道

北陸自動車道

のと里山海道

志賀町

片道560キロ。
往路は上信越自動車動の新井ハイウェイオアシスにある、とあるホテルに宿泊し、しっかり休息を取ってから石川県を目指す予定だった。
25時に新井ハイウェイオアシスに到着し、疲れた身体でホテルに入ると、私が予約した部屋はホテル側によってキャンセルされていた。
施錠されたホテルの入り口に設置された電話機で夜間コールセンターに連絡すると、このホテルは24時を過ぎると自動的に予約が取り消されるらしい。
予約する際に、チェックインが23時から24時くらいになるかもしれないことは伝えてあったのに、この自動キャンセルの話は聞かされていなかった。

今夜の宿が消失した。

アルバイトらしきコールセンターの男性に文句を言っても仕方がないので、再び重い身体を引きずってバイクに跨った。
次のインターで下に降りて宿を探すしかない。





上越高田というインターで降りて、料金所のおじさんにホテルがあるか聞いてみたら、地図を出してルートを記入して教えてくれた。時間帯が時間帯なので後続車が来ることもなく、しっかり説明を聞けた。この優しさだけで心と身体が軽くなる。
高田駅というところまで走り、暗い中うろうろ駅周辺をさまよい、2軒断られ3軒目でようやく1室だけ空室を見つけることができた。

26時。

シャワーを浴びてベッドに倒れ込んで4時間だけ眠ることができた。

8月6日(日)9:00

しっかり朝食を食べてエネルギーを蓄えて出発。
夜は見えなかったが、この周辺はホテルがたくさんあったようだ。

8月6日(日)13:00

志賀町のおばあちゃん家に到着した。
身体の疲れはなく、先に到着していた家族と海で遊んでBBQを楽しんだ。



巌門の近く。下道に降りるとホッとします。


おばあちゃん家。この青空に出会いに行きました。


8月7日(月)11:00

しっかり朝食を食べてエネルギーを蓄えて出発。



この後に地獄が待っているとは誰が予想できたであろうか…!
しかしこの画像を見ていると、でかいテールランプで命拾いしたよな、なんて思います。


帰りのルートは何度も何度も考え直した。

この石川県志賀町と東京を結ぶルートは、下道を使うルートを合わせると4通りくらい選択肢がある。
来た道をそのまま戻るか、長野県松本市を経由した中央道ルートか。 はたまた下道を爆走する飛騨経由ルートか。
兎にも角にも帰路は疲労が溜まるので、なるべく身体的にも精神的にも負荷の少ない道を通りたい。
峠道を走る飛騨ルートは、ツイッターのフォロワーさんからもお勧めできないとのリプライを頂いたので却下。
自分の自宅は中央道の出口から近いし、中央道であれば何度も走ったことがあるので、精神的には中央道を選びたい。

走り出した時は中央道ルートで帰ろうと決めていた。 しかし、あまりの暑さで体力と精神力を消耗し、走りながらやはり来た道を戻ろうと決めた。
だが岐路である長野県の更埴ジャンクションに到達するまでたっぷり時間があるので、走りながらもかなり迷っていた。 記憶が定かではないが、確か更埴ジャンクションに到達する前に、中央道の渋滞情報を見たのか、圏央道の渋滞情報を見たのか、ふんわりと、なんとなーく中央道を避けた。

本当になんとなく避けた。

この判断が正しかった。
というかこの判断をしなければ、この日のうちに帰宅はできなかったと思う。

この数時間後に、中央道は大雨と土砂崩れのために通行止になった。

8月7日(月)11:39

道の駅高松

暑い。暑すぎる。 特に路面からの熱が酷い。 下から10本くらいのドライヤーで熱風を吹き付けられているような感じか。 頭痛もしてきたので熱中症の手前なんだろうと判断。 ともかく無理はせずに進むことを思う。
帰宅してから知ったが、この日私が通過した石川県かほく市は、観測史上初となる39度を記録した。
あまりにも暑いので、出だしは半袖グローブなしで走り始めたが、ここで嫁さんから借りた日焼け止め用の「袖」を装着した。
これが意外と効果を発揮して、痛みのあるような暑さがすこし和らいだ。

今回のツーリングは、小まめに休憩をしながら走ることにしていた。
久しぶりの長距離走だったし、体力にも自身がなかったからだ。
北陸道から上信越道に入るといつの間にかひどい暑さは和らいで、グイグイと距離を稼げるようになった。

信濃町のあたりでザッと雨に当たる。
ここでカッパを着込んで、結果最後までカッパを脱ぐことはなかった。
ちなみにカッパは近所のホームセンターで買った安物。
チャックを閉めてボタンをかけていたが、最終的に身体の前面はチャックの隙間から雨が伝わってきて服は濡れた。
それでも夏だったのであまり気にはならなかった。
靴を雨から守るために靴のレインカバーを持っていたが、面倒だしあとは帰宅するだけだったので、そのままずぶ濡れで走った。
こちらもそれほど不快感を感じることもなく過ごせた(というかそんな事を感じる余裕がなかっただけか?)。

細かく細かく休憩をしながら、ようやく群馬県に差し掛かったところだろうか。
この辺りから雨脚が酷くなり、何度かサービスエリアに避難しながらの帰路となる。
雨雲レーダーアプリで先を確認しながら進むことにした。
当たり前だがバイクで走り始めればアプリなど開けないので雨雲がどこに進んでいるのかはわからなくなる。





この先で私は台風の外側にできた雨雲「アウターバンド」の直撃に遭う。






これが「アウターバンド」。台風本体が近くなくても豪雨がきます。


8月7日(月)18:00〜18:30ごろ

突然に視界が真っ白になり、前の車のテールランプが光って急接近。
自分も無意識にアクセルを放して減速していたので接触はなかったが、全身から汗が吹き出る。
豪雨地帯に入った。
しかも並みの豪雨ではない。
全身に叩きつけるバチバチという雨音と、暴風の轟音が耳をふさぐ。
ふーと息を吹いて落ち着く暇もなく状況判断。
ひとまず自分の身体の中で不快に感じる部分はない。水と風を防ぐ装備は万全だ。

真っ白になった視界の中、かすか前方に車のテールランプが見え、右下にセンターラインが後方に流れているのが見える。
左側は灰色になっていて距離感は掴めない。
バックミラーには後方を走る車のヘッドライトの明かりがかすかに見える。
下に目をやると、水の膜の先にボヤけて見えるスピードメーターは50~60キロくらいを指していた。

もう一度視線だけを動かして周囲を見てみるが、やはり真っ白だ。

これだけの情報だと、自分が乗るバイクが高速道路を走っている、という感覚がない。
真っ白な景色の中で、ただバイクに跨って立っているだけだ。
しかし、はっきりと分かるのは「死」がすごく近い場所にある。ということ。
現状を維持する感覚を失えば、簡単に死ぬことができる。

現状を維持。

現在走っているコースの維持と前車との距離の維持。
これが破綻したら死ぬ。

視界の右側に流れているセンターラインをチラ見して、車線の左側をキープするよう努める。

轟音が背後から近づき、右後方から巨大な黒い物体が追い越して行く。
雨でもものともしない大型トラックの通過。
走行している車線の中でキープレフトを続けなくてはこの大型トラックに巻き込まれる。

前車との距離を維持するのは、前車が見えなければ、ぼんやり見えるセンターラインの情報だけでは走り続けることが困難だからだ。前車を見失えば、恐らく恐怖で減速をして、背後から突っ込まれることになる。
定期的にブレーキを踏んで、後方に自分の存在を教える。
それだけでは足らないと感じて左のウインカーも着けっぱなしにした。
なんとかこの輝きを見てバイクがいることに気づいて欲しい。

死が近すぎる。 ともかく止まりたい。地面に足を着きたい。

昨年だったか、台風が接近している豪雨の中、東名高速をバイクで走って転倒し、複数の後続車に轢かれて亡くなった方がいたよな。
などと思い出す。
恐らく現在の自分と似たような状態だったのだろう。
豪雨の最中に走り始めた訳ではなく、走っている間に豪雨に巻き込まれたんだろう。
止まりたくとも止まれず、ただ前へ進むことしかできず、何かの拍子に現状を維持できなくなってしまったのかも知れない。

なんとか左側に寄せるスペースはないかと視線を向けるが、時々見えるのは灰色の壁と人ひとり立てるくらいの路肩だ。
このわずかな部分に的確に停車する自信もないし、停まったところで車やトラックの暴風で飛ばされるか突っ込まれるだけだろう。
パーキングエリアかサービスエリアはしばらくはないと分かっていた。
あと考えられる希望は出口だけだ。

ここで緑色の看板が左上に見えた。
どこかわからないが出口まで2キロ。

このまま生きて2キロを耐えることができればこの地獄から抜け出せる。

しかし豪雨はさらに激しくなる。

多分そろそろ出口にたどり着くはずだが緑色の看板が見えない。
出口の黄色い点滅信号も分かりそうにない。
しかしここで出なければ本当に死んでしまうかも知れない。

左側のラインが点線になればそこが出口だ。
グッとバイクを左側に寄せてラインが点線に変わるのを待った。
そしてラインが点線になったところで左側にハンドルを切って下降していった。
カーブが怖くかなり減速したが、幸いにも後続車はいなかった。

料金所手前の左側にバイクを停めて足を地面に着け、死が遠ざかり現在生きていることに感謝した。
停まって改めて周囲を見回しても酷い豪雨だった。
真っ暗で料金所の先の道路がどうなっているのかも見えない。街があるのか、山の中なのか。
豪雨だけではなく、雷鳴も轟く。
まだピンチは続いている。

もうスピードを出して走らなくても良いが、その前にバイクで走ること自体が難しい。
しばらく考えて、ここからUターンして再び高速に乗ることはなさそうだし、このままここにいても荷物が濡れるだけなので、出口から出ることにした。

出口のおじさんに、どこでもいいので屋根がある場所はないか?と尋ね、職員専用の自転車置場を教えてもらった。
多分、一般の人は入れないゾーンだったと思うが、あまりの天候の酷さに独断で教えてくれたのだと思う。
「すぐそこを曲がって…」と教えてもらったが、すぐそこが豪雨で見えないので何度も聞き返した。
ヘルメットのバイザーを降ろしてると前が見えないので、豪雨の中メガネをびしょびしょに濡らしながら職員専用の自転車置き場を目指した。
一台も自転車が停まっていない自転車置場があり、ひとまずそこへバイクごと逃げ込んでヘルメットを脱ぐことができた。

すぐにiPhoneを取り出し雨雲の確認。

現在がピークであることを確認した。



駐輪場の中から。屋根があるだけでも安心できました。


死ぬかも知れない思いをしたにもかかわらず、10分くらい休憩したら再び高速道路を走っていた。
そこからは豪雨にはならなかったが、そこそこ雨に打たれながらの道となった。

8月7日(月)22:00ごろ

無事自宅へ帰着。

560キロを11時間かけて帰ってきた。
シャワーを浴びてからビール風飲料をがぶ飲み。
絶対に生きて帰ってコレをやるんだ!と誓っていたので五臓六腑に染み渡る。

しばらくしてから、まだ石川県にいる嫁さんに、無謀なチャレンジをしてすまない、と謝罪のメッセージを送った。
今後はここまで天候が酷くなることが予測できたら、ツーリングに出ることは辞める。
というか、昨今の夏の天候はもはや予測不可能に近いので、台風が来る季節は遠出をしないことにした。









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千葉の「T秘境」に行ってきた!

2011-09-14 | ツーリング
「T秘境ってなに?」と思った方はぜひネットで検索していただきたい。
千葉は房総の「どこかにある」と長年にわたって記されてきた場所だ。
数年前までは、どんなに検索をかけても場所が特定出来なかった。
しかし、最近になって親切丁寧に行き方を教えてくれているサイトに出会った。

なので、サクッと「T秘境」に行ってみた。
ザックリと行き方を書くと、館山道の「富津中央」で下りて127号線から465号線に入り「湊小学校下」で左折し、秘境に繋がる入り口に到達できる。

毎度のパターン?になっているが、今回も早朝に出て昼過ぎに帰還する予定で、4時半に起床し、5時半に出発した。
モタモタしていると灼熱の太陽が現れて体力を奪われる。
それに、2週間ぶりの土曜の晴れ間だ。バイク乗りの皆さんも気が急いているので混雑しそうだ。
中央道調布からガラガラの首都高をノンビリと抜けて、あっという間に市原SAに。
早くも日差しが危険なレベルに達してきた。


サッと蕎麦で朝食を済ませ、再び走り出す。

まだ先かな~と思っていたが、そこからスグに富津中央に到着し、あれよあれよという間に秘境の入り口までたどり着いた。


行き方を記しているサイトのままの風景だった。

入り口からはほぼ道なり。
説明にはなかったアップダウンなどを通過して、いよいよ「未舗装」のゾーンに。


入ってスグに超不安になる景色。

ハーレーでこのまま先に進んでも大丈夫なのだろうかと不安になる。
この道だと、引き返すためにUターンするにも苦労する。
さらに「まさか道を間違えていないよな?」という不安もよぎる。


しかし、土にはまだ新しいバイクのワダチが見える。

一度降りてみて先を見にいくが、しばらく行っても状況は変わりそうにもない。
この程度の道なら何とか行けると思い先に進むと、さらに道が…。


もうこれはヤバい。ハーレーでは限界に近い。

「ここは流石に無理だ…諦めよう…」と思った先に、秘境への入り口っぽい壁が見えた。
もうコケるのも承知で「えいやっ!」とハーレーを進め、前後輪を滑らせ、ざんぶと水溜りを抜け、足を泥に突っ込みながら、何とか通過した!


そして到着した秘境の入り口。

数年前から行きたかった場所なので、感慨無量である。
もちろん私以外の客はいない。




早速バイクを停めて、手掘りトンネルを抜けて秘境に入った。

しばらく歩くと、それまでの景色は一変し、一気に視界が開けて水のある風景に変わった。









さまざまなサイトによると、この水源地はかなり奥まで続いているらしいが、残念ながら靴がただのスニーカーだったので、かなり浅い場所で引き返すことにした。
次回は長靴を持ってこよう。
そしてソソクサとバイクに戻り、秘境を後にした。


まあバイクはこんなんなりましたけど。

帰りはアクアライン経由で首都高を抜けて来たが、全てのJCTがガラガラでかなり快適だった。
5時半に出て11時45分に帰宅。
早く出て早く帰る。
やっぱりツーリングはコレに限る!と感じた。

走行距離254キロの素晴らしい小旅行であった。
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Baby cruising Love~♪東京~広島往復地獄のツーリング!(後編)

2011-05-18 | ツーリング
5月3日、広島で開催される「ひろしまフラワーフェスティバル」に行ってきた。
目的はもちろん、私が愛して止まないPerfumeのステージを見に行くためだ。

826キロを19時間かけて走った「前編」はこちら

5月4日。6時半ごろにホテルで目覚めた。
前日のオフ会は一次会で帰り、しっかり睡眠を取って休んだので、若干の疲労感はあるが体調はまずまず。
往路は予想外に時間がかかり、体力気力共に削られたが、復路は始めから茨の道だと覚悟ができている。

友人とお好み村に行き、Perfumeゆかりの「あとむ」さんに行ってしっかり栄養補給をし、かしゆかの出身小学校を拝み、あ~ちゃんが幼い頃に遊んだ神社で一服して、昼過ぎに広島インターから山陽道に乗った。

帰りは細かなスケジュールは組まなかった。ここまで来るのに19時間もかかったので、帰りはボンヤリと24時間くらいかかるだろうと予測。翌日の昼過ぎに東京に戻れれば御の字だ。

天候は良好。5月らしい暖かさになった。
上下の防寒着はリアフェンダーにくくり付けて走り出した。
前日には激しく渋滞していた上下線とも、今日は空いている。
距離が稼げそうな予感を胸に走り出すと、すぐに猛烈な眠気に襲われた。
しっかり眠ったはずなのに、あっという間にセンターラインが二重に見えるほどにまぶたが重くなる。

危険を感じたので、すぐに小谷SAで休憩した。

15時

広島から94キロ。
のっちの故郷福山SAに到着。給油。

少しだけ目が覚めたが、身体の芯から眠気が抜けないので、思い切って寝ることにした。
コーヒーやガムや、目の覚める飲料などでどうにかなる眠気ではなかった。
この眠気を覚ますには、寝るしかない。
また、昼寝が大好きなPerfumeのっちの故郷福山なので、寝るにはピッタリだ。
バイクを停めて、フラフラと芝生の広場に向かい、垣根のそばで横になった瞬間に眠った。

ハッと気がつくと17時になっていた。

疲労感はやや残っていたが、頭の中はスッキリとクリアになった。
後になって振り返ると、暖かいうちにここで睡眠を取ったのは賢明な判断だったと思う。

そこからはトロトロと進んだ。
乗り始めてすぐに肩が痛くなる。
いよいよ激しい渋滞に出会うようになってきた。

18時半

広島から157キロ。
吉備SAに到着。
再び寒さが厳しくなってきた。
どうしてもすぐに肩が痛くなる。しかし逆に考えれば肩しか痛くならない。
ここではコーヒーを飲んだだけでパッと再び走り出した。

20時

広島から223キロ。
龍野西SAに到着。食事をした。
どこのJCTだったか忘れたが、激しい渋滞を抜けた。この先はすべてのJCTで渋滞を味わうのだろう。
相変わらず渋滞の情報が分からなかったが、Twitterのフォロワーさんに、渋滞情報を簡単に把握出来るアプリを教えてもらって、それでずいぶん情報がつかめるようになった。
往路の反省を活かして、iPhoneの電源は切りながら走っていたが、やはり通信をすると激しくバッテリーを消費する。

21時

広島から273キロ。
三木SAに到着。給油。
SAの中をウロウロしていると「ハイウェイオフィス」というコーナーを見つけた。
そこに、夢にまで見た「コンセント」があるではないか!
そこでiPhoneをフルに充電した。そして備え付けのPCで、高速道路各所の渋滞をチェックした。
自分が到達するのはまだまだ先だろうが、東名も中央道も渋滞で真っ赤っかになっているのを確認。
その前に神戸JCTが盛り上がっているようだ…。



22時半

広島から307キロ。
西宮名塩SAに到着。
渋滞渋滞で疲労する。
SAの入り口まで大渋滞している。
トイレが我慢出来ない子供を引き連れて親子がクルマから降りて走っていたりした。
それらの行列を飛び越えてバイクは進入できる。交通誘導員もバイクは先に行かせてくれる。
ほんのちょっとだけバイクの優越感を感じるひとときだ。

「バイクは渋滞していても関係ないでしょう?」と言われることがあるが、私の場合は大いに関係ある。
以前にも書いたが、自転車でクルマの横を走り抜けた時にドアを開けられて、ドアに激突した経験がある。
ドアの角の部分が首に当たり、一時間ぐらい起き上がることができなくなった。
それがトラウマになっていて、クルマとクルマの間を走り抜けるのがとてつもなく怖い。
静止しているクルマの間を80キロくらいで走り抜けるライダーがいるが、私にはそんな真似はできない。
クルマの方を悪く言うつもりはないが、バイクに乗っている人間を嫌う人もいる。
今回のツーリングでも、すり抜けをしているバイクを見つけると、サッとクルマを寄せてきてすり抜けさせないようにするドライバーはたくさんいた。逆にバイクのすり抜けを見つけると譲る(ぶつけられたくない?)ようにクルマを離す人もいる。
「陰険だな」とは思わない。
たぶんそれが正常な「世間」なんだと思う。

とりあえず草津まで走ってみようと思った。

0時

広島から381キロ。
草津PAに到着した。

途中の京滋バイパスが恐怖だった。
渋滞のストレスが溜まっているのか、周りのクルマは140キロオーバーで飛ばしている。
自分も流れに乗らなくては危険だと思ったが、数十分つき合うだけで十分に怖さを覚えてあきらめた。
道もそれほど知らない先が見えないコーナーに、このスピードで突っ込むことはできない。
それほどの運転の自信もない。

ここに大きな電光掲示板があり、この先の渋滞情報が確認出来た。

草津PAから東名高速を目指して豊田JCTまで行けば170分。約3時間。
草津PAから中央高速を目指して小牧JCTまで行けば110分。約2時間。

「どちらがラクな道か?」と問われれば、それは間違いなく東名高速だ。
中央高速はアップダウンやカーブが多いので、クルマで走っていても疲れやすい。
それに、標高が高いので、バイクだと寒さをモロに受けてしまう。
しかし、中央高速は調布のインターを降りればすぐに自宅に帰ることが出来る。
もうほとんど考えることが出来なくなった頭で考えて、中央高速を選ぶことにした。
後々に、この選択が正しかったことになる。
ゆっくり休んで、それから出発した。

2時

広島から430キロ。
多賀SAに到着した。食事と給油。
琵琶湖に到達して、まだ琵琶湖にいる。
あまりの寒さと疲労と眠気で、ここで眠ることにした。
往路と同じく、眠る場所を探したが、中々見つからなかった。
屋根さえあれば大丈夫だと考え、閉店しているスターバックスの横のひさしの下に寝転んだ。
さすがに疲れきっているので、すぐにウトウトしてきたが、やはり寒さがジワジワと染み込んでくる。
ハッと気がつくと、タバコをくわえた若者がすぐそばに立っていたので「わっ!」と声を出してしまった。
その若者も「わっ!」と声を出して走り去って行った。
なんだったんだろうか…?

時計を見ると、3~40分くらいはうつらうつらしていたようだ。

「でもやるんだよ」って、誰の言葉だったっけ?
などと思いながら、再び走る用意をした。やらなければ帰れない。
もう何度確認したか忘れたが、服装の確認。
チャックをアゴまで引く。
ポケットの中身とボタンを確認する。
ETCのカード挿入を確認。
ヘルメットをかぶってアゴヒモをきちんと締める。
グローブをはめる。
ヘルメットのシールドを上げて角度の確認。
たすきがけしているウエストバッグのチャック確認。

「失っている物はなにも無いね?」

と自分に問いかけてからエンジンを回す。

長旅にも関わらず、私のXL883Nは快調にエンジンを回してくれる。
けっきょくここには4時ごろまで滞在していた。

5時

広島から518キロ。
内津峠PAに到着。
やっと…広島を出て17時間が経過して中央道に入ることができた。
しかし、寒過ぎて走ることが出来なくなった。
ハーレーと言えば聞こえは良いが、カウルも何もないバイクだ。
風を真正面に受け続けて走っていると、服の隙間からジワリと風が入り込んできて寒さを蓄える。
空が徐々に明るくなってきたので、太陽のパワーに期待するしかない。
コーヒーを飲んで気合いを入れた。


たぶんこの辺りで撮った写真。帰りも写真を撮る余裕はありませんでした♪

電光掲示板を見ると、中央道の渋滞は解消されていたが、この時間でも東名の渋滞は解消されていなかった。
確か事故渋滞だったと思う。

6時半

広島から597キロ。
阿知PAに到着した。
日が登り、中央道ならではの周囲の樹々の景色を見ながら気持ちよく走れた。
久しぶりに(?)、早朝らしく自分以外誰もいない高速道路を楽しめた。
「明るい」と言うだけで、勇気が増幅された気がした。
名古屋方面から中央道で東京へ帰ると言えば、楽しみなイベントは「恵那山トンネルの通過」だと思う。
恵那山トンネル」は、全長が約8キロもあるトンネルだ。

極端に低速走行になるし、トンネル内は車線変更禁止なので、右車線にシフトしてトンネルに入った。
予想通り左車線はノロノロ運転になり、私は快適に走っていたのだが、真ん中辺りで突然にトラックが私の前に車線変更してきて肝を冷やした。

そこからは空いている中央道を気持ち良く走れた。
景色は東名よりも中央道のほうがキレイだ。

9時

広島から741キロ。
双葉SAに到着した。たぶん給油した。
やはりバイクを降りると自分がゼイゼイ肩で息をしているのが分かる。心臓の動悸も早い。

今回のツーリングに向けて、たったの一ヶ月ほどだが、だいたい毎日ランニングをして身体を鍛えた。
また、長距離ツーリングの後は風圧とヘルメットの重さで必ず首が痛くなるので、首も鍛えてみた。
若干の効果はあったと思う。

10時

距離数メモなし。
談合坂SAに到着した。
どこかのトンネルの入り口で出来立てホヤホヤの事故を通過してきた。
正直に書くと、渋滞を引き起こす前に通過出来たので嬉しい。
いよいよここで最後の休憩になった。目がかすんで来た。
電光掲示板を見ると、八王子の手前で新しい渋滞が形成されているようだったので、気分が落ち込む。
行きも帰りも渋滞に悩まされたが、最後の最後まで渋滞がついて回る。
落ち込んでも渋滞は縮まないので、ここでゆっくりと食事をすることにした。

今回の旅は、広島の食事以外、特に美味しいものは食べなかったと思う。写真にすら撮っていない。
SAやPAの食事は、小さめのところが美味しいのだが(おばちゃんがちゃんと料理をする)、給油の関係でガソリンスタンドのある大型のSAやPAに立ち寄ってばかりだったので、無表情でラーメンやらうどんやらを食べていた。

さて。最後の渋滞に突入だ。

11時52分13秒

広島から857キロ。
無事に自宅に到着した。

装備を脱ぎ捨てて、そのまま倒れ込むように眠った。

ずいぶん前に兄に「どうしてお前は『想像する』だけで済まさないんだ?どうして実際に行動してしまうんだ?バカなのか?」と怒られたことがあった。
「どうなんだろう?」と想像してしまうと、どうしてもそれをやりたくなってしまう。
今回も「1000キロを走ったらどれくらい疲れるんだろう?」と想像してからこの旅は始まった。
「成長するのかな?」と想像したが、5月18日現在、成長の感覚は一切してこない。

まあそんなモンだと思う。
唯一分かったのは「自分は凄まじく臆病者だ」ということくらいだろうか。
ガタガタだった身体の疲れも脳みそのグチャグチャ感も翌日にはキレイに消えてしまった。


往復で1683キロ。走行時間43時間(休憩含む)。


それが分かっただけでも、いい時間が過ごせたと思う。


楽しい旅に私を導いてくれたPerfumeと、愛車XL883Nに感謝をしたい。

無事に帰って来れて良かった!ありがとう!

今度は北に行くぞ!
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Baby cruising Love~♪東京~広島往復地獄のツーリング!(前編)

2011-05-12 | ツーリング
5月3日、広島で開催される「ひろしまフラワーフェスティバル」に行ってきた。
目的はもちろん、私が愛して止まないPerfumeのステージを見に行くためだ。

私は以前にもPerfumeを追いかけて東京から高知までバイクで駆けつけた。
行きはフェリーにバイクを積んで、帰りは800キロを13時間かけて走り抜けた。

その経験から「次は1000キロを走ってみたいな」と言う願望が湧いていたので、Perfumeが「ひろしまフラワーフェスティバル」に出演すると聞いた数日後には広島のホテルを押さえていた。

結論から述べると、かなり無謀な旅だった。
高知までの遠征がそれほど苦しくなかったし、大阪まではクルマで何度も行っているので、甘く考えていた。
今現在でもよくもあの地獄から生還できたものだと思う。
東京から広島までは19時間もかかり、広島から東京までは、なんと24時間もかかった。
往路と復路に分けて、二つの記事を書こうと思う。

一番頭を悩ませたのが装備だった。
日中は汗ばむほどの陽気だが、朝晩はかなり冷え込む。
往復共に深夜にかけて走る予定なので、冬用の装備にした。
近所を走るのであれば確実に過剰装備だ。しかも、もし暑かった場合はそのまま冬の装備が大きな荷物になる。

結果、それでもまったく足りなく、足止めを食らうほどに寒い思いをした。

また、本州の西の方面は吹田までしか行ったことがないので、ルートの確認にも気を使った。
今になって振り返れば簡単なルートだが、高速道路で道を間違えると痛い。
Googleマップでシュミレーションをしても、何故か大阪で道を間違える。

事前にブログなどで東京~広島を往復した人を探して学習しようとしたが、どなたも途中で宿泊されていて、参考になるらものはなかった。

今回の旅は、正直に言って不安だった。
眠気でブラインドコーナーの先の渋滞に気づかずに最後尾に突っ込むイメージが何度も脳裏に浮かび上がって、夜中に起きてしまうこともあった。
なので、普段は神頼みなどしないのだが、生きて再び地元に帰ってこれるように、実家近くの深大寺に祈りを捧げてお守りを買ってざる蕎麦を食べた。



また、身体の負担を減らすために、見た目は悪いがクルマ用の「お尻痛くないシート」(750円で効果絶大!)を敷いて行くことにした。


こちらは「スロットルアシスト」。効果はあったと思う。

行程は

5月2日の21時出発
5月3日の12時到着(15時間見積もり)

5月4日の昼ごろ出発
5月5日の未明に到着

と設計した。

が、5月2日の仕事中に「高速道路は空いている」という情報を得て、少しでもコマを進めてから休んだほうが良いのかと思い、突如計画を変更して21時出発の予定を16時半出発に変更した。
持ち物リストでチェックが入ってないのは携帯とiPhoneと充電器と財布くらい。それらを上着のポケットに入れて、リストにチェックを入れて、家を出た。

モンベルのドライコンテナに入れたバッグをリアフェンダーに固定して、16時半に出発した。

17時半

自宅から13キロ。
毎度立ち寄る東名川崎入り口そばのセブンイレブン。
これからだ!と言うところで夕方の渋滞にハマって気が滅入るが、一服した後に東名に乗った。
山の向こうに沈んで行く夕陽を追いかけるように西へ西へ進んで行く。
山を越えるたびに何度も夕陽が現れる。
混んでいるわけではないが、そこそこクルマが多いので、あまりスピードは出せない。

18時43分

自宅から90キロ。
足柄SAに到着。給油。
日が暮れると、予想以上に寒くなった。
今回の旅は「寒さとの戦い」も大きな部分を占めた。
まだ出発したばかりなのに、この時点で装備の薄さに気づいた。
寒さをこらえるだけで体力を奪われるので、ここでオーバーパンツを履き、インナーにもう一枚シャツを着た。

20時05分

自宅から166キロ。
日本平PAに到着。
大型トラックが多く、80キロ、90キロほどで巡航しているので、やはり思うようにスピードは出せない。
80キロで走行している大型トラックを、90キロで巡航している大型トラックが追い抜く際に平行して2車線を潰すので、その後ろが渋滞気味になる。
結局この「大型トラック問題」は広島に行くまでついて回った…。

20時45分

自宅から205キロ。
牧之原SAに到着。給油をして、ゆっくりと食事。
沼津で謎の渋滞にはまり、ここで体力を削られた。
SAは人で溢れ返っていて、落ち着く場所がない。
ここで気づいたが、私以外のバイクをほとんど見かけなかった。

23時10分

自宅から329キロ。
愛知県伊勢湾岸道に入り、刈谷PAに到着。たぶん給油した。
覚悟はしていたが、豊田JCTの手前でそこそこの渋滞に捕まった。
この辺りからケツが痛くなってきた。
行く前から伊勢湾岸道の強風を恐れていたが、幸いにも風はほとんど感じること無く通過出来た。
ただ、高所恐怖症の私にはスリリングな道だった。

今回のツーリングでしみじみと思ったのは「自分は車間距離を多く取り過ぎている」ということだった。
逆に「他の車両が車間距離を詰め過ぎている」と言いたいところだが、往復1600キロを走って、他の車両よりも、自分のほうが特異だと分かった。
そこそこ流れている高速道路で、常にブレーキランプをチカチカさせながら前のクルマにピッタリと追従しているクルマばかりだった。

個人的な感想としては、頭が狂っているとしか思えない。

10台くらい前のクルマまで見通せたり、低速であればまだ理解出来るが、2、3台前しか先が見えないのに、よくもここまで接近して走れると思う。
トラブルが起きた場合には、絶対に回避できない距離だ。
前のクルマを運転している人間を、どうしてここまで信頼できるのだろうか?
「居眠りしていて、中央分離帯にぶつかるかもしれない」などという想像力はないのだろうか?

私はバイクだし、クルマほど速度を急激に落とすことはできないので、いつでも大型トラックがラクに入れるくらいの車間距離を取っていたが、それがイライラするらしく、常に背後にピッタリとつけられて煽られた。
煽った後に急激に前に割り込まれることも何度もあった。
それでイライラしたり怒ったりすることはまったくないのだが、夜間の高速道路で後ろのクルマのライトが大きくバックミラーに映り続けるのはそれなりのストレスにはなる。

1時

自宅から410キロ。
新名神の土山SAに到着。
この時点で予定よりも2時間押していた。ともかくスピードを出すことが出来なかった。
もう眠る時間だったが、何としても大阪は越えてから眠りたい。
この辺りから「暗い」ということに恐怖を覚え始めた。
あとは、意識がはっきりとせずに走りながらボーッとすることも多くなった。
ここで大きな失敗に気づいた。
iPhoneや携帯の電源を切らずに走っていたので、バッテリーがかなり少なくなってきたのだ。
ブースターパックも使い切り、SAなどにはコンセントが見つからなかったので、iPhoneをフルに使うことが困難になってきた。
「なんでコンセントがないんだ?」と疑問に感じたが、クルマの人には必要ない…。

2時53分

自宅から521キロ。
京滋バイパス、吹田を抜けて中国道西宮名塩SAに到着。
前日に起床してから22時間ほど過ぎていたので、疲労も溜まり、恐怖心も満タンになってきた。そして寒さも我慢するのが苦痛に。
吹田JCTを抜けた辺りで、走り屋のクルマが私と右車線のクルマの間を、恐らく160キロくらいのスピードで駆け抜けて行った。
そのクルマがかすっただけでも私は死ぬ。
あまりの恐怖にヘルメットの中で絶叫し、そこで心が完全に折れた。
自分の運転技術にも自信が持てなくなってきたので、ここで眠ることにした。

過去の大阪遠征で、バイクにくくりつけていた荷物をすべて盗まれたことがあるので、リアフェンダーの荷物をすべて持って休むことにした。「他人を信用するな」というのがそのときの教訓だ。
眠るに適した場所を探したが見つからなかったので、芝生の広場にあるベンチに横になる。
その時に、自分がゼイゼイと肩で息をしていることに気づいた。
心臓の動悸も早く、全力疾走した後のように呼吸が荒くなっていた。
ずっと気を張りつめていたのだと理解した。

寝る、と言っても眠るための装備は何も持っていない。
そのままベンチにごろんと転がって、着ていたN3-Bのフードをかぶり、チャックを鼻のところまで上げる。
星を見ながら呼吸が落ち着いてくるのを待つ。
さすがに走っている時のような寒さは感じない。
深夜にも関わらず、周囲は長距離トラックのエンジン音や人がバタバタと歩き回る音が絶えずに、落ち着くことはできなかった。
寂しくなったら誰かと電話で話すかTwitterで紛らわそうと考えていたが、バッテリー不足のためにそれも出来ない。

しばらく目を閉じていたが、眠れそうにもなかったので、コーヒーを飲みながら空が白くなるのを待った。

5時半

明るくなってきて、若干の勇気らしきものを感じたので、再び出発することにした。
あとたったの250キロくらいで到着する!

6時半

自宅から649キロ。
山陽道瀬戸PAに到着。
日が出てきて寒さ地獄から解放されると思っていたのだが、どこまでも曇天でとてつもなく寒い。
バイクで走っていなければ過ごしやすい日だと思う。
ここで気づいたのは、自分とバイクの「汚れ方」だった。
うっすらと白い粉のような汚れが自分の服の前面に出ていた。
バイクも同じく、白い粉がたくさんついていた。
地元のライダーさんたちの爽やかな集合場所にボロボロの姿で入り込む快感。
どこだったか忘れたが、カップルのライダーがちゅーをしているところに割り込んで、ちゅーの延長を阻止できたのが嬉しかった。


たぶんこの辺りで撮った画像。今回のツーリングでは写真を撮る心の余裕はほとんどなかった。クルマ用の「お尻痛くないシート」を敷いています。

8時半

自宅から735キロ。
福山SAに到着。給油とかしたと思う。食事もしたかな?
この先のどこかで25キロの渋滞が発生しているようだが、それがどこなのかが分からない。
バッテリー残量の少ないiPhoneで調べてみるが、広島の手前辺りが赤くなっていることしか分からなかった。
SAには、東名高速のような電光掲示板はなかった。
スイスイと進んでいるのであれば自分の疲労具合と相談して駒を進められるが、渋滞に遭遇してしまうと次の休憩場所まで必死になってすり抜けをしなければならない。
もうすり抜けはこりごりだった。

10時半

奥屋PAに到着。距離数不明。
ガチガチに動かない渋滞を抜けて走って、疲労のピークに差しかかった。
もう目の前が広島なのに、ここで体力の限界を感じる。
この渋滞がどこまで続いているのかが分からない。
気が細くなってホテルに電話をするが、「よく分かりません」との返答だった…。寂しい。
もしも目指す広島まで続いているのであれば、私はもう走ることは出来ないと感じた。
もちろん引き返すことも出来ない。
楽しみにしていたPerfumeのLiveと、その後のオフ会の辞退も脳裏によぎる。
何をしにここまで来たのかが分からなくなるが、前へ進まなくてはならない。
チラッとTwitterを見てみると、もう会場に場所取りをしている人がいるようだった。
会場まではまだ100キロほどの距離がある。
「もう今夜は広島のホテルで眠れれば良い」
という所まで希望のランクを下げて、再び走り出した。
後で分かったことだが、ここで私は30キロ渋滞をすり抜けしていた。

そして走り出すと、しばらくして「事故渋滞」との掲示板の情報が入った。
そして車線が一つ潰されて、渋滞がさらに酷くなる…。
と思いきや、車線規制はあっという間に解除されて、10分くらいの渋滞でその先はガラガラに変わった。

Twitterのポストより。

うぉぉぉぉぉぉあ!かしぃぃぃゆかぁぁぁぁぁあ!まっっっってろよぉぉぉぉ!!!
posted at 12:10:28

これは、渋滞の終わりを走り抜けて、広島高速に入ったところでポストしたものだ。
たぶん、ヘルメットの中でゲラゲラ笑っていたと思う。穴と言う穴からアドレナリンが吹き出す感覚。
深海の底から突如宇宙空間に飛び上がるような展開だった。
もうPerfumeのLiveも、企画したオフ会も何もかもあきらめて絶望していたのに、いきなり目の前に希望がひょっこりと顔を出した。

12時47分

自宅から826キロ。
本来は途中で5時間程度睡眠を取る予定だったが、ほぼ予定通りの時間にホテルに到着することができた。
無事に到着できた喜びで、それまでの苦しさはすべて吹き飛んだ。

私を安全に運んでくれたXL883Nよ!ありがとう!

「後編」につづく)
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走り納め~!トロサーモンいくら丼ツーリング!

2010-12-23 | ツーリング
先日の日曜日、今年最後のツーリングに行って来た。

目的地は、千葉は房総のトロサーモンいくら丼を食べさせてくれる「まるよ」さんだ。
ノロウイルスっぽいものにやられて、食生活をグッと質素にしていたので(酒も控えていた)、復活の儀式として海鮮を腹一杯に食べることにした。

今回のツーリングもいつも通り「サッサと行ってサッサと帰る」ことにした。

ということで当日は朝の4時に起床。千葉に出かけるには異常に早起き。
これは、私のマゾ的なゴーストが「せっかくだから寒さも楽しめよ」とささやくのでそうした。
半端な時間に出て半端な寒さを感じるくらいなら、絶頂に寒い時間帯に出て、寒さをじっくりと味わいたい。

今回は、持っている防寒着はフル装備で出かけることにした。
この、朝の着替えの時間からしてすでに楽しい。
出かけるための服を着るだけでこんなにも慎重になるのは、登山家とライダーくらいなものだろうか?
時速100キロの速度で風を切って走るので、ほんの少しの隙間があれば、そこから風が切り込むように入ってくる。
ヒートテックのパンツを履き、ヒートテックのシャツを着て、さらにロングTを着込む。
デニムパンツを履き、シャツをしっかりとパンツに入れる。
ここで「ハクキンカイロ」に火を入れてベルト入れ、ロングTの上に巻き付けて腰に当たるようにする。


ハクキンカイロさん

この上からトレーナーを着て、オーバーパンツを履いてトレーナーをイン。
そしてその上に「工事現場の人が着るシャカシャカ」(防風効果があるとTwitterの友人が教えてくれた)を着込んで、首にネックウォーマーを巻いてN3-Bを着込む。
帽子をかぶり、エンジニアブーツに足を入れてベルトを締める。


「工事現場の人が着るシャカシャカ」

正直に言って暑い。早く走りたくなる。

はやる気持ちを抑えながら、バイクを近所の公園まで押して歩き、もう一度自分の装備に異常はないか確認して、エンジン点火。
2週間以上も回してなかったのに、エンジンはすこぶる快調に回っている。
ネックウォーマーを鼻まで上げて、ヘルメットをかぶり、グローブを二重にはめて5時。静かに発進。

いつもは湾岸経由で千葉に行くのだが、今回はアクアラインまで下の道で行くことにした。

真っ暗で誰も走っていない道を、夜を背負って走っているような感じがしてワクワクする。
防寒装備は効果を上げて、寒さはまったく感じない。
ためしにヘルメットのシールドを上げてみると、やはり切り込むような風が入ってくる。

6時20分。自宅から45キロ。アクアラインの海ほたるPAに到着。

自宅を出て1時間半で45キロ。下道を走るのに思ったよりも時間がかかった。
昼の交通情報では常に満車の海ほたるも、さすがにこの時間だと空いている。
それでもガランとしている訳ではなく、そこそこに人はいる。
立ち食いそばくらいはやっているだろうと思っていたが、食事どころはすべて営業していなかった。
仕方なくコンビニでピザまんと缶コーヒーで朝食。
クルマの人がみんなガクガクブルブル震えているのに、私だけ重装備でもっさりしているのが面白い。


この辺りで東の空が赤くなり、空が白み始める。

再び重装備にフタをして、次はアクアラインの海上部分をひた走る。

どこでもそうだけど、橋はバイクにとっては風が怖い場所だ。
特にアクアラインはクルマで走っていても風に煽られて恐怖を感じることが多い。
しかしこの日は奇跡的に無風だった。
道路脇に設置してある鯉のぼり状のアレも、しょんぼりとしていた。
いつも風に悩まされる館山道も無風で、こちらは道路脇のススキの穂がまったく揺れていないことで確認出来た。

素晴らしい。

そのまま館山道を終点まで走り、目についたコンビニで休憩。7時半。
よく分からないが仕事の人が多くていたたまれない気持ちになる。
ここで地図を見て、房総半島の海沿いを走るのは止めて、山を越えることにした。
誰も走っていなくて、信号の無い峠道をゆっくりと流す。
都会では絶対に味わえないゼイタクな時間。


ドコドコ走って海沿いに出たので、小さな漁港に寄った。


ここで久しぶりに太平洋に出会った。

ここからはチョイチョイバイクを止めて景色を見たり、写真を撮ったりしながらのんびりと海沿いを走る。


見事に曇天。

気持ちが高揚するのはきっと「自由」を感じているからなんだろうと思う。
止まろうが走ろうが、どこに行こうが自分の意志で決めることが出来る。
しかも歩いている訳じゃない。十二分に信頼出来て、そこそこ早い「足」がある。

9時過ぎ。自宅から159キロ。道の駅鴨川オーシャンパーク。

実は朝食が物足りなかったので、ここの裏手で豚汁の屋台でも出ているかと思って寄ってみた(かつて豚汁の屋台が出ていたのを見たことがある)。
がしかし、竹細工の屋台が出ているだけで食品は無かった。

ここで大休止。

次々に現れては消えるマスツーリングの皆さんを見送ったりしながら過ごした。
毎度のことではあるけど、ソロツーリングの人はあんまり見かけない。自分だけだ。
以前に見かけたことがあるが、とある道の駅のベンチに寝っ転がって、ずーっと携帯をカチカチしているソロツーリングの人を見た。
たぶん一時間くらいそこにいたと思う。
「わざわざツーリングに来て何をしているんだ…」
と思ったが、今になって考えれば、その人は、そのベンチで寝っ転がって携帯をカチカチさせるためにわざわざツーリングに出かけたのだと思う。
自分も似たようなものだ。

10時過ぎ、目指す食事どころ「まるよ」さんを見つけて、その横のコンビニで開店待ち。
開店と同時に店に入った。
その後も、バイク軍団やカップルや家族連れなどが次々に入店してくる。

という訳で、本日の目的である「トロサーモンいくら丼」(1600円)がやってきた。
これを完璧に破壊するのが本日の作戦だ。







わさびを溶いた醤油をかけ、一瞬にしてこれの破壊に成功した。
ほんの少しだけ残念だったのは、お茶がなくて水だったこと。
お茶があれば、さらにこの美味しさを補完出来たと思う。
けっこう大切だが、見落としがちな部分ではある。

お店が開店して30分。11時に帰路につくことにした。

128号線を戻り、県道89号線で半島を横断するように館山道を目指す。
誰も走っていない。最高に気持ちいい。

12時。自宅から196キロ。道の駅富楽里とみやま。

13時。自宅から249キロ。アクアライン、海ほたる。7時間ぶりに戻って来た。

2ちゃんねるで見かけて、去年買って来たグローブ。
ワークマンで980円だったかな?価格の割りにはまあまあの暖かさ。
ただし、インナーがボロボロになって、装着しにくくなった。
薄手の手袋をしてからこれを装着するのだが、これでも指先は寒くて少し痛くなる。



15時。自宅から297キロ。地元に帰着した。

まだ明るかったので、すぐに洗車して、乾かすためにひとっ走りして、満タンに給油した。

これで今年のツーリングはおしまい。
上記の「工事現場のシャカシャカ」が予想以上に効果を上げたので、年明けにもまた走りに行けると思う。

XL883N、今年も楽しいツーリングをありがとう!また来年も遠い場所に走りに行こう!
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もっふもふ!那須アルパカツーリング!

2010-11-29 | ツーリング
11月28日(日)に、栃木県那須高原の「アルパカ牧場」に行ってきた。

理由はもちろん、Perfumeののっち師匠が過去に訪れたからである。

当日は6時に家を出ようと考えていたが、考えているうちに寒くなってきて萎え、7時に出ようと決めて7時に起きた。そそくさと準備を整え、7時45分に家を出た。
いつもは中央道か東名か千葉に行ってしまうので、東北道は実に久しぶりだった。
というか、バイクで東北道は初めてだ。

まだまだ寒くなる季節だが、念のために持っている冬装備は、ヒートテックとハクキンカイロ以外すべて着込んだ。

ロングTシャツ
ロングセーター
トレーナー
ネックウォーマー
N3-B
南海のオーバーパンツ
ワークマンで980円で買った手袋

正直、バイクに乗っていなければかなり暑い。

しかし、勢いよく中央道に乗り走り始めると、N3-Bのチャックの隙間から侵入してくる風が冷たい。
ゾッと鳥肌が立つ寸前くらいの寒さに感じた。
この、チャックの隙間から侵入してくる風に対しては、何かしらの対策を立てなければなるまい。

8時45分。大した渋滞も無く、都心を抜けてに羽生PAに到着。自宅から86キロ。他にバイクを見かけない。
朝食を取っていなかったので、ここでうどんを食べた。
お陰で体温が暖まり、この間に気温もやや上昇したようだった。
天気が良くて気持ちいい。

10時。上河内SA。自宅から157キロ。
栃木に入った瞬間から濃霧に見舞われた。
そして、天候はどんより気味になった。

10時47分。思ったより早くガス欠のランプがついたので、那須の手前で下の道に降りて給油した。
このまま下の4号線で北上しようと考えたが、やめなさいと私のゴーストが囁くので、再び東北道に乗って行くことにした。

11時45分。アルパカ牧場に到着。自宅から231キロ。
アルパカ牧場のHPのアクセスマップが若干間違っていることを確認した(それでも到着できる)。



防寒具が脱げないほどに寒いので、そのままの格好で見ることにした。

到着して改めて確認したが、一人でアルパカ牧場に来ているのは私だけだった。
前後左右をカップルや幸せそうな家族に囲まれて入場した(入場料は800円)。

それでは、ここからアルパカ写真館のスタートです♪



中に入って、ちょっと山を登ると…いたいたいたー!



お腹が空いているのか、じーっと見られます。



「食べ物もってるかーい?」



「おなかすいたー!」



「僕はもふもふしてるよう!」



「俺ももふもふしてんぞ」



このガチャガチャでエサを買います。1カプセル200円。



エサを手に置いて差し出すと…。



もしゃもしゃと食べて、ぺろぺろ手を舐めてくれます♪



もしゃもしゃ♪



癒される光景です…。



おしっこは遠くを見つめて。「お、お、お、お、お」



こっち見んな



こっち見んな



こっち見んな







こっち来んな



こっち見んな



笑うな



「お、お、お、お、お」



こっち見んな



こっち見んな



こっち見んな



あっち見んな



節子…それ紙やで…



こっち見んな


入場した瞬間から、アルパカに向かって「おいおい、ちょっと待てよう!」とか「おやおや!食いしん坊だねえ!」とか「こっち向いてー!」などと、思わず独り言全開になってしまった。
のっち師匠が体験した「アルパカとお散歩」に挑戦するつもりだったが、さすがにそれは自重した。
私は一人焼き肉も一人シェーキーズも真顔で普通に行けるが、あそこに一人で行く勇気はなかった。
しかし、のっち師匠があれだけ興奮する理由は痛いほど分かった。
アルパカを見ると感電する。

まあ、またいつでも来ればいいと思い、その後はお土産屋さんに寄付をして、13時ごろ牧場を後にした。



14時20分。佐野SAまで戻って来た。自宅から348キロ。
帰ってくれば帰ってくるほど気温が上がってくる。給油と食事をした。
電光掲示板に「通行止め」という文字を見た気がしたが、やはり岩槻~浦和間が事故のために通行止めになっていた。
バイクの場合は、クルマとは違って走っている間に情報を収集することが出来ない。
東北道はあまり慣れていないので、渋滞のことなども頭をよぎり、ふむ~と唸っている間に通行止めは解除された。ホッと胸を撫で下ろす。

そして走り出したら、浦和でまた新しい事故が発生していた。

その後は大きな渋滞も無く、都心を抜けるのにやや疲れたが、なんとか地元までたどり着いた。

16時53分。自宅に到着。走行距離455キロ。

実に楽しい小旅行でした~。
年内にもう一度くらいツーリングに行きたい!
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千葉暴走!V8モンスターとの対決!そして納車一周年♪

2010-09-30 | ツーリング
寝坊した。
待ち合わせは八時に京葉道の幕張PA。
起きたのが七時。

調布から乗っかって、渋滞もなく、なんとか五分遅刻ほどで到着できた。
数日前まではかなり寒かったので、フル防寒も考えていたが、カラッと素晴らしい秋晴れになった。
しかし、ヒートテックにトレーナー、その上にまたトレーナーとカッパを着込んで行った。

9月26日、TwitterのPerfumeクラスタの方と三人で千葉にツーリングに行った。以前に静岡までガンダムを一緒に見に行ったHさんと、V8のモンスターカーで参戦のJさんと。
千葉は房総半島をぐるっと暴走する。



↑左がHさんのFXST、真ん中が私のXL883N、右がV8モンスター。


今回は、ガソリンタンクが小さい私に合わせて、給油タイミングを休憩に当てるような感じに行程をセッティングしてもらった。

行程を簡単に説明すると

幕張PA

館山道市原SA

127号線で房総半島最南端

そのまま太平洋側を走って九十九里まで

途中でクジラ料理

東金道路で帰還

というコースだ。本当にまるっと房総半島を回る。

二週間ほど前だったら、大混雑していたであろうポイントは、ことごとく空いていて、暑くもなく寒くもなく風が心地よい。
千葉の都会を抜けて、房総半島の真ん中を過ぎる頃から景色が変わってくる。
空が青く、木々が瑞々しい色合いに見えてくる。
そして、待ちに待った海が見えてくる。

これが千葉の楽しさ!

房総半島の最南端を過ぎて、房総フラワーラインを走る。
左にモコモコとした山並みを見て、右には海と空。
前を走るJさんのV8モンスターマシンと、背後を走るHさんのFXST。
潮の香りがする風を全身に受けて、太陽はやや強めの光線を注いでくる。





「目の保養」なんてレベルではなく「脳の保養」とでも言えばいいのだろうか。
走っているだけで血液がサラサラになるような感覚を味わった。

ちょくちょく休憩を挟みながら、13時ごろに目的地であるクジラ料理の「くじら家」に到着。
HさんとJさんは「くじら御膳」を頼んだが、私は食べきれなさそうだったので「くじらのステーキ定食」を注文。
小学校のときに給食で出されたクジラの話しなどをしながら食べた。



↑見ただけで分かるでしょうが、美味しかった!


そして後はひたすらに九十九里を目指して上がって行く。
途中で地元のお祭りのために、かなり激しい渋滞に見舞われたが、なんとか東金道路に入り、いつもの千葉の渋滞に遭遇した。
しかしJさんが華麗に抜け道を先導してくれて、たぶん幕張あたりのロイヤルホストに落ち着いた。
ここまで、食事を除いてわりとしっかりと走った。
ドッと疲れが出てくる。
しかし、楽しいおしゃべりでリフレッシュして、食事も済ませて充電完了!
では解散!というところで、いい感じに雨が降って来た。

JさんのモンスターV8とお別れして、バイク組は東関道に乗り、雨の中を走る。
私は乱視気味なので、夜の雨になるとかなり視界が悪くなる。
路面やテールランプなどの明かりが混ざり合って、距離感がつかめなくなるのだ。
なので、かなり緩やかに走り、有明JCTでHさんとお別れした。

そしてレインボーブリッジを渡っているときに事件は起きた。

毎度の事だが、レインボーブリッジは、お台場から芝浦に抜けて行く途中で渋滞になっている。
芝浦の辺りで渋滞の最後尾が発生している。
今回も渋滞の最後尾を見つけたので、緩やかにブレーキを踏んだ。

しかし減速しない。

「あれ?」

と感じたときには後輪が横に滑って行った。

次の瞬間に後輪のブレーキを離し、後輪が制動力を持ちはじめたので、車体をまっすぐに直してそのまま減速するまで待って、もう一度ブレーキを踏んで制動した。

私は臆病者なので、普段から車間距離は多めに取る事にしている。

もしもこの場面で車間距離を取らずに、尚かつカーブなどであれば、確実に事故を起こしていただろう。

危なかった。

思えば雨の日に高速に乗るのは初めての体験だった。
路面が乾燥しているのと同じ感覚でブレーキを踏んでしまった。
ちなみに、タイヤの溝はまだまだ十分にある。

そこからは、超優良ライダーの見本のような走行で家まで走った。

総走行距離→ワカニャイ!ミテニャイ!

素晴らしいツーリングだった。
HさんもJさんも「凶器」といっても過言ではないほどのマシンに乗っていながら、それを微塵も感じさせない、穏やかで紳士的な走りだった。
「運転」には、その人の「器の大きさ」がにじみ出てくると思う。
余裕が無い走りをしている人は「なぜ自分には余裕が無いのか?」と自問する事が出来ない。
自分の余裕の無さを他人のせいにして走る。
しかし、HさんもJさんも、実に余裕のある走りだった。
心が大きいのだろうと思う。

そしてこのツーリングの前日に、走行メーターが10,000キロを記録した。






納車一年で一万キロ。まずまずのペースだと思う。
一年点検にも出して、保険の更新もした。
この一年で、故障したところは、ウインカーの水たまりによる玉切れくらいだろうか。
それと、若干のオイルのにじみ。
もっと故障に泣かされるのかと思っていたが、かなり丈夫だ。
それよりも、乗っている人間の方が故障している。

来年の今ごろには、確実に二万キロを越えていたいと願う。


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東静岡ガンダムツーリング!

2010-07-26 | ツーリング
という訳で、梅雨開けしてからツーリング熱が高まっている。
先日の日曜日、Twitterで知り合ったHさんと、東静岡までガンダムを見に行くツーリングに出かけた。

まずは画像をお楽しみくださいませ。





































Hさんと私は

・偶然にも同じPerfumeファン
・偶然にも同じハーレーライダー
・偶然にも同じエンジニアブーツを履いている
・偶然にも同い年
・偶然にも実はたいしてハーレーマニアでもない

という、異性だったら間違いなく結婚するしか他に道はないレベルの間柄である。
もちろん、お互いにTwitter上では会話をしているが、会うのは初めて。
つまり、ツーリングも兼ねたPerfumeオフ会になった。
ガンダムを見に行く、というのはHさんの提案(実は自分も同じことを考えていた!)。

ハッキリ言って、結構な「冒険」である。
単なるオフ会で、酒を飲んで話すだけだったらそれほど気を使うこともないが、出会い頭にいきなりバイクを並べてツーリングに出かけるのだ。
ノリが合わない人であれば、かなり苦痛な時間を過ごす羽目になるかもしれない。

それに、私にとっては、初めての「単独以外のツーリング」だ。
今までは自分勝手に走って独りで満足していたが、今度は相手がいる。
自分独りだけ満足してはいけない。
と、そんな気負いも背負いながらTwitter上で「俺は早朝クラスタだから、どんなに朝が早くてもヘッチャラだぜ!」と見栄を切ったら、海老名SAに朝の6時に集合という結果になってしまった。

なので4時に起床。

5時に家を出るつもりが、寸前にカギがどうしても見つからないハプニングが発生して慌てる慌てる。
なんとか6時10分前に海老名SAに到着できた。
道も空いていて、風も涼しく、気持よく目が覚める。

まもなく、Hさんが到着。
あ。どうもどうも。あ。はじめまして。などという挨拶を交わした後に、目の前のロッテリアで朝食を取りながらいきなり濃厚なPerfumeトークが炸裂。
海老名SAで今日のツーリングの作戦を立てる予定が、すっかりPerfumeオフの会場になってしまった。
予想していたとおり、Hさんは優しい雰囲気の方でとても話しやすい。早朝からメチャメチャ楽しくなった。


手前が私のXL883N。奥がHさんのFXST。カッコエエ!

私は、海老名に滞在する時間が長いと、この先の厚木で渋滞に巻き込まれる可能性が高いと判断し、もうちょっと先まで進んで作戦を練る提案をし、そのまま足柄SAまで足を延ばすことになった。
足柄まで行けば渋滞の恐れはなくなる。

お互いに100キロ巡航と決めて、足柄SAまで走った。

ここでやっとツーリングの作戦会議をして、Hさんが先導でまずは「羽衣の松」を見に行くことに決定。ともかく時間がまだまだたっぷりある。
やはり道路は空いていて、スイスイと走って羽衣の松に到着。





駐車場のおじさんに、松に関する極秘情報を教えてもらったり、かき氷を食べて身体をクールダウンしたり、のんびりとできた(この時点から凄まじい暑さが!)。

ここで10時を過ぎていたので、いよいよガンダム参りに東静岡に向けて出発!

やはりHさん先導で(かなり「地図勘?」が鋭い方だと感じた。そして実際に鋭い)、東静岡駅の「グランシップ」横に到着。
事前の情報では、県外からのクルマの違法駐車などで混乱しているとのことだったので、覚悟を決めて来たが、拍子抜けするほどあっさりとバイクを駐車できた。あれ?

「グランシップ」からは、線路を挟んで反対側になるが、すでにそこからガンダムが見えてワクワクする。
なんといっても、「静岡ホビーフェア」開催二日目の日曜日なので、大混雑を予想していたが、会場に着くと、かなり空いていた(ちなみに私は秋葉原の「ガンダムカフェ」に、開店の二週目に行ったが、ここは店に入るまで二時間半ほど並んだ)。

皆さんもご存じのとおり、私は古参のジオン兵である。

正直に言って、連邦のモビルスーツには大して興味はない。
言ってみれば「偵察」のようなものだ。
「おやおや!あんな派手なカラーリングで!連邦も馬鹿だね~」
などと、一歩間違えば上官を刺激するような発言でヘラヘラと連邦の白いヤツに接近していったが、近づけば近づくほど言葉を失っていった。

メチョメチョカッコいい!!

古参ジオン兵としても、文句のつけどころが一つもない!

パーフェクト!!

遠くから見ても、間近に見ても、全体のバランスや質感や塗装や注意書きなど、リアリティがあった!
「どうしても文句を言え!」と言われれば、ビームサーベルを持つ右手がやや軽い感じがしたことくらいか。

ガンダムの真下に入れるのは、一集団で2分間(行列していたが、これも大して待たなかった)。
「はいどうぞ~」と言われた瞬間に駆け寄って足をペロンペロン舐めたい衝動に駆られたが、Hさんを気遣ってグッと我慢した。

お互い夢中になって撮影をした後、ちょっと暑さで脳が溶け出してきたので、グランシップの中でクールダウン。
ここでも作戦会議をして、昼食を焼津港で取ることに決定。
再びHさん先導で焼津港まで移動。

海を左に見ながら、空いている150号線をひた走り、途中から416号線に入って(一瞬だけ海の上を走る!)グイグイ高度を上げて高い場所から海を見ながら焼津港へ。
目的の食事処は見つからなかったが、美味しそうな食堂があったのでそこで昼食に。

Hさんは刺身定食。私はマグロ漬け丼(酢飯チェンジで780円)を注文。



最高なお味!一瞬で食べてしまった。

Perfumeの話→Twitterの話→バイクの話→Perfumeの話…。

バイクを降りれば、いくらでも話すことが溢れでてくる。
それでも、帰りの渋滞のことを考えれば、早めに帰路についたほうがいい。
名残惜しいが、ここで帰路に。



帰りは焼津インターから東名に乗り、富士川SA、中井PAで休憩しながら帰った。
一応、中井PAで解散の挨拶をしたが、結局Hさんが下りる横浜町田までは一緒に走って帰った。
言うまでもなく、今日も事故渋滞&帰宅渋滞のコンボ。
暑さと日焼けでかなり疲労したが、何とも言えない充足感が胸にたまる。

20時半ごろ、無事に帰宅。
走行距離407キロだった。

生まれて初めての単独以外のツーリングだったが、こんなにも楽しいものとは思わなかった。
今までずっと独りで走っていたが、時間の流れ方がまったく違うことに驚いた。
そして、ガンダムや景色や食事なども良かったが、何よりもHさんの人柄が良かった。ほとんど後ろから付いていく格好になったが、とても紳士的な走り方で(実は自分も走り方「だけ」は紳士)、なんだか嬉しかった。
それが今回のツーリングの一番の収穫だったと思う。

とても良いコースだったので、また近いうちに走りたい。
本当に楽しかった~♪
書きたいことの半分くらいだけど、続きはまたどこか一緒に走ったときに書けるだろう。
コメント (10)
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梅雨明けで復讐ツーリング!富士山五合目行って涼んでくるぜ!

2010-07-19 | ツーリング
昨日(7月18日)、本当に久しぶりにツーリングに出かけた。
曇天続きで、地元を乗り回すだけだったので、それに対する復讐だ。

連休中で高速道路でも一般道でも、どこでも凄まじい混雑が予想できたので、混雑が始まる前にとっとと出かけ、昼ごろには帰ってくる予定で、富士山の五合目まで行って来た。

テーマは「ともかくサッサと動く」である。

朝の4時に起床する。

元々毎日5時に起床しているので、これは低めのハードルだが、普通の人にはちょっと難しい事かもしれない。
しかし、これでかなりの時間を節約することができる。

5時過ぎ。

モゾモゾと用意をし、家を出る。
服装は迷ったが、半袖のポロシャツに、薄手のパーカーで出発した。
富士山を目指すには薄着だが、寝ぼけていたのかもしれない。
しかし、天候の変化に対応できるように、カッパはサイドバッグに入れておいた。

調布から中央道へ。
ちょっとびっくりしたが、この時間でも中央道は空いてはいなかった。
混んでいるわけでもないが、80キロ巡航でそこそこクルマが走っている。
朝に強い人達なのだろう。
走りだすと、朝のひんやりした空気が心地良く、気持よく目がさめてくる。
XL883Nも、久しぶりの遠出でルンルンしているようで、自分も嬉しくなってくる。

6時過ぎ。

談合坂SAに到着。
バイクの駐輪場には、すでに多くのライダーさんが集結している。
独りなのは自分だけなのかな?まあそれはどうでもいい。
缶コーヒーを飲んで、サッサと出発。

7時前。

河口湖から下道に下りる。自宅から90キロ。
これから入る富士スバルラインは、往復が約60キロあり、もちろん途中にガソリンスタンドはない。なので、ここで一回給油をした。
この時点で、電光掲示板に「駐車場空き待ち渋滞3キロ」の表示を見て驚いた。
大丈夫なのだろうか…?

すぐにスバルラインに突入した。
しかし、入ってすぐに凄まじい寒さに襲われる。
ブルブル震えながら走っていたが、ここで心が折れた。
路肩に止めて、カッパを着る。

「カッパごときで防げるのか?」と不安だったが、思った以上に効果を発揮してくれた。危なかった。カッパがなければ断念していただろう。

バイクはスイスイを緩やかな坂を登っていき、少しずつ高度を上げていく。

似たような木々の景色を見ながら走っていると、三合目を過ぎたあたりで、劇的に景色の「見え方」が変わる。
ヘルメットの中で「おお!」と叫んでしまうくらいに景色が変わる。

「景色が変わる」と言っても、木々が変化するのではなく、「見え方」が変わるのだ。
太陽の光の差し方が変わる。
それまで霞がかっていた遠い場所まで、すっきりと視界が晴れてくる。
山に登ることが多い人にしてみれば、当たり前の感覚なのだろうが、これには驚いた。

それからは、景色の見え方に驚くばかりで、あっという間に進んで行った。
何だか、五合目に到着してしまうのが惜しいくらいだった。
四合目くらいから、路肩の駐車が増えてくる。
そして、いよいよ五合目が近づいたころに、渋滞の最後尾に着いた。

雰囲気から察するに、この渋滞は動きそうにない。
どうしようか考えていると、ハーレーに乗ったおっさんが、反対車線を走って行った。
自分も続いて行くと、しばらく走ったところで渋滞が切れて、交通誘導のおじさんに止められる。
どうやら、五合目からシャトルバスが下りてくるらしい。
そのシャトルバスが通り過ぎたあとに、上りのシャトルバスが反対車線を上がっていく。

どうしてなのか理由は分からないが、バイクはその上りのシャトルバスと一緒に走って上っていいそうだ(恐らく自転車と同じ扱いなのだろう)。
あからさまに二輪が有利な展開に。

5分くらい待つと、シャトルバスと関係者?たちのクルマが下りてくる。
その後、シャトルバスを先頭にして、ハーレーのおっさんたちと共に渋滞の列を横目に反対車線を上がっていく。
なんとなく申し訳ない…。
お陰で、あっという間に五合目に到着した。

8時過ぎ。

標高約2300メートル。自宅から127キロ。

小学6年生以来の五合目なので、メチャメチャ興奮した。





いくらでも吸い込みたいほどの美味しい空気。
天候に恵まれて、遠くまで効く視界。
走って行けば登れそうなほどに近く感じる山頂。その上に輝く太陽も、いつもよりも近く感じる。
そして「音」がない!
下界では味わえない贅沢。これが一番気持ちよかったかもしれない。


山頂が近いと、富士山は平たく見える。

到着した時間は、下山してくる人が多いらしく、杖を持った人たちが続々と下りてくる。
先に下りてきた人たちだろうか?くたばって寝っ転がっている人たちも多い。
また、これから登る人たちもいる。外国から来ている人も多かった。

しばらく散策して、寄付のつもりでレストランで朝食。
一杯1000円のラーメンをいただく。
「よくこんなに不味いラーメンが作れるなあ!」と感心しながら食べる。
早く記憶から消し去りたい。

いつまでも景色を眺めていたかったが、サッサと下りる。
そう。五合目まで「涼みに」行ったのだが、歩いて動きまわるとかなり暑かった。
バイクで走るとかなり涼しいのだが、太陽光線がクリアに当たるからだろう。

帰りも同じく、交通誘導のおじさんに止められる。
5分くらい待っていると、前にいたBMW(バイク)のおっさんが、「自転車が行ってるんだからバイクも行かせろよ!」とおじさんに怒り出す。
高級なバイクに乗っているくせに、人間としての器は小さめだ。
「対向車線からバスが来るので、バイクは危ないんですよ」と交通誘導のおじさんが言うと、「じゃあ自転車も行かせるなよ!」などと言っている。
あまりにも子どもじみた発言に、すぐ後ろにいる自分が猛烈に恥ずかしくなる。
けっきょく、BMWのおっさんは、エンジンを吹かしたあとに静止を振りきって「馬鹿野郎!」とか言って走り去ってしまった。
周囲のクルマの人たちの視線が自分に降り注ぐ…。
いや…俺は仲間じゃありませんよ…。ちゃんと待ちますよ…。



その後すぐに上りのシャトルバスが通過して、スルスルと下りることができた。
上がりの渋滞はさらに長くなっていた。
恐らく最後尾のクルマが五合目に到着するのは3~4時間後くらいになるだろう。

山中湖方面に走りだした。
次の目的地は陸上自衛隊の「北富士演習場」だ。
ここは日曜日を中心に、一般に開放されている。
普段、陸上自衛隊の戦車などが走り回っている場所を見てみたいと思ったので、行くことにした。
138号線を山中湖方面に走ると、「北富士演習場」という標識が現れる。
事前にブログで読んでいたので、「これ以上は入れません」というゲートを突破して侵入する。
その後、もう一度ゲートが現れる。
「ふはは!俺を止めることは誰にも出来ない!」などと言ってゲートを突破したら、ヘルメットを被ったお兄さんが走りだしてきて私を止める。
どうやら、そこは本当に入ってはイケナイ場所だったらしい。

気を取りなおして演習場を進む。





路面が砂利なので、はっきり言ってハーレーには不利。
柔らかい操作をしないと、後輪が滑るし、前輪もロックしそうだ。
オフロードバイクなどで走ったらさぞ楽しいだろう。








74式戦車。昔プラモデルで作った。

しかし、いたるところに「不発弾を見つけたら連絡しろ」という看板が立っている。
これだけ立っているのであれば、不発弾は確実に落ちているんだろうなあ。
バイクを停めて奥地まで探検したかったが、野生の生き物がウヨウヨしていると私のゴーストがささやくので、ここもサッサと撤退。
絶景だった。
ちなみに、バイクはかなりホコリまみれになるので、汚したくない人は行けない場所だと思う。

そして山中湖を見て休憩し、帰路につく。



この時点でまだ11時。

道志みち経由で相模湖を抜けて、中央道で帰る。
途中、道の駅どうしで、鮎の塩焼きと豚汁で昼休憩。
鮎の塩焼きは、頭部だけを残し、骨ごと全部食べた。
甘みがあってとても美味しかった!



下り方面の酷い渋滞を横目に、スイスイ走って14時には帰宅した。
そしてジャジャっと洗車。

走行距離273キロ。
渋滞でイライラすることなく、思う存分走れて楽しいツーリングだった!
良いコースなので、また行ってみたい。
コメント (4)
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フェリーの旅、補完編。

2010-04-11 | ツーリング
東京から徳島までのフェリーの旅が楽しすぎたので、主に画像でフェリーの中の状況をご案内しま~す。
フェリーレポート、本編はこちら

私が乗ったフェリーは「オーシャン東九フェリー」の「おーしゃんのーす」という船。
ちょいと立派な「スタンダードフェリー」というランクと、経費削減の「カジュアルフェリー」というランクがあり、「おーしゃんのーす」は「カジュアルフェリー」でした。
これは、毎日交互に運行されています。



画像の右側の方から船内に入りました。
「オーシャンプラザ」という、玄関ロビーと食堂です。



この地図上で、現在地が大まかに分かるようになっています。



2階の「オーシャンホール」という展望室です。
ここにはほとんど来なかったな。



ちゃんと娯楽施設もあります。あるんです。



さりげなく椅子は固定されています。



これはパンの自販機。普通のパンです。







流しとレンジと、各種調味料があるので、料理っぽいことも可能です。
食ってるものがアレだが。



トラックの運ちゃんは、速攻で使っていた模様。
私も運転手時代は、洗濯に苦労しました。



無骨なデザインで、荒ぶる男の魂がくすぐられます。



真っ先に飛び乗るイメージトレーニングは完璧にしていました。



画像見ても、何食ったのか覚えていません。親子丼だったかな…。



翌日の朝かな~。



船首の方までデッキがあるのは、珍しいそうです。



右舷に陸地が見えなくなったので、驚いて撮影。

残った画像で使えそうなのは、こんな感じでした~。
それにしても楽しい旅だったなー。
時間とお金があれば、また行きたいです。
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会いに行きたいよ~遠い空間を~♪高知ツーリング後編!爆走800キロ!

2010-04-11 | ツーリング
4月2日~4日、Perfume【ファンクラブツアー『パッと楽しく遊ぼうの会』】高知公演に参戦するために、東京~高知を往復してきた。
当初は往復すべてを自走する予定だったが、友人の勧めもあり、往路はフェリーで東京から徳島まで行き、徳島から高知までを自走することにした。復路は高知から東京まで一気に走り抜ける。

東京から高知までのフェリーの旅はこちら

さて。
前夜に飲みすぎたために、5時起床7時発の予定が、8時起床となった。
800キロの長旅を前にして3時間の遅れである。
細かく手帳に行程を書き込んでいたが、そんなものはどうでも良くなった。
明日の仕事の開始時間までに帰れればいい。
今にして思えば、この「吹っ切れた感」が良かったのかもしれない。

ゆっくりとシャワーを浴びて、散らかった荷物をまとめてホテルを出る。
行きは背負っていた荷物だが、帰りは身体への負担になるので、リアフェンダーにすべてをくくり付ける。
ちなみに、XL883Nのリアフェンダーは、鉄製で、フレームにがっつりと接続されているので、そのまま人が乗っても耐えられる強度を持っている。
ウインカーも、国産車とは違って、フレームに固定されているのでフックとして十分な強度を持っている。逆に言うと、転倒したときのダメージは大きい。

モンベルのドライコンテナにバッグを入れて、二重にロープで固定して、ネットを被せる。
家に帰るまで一度も解かない予定なので、時間をかけて念入りに固定した。
最後にPerfumeのツアータオルを御守りにネットの中に入れて完成。



自分はポーターのウエストポーチだけを身体にたすきがけして行く。
これも、信頼性を上げるために、二重にベルトを装着してある。

「信用しない」

これが、私が今まで体験したツーリングや、職業運転手時代に得た教訓だ。
根拠もない信用が、トラブルや事故の元になる。
自分の運転技術、自分の装備、相手のクルマなど、根拠もなく信用すると、痛い目にあう。
以前の日記にも書いたが、前のクルマにぴったり寄って煽るクルマや、車線を縫うように走り抜けるバイクなどを見ると「よくもあんなに他人を信用して走れるな」と感心してしまう。

周囲のペースに飲み込まれても自分のペースを乱さずに、いつでもあらゆるトラブルを想定しながら、一定の巡航速度で走らなくてはならない。

寝坊したけど。

大きく深呼吸をしてから、「よろしくお願いします」と声をかけて、バイクのエンジンに火を入れた。

9時30分。0キロ。
東京に向けて出発した。
昨日に比べるとずいぶんと暖かくて、空気がやさしい。走るのが気持ちいい。
けっきょく高知の街を楽しむことはほとんどできなかった。
ヘルメットの中から、高知の街並みを目に焼き付けながら走った。
殺伐とした東京の街並みに比べると、心がとても和む、素敵な街だった。
いつか機会があれば、また訪れてみたい。

9時46分。南国PA。10キロ。
高速に乗ってすぐに休憩にした。給油。
ガソリンも底をついているし、朝飯も食べたいし、一度走ってから積荷のチェックもしたい。
あまり腹は減っていなかったので、山菜そばを食べる。
改めて今日一日の安全を願って、再び走り出す。
どうせドロドロの最後になるのだろう。という覚悟をした。
「腹をくくった」感じか。

11時34分。阿波PA。121キロ。
高知道から徳島道の真ん中あたりまで。天気がよく、風もないので距離を稼げた。
自分の場合、おおよそ100キロの移動で身体が疲れてくる。
身体の底から疲れが出ないうちになるべく距離を稼いでおきたい。

その後、藍住ICで徳島道を降りて、一般道で給油した。
一度バイクから降りるだけで、ちょっとした体力の回復になる。
板野ICから、今度は高松道へ。いよいよ四国から脱出だ。

12時36分。淡路ハイウェイオアシス。236キロ。
鳴門海峡を、かなりあっさりと通過してしまった!
どこかで橋を見物する場所があるのかと思ってたら、あっという間に通過。
風が不安だったが、奇跡的に無風だったようで、煽られることなく走り抜けた。
クルマとは違って、バイクは風の影響をモロに受ける。
XL883Nは、260キロの重量があるのでさほどでもないが、それでも強風だと一車線くらいは簡単に流される。
この区間は、かなりストイックに走った。
途中で何度もハーレー軍団を追い抜かしてきた。
その中のひとつの軍団を追い抜かすときに、一台がしばらく後ろにぴったりと付いて走ってきた。
「挨拶がないぞ!」とでも言いたいのだろうか?
申し訳ないが、こちらは自分ひとりが走るのに必死になっている。
今は交流は必要ない。
私の無関心ぶりに、離脱してくれた模様。

このハイウェイオアシスで、明石海峡大橋を眺めることができる。
出かける前からこの景色が見たかったので感激した。
ハーレーが合計で100台以上はいたかもしれない。
写真撮影だけして、わりと短時間でここを出る。




ゴチャゴチャ黒いのがハーレー軍団だ。
カメラを右に振ると、これの5倍はいる。

13時31分。吹田PA。300キロ。
阪神高速3号神戸線~名神高速へ。東京の首都高速を走っている気分。
もうずいぶん帰ってきた感を感じるが、それは錯覚。
食事をしようと思ったが、店内で芸人?みたいな人が大声で何かを宣伝していたので、バイクの給油だけで立ち去る。
肩がちょっと痛くなってきた。



たぶんこの辺で撮った画像。

14時37分。甲南PA。346キロ。
名神高速~京慈バイパス~草津JCT~新明神高速へ。
途中、向かい風が強すぎて、頭をまっすぐに保つのが辛いほどだった。体力をずいぶんと奪われた感じがした。
だけど、自分で決めた巡航速度は守りたい。
ここで昼飯を食べることにした。何故だか食欲はあまりない。
味噌ラーメンを半分だけ食べる。
身体は、全体的に疲れてきた。

16時14分。刈谷ハイウェイオアシス。472キロ。
新明神高速~東名阪自動車道~伊勢湾岸道へ。
ここに来てグッと身体の疲れが吹き出してきた。
肩とケツとヒジが痛い。
集中力も、自分ではっきり分かるほど落ちてきた。
あとは、出所の分からない恐怖も生まれる。高速走行が怖い。
やや風が強かったからかも知れない。
給油をして、トイレなどに行ってリフレッシュ。
汚い話だが、トイレでパンツを下ろす作業が、とても大きなリフレッシュになる。トイレじゃないところでパンツを下ろさないように気をつけたい。

18時08分。牧之原SA。595キロ。
伊勢湾岸道~東名高速へ!給油をした。
疲労も蓄積してきたが、この時点で一息で120キロ走った俺は偉い!
途中の豊田JCTの酷い渋滞を抜けて、浜名湖の誘惑を避けて、気合で走った!
ここで、完全に日が落ちた。
視界を確保するために、ヘルメットのシールドにべっとり付いた虫の死骸をふき取る。
この先、大井松田から先で渋滞35キロが発生しているとの情報を得る。
予定通りだから、それほどの落胆はなかった。
XL1200Nのオーナーさんに話しかけられたが、今にして思えば、ずいぶんそっけない対応をしてしまったかも。
追い詰められていると、思考の視野が極端に狭くなる。

19時50分。愛鷹PA。686キロ。
足柄PAまで行こうとしたが、肩とケツとヒジの痛みと、集中力が低下したのでくじけた。
身体をほぐすために運動運動!
とても弱い雨が降ったりやんだりしている。

20時21分。足柄PA。711キロ。
最後の給油をした。
いつもコメント欄でお世話になっている「赤い狐」さんからメールで「チョコレイトを食べろ!」との指令が来たので、売店を探すが工事中で遠いorz…。
仕方なく甘そうなコーヒーを飲んでリラックス&運動。
途中でやや強い雨になりかけたが、再び霧雨のような天候。
ヘルメットを脱がずにトイレに入ってしまったが、まだ意識ははっきりとしている。と思う。
気温が低くなってきて、かなり寒く感じた。
35キロ渋滞は、25キロ渋滞に縮んでいた。
東京に向かうための最後の試練だ!
気を張って行こう!

けっきょく、渋滞は解消の方向に進み、25キロ表示から15キロまで縮んだ。
朝の寝坊が、ここに来て効果を発揮したようだった。
予定通りに出発していれば、要所要所で渋滞に確実にはまっていたかも知れない。
完全に流れが止まるほどではなかったが、すり抜けをする時間が長かった。
もしも事故を起こすのであれば、ここが一番可能性が高いので、集中力を最大限に発揮する。
雨が強くなったり弱くなったりするが、ここまで来ればもう雨対策はしない。

21時29分。港北PA。779キロ。
疲労の限界を超えている。
身体の芯から疲れがあふれ出る。
「疲れの総合商社」だ。
PAで右往左往している人たちが、別の惑星の生き物のように感じられる。
ため息しか出ない。
気が抜けている。
「このタイミングで事故が起きるんだよなぁ~」
とぼんやりと考える。
こういったときにバイクの施錠、持ち物の管理などが甘くなる。
まだだ!まだ終わらんよ!

21時50分くらい。

疲労と集中力の限界を超えて、東名川崎を下りた~!
なんだかいつでもここを走るときには疲労しまくっている気がするw
信号で止まるたびにストレッチ。
今誰かに話しかけられてもきっと言葉は出ないだろう。
一般道に下りて、急に増える情報量についていくのが辛い。
信号などを見落とさないようにさらに気を張る!

22時38分。
途中、コンビニに寄り、ビールを購入して、ついに自宅までたどり着いた!
高知から東京まで、ジャスト800キロだった!

連続走行時間 13時間
総走行距離 1010キロ
走行料金 6,300円(内訳は不明)
給油 6回

自宅に帰り、スタンドをかけてバイクを降りても緊張を持続。
しっかりと施錠を確認、エンジンが冷えるのを待って、シートを被せる。
部屋に戻って防寒着を脱いでから、緊張を解いた。
頭がぼんやりとする。
部屋にいるのに、バイクのエンジン音が聴こえ、両手はブルブルと震えている。
鏡を見ると、たったの13時間でげっそりと痩せている自分がいた。
予定では、800キロを走るのに、12時間はかかるだろうと考えていた。
それに加えて予備として、渋滞の2時間をプラスして、最大で15時間は覚悟していた。
それが、13時間で終わるとは思いもしなかった。

翌日からしばらくは、背中から腰、両手のヒジから先、内股に筋肉痛が残った。
「心地よい」痛み。
痛みを抱えながらも、また毎日のつまらない生活に帰れるのが嬉しい。
「今度は、一日で1000キロ走ってやろうか?」
などと、妄想が再び首をもたげる。
きっとやるだろう。

私のXL883Nへ。

よくぞ走ってくれた!
途中で壊れると思って、工具を全部積んで走ったけど、どこにも不具合を感じずに走れた。
風がきつくて回せない時も、無風で飛ばせた時も、私の拙い運転技術に付き合ってくれてありがとう!
心の底から感謝する!
本当にありがとう。
また遠くまで行こう!
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会いに行きたいよ~遠い空間を~♪高知ツーリング前編!フェリーの旅!

2010-04-07 | ツーリング
4月2日~4日、Perfume【ファンクラブツアー『パッと楽しく遊ぼうの会』】高知公演に参戦するために、東京~高知を往復してきた。
当初は往復すべてを自走する予定だったが、友人の勧めもあり、往路はフェリーで東京から徳島まで行き、徳島から高知までを自走することにした。復路は高知から東京まで一気に走り抜ける。

両方をいっぺんに書くと凄まじく読みにくくなる(疲労する)と思うので、今日は前編として、東京から高知までのツーリングレポートをする。
後編はこちら

まずは前日の4月2日(金)。
うわの空で仕事を早めに切り上げて(ありがとう上司)、14時30分に帰宅した。
フェリーの出航は19時10分。自宅を出る時間は16時予定。
時間に余裕があったので、昨日完璧にチェックした荷物を、もう一度入念にチェックした。あらゆる角度から見ても荷物に抜かりはない。
往路は、自走距離が約200キロほどなので、高知に到着するまで荷物は背中に背負って移動することにした。フェリーの乗り降りを考えて、その方が面倒が少ないからだ。

入念過ぎる準備を整えて、XL883Nに「お願いいたします」と語りかけてからまたがった。
エンジンに火を入れて、じっくりと暖気して、16時ちょうどに出発した。
まず目指すのは東京港ターミナル。
フェリーに乗るのは生まれて初めてなので、期待と不安が入り混じる。
30代も半ばを過ぎて、こういった感情になれるのが嬉しい。
走り始めてすぐに、ケツ痛い病を防ぐためのシートを持ってくるのを忘れたことに気づいた。

17時45分。「本当にココかよ?」といった塩梅の「東京港フェリーターミナル」に到着した。すでに私が乗船するフェリー「おーしゃんのーす」が、がっつりと港に接岸していた。でかい!



いそいそとフェリー運行会社「オーシャン東九フェリー」のカウンターに走って、乗船名簿に記入。
カウンターのお姉さんは、私のような初心者でも完璧に理解できる丁寧な説明で、乗船の手順を教えてくれたので、ホッと安心できた。
これは重要なサービスポイントだと思う。

料金は、バイクの運送料込みで23,060円。

車両の乗船は18時からスタートで、それまでに番号の書かれた区画にバイクを持って行って整列する。
クルマが15台、バイクが10台くらいだっただろうか。
それ以外にもトラックが別口から乗り込んでいるようだった。
バイクは行き先の書いてある紙を、ヘッドライトに貼り付ける。
「おーしゃんのーす」は、東京を出て徳島まで行き、それから北九州の門司まで向かう。
バイクは4台が「徳島」と書かれた紙を貼り付けていた。



18時になると、いよいよ乗船する人たちが集結してきて、まずはクルマからフェリーに乗り込む。
次いで門司行きのバイクが乗り込み、私たち徳島行きは最後の乗船となった。

ちょうどフェリーの真ん中にぽっかり開いた乗り入れ口にバイクで上がっていく。
船内は広大な空間があり、バイクはバイクで端のほうに集結して停められた。
ギアをローに入れるように指示されて、係員が素早くバイクをベルトで固定していく。けっこう素早い動作だ。



興味深いシーンなので、もっと見ていたかったが、先に入ったバイクの人たちがサッサと移動するので、その波に乗って客室まで狭い階段を上がっていく。
一度デッキ(甲板)の上に出てから、エントランスロビーに入る。
客室乗務員にチケットを見せて、部屋を案内してもらう。
今回私が乗船する「おーしゃんのーす」は、「カジュアルフェリー」という階級で、すべての部屋が「2等寝室」になっている。
つまりはすべての部屋が2段ベッドの部屋だ。
私の部屋は214号室のA。最大で20人が入る大部屋の2段ベッドの下。





ここが翌日の昼過ぎまでの私の部屋になる。
荷物を降ろし、着ている防寒着と重いブーツを脱いで、さっそく船内の探検に出かける。
歌いだしそうなくらいに楽しい!

ロビーには、すでに人が多く出ていた。
速攻で洗濯しに行くトラックの運ちゃん、風呂に向かう人、いきなり食堂で何か食べてる人、熱心にカメラで撮影する人、ぼけっと海を見てる人。
ざっと船内を見て回ってから、私はやたら充実している(昨今の風潮と比べて)喫煙コーナーに陣取って、飲み放題のお茶を飲んで出航を待った。



しかし腹が減って仕方ないので、まずは飯を食うことに。
食事はすべて自動販売機の発売で、パン類、カップラーメン、冷凍食品など。
まずは冷凍食品の和風鮭パスタを食べる。





まあこんなもんでしょう、という味。
食べてる途中でエンジン音が船底から鳴り響く。思ったよりも大きい音だ。

しばらくお茶を飲みながら食堂(本当の名称はオーシャンプラザという)でボケっとしていると、エンジン音がさらに大きく聞こえる。
「う~ん。もうそろそろ出航かな」
などと思い、外を眺めてみたら、もう出航していた。

慌ててデッキに飛び出て、離れ行く東京を撮影した。
さよなら東京。また会う日まで~!



寒さが堪えたが、あまりにも幻想的な風景だったので、防寒着を着てデッキで外を眺めて過ごした。
海と地上の分れ目がぼやける。







再び喫煙コーナーでボケッと外を眺めながら過ごした。
今回の旅は、帰りが過酷になることは分かっている。
最後の最後、バイクのスタンドを立てるときまで気が抜けない旅になる。

途中にPerfumeのライヴという楽しい時間もあるが。

色々な想いが錯綜してくるが、なんだかやることもないので、とりあえず晩酌でもすることにした。
晩酌のつまみは柿ピーと、真っ暗な海だ。
BGMは船底から響くエンジン音と、揺れてきしむ船内設備の音。
ゴォ~ンという音とギシギシという音の同時プレイ。
普段は飲まない超高級ビールをプシュ!と開ける。

この時間帯にブログのネタや、これからのスケジュールなどを考えようと思っていたが、それは全部中止にして、ひたすらボケッと飲み続ける。
なんにもしないのが良さそうだ。
食堂や喫煙コーナーも、人がまばらで嬉しい。
フェリーは外洋に出たのか、縦に大きく揺れる感じがする。



「このゴー!って音は船の音なの?」
しばらくぼんやりしていると、急に背後から声をかけられた。
後ろに座ってコーラを飲んでいるおばちゃんだった。

それから2時間くらい、おばちゃんの話に付き合った。
おばちゃんは、息子さんと二人で熊本からクルマの自走で東京まで走り、帰りは徳島から熊本まで帰るらしい。
それ以外にも、凄まじくプライベートな話しを、ややうんざりするくらいに聞けた。
でも、こんな旅にでも出ない限り、私が熊本のおばちゃんとじっくり話す機会なんて絶対にない。
おばちゃんは、コーラで酔っ払っているのか、私にとってはあまりにも自由なトークを繰り広げてきて、途中から80年代のヘビメタバンドのボーカルにインタビューしている気分になった。
酔っ払った勢いで、客室乗務員の若いお兄さんを捕まえて、色々と聞いてみたが、やはり昨今の高速道路の料金値下げの影響を喰らって、経営状況は芳しくはないそうだ。
おばちゃんへのインタビューは無事に終了し、わたしもグデングデンに酔っ払って寝床についた。たぶん12時くらい。
フェリーは、横には揺れないが、縦に大きく揺れ続けた。
時おり、船首を大きく持ち上げて海に突っ込むような感覚があった(実際にはそんなことはないと思うが)。
ダメな人には確実にダメな状況なんだと思う。

翌朝は5時に起床。
誰もいないデッキで海を見ようと外に出たら、若い女性が一人、デッキの後方で海を見ていた。
上手いことここでロマンスを繰り広げるつもりはさらさらなく、無遠慮に海をバシャバシャ撮影した。
フェリーはどこを走っているのか分からないが、デッキに吹く風は猛烈な勢いで、どこかに飛ばされそうなほどだった。





ここは確実に人はいないだろうと、展望風呂につかる。
湯船は船の揺れに反応して、ダイナミックに荒れている。
じっくりとお湯につかって身体を温めた。





朝食も誰もいない食堂でチリヌードル。
私は一泊の旅だからいいが、北九州までの2泊だと、この食事環境はやや苛酷だろうか。



チラホラと人が出てきたところで自室まで帰り、荷物の取りまとめと軽く睡眠。
このときからしばらく、携帯の電波が届かなくなった。
私の携帯の待ち受け画面はPerfumeなのだが、電波が届かないと3人が肩を寄せ合って励ましあう画面になる。とてつもなく可愛いw
職人さんどうもありがとう。



再び喫煙コーナーに戻って、ぼんやりと海を見て過ごそう…と計画していたが、昨日のおばちゃんに捕まる。
またたっぷりとおばちゃんのインタビューをしながら徳島に接近してきた。
私が席を立つたびに、「それじゃ兄ちゃん!気をつけて旅をするんだよ!またどこかで会ったら声かけてね!さようなら!さようなら!」と別れの挨拶をされるが、その5分後に再会する。これを何度か繰り返しているうちに、いよいよフェリーは徳島に接近していたようだ。

航海を始めてから、ずっと右側にしか見えなかった陸地が、左側にも現れる。
徳島は快晴。東京と同じく、やや寂しい感じの風景が広がっている。
巨大な船体をジワジワと操って、衝撃もなく見事に接岸。



同時に下船の準備に取り掛かって、乗船のときとは比べ物にならないほどの速さでフェリーを降りることができた。
おばちゃんが、わざわざバイクのところまで来てくれて、別れの挨拶をしてくれた。
二度と会うことはないと思うが、おばちゃんの旅の安全も願う。

これでフェリーの旅は終わった。

はっきり言う。

メチャクチャ楽しい!

高速道路の料金値下げで、経営が圧迫されてると言うが、そんな些細なことに影響を受けるようなものではないと感じた。
客室乗務員は2名しかいなかったが、とても心のこもったサービスを受けられたし、ハードロッカーのおばちゃんとの交流も楽しかった。
何より、酒を飲みながら移動できるのは嬉しい。
時間に余裕がなければ参加できない旅だが、こんなに楽しいのであれば、もっと他のフェリーにも乗ってみたいと思った。
同じく影響を受けている電車だが、過去に北斗星に乗って北海道まで行ったことがある。
この旅も最高に楽しめた。
こういった路線が次々となくなってしまうのは、人類として何か大きな間違いを犯していると思う。
早くて安ければなんでもいい訳ではない。
陳腐な言葉だが、ゆっくりと歩く速度でしか見えない景色というものがある。
船内で、ずっと何かをノートに書きなぐっているお兄さんがいた。
何を書いているのかは分からないけど、そんな真似はクルマの中では出来ないことだ。
そういった楽しみ方が、フェリーにはあった。

13時24分。
XL883Nと私は徳島の地に降り立った。



正直に告白すると、港から徳島道へのルートを検索していなかった。
ぼんやりと覚えているルートで、徳島道を目指す。
知らない土地に来ると、必ずスケール認識の甘さを痛感する。
「だいたいこんなモンだろうな」と思う距離に差が生まれるのだ。
たぶん間違ってはいないと思われるルートを走ったが、間違えていたら大変なので、途中の交番に駆け込んで徳島道までのルートを確認した。
すんばらしく優しいお巡りさんに聞いて、ルートが間違っていないことを確認。
同時に、徳島道まで、自分が思っていたよりも距離があることも認識。
ちょっと飛ばさないと時間がなくなるかも知れない。

やっと徳島道にたどり着いて「いざ爆進!」と思ったが、なんと!片側一車線の高速道路だった!
ゆっくりと安全運転する人たちについていきながら、途中にある追い越し車線で追い抜きながら高知を目指す。
「ひょっとして、ガソリンスタンドがない高速道路ですか?」
という疑問が浮かんだが、ハイウェイオアシスがあることを走りながら確認。

14時49分。
自宅から130キロ走行。吉野川ハイウェイオアシスに到着して給油。
とにかく風が強くて速度が出せない。でもキレイな桜が!



15時35分。
自宅から171キロ走行。高知道に入って立川PAにてタバコ休憩。予定ではホテルに着いている時間だ。ちょっと遅れている。
高知道は、ともかくトンネルが多くて驚いた。
しかし、走っている皆さんは中々高速で飛ばしているので、見知らぬ土地を走る自分にも安心だ。遠慮なく追い抜かします。
しかし、風が強くて突っ走るのがきついきつい!
それに、真冬の装備でも全然寒かった!

16時24分。
無事にホテルまでバイクを運ぶことが出来た!
自宅から210キロ走行。
初めはとても目立つ駐車場に案内されたが、従業員用のスペースを貸してくれることになった。
さてはて!あと1時間半で開場の時間になる。

楽しい楽しいライヴの時間が終われば、次は過酷な800キロ走行が待ち構えている…!どれだけ壊れるのか!?
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高知ツーリングに向けての練習と実験。

2010-03-16 | ツーリング
4月の頭に、Perfumeのツアーに参戦するために、高知までツーリングに行く。
片道で800キロの行程になる。
クルマであれば、一日800キロというのはそんなに苦でもないが、2輪で800キロ走破というのは、中々の荒行だと思える。
まして、今まで2輪で走った最高距離が、大阪までの500キロだ。
ついでに言うと、免許を取ったのが去年の夏です。

往路は途中の大阪あたりで一泊を設けているので心配はないが、気になるのは復路のことだ。
ライヴが終わったら、ホテルで一泊して、朝から東京に向けて一日で800キロを走る。

言うまでもなく、無謀だ。

という訳で、日曜日は高知遠征の予行練習&実験として、
「東京~名古屋日帰りツーリング」
に行って来ました!
調布ICから中央道経由で、小牧JKTを回って東名で帰り、川崎ICで下りる700キロツーリング♪

結論から述べると、やはり「限界への挑戦」だった…!
では以下にレポートする。

当日はのんびりと6時に起床。素晴らしき快晴。
気温と相談しながら、ゆるゆると用意して、7時半に出発した。
防寒は、とりあえず自分が持っているものをフル装備。
「ちょっと大げさかな~」
とは思うが、念のためにすべての防寒着を着用した。

近所の空き地まで押して、エンジン点火。
2週間ぶりに火を入れたエンジンは、一瞬にぶい音を出しながらもブルルンと目を覚ます。
寒くなって、乗ってやらなくて本当に申し訳ない気持ちになる。
回転数が落ち着いてきて、シリンダーヘッドが暖まったのを確認して、いざ出発!
今回は、細かな行程表は作らなかった。
疲れたら休んで、腹が減ったら喰う!予定はこれだけだ。

雲一つない青空の下、調布ICから中央道に乗る。
混雑もなく、スイスイと走る。
今回は、Twitterをメモ帳代わりに、現在地をつぶやきながら走ったので、時刻は正確に記録できた。

08時01分
談合坂SAに到着。自宅から50キロ。
空は青いが、予想よりも相当に寒い。防寒を完璧にしてきて良かった。
元から燃料が半分しかなかったので、ここで給油した。

09時07分
八ヶ岳PAに到着。自宅から140キロ。
標高が高くなり、寒いというレベルを越えている。道中、まわりは雪がたくさん残っていた。
寒さで身体の震えが止まらない。自分の防寒レベルの低さを確認した。
レストランで、しめじ天ぷらそばを喰らう。もちろん致死量の七味をふりかけた。
あまりにも寒いので、もうちょっと気温の上がりを待とうか考えつつ出発。



09時54分
諏訪湖SAに到着。自宅から176キロ。
標高が下がってきたら、気温も高くなったようだ。若干寒さがゆるむ。
それにしても、前回の名古屋ツーリングと比べると、なんという余裕の走りだろうか!
ここでも給油。
「寒さに耐える」というストレスが解消されたので、その分のストレスを「スピードに耐える」に回せる。
巡航速度をやや上げて走れるのは嬉しい。





10時55分。
坐光寺PAでおしっこ。自宅から244キロ。



11時31分
恵那峡SAに到着。自宅から294キロ。
このあたりまでは、身体のどこにも痛みはない。
8キロもある恵那山トンネルも楽に通過。
しかし、ややペースが落ちてくる。

12時58分
小牧JCTを経由して、東名に入った。ここからが折り返しだ!
赤塚PAに到着。自宅から413キロ。
渋滞というほどでもないが、ノロノロ運転になってきた。
このあたりから、肩とケツが痛くなってきた!

岡崎の手前で出来立てホヤホヤの事故などを通過する。
誰もが車間距離を詰めすぎだと思う。
毎度毎度思うが、何で皆あれほど周りのクルマを信用して走れるのだろう?実に不思議だ。
ちなみに私は、自分以外の車両を一切信用していない。
したがって、しっかりと車間距離は取ります。

13時36分
浜名湖SAに到着。自宅から440キロ。
ここで大休止。食事と給油。
しかし、あんまり腹が減っていないので、富士宮焼きそばだけを喰らった。
SAは大混雑!30分くらいSA内をウロウロして再出発。



14時45分
牧の原SAに到着、自宅から500キロ。
肩とケツとヒジから先が痛くて痛くてたまらん。
走り始めてすぐに肩が痛くなり、次にケツ、そしてヒジから先。
あわてて体操をしてみるが、すでに時おそし。

15時44分
富士川SAに到着。自宅から564キロ。給油。
この先に2件の事故渋滞が発生したと知る。SAは大混雑。クルマの人は大変そうだ。
もう先に急ぐ気力は失せる。痛みを我慢しながらチョコチョコ休みながら進もう。
屋台で出してた掛け蕎麦が意外に美味しくて写真撮るの忘れた。



16時48分
駒角PAに到着。自宅から610キロ。
一つ目の事故渋滞をクリア。しかし、気を張りすぎて疲労困憊。
走り続けることが苦痛になってきた。ヒジから先の痛みの原因が分からない。
この先の事故渋滞が25キロから30キロに成長した。
いつでも最後の最後にキツイ仕置きが待ってるぜ!

18時07分
海老名SAに到着。自宅から665キロ。
びっしり並んだ渋滞を、一時間もすり抜けで通過。疲れで意識が朦朧としてくる。
無理やりコーヒーを飲んで気力回復する。
知っている人は知っているが、海老名SAは出口から本線に合流する車線が、3キロもある。
ここが一番空いているので、合流車線を爆走して距離を稼ぐ。
しばらくして、渋滞は解消されたが、ノロノロ走行で走る。

19時42分
地元のコンビニに帰着。
心身ともに疲れて、まっすぐに歩くことが困難になっている。
ビールを買ってヘトヘトで家に帰った。


走行距離702キロ
走行時間12時間(休憩含む)
通行料金1500円(ETCつけました!)


「疲れないはずはない」とは分かっていたが、やはり実際に走ってみると、尋常ではないほどの疲れが襲ってきた。
肩とケツとヒジから先が猛烈に痛くなった。
「肩」は、ハンドルとの相性の悪さ(ハンドルが遠い)が原因と分析できる。
「ケツ」は、シートの薄さが原因だろう。これは本番ではクルマ用のシートを使うので解決できる。
「ヒジから先」の痛みは原因不明だったが、翌日になって筋肉痛として症状が現れた。
ハンドルを、思っていた以上に強く握っていたようだ。
これには、スロットルアシストで解決を試みる。

ともあれ、人生初の2輪での700キロ走行にチャレンジできた。
過去のツーリングの経験と比べると、自分の能力が飛躍的に向上していることが実感できた。
目指す高知は、これに付け加えてまだ100キロもある。
きっと今回以上の困難が待ち受けているだろうが、手ごたえはつかめた。

あとは、しっかりメンテナンスすることと、当日の天候に恵まれるように祈るだけだ。

あー楽しかった!
私を安全に運んでくれたXL883Nよ!今回もありがとう!

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次の長距離ツーリング計画。

2009-11-22 | ツーリング
9月にXL883Nが納車されてから、名古屋、大阪へと長距離ツーリングに出かけた。
とくれば、次に目指すべきは高知県だろう。
何故かって?
Perfumeの来春のツアーに遠征するためだ。
4月3日の0時に出発し、4月4日の夜に帰ってくる。
往復約1600キロ。

参考にしようと、ブログなどを当たっているが、東京から四国までノンストップで走り抜けている人があまり見当たらない。
やっぱり無謀なのだろうか?w

しかし、来春のツアー日程を眺めても、遠征できる地方は日程的に考えて、やはり高知しかない(関東は4公演が設けられているが、チケット争奪戦は激戦必至だ)。
高知のチケットが取れるのかは分からないが、行くと決めたら必ず取る。

という訳で、今からちょっとずつルートなどを調べ始めている。
酒を飲みながらブログ読んだり、グーグルマップ出したり、必要な装備を考えたり…。
やっぱりこの時間が一番楽しい。

ほぼ毎週、最低でも300キロは走ることにしている(現在4500キロほど?オイル交換せねば!)。
そこで分かったのは、私は「走ること」が目的で、走った先に何があるのかはあまり問題にしていないことだ(それでも、走っているとき、止まっているときに見える景色は何かしらの新しいチャンネルを作ってくれると思う)。

たぶん、うどんを食ったらすっ飛んで帰ってくることだろう。

追記。
今日はオイル交換と、洗車をたっぷりとしてあげた。
4500キロも走って、色々とホコリをかぶった部分を磨き上げることができた。
とてつもなく気持ちが良い。
「良い仕事は良い道具から」
真実だなあ、と感じる。

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