土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

「望む世界」(転載)

2013-12-15 07:01:33 | 掌編小説(改稿)
   「望む世界」

                          本居 寝子

5:30 p.m. 別の人には違いない。
コンビニから出て来たその人の風貌に一瞬視線を逸らす。
ハンチングにカーキのジャンパー濃いブルーのデニム、リュックに赤いビニールのナップザック、さりげなく戻した目で確かめる。
顔は似ている。似ていなければ服装まで探ったりはしない筈なのだ。
「どうして似ているんだろう」そんな風に考える自体がおかしいのは解っているのだが、こうも度々そっくりの君、たぶん全て別の人に出会ってしまうとそんな疑問が……というより当り前のことのように感じられてゆくから面白い。
「慣れ」。「慣れろ」「慣れる」「慣れれば」「慣れれば」そんな風に繰り返していく度に世界のあちこちに彼が溢れかえって増殖する世界が日常になり当り前になる。
なんてパラレルワールドを想像しながら?
後ろを通り過ごさせた君を横目で見る。「頬が彼よりふっくらしてるね」とふっと口元がゆるむ。
歩いて行くその背を当たり前のデジャヴのように見送っていたら、今日の君は途中振り返った。「ファンタスティック」。
「慣れれば」「慣れれば」。一つ一つ一歩一歩変わってゆく当り前のように。
そんな「普通」に世界は満ちてゆく。

2009.2.26「Open Sesame」(初出)
http://pub.ne.jp/nekome9_1/?entry_id=1986800

2013.12.15 修正。
「様に」を「ように」、「…」を重ねて「……」に。「感じられていく」を「感じられてゆく」に変更しました。

発見(?)。
感じられてくる、じゃないんだ、と感心(??)。

実際にあったことから書き起こした作品ですが、トリップ感が出ていて自分は好きです。自画自賛です。

注:当人(私)は「危ない人」ではありません。たぶん(笑)。

※12/11付けでプロフィール欄、他、名前を、右手寝子から本居(もとおりでなく、もといです)寝子に変更しました。

《Plala Broach「土手猫の手」2013.12.15》


「迂回路」(転載)

2013-07-05 02:30:14 | 掌編小説(改稿)
  「迂回路」
                          本居 寝子

お寺さんの造りは、かくも不思議だ。
こんなところにと思うような場所に、建物で回(めぐ)らした囲いの中に、庭が有ったりする。

たぶん法事だったのだろう。
歳は、小学校へ上がるか上がらないかの頃。およそそうであるように、待合の座敷で法要が始まるまでの時間、一人、子供は異邦人で。誰の相手をする必要も無く、私は、自分の目だけと会話をしていた。
他者との関わりを遮断したそこで、私はその目新しい瞬間を楽しんでいた。
誰も私を、邪魔しない。
好奇心とも放心とも区別のつかない感覚に支配された時間、私の目が認識していたのは上げられた雪見障子の硝子越しに小さく覗く世界だった。

部屋の外、囲いの中に有るそこは、中央に設えられた一坪ほどの庭には、ささやかな竹の植込みと、砂礫をあしらった露地に雪見灯篭が据えられて。渡り廊下を阻む、それが繋ぐ、池のようであった。
渡る回廊の向こう側は給仕場のようで。隔てた池越しに、茶碗や茶托、ジャーを抱えたお給仕さんが、ひっきりなしに出入りするのが見える。
茶菓子の載せられた盆、吸い物の椀、ビール……。それらが運ばれる様を、向こう側の景色を、飽きずにずっと私は眺めていた。
ふいに、名前を呼ばれた気がして振り返ると。
親戚だろう見知らぬ小父さんが菓子盆から、何やら知らない包みを一つ掴み、私の方へ、歩いて来る。目の前でしゃがんだその人は、包みを差し出し、廊下へ向かう。
手の平の菓子に、締められた障子を追うと。硝子戸の窓の外には、目隠しをするかのように雨戸が閉(た)てられていた。
音などしなかった。
坪庭に回らした衝立の、格子から光が洩れる。塞がれた、そこから見えるは色褪せた断片。
雨の様子も無い。ほんの一瞬の出来事。
消えた景色と引き換えの……菓子、を。仕方無く、私は味わった。

2009.7.27「Open Sesame」(初出・初稿)。
http://pub.ne.jp/nekome9_1/?entry_id=2315603

2013.7.5 改稿(修正)。

「チャイム」と同じく、経験したことから起こしたフィクションです。
今は。お寺は建て直されて、坪庭は無くなってます。

《Plala Broach「土手猫の手」2013.7.5》


「チャイム」(転載)

2013-06-02 23:52:58 | 掌編小説(改稿)
   「チャイム」

                          本居 寝子

突然、先生の言葉が説明が耳馴染みの有るものに変わった。
ぼうっと流れていた時間、頭にスパークが翔る。「ええっ? これもうやったとこ……」
瞬間私は顔を上げた。「……いや」その頭を振って考える。「おかしい!?」
いくら勉強嫌いな自分でも、さすがにそれ位は解る。言葉・内容、繋ぎ方が全てまるまるおんなじならば。おんなじ、カリキュラムでは無く段取り、話そのものが同じだったのだから。
眉間にしわを寄せながら「あれっ?」ハッキリとして来た?目で辺りをそっと伺うと、誰一人として声を挙げる気配も無い。気づいて無い?
「何で?」ぼんやりを引きずったまま、かの頭を無理矢理に、回転数を上げさせて、答えを探そうとする。え……っと、
『同じとこやってるよ!(笑)』『進まなくてラッキー!』って魂胆?
つかの間、納得を見つけた気分になる。でも……
にしても、この静寂さは『異常』では無い『いつも』過ぎる?

取り敢えず「仕方無い」私は混乱した頭のまま、その時間を遣り過ごす事にした。他にやる事も無い授業中だ。聞き覚えの有る授業ではあってももう一度、聞きながら休み時間を待つしか無い。
「そうは言ったって!」どうしたって、まして「もうやった」なら。『勉強』の二文字なんて造作無く滑り落ちてしまう。
窓ガラスの先は花の色にけぶっている。時計の針は9時22分。
「目は開いている。開けてるけど……」「もしやこれは夢? 夢を見ている? また随分とハッキリした夢よね……」
「夢か……」もし、ならば。もし白日夢なら終業のベルに依って覚まされる筈だ。
でなければ。級友達のはやし声によって覚まされるだろう。「うんうん」
そうきっと、ここに居る一同にベルは告げることだろう『もういいよ』そして『さあいいよ』と。うん論理的。
あれこれとくどくどと巡らせている内にやれやれやっと、
『もういいよーーーー』は来た。

一気に教室の空気が緩む。ONからOFFへの瞬間移動だ。
開けた窓の隙間から花びらが吹き込んで来た。
『春は曙』かぁ。もうそんな時間じゃないか……さて起きなくっちゃね。
休み時間に「起きる」とは、はてさて困った生徒であるなと我ながらに思う。
学校もとんだ新入生を受け入れてしまったものだな。なぁんて、さっきまでとは打って変わった呑気さで、私は待っていた。
そうだろう当然の反応を待つ。しかしクラスメートはこれといった、別に格段変わった様子を見せる気配は無い。おしゃべりをしたり、伸びをしたり。いつもの光景だ。
お菓子をまわす、スカートを扇ぐ。真似して扇ぐ。
回転数安定、動作確認。スリープはしてない。
「やっぱり……」つまり、そういう事? 私はやっと飲み込んだ。
本当は、ずっと目が覚めていた事に今の今まで気づいてなかった、らしい私は確かめるかの様に声を出してみた。
「私だけが聞いていたのか、同じ授業をもう一度」

白日夢は目覚ましのベルと共に「そのまま」現実へとスライドして行っていたのだ。

キンコンカンコーン……
夢じゃない事を音が告げる。
「そうか中学じゃなかったっけ……」

始業を知らせる音だけが晴れやかに、チャイムへと姿を変えていた。

2008.4.26初稿。(4.27加筆修正)

2008.4.26「Open Sesame」。
http://pub.ne.jp/nekome9_1/?entry_id=1358700

過去に経験した事を、ブログ用に書き始めたところ、小説風な文章になった?からという事で、小説に転換して書いたもの(最初に書いた掌編)。
大昔の、高校生の時(「時をかける少女」のロードショウを見る以前)に経験した不思議な体験がベースです。
『…』を二つ重ねる、『?』の後ろにスペース、「」の中の『。』を削除するのみ変更しました。
(文章に手を入れることも考えましたが、やめました)

《Plala Broach「土手猫の手」2013.6.2》