「後日」と予告?した感想文。
ちょっと;スッポカそうかと思ってました。
「良い映画です。ご覧になって下さい。」
う……ん。「良い」のです。色々見える事などあって。
ただ、「そこ」について書くともなると、とても書きづらい。(かな?)
書き出すと、連鎖的に次々言及せざるおえなくなる。原因と結果、因果関係について。ぐるりについて等。
焦点が定まらなくなっていくのが解るので、ちょっと書きあぐねた…。
だから一部、ですが。
「書きづらい」を一言で言うと、解ってはいても中々到達出来ない領域?の事、だから?
リリー・フランキーさん扮するところのカナオの「スタンス」(と言ってしまう位だから;)に希望が見えるのが。「人の有り様(よう)」なのだろう。は、解る。
けれど、だからこそ再び「『ぐるり』にジャッジを下さない」事の難しさに直面もする。
受け入れられる「ぐるり」と、入れられない又は相容れない「ぐるり」との差異・境界線にどうしても立返ってしまう。
例えば(?)幼稚園;からの友人達との会食の時の話だが。
指導的立場、年齢の私達は、相談やアドバイスを求められる事も少なく無い。
『(その人にとって)必要な、だろう事は伝えるけど、数回言っても解らない人には、後は言わない。』『自分で気付かない限り変わらないから。』『結局自分で乗り越えなければ、自身(心)の問題だから。』三人の共通意識。
個々人の出来うる範囲には限りが有る。
問題が個の中に有る事に目をつむって、境界であろう(留まろう)とする人間に過剰に頼って来る。全能・絶対を求めて来る。(或いは支配したがる)
私達(?)は自らを律する、顧みる事をせずに、外にのみ救いを求める依存して来る人間に、境界線上で居てあげる(?)事が出来無い。(依存症には依存対象と切り離す事が療法でもある)
結果、境界線上から降りる。
その事の是非?というか…
敢えて降りる(解ってても尚、だからこそ先を促す)を選択するのは冷たい・厳しいのか?
全てに同じ様には出来無いだろう。待てる・寄り添える相手と、そうでない人。
許容出来ないもの(価値観等)・人に対しての、スタンス、有り様、を突きつけられる錯覚?
希望の提示と共に、逆に。
歴然として、(近くの)ぐるりにも範囲が限界(限度)がある。を感じてしまう。
(私には)そこを問われている様な作品に感じられた。
映画は法廷と日常を並べて、延長線と境界線を提示する。
法廷シーンでは(事実からのものか、フィクション・演出上のものか解らないが)
アンクレットをしてくる、証言席に立つ被害者の母の『してやった』『あれ』と、被告女性の『ごめんなさい』『M(だったかな?)さん』の言葉に、見えるもの。
『継母』『偽善者』の言葉に泣き崩れる被害者の母(の心傷・自責)と情報開示の不公平性。
罪を詫びる被告とその苦しみと、感情の一切を退ける人間性を失った集団。
死刑を望んでいた被告の、精神疾患者(鑑定)への変容。
現実に起こった事件をベースに、人間が壊れていく因、社会に有る問題点を見せて行く。
また、カナオや翔子のぐるりでは、
そこに至った状況や、形成された性格の元なるもの。(が有り、見せながら)
(褒められたものでない)それを否定せずにいながら、(自分が)相手に出来る僅かなこと(肖像画等)を探し、力まず押し付けがましくなく、渡して行くという「ぐるり」への在り方が描かれている。
それに因って開かれて行く「関係や心」に説得力がある。
そして、カナオと翔子。
寄り添って歩んで行く様は、どんな時・事からも逃げない相手への信頼が。心地よい安堵となって私達をも支えてくれる。
聞く(言う)だけでいい。向き合って開いて行ければいい。のだろう、事。
説明を省き、エピソードを並行として重ねる。
個と相手と社会のぐるりが有る、が並行として見える。
良いも悪いも、するもしないも、出来るも出来無いも、留まるも降りるも、考えるのは私達で。
それは(監督の)観客への信頼なんだろう。
未だ…でも「考える」は、出来るのだから。
う~ん;やっぱ何が書きたかったのか?;とっ散らかったものになってしまった。
「すみません。」
なんだかよく解らなくなってしまったので;あとは個人的に馳せた事をテキトー;に書きます;
「残る絵」を描く描ける立場の翔子を『羨ましい』と率直に言いながらも、自分を貶めずに、ただ大切な人(の為に)と生活を営めるカナオの心中をちょっと想像してみたり、カナオの度量に感心したり。
「カナオ」にしか見えないリリー・フランキーさんの演技と、リアリティー溢れる(色んな意味で;)翔子との日常。全く時間(尺の長さ)を感じさせない構築。
に、見終わってから「凄いなぁ」なんて改めて感じ入ったり。
(感想は)そんなところかな?;
とにかく、口で説明されても仕方無いと思うので、劇場に足をお運び下さい。
なんて;手に余って投げ出して;終わります。
(ちなみに、シネスイッチ銀座は金曜がレディースデーです。900円です;女性の方へ)
追伸。見た者同士で「どこが気になった?」と探り合い(笑)が出来そうな映画です。
(私が一番印象に残ったのは「肖像画」のエピソードでしたが;…じゃ、つまらない?)
見た人のひっかかりがバレてしまう映画かも;です。
ちょっと;スッポカそうかと思ってました。
「良い映画です。ご覧になって下さい。」
う……ん。「良い」のです。色々見える事などあって。
ただ、「そこ」について書くともなると、とても書きづらい。(かな?)
書き出すと、連鎖的に次々言及せざるおえなくなる。原因と結果、因果関係について。ぐるりについて等。
焦点が定まらなくなっていくのが解るので、ちょっと書きあぐねた…。
だから一部、ですが。
「書きづらい」を一言で言うと、解ってはいても中々到達出来ない領域?の事、だから?
リリー・フランキーさん扮するところのカナオの「スタンス」(と言ってしまう位だから;)に希望が見えるのが。「人の有り様(よう)」なのだろう。は、解る。
けれど、だからこそ再び「『ぐるり』にジャッジを下さない」事の難しさに直面もする。
受け入れられる「ぐるり」と、入れられない又は相容れない「ぐるり」との差異・境界線にどうしても立返ってしまう。
例えば(?)幼稚園;からの友人達との会食の時の話だが。
指導的立場、年齢の私達は、相談やアドバイスを求められる事も少なく無い。
『(その人にとって)必要な、だろう事は伝えるけど、数回言っても解らない人には、後は言わない。』『自分で気付かない限り変わらないから。』『結局自分で乗り越えなければ、自身(心)の問題だから。』三人の共通意識。
個々人の出来うる範囲には限りが有る。
問題が個の中に有る事に目をつむって、境界であろう(留まろう)とする人間に過剰に頼って来る。全能・絶対を求めて来る。(或いは支配したがる)
私達(?)は自らを律する、顧みる事をせずに、外にのみ救いを求める依存して来る人間に、境界線上で居てあげる(?)事が出来無い。(依存症には依存対象と切り離す事が療法でもある)
結果、境界線上から降りる。
その事の是非?というか…
敢えて降りる(解ってても尚、だからこそ先を促す)を選択するのは冷たい・厳しいのか?
全てに同じ様には出来無いだろう。待てる・寄り添える相手と、そうでない人。
許容出来ないもの(価値観等)・人に対しての、スタンス、有り様、を突きつけられる錯覚?
希望の提示と共に、逆に。
歴然として、(近くの)ぐるりにも範囲が限界(限度)がある。を感じてしまう。
(私には)そこを問われている様な作品に感じられた。
映画は法廷と日常を並べて、延長線と境界線を提示する。
法廷シーンでは(事実からのものか、フィクション・演出上のものか解らないが)
アンクレットをしてくる、証言席に立つ被害者の母の『してやった』『あれ』と、被告女性の『ごめんなさい』『M(だったかな?)さん』の言葉に、見えるもの。
『継母』『偽善者』の言葉に泣き崩れる被害者の母(の心傷・自責)と情報開示の不公平性。
罪を詫びる被告とその苦しみと、感情の一切を退ける人間性を失った集団。
死刑を望んでいた被告の、精神疾患者(鑑定)への変容。
現実に起こった事件をベースに、人間が壊れていく因、社会に有る問題点を見せて行く。
また、カナオや翔子のぐるりでは、
そこに至った状況や、形成された性格の元なるもの。(が有り、見せながら)
(褒められたものでない)それを否定せずにいながら、(自分が)相手に出来る僅かなこと(肖像画等)を探し、力まず押し付けがましくなく、渡して行くという「ぐるり」への在り方が描かれている。
それに因って開かれて行く「関係や心」に説得力がある。
そして、カナオと翔子。
寄り添って歩んで行く様は、どんな時・事からも逃げない相手への信頼が。心地よい安堵となって私達をも支えてくれる。
聞く(言う)だけでいい。向き合って開いて行ければいい。のだろう、事。
説明を省き、エピソードを並行として重ねる。
個と相手と社会のぐるりが有る、が並行として見える。
良いも悪いも、するもしないも、出来るも出来無いも、留まるも降りるも、考えるのは私達で。
それは(監督の)観客への信頼なんだろう。
未だ…でも「考える」は、出来るのだから。
う~ん;やっぱ何が書きたかったのか?;とっ散らかったものになってしまった。
「すみません。」
なんだかよく解らなくなってしまったので;あとは個人的に馳せた事をテキトー;に書きます;
「残る絵」を描く描ける立場の翔子を『羨ましい』と率直に言いながらも、自分を貶めずに、ただ大切な人(の為に)と生活を営めるカナオの心中をちょっと想像してみたり、カナオの度量に感心したり。
「カナオ」にしか見えないリリー・フランキーさんの演技と、リアリティー溢れる(色んな意味で;)翔子との日常。全く時間(尺の長さ)を感じさせない構築。
に、見終わってから「凄いなぁ」なんて改めて感じ入ったり。
(感想は)そんなところかな?;
とにかく、口で説明されても仕方無いと思うので、劇場に足をお運び下さい。
なんて;手に余って投げ出して;終わります。
(ちなみに、シネスイッチ銀座は金曜がレディースデーです。900円です;女性の方へ)
追伸。見た者同士で「どこが気になった?」と探り合い(笑)が出来そうな映画です。
(私が一番印象に残ったのは「肖像画」のエピソードでしたが;…じゃ、つまらない?)
見た人のひっかかりがバレてしまう映画かも;です。