菊地成孔氏が、2007年4月に書いたDCPRG(デートコースペンタゴンロイヤルガーデン)の活動を終了した時のブログ。
DCPRG活動終了に関して(スクロールして一番下にあります)より一部引用。
『ワタシは今後、スパンクハッピーの後のポップスを始めますし、DCPRGの後のジャズやファンクを始めますし、他にもいろいろ始めますが、「デートコースのが良かった」「瞳ちゃんのスパンクスのが良かった」というしがみつきがいなく成る事は無いでしょう。つまり、彼等にとって、ワタシは刻一刻と一直線に、どんどんダメに成っているようなのです。実に惨たらしい事実であります』
この一文がずっと心に残っていた。
要約すると、「自身が率いているDCPRGは「解散」と言われているが、実際には「任務終了」であり、10年でも20年でも続ける事は出来るけど、このバンドで表現する事はすべて終了したから、新しい表現活動に入るよ」という事なのだが、表現者が常に抱え続ける悩ましい現実を垣間見た気がした。
アーティストとは、ずっと変化し続ける存在なんだと思う。と言うより、人は常に変化し続ける。
受け手側は、自らの嗜好や、キャッチするアンテナの変化を自覚することなく「前のほうが良かった」「あいつは枯れた」などと気楽に言う(それはそれで自由だが)。
しかし、当然のごとく送り手側も作品を創り出すたびに変化を続けている。アーティストは、新しい切り口を探すために、常に新しい場所に移動する。
送り手側も、受け手側も常にアンテナの移動をし続けるのだ。
私も、好きなバンドやら音楽やら小説やら映画やら漫画やら色々あるが、活動歴が長くなるほど初期(もしくは自分がその作品に触れた一番最初)のほうが良く見えたり聴こえたりする経験が多い。
そして、アーティストが変化する姿を見つめる目を失ってしまい、他に自分の居場所に近い別のアーティストに目移りしてしまう。
常に客の要求に見合った商品を提供するのが純粋な商売人ではあるが、残念な事にアーティストが繰り出す作品は、ベルトコンベアで制作されるような量産化は難しい(してる人もいますけど)。
客の要求とは常に動いているものであり、生意気な事に「現在の半歩先が欲しい」(「一歩先」じゃないところが本当に生意気!)と要求しているのだ。
と言うわけでPerfumeですよ奥さん。
Perfumeも表現者として、上記したように常にポジションを移動している。
言うまでもなく、作曲者の中田ヤスタカ氏がジワジワと新しい場所に向かって動いている。
そこに反応して、最終出力装置である3人のパフォーマンスも新しい場所を目指している。
その、「送り手側の移動」に振り回されつつもガッチリ喰らいついているのが、現状のPerfumeファンには多いのではないかと思う。これを一言で表現するならば、「共に移動している」「共に成長している」と言えるだろうか。
仕事をしている方ならば、悩みの一つに「昼食」があると思う。
どこで食べようか?何を食べようか?などと、職場の近所の食事処マップを脳内に広げて考えていることだろう。
私は昼食を考えるのが面倒(時間がもったいない)なので、決まった場所に通い続けて、飽きたら別の場所に…と、数件の食事処をローテーションさせている。
どんなに美味しい定食を出す店でも、通い続けているうちにどうしても同じ味に飽きてしまう。
しかしですよ奥さん。
「食事処 Perfume」は、すでに通い続けて4年以上経つが、毎日食べてもまったく飽きる事のない味をキープしている。この店を見つけ、最初に食べた時の感動が色あせる気配がない。
まだ若いのに天才的な料理の腕を持つご主人の中田さん。
中田さんがどんなにトリッキーな料理を作っても、不思議なスパイスの調合で素材の味を引き立てる女将のMIKIKOさん。
料理が映える盛りつけをしてくれるアルバイトの関さん。
そして、料理の美味しさを擬音で説明してくれるウエイトレスのあ~ちゃん。
「コノ野菜ハ、裏庭ノ味ガシュルヨ!」と詳細に味を伝えてくれるウエイトレスのかしゆか。
たまに残り物をつまみながら皿洗いするのっち。
何を食べても味わいが深く、古い定番メニューも、食べる度に新しい味を発見して輝きを失わない。
そして、一番驚くべき事は「最後に食べた料理が一番美味しい」というところだ。
「最新のPerfumeが最高のPerfume」という言葉があるが、これを冗談ではなく、本当に実行しているPerfumeは、やはり孤高の存在だと思う。
「食事処 Perfume」を見つけて恐る恐る料理を口にして「まあ…美味いかな…アレだ…3ヶ月もしたら飽きるだろうけどな…」などと思った瞬間から4年間、ほとんど毎日美味しくいただいているが、まったく中毒性はないと断言出来る。
結論。
かしゆか好きっス!Perfume中毒っス!
DCPRG活動終了に関して(スクロールして一番下にあります)より一部引用。
『ワタシは今後、スパンクハッピーの後のポップスを始めますし、DCPRGの後のジャズやファンクを始めますし、他にもいろいろ始めますが、「デートコースのが良かった」「瞳ちゃんのスパンクスのが良かった」というしがみつきがいなく成る事は無いでしょう。つまり、彼等にとって、ワタシは刻一刻と一直線に、どんどんダメに成っているようなのです。実に惨たらしい事実であります』
この一文がずっと心に残っていた。
要約すると、「自身が率いているDCPRGは「解散」と言われているが、実際には「任務終了」であり、10年でも20年でも続ける事は出来るけど、このバンドで表現する事はすべて終了したから、新しい表現活動に入るよ」という事なのだが、表現者が常に抱え続ける悩ましい現実を垣間見た気がした。
アーティストとは、ずっと変化し続ける存在なんだと思う。と言うより、人は常に変化し続ける。
受け手側は、自らの嗜好や、キャッチするアンテナの変化を自覚することなく「前のほうが良かった」「あいつは枯れた」などと気楽に言う(それはそれで自由だが)。
しかし、当然のごとく送り手側も作品を創り出すたびに変化を続けている。アーティストは、新しい切り口を探すために、常に新しい場所に移動する。
送り手側も、受け手側も常にアンテナの移動をし続けるのだ。
私も、好きなバンドやら音楽やら小説やら映画やら漫画やら色々あるが、活動歴が長くなるほど初期(もしくは自分がその作品に触れた一番最初)のほうが良く見えたり聴こえたりする経験が多い。
そして、アーティストが変化する姿を見つめる目を失ってしまい、他に自分の居場所に近い別のアーティストに目移りしてしまう。
常に客の要求に見合った商品を提供するのが純粋な商売人ではあるが、残念な事にアーティストが繰り出す作品は、ベルトコンベアで制作されるような量産化は難しい(してる人もいますけど)。
客の要求とは常に動いているものであり、生意気な事に「現在の半歩先が欲しい」(「一歩先」じゃないところが本当に生意気!)と要求しているのだ。
と言うわけでPerfumeですよ奥さん。
Perfumeも表現者として、上記したように常にポジションを移動している。
言うまでもなく、作曲者の中田ヤスタカ氏がジワジワと新しい場所に向かって動いている。
そこに反応して、最終出力装置である3人のパフォーマンスも新しい場所を目指している。
その、「送り手側の移動」に振り回されつつもガッチリ喰らいついているのが、現状のPerfumeファンには多いのではないかと思う。これを一言で表現するならば、「共に移動している」「共に成長している」と言えるだろうか。
仕事をしている方ならば、悩みの一つに「昼食」があると思う。
どこで食べようか?何を食べようか?などと、職場の近所の食事処マップを脳内に広げて考えていることだろう。
私は昼食を考えるのが面倒(時間がもったいない)なので、決まった場所に通い続けて、飽きたら別の場所に…と、数件の食事処をローテーションさせている。
どんなに美味しい定食を出す店でも、通い続けているうちにどうしても同じ味に飽きてしまう。
しかしですよ奥さん。
「食事処 Perfume」は、すでに通い続けて4年以上経つが、毎日食べてもまったく飽きる事のない味をキープしている。この店を見つけ、最初に食べた時の感動が色あせる気配がない。
まだ若いのに天才的な料理の腕を持つご主人の中田さん。
中田さんがどんなにトリッキーな料理を作っても、不思議なスパイスの調合で素材の味を引き立てる女将のMIKIKOさん。
料理が映える盛りつけをしてくれるアルバイトの関さん。
そして、料理の美味しさを擬音で説明してくれるウエイトレスのあ~ちゃん。
「コノ野菜ハ、裏庭ノ味ガシュルヨ!」と詳細に味を伝えてくれるウエイトレスのかしゆか。
たまに残り物をつまみながら皿洗いするのっち。
何を食べても味わいが深く、古い定番メニューも、食べる度に新しい味を発見して輝きを失わない。
そして、一番驚くべき事は「最後に食べた料理が一番美味しい」というところだ。
「最新のPerfumeが最高のPerfume」という言葉があるが、これを冗談ではなく、本当に実行しているPerfumeは、やはり孤高の存在だと思う。
「食事処 Perfume」を見つけて恐る恐る料理を口にして「まあ…美味いかな…アレだ…3ヶ月もしたら飽きるだろうけどな…」などと思った瞬間から4年間、ほとんど毎日美味しくいただいているが、まったく中毒性はないと断言出来る。
結論。
かしゆか好きっス!Perfume中毒っス!