夜の徘徊
2013-09-23 | 育児
※少し暑い時期に書いたTumblrからの転載です。
泣いてる息子を抱っこして外に出て、近所を散歩する。
散歩と言っても、家の前の道路をウロウロと行ったり来たりするだけだ。
街道にクルマは少なくなっていて、時おり大きな音で通過するバイクの排気音がちょうどいい雑音のアクセントになる。
初めは一生懸命に周囲を観察している息子だが、単調な景色と単調な雑音と心地よい振動に包まれて、次第に静かな表情になってきて、眠る。
気温は絶妙。
ただの散歩であれば涼しい夜だけど、5キロぐらいの生き物を抱えて歩いていると軽く汗ばむ。
「荷物を運ぶ」と考えれば汗は噴き出すが、雲に隠れそうで隠れない月を見ながら「息子を眠りの道に誘っている」と念じると、荷物の重さは消えて夜の涼しさが身体を包む。
不思議なことに、こうして歩いているうちに、深刻なほどに積み重なった仕事の疲れが徐々に抜けていく。
疲れの上に疲れを重ねると浄化する…のが「家族」というものなのだろうか…?
泣いてる息子を抱っこして外に出て、近所を散歩する。
散歩と言っても、家の前の道路をウロウロと行ったり来たりするだけだ。
街道にクルマは少なくなっていて、時おり大きな音で通過するバイクの排気音がちょうどいい雑音のアクセントになる。
初めは一生懸命に周囲を観察している息子だが、単調な景色と単調な雑音と心地よい振動に包まれて、次第に静かな表情になってきて、眠る。
気温は絶妙。
ただの散歩であれば涼しい夜だけど、5キロぐらいの生き物を抱えて歩いていると軽く汗ばむ。
「荷物を運ぶ」と考えれば汗は噴き出すが、雲に隠れそうで隠れない月を見ながら「息子を眠りの道に誘っている」と念じると、荷物の重さは消えて夜の涼しさが身体を包む。
不思議なことに、こうして歩いているうちに、深刻なほどに積み重なった仕事の疲れが徐々に抜けていく。
疲れの上に疲れを重ねると浄化する…のが「家族」というものなのだろうか…?
