髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

同一人物とは思えない

2013-05-30 | 妊娠、出産
Perfumeの新譜やDVDなどが発売されて、感想やら色々と書きたいのだが日々の暮らしに忙殺♪
子供の事も色々書きたいんだけど、悶々と脳内に思考を溜め込むだけの毎日♪
だけどコレだけは言いたい。


このイケメンと


このパンチドランカーは

同一人物なのだろうか…。

里帰りしている嫁さんから送られてくる我が子の表情が、毎日違うから楽しい。


「あ~いあむあん、あんちくらいすと♪」

結論。
かしゆか好きっス!
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高度計つき赤子の恐怖

2013-05-21 | 妊娠、出産
連休が取れたので、息子がいる千葉の嫁さんの実家に宿泊した(ちなみに嫁さんの実家は自宅から70キロほどの距離で、首都高を抜けて常磐道へと続く道は、プチツーリングとしては最高な距離なのだ)。さっそくオムツの取り替えをしたり、ミルクを飲ませたりと、嬉しく息子の世話を始めることができた。

出産してから未熟児室に入り、不安な時期もあったが、実家に戻った息子は元気に手足をバタつかせ、腹が減ったと泣き叫び、オムツを取り替えた瞬間にウンコを漏らしたりして、身体はとても小さいが、もう「立派な赤ちゃん」に成長していた。
正確な体重が計れないのだが、抱っこしたまま大人用の体重計で計ると、2424gで生まれてその後に2200gくらいにまで落とした体重は、2800gくらいには増えているようだ。

どこの赤ちゃんも同じなのかは不明だが、息子の生活サイクルは実に忙しい。

まずは母乳を飲む

疲れきってパンチドランカーみたいになる

復帰して次にミルクを飲む

飲み干してパンチドランカーみたいになって、背中を叩かれてゲップを出す

しばしご機嫌、もしくは寝る

腹が減って暴れて泣き出す

まずは母乳を飲む

これをだいたい3時間ごとに繰り返す。

もちろん24時間営業なので、嫁さんはこれに付きっきりだ。
私は実家のお父さんとビールで乾杯し、元気に暴れる我が息子の姿を見ながら気持ちよく酩酊!
生まれたばかりの我が子を見ながらの酒がこんなに美味いとは思わなかった。
そして子供の面倒を忙しく見る嫁さんを置いて就寝!
翌日は二日酔いでミルクを与える作業についた。

泣き始めると、初めは抱っこしてあやす。
抱っこした瞬間に何事もなかったかのように泣き止むのでとても面白い。
そのうち抱っこしているだけでは効果が持続せず、抱っこしたまま立ち上がる。
するとやはり瞬時に泣き止むのでとても面白い。
しかし、ここで不思議なことに気がついた。
抱っこしたまま立っているのに疲れて座ると、とたんに泣き出すのだ。
そしてもう一度立ち上がると泣き止む…。
そして座ると泣く…。

何故だ…。
彼にはまだ視力は備わっていないはずだ(0.02くらいらしい)。
従って周囲の景色を見ながらの高度は計れない。
しかし座った瞬間に泣き始める。
これは、どう考えても身体のどこかに高度計が埋め込まれているとしか考えられない。
彼が成長したらどういう事なのか説明してもらおうと思っている。

結論。
かしゆか好きっス!


パンチドランカー状態の我が子。


「ワイは…ワイはもうゲップなんぞ出えへんぞ矢吹~」


ガッツポーズをしないとミルクが飲めないようだ。


特別に不満がない状態。
コメント (4)
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無事に退院

2013-05-16 | 妊娠、出産
5月1日に生まれた我が子が、本日(5月14日)無事に退院した。
生まれてすぐに腸の機能が不完全との事でミルクを吐き出してしまい、みるみると体重が落ちて行くので、我が子の人生は、点滴を打ちながら新生児室でのスタートとなった。

前のブログでも書いたが、周囲の赤ちゃんたちは家族に囲まれて母親に抱かれておっぱいを飲んでいるのに、自分だけがおっぱいが出ず、しかも新生児室に独りで取り残されたという断絶感が、嫁さんのショックに繋がったようだった。しかも旦那は仕事仕事で来ないし。
結論から言えば、我が子の症状はそれほど重傷でもなく、嫁さんのショックはホルモンバランスの変化によるものだから(たぶん)、時間が経てば解決する問題であるとは思っていたが、産院の中で1人で孤独感を深める嫁さんに対するフォローが、産院側にちょっと足りなかったと思う。


その後、吐き戻しが止まらないので産院から大学付属病院に移動し、未熟児室に入って検査を受けた。
ここは私も同席していたのだが、まあこの大学付属病院のスタッフさんの親身な対応に驚いた。
しかも、産院では母親以外入室禁止だった新生児室(未熟児室)に、旦那も入室できたので、出産6日目にして、私はやっと我が子を抱く事ができた。
周囲を見渡すと、産院では圧倒的に小さかった我が子も標準的な赤ちゃんに見えて不安な気持ちは消えたし、先生は母親だけではなく、私にも親切に病状を説明してくれた。
第一子を生んだ印象だけだと、産院はあくまでも「出産のプロ」であって、その後のつまずきには対応しておらず、大学付属病院は「治療のプロ」であって、産後の様々なトラブルにも対応している、といった感想だった。
夫婦共に「出産」がゴールだとばかり考えていたので、その後のトラブルのことには考えが及ばなかった。
そんなこんなで大学付属病院で美人看護師に囲まれてチヤホヤされた我が子は、吐き戻しをせずに頑張ってミルクを飲み続け、約2週間をかけて体重を出生時レベルまでに戻して退院条件を満たした(退院時にはとてつもなく残念そうな表情を浮かべていた)。

看護師さんたちの親切な対応に嫁さんも息を吹き返し、質問をバシバシとノートにまとめ、不明な点を明らかにしていく、いつもの嫁さんに戻った。
生んだばかりの子供と離ればなれになることを、産後の特別休暇だとプラスに考えられるようになり、産後のキズも順調に回復し、硬く張ったおっぱいも、嫁さんの母親が一生懸命に揉んだらしく、徐々に母乳が出るようになった。


子供がこの世に生まれて2週間。
私は超絶的な仕事の繁忙期に巻き込まれ、毎日3時間の睡眠を確保するのが精一杯だった。
そんな中でも職場の仲間は「奥様の元へ行ってください」と2日間も休暇をくれた。
しかし嫁さんの元に行ったところで、自分には何もすることができない。

だけど。

自分が嫁さんのそばに行くだけでも、何か役に立ったような気がした。
と言うか、自分があの場面でいなかったらどうなってしまったんだろう?
と思えた。
それくらいに嫁さんは消耗しきっていたし、何でも話せる身内がほんの少しの時間でもそばに居ることが重要だった。
別に嫁さんから求められた訳ではないが、「重要だった」と確信できた。
今までの人生で、これほどまでに「この人のそばに居なければ」と思う事はなかったし、人から存在を求められた事はなかったと思う(重ね重ね言うが、求められてはいないんだけどね)。
「いっそ仕事なんぞ辞めて嫁さんと子供に仕えようか…」なんて考えたりもした。
ブラック企業だったら流行してるし、求人なんて腐るほどある。
元々フォースの暗黒面の使い手だし。

我が子を実家のベッドの上に寝かせて、その隣で優しい微笑みを浮かべながら一緒になってゴロンと横になっている嫁さん。
しばらくすると、か細く、猫のような鳴き声しか出せなかった我が子は、腹を空かして全力で泣き叫びはじめる。

この景色が見たかった。

新居探しと引っ越しと出産と私の激務。
この数ヶ月で相当に鍛えられた気がする。
嫁さんはいよいよ24時間営業で子育てに奮戦する。
私は嫁さんと子供を迎えるために新居の準備を始める。
2013年の5月。
一生でも忘れられない季節になったと思う。

結論。
かしゆか好きッス!
コメント (2)
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生まれました

2013-05-06 | 妊娠、出産
2013年5月1日。
ついに待ちに待った第一子の男の子が生まれた。

今までヤクザみたいな人生の道のりを歩いてきたクズな私だが、約束した仕事はきっちりとこなしたいので、嫁さんの陣痛が始まろうとも出産の声を聞こうとも、しっかりと2日間の仕事を勤め上げてから嫁さんと子供の待つ産院へ向かった(ムチャクチャ苦しかったが)。

早く子供に会いたくて仕方ない気持ちでいっぱいだったが、いざ産院の最寄り駅に降り立つと、不思議なことに、自分の子供に会うのにビビって足が止まってしまった。
一言で言えば「緊張」なのだが、存在があまりにも大き過ぎると感じたのかも知れない。
見るのが怖い…出会ってしまったら自分はどうなるのだろう…。
少ない勇気を振り絞って産院の前に立ってひと呼吸。

初の対面はガラス越しだった。
やや早めに生まれたために、胃腸の機能が完全ではなく、自力でミルクを飲むことができないので、点滴で栄養を補給しているためだった(新生児室には母親しか入室できない)。

2424gと小柄でこの世に出てきた我が子は、さらに体重を落としたらしく、他の赤ちゃんと比べても本当に小さかった。
周囲の赤ちゃんたちが大声で泣いているのに、たまに子猫のように「にゃー」と力なく泣くだけだ。
点滴をしている右手も痛々しく感じてしまった。
しかし、その小さな身体に生命の芽吹きを凝縮していた。
一生懸命に身体を動かし、時おり目を開いて景色を見たり、何かに苦しんで顔をしかめたり、全力でこの世に順応しようともがいているように見えた。

せめて声をかけてあげたかったが届かないので、心の中で思い切り「頑張れ!」と叫んだ。
それしかできない父親の非力さよ…。

そして。
ムチャクチャに可愛い。
今までの人生で見てきたモノの中で一番に可愛い。
この可愛い生き物のためなら腕の1、2本くらい失ってもまったく問題を感じない程の可愛さだ。
初日はトータルで2時間程凝視していたが、他の赤ちゃんが周りにいたにも関わらず、我が子だけにしか視線を注げなかった。
まあ、周りの赤ちゃんも可愛かったが、必ず冠に「我が子を除けば」という言葉がつく。
これが「親バカ」の始まりなのかと戦慄した。

上記したように、やや早めに生まれたためにミルクを飲めず、ずっと新生児室で点滴に繋がれている我が子。
2日目に見に行ったときも、やはり新生児室から出ることはなく、生まれて5日が経過してもまだ私は我が子に触れたり、父親の声を聞かせたりすることはできなかった。
周囲を見渡せば、同じ頃に生まれた赤ちゃんは、みんなプクプクと太り元気に泣きわめき、母親のおっぱいをちゅーちゅー吸って、夜は母親と同じ部屋で眠る。そしてサッサと退院だ。
そのどれ一つも叶わない嫁さんは、一人だけ新生児室で一生懸命に子供の世話をしていたが(点滴をしているために、抱っこにも気を使う)、やはり周囲と自分との違いを感じてしまって、かなり自分に責を感じて精神的にやられたようだった。
急激に体内に母乳が作られても、子供が飲むことができないので、母乳が外に出られずに胸がパンパンに膨れてしまった(とてつもなく痛いようだ)。

我が子も気になるが、嫁さんの精神面、体調も気になる。
普段「父親」などど言うと威厳やら責任感などが強調されるが、現状ではまったくの無力。
ただの非力なハゲたおっさんだ。
しかもこれから仕事が忙しくなり、1週間ほど寝る間もなく働く。
まあ職業柄仕方ない(よりによって「母の日」だ)ことで、嫁さんも重々承知のことなのだが辛い。

幸い、嫁さんの母乳問題も一筋の光が見えたようだし、子供もミルクを若干だが飲んでいるようだ。

あとは非力なおっさんは想いを込めて天に祈るしかない。

結論。
かしゆか好きッス!


生まれてスグに右手に点滴をされても笑う我が子。
父ちゃんも数年前に4つの点滴を注入されてしかも危篤だったぞ!頑張れー!
コメント (9)
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ご無沙汰しておりまする

2013-05-01 | Weblog
そんなこんなで狭いアパートを引き払い、購入した中古一戸建てにやっとネット回線が繋がったので久しぶりのブログ更新です(iPhoneでも更新できるが老眼なのでムリ)。
まあともかく忙しい日々だった。
今年の頭から新居の物件探しを始めたが、中々条件に合う物件に出会えず、そのまま年度末に突入してしまい私の仕事が爆発的に忙しくなり、毎日睡眠時間を削りながらも青白い顔をして老眼をこすって新居を探す日々。


まだまだ老眼ではない嫁さんは、やや小さいながらも赤ちゃんを体内でスクスクと育成し、ホルモンバランスの変異によって時に爆発的に機嫌が変わったりしてて順調。
私も老眼の悪化を日々の通勤電車内で確認しながら順調にやせ細っていった。

5月になれば再び仕事が爆発するし嫁さんの出産が控えているので、4月までに決定しなければ近辺の別の賃貸アパートに引っ越さなければならない状況だった。
時間も金も投入するのであれば、賃貸ではなく自分の家を購入し、里帰り出産した嫁さんと赤ちゃんを迎えたかったので、毎日バタバタと必死に書類集めなどに奔走した(私くらいのレベルになると、経歴がコールタールより真っ黒で信用がゼロ以下なのでローンを組むために提出する書類が山のようにあるのだッ!)。

すべり込むように3月の最後の土曜日に新居の購入契約を済ませ、速攻で引っ越しの準備。
嫁さんは出産に向けて実家に帰ったので、引っ越しに関わる諸々はすべて独り作業。
元が馬鹿なので、旧居の引き払いと入居の準備が同時進行なのが脳みそと老眼に厳しかった。

すぐにガスやら電気やら水道やらネットやら銀行やらクレジットカードやらの引っ越し手続き。不動産の最終契約で必要なので、免許の書き換えやら転出転入届けやら印鑑登録もすぐに必要。
同時に不要な家電やら不要な家具やらの廃棄の手続きをしつつも新しい家電と家具の選択と購入と配送の手配。
また、実際の引っ越しの搬出、搬入に取りかかれる日も最大で2日しかなく、お手伝いしてくれる人の依頼とトラックの手配と工程表の作成にも余念がなかった。
それらの作業を、夜な夜な荷造りをしながら少しずつ進めていった。
元が馬鹿であり尚且つ小心者なので、きっちりスケジュールを立てて、さらにスケジュールを巻いて行かないと不安になるのだ。

自らの体内で新たな人類を創り出している嫁さんの偉業に比べれば屁みたいな仕事だが、地道な荷造りなどはまずまずの作業量だった。
Evernoteの助けがなければキツかったことだと思う(ちなみに引越しに関わるノートブックは121ページ。まだまだ増える予定)。

手伝いに来てくれた友人の助けもあって無事に引っ越しは完了。

今まで夫婦二人で一つの部屋にすべてを詰め込み、すべてが手に届く範囲にあったモノが、だだっ広いリビングルームといくつかの部屋に分散して収納され、とてつもない広さを感じる。
今まで一緒だった嫁さんが不在なので尚さらだ。
せっかくの新居なのに、毎日暗いリビングルームに帰宅しても嬉しさは半分。
時に旧居へ片付けに行ったりすると「やっぱこの狭さだな!」と納得するくらいに新居は寂しく感じた。
嫁さんが第一子を連れてこの家にやってくるのは6月の半ば。
それまでに嫁さんと赤ちゃんが過ごしやすい環境を作るのが自分に課せられた役目だ。

出産予定日は5月11日。
私の仕事が爆発的に忙しくなる日とピッタリ重なる。
5月の前半から私の休日は消失し、出産予定日を大幅に越えるまで休日はなく、出産があろうがなかろうが仕事しかすることはできない。
初めての出産で不安が大きいだろう嫁さんに付き添って応援したいし、初の我が子の顔を早く見たくて仕方ない気持ちでいっぱいだが、現実に打ちのめされて倒れそうになっても、きっと前を見て歩くDreamFighterの精神で仕事に打ち込むしかない。
ん~!しかない!

結論。
かしゆか好きっス!
コメント (3)
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