土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

目的の目的地(感想2)

2009-09-10 23:58:37 | 本・映画
「終の住処」(文芸春秋・九月特別号掲載)感想。

三人称で書かれた、この話の主人公は、たぶん多くの人にとって感情移入しづらいタイプだろうと思う。
この人物の論理思考は、甚だ妄想的観念的で独り善がりな為、読者は共感や疑似嫌悪等の普通の感情に入っていけないからだ。



この話の主人公が取り憑かれる『周囲の誰もが知っているある重要な事実が彼にだけは知らされていないような』感覚・孤独、が支配する世界。
で、彼は。
『分かっていた』分かられていた。そして自分は分かっていない(知らされてない)。
自ら選んだ状況や、環境は全て予め用意されていたもので、その事を知らされていないのは自分だけなのではないか。
全ては既に決まっている事であり。
妻は予め、これから起こる全てを知っていた、知った上で自分と結婚した。
ならば、何も気に病む事は無い。母親に守られた様に、子供(娘)に救われた様に、何もかも知っていた妻にも許されている筈だ。自分は救われる(守られてる・いた)に違いない。
と、思う。  

安住の地。何をしても、自分を擁護して、無償で守ってくれ、何者よりも優先される子供の様な、常に優位に置かれる環境の象徴が「家」であって。
そこには守ってくれるべき、一人の女が居る筈で。それが母であったり、娘であったりする訳なのだけど。


この話は(それぞれの)恋愛を経て疲れていた二人が、充分に悩む(考える)時も持たずに、年齢と孤独という状況の上に『あきらめた』ところ、から始まる。
彼にとって新たな結婚という「家」に於いて、本来それを担ってくれる筈の期待の先は妻であったのだが。それは諦めの理由から選んだ相手(互いに)だった故に、彼の想像通りには進まない。
それどころか自分の置かれている状況全てに、実は彼女の意図(糸)が張り巡らされているのだ、と思い始める。
抗う彼は、複数の女達(恋愛)に救い?を求め。
その後、女達(救い)という幻想から目が覚めた主人公は、守られる家さえ有れば安心だ(優位に立てる)という?思考に至るのだが。
家を建てた彼を待ち受けていたのは…

概ね、この様な話と思うのだが。



さて、私が感じた「違和感」に話を戻す。


最後(まとめ)の、家から離された、この過去しか見てない主人公に与えられる(取締役からの)メッセージから想像するなら。
『今の積み重ねが過去になっているのだ、その「今」から逃げれば(大切な)過去も失うのだ、今と戦わなければ未来が生まれないのだ。(この様な事だろうか?)』
守られるばかりを望むのでは無く、守るべきものの為に戦え。(守る側になる)
過去を肯定したい(残したい)のならば常に今に挑め。更新しろ。

そうとするなら、
遅過ぎた西日の家は、遅れるなのメッセージとも受け取れない訳でも無いのですが。


話の最後。
初めて戦って自分で結果を出した(家を建てたのは妻が依頼した老建築士)主人公を待っていたものが。
『もう二十年以上前にこの女と結婚することを決めたときに見た、疲れたような、あきらめたような表情がありありと甦ってきた、…』(本文抜粋)
もはやその男に残された未来は、なおざりに積み上げて来た過去(妻)だけであった。
諦めで選んだ「妻」という家しか残っていなかった。
西日(人生の日暮れ)へ向かうだけ、の時間だった。

遅過ぎた。
なら、それで目的地に着地していると思えるのだけど。

作者が言いたいのは『四十年、五十年一緒に生活したら、そっちの方が重いんですよね。』だと言う。


気がついた時には、既に残された時間は…という結末が、
作者の言いたい『四十年、五十年一緒に、の方が重い…』に、
(単純に「重い(取り返しがつかない)」なら解るのだけど)
すんなりと結びつかない…
何か釈然としないものが残ってしまうのです。

これが前述の「違和感」で。
目的(意図)と目的地(着地点・作品)が違ってる、かみ合っていない、気が私はしてしまうのです。


果たして、目差した目的地はどこだったのか。
進む、選択する、生きる、の難しさを、主人公達は告げていたのか。


彼は、乗り越えるべき父親(家)の出て来ないこの小説の中で、
英知?として扱われてる(充てられてる)老人(先達・価値)には……

と、私は想像しました。


目的と目的地(感想1)

2009-09-09 23:57:58 | 本・映画
「終の住処」(文芸春秋・九月特別号掲載)感想。

前置き。
三分の一を読んだ所で本屋を後にしようとしていた私は、実は(構わなかったので)先にラスト(娘の居なくなった、西日の部屋に妻と二人…の部分)と選評を読んでしまってて。
それで、前述した予測感想文?第一印象文なる物を書いたりしてたのだが。いいかげん、不埒な行為なので、その後は止めて横へ置いといた。
一昨日、やっと続き(実際は頭から)を読み始め読了した。


話のおおよその筋は予想通り。そのまんまならば、それで成り立つ話なのだろうが。どうも、それがそのまんまでは無いらしい。
作者のインタビュー記事は、掲載誌の他、新聞等でもいくつか読んだのが、私はそれに違和感を感じている。
それは、作者の『言いたかったこと』に関してなのだが。

『この小説は、夫婦のすれ違い、ぎくしゃくした不幸な関係を描いていると読まれてしまうかもしれませんが、僕が書きたかったことは少し違います。』
(結婚や人生なんて)こんなもん…的な。見たく無いもの、横に置いて見ない様にしてたもの?を改めて突きつけられた後に。
西日(『あきらめたような表情』)しか残されてないラストに。
作者の言うところの『どんなに性格や価値観が違っていて、理解し合えない夫婦でも、四十年、五十年一緒に生活したら、そっちの方が重いんですよね。』に。
説明に頼らずに。
そこへ読者は、果たして辿り着く事が出来る(た)のであろうか?なのである。

関係性を保った時間が、中身の充実や質に関わらず大切な事に人生の上では成りうるのだ。という事は、ある意味事実だろうと思うが。
本来、ここで言う?時間の重さとは「共有したという認識」の上に成り立つ物である筈だ。
(実質の一緒の時間とは関わらずとも生まれうる物でもある)

だが、この主人公(或いは妻も)は自ら「共有」の中に入って行く事を最初から最後まで拒否し続けている。責任回避に線の外側から全てを眺めているだけの男でしか無い。
諦めや通念で『選ばされた(実際は選んだ)』結婚、人生という伴侶から逃れようと。
理由探しへ走る(そして知的に言い訳を繕う)という幾度と無い試み、行為からは、重ねた『時間(過去)』の重みは感じられない。

作者は、それらですら『消し難い過去』に値する(その『過去に守られている』)と言っている?訳なのだが。
理屈で。重ねた年月とは、有ったそれだけで素晴らしいものなのだ、と言われても、この主人公で言われても、というのが正直なところなのだ。
侵し難い、その人が在った印の過去とは、自己を正当化するを考えないところに有るのではないか?


そして。頭の中でこねくりまわす『へりくつ』を楯に、自己肯定に終始する主人公に肩入れする人間は余り居ないと思うが。
何かスピリチュアル系で言われる所の必然、運命論的なものを逆手に取った『だから今こうあるのは、このままで構わないのだ』(←この拡大解釈は今、余り関係無いが)的な…いや、それよりもやはり。
どうも『外に居て』この様な事を考えてる知っている『自分は達観してるのだ』という、匂いを、彼 に、どうしても感じてしまう、想像してしまうのだが。そう思うのは、この感覚は、私だけの、だろうか。

選評に『鼻持ちならないペダンチストここにあり、といった反発すら感じたが…』という一文が有ったが。
確信犯であればまだしも。この自覚してる様で、その実全くという「鼻持ちならない無自覚さ」は果たして……

(続く)


関連記事
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新聞小説

2009-09-05 23:58:15 | 本・映画
朝日新聞の朝刊に連載されている小説「麗しき花実」乙川優三郎作が9/9で完結するらしい。
時代小説が苦手な私なのだが、前作「徒然王子」島田雅彦作、を読んでいた流れで、続けて読んでいた。
茶道具・画等、興味の有る題材で。
蒔絵師として自立、江戸の時代に自己確立して行く女性の感情を丁寧に追いかける作品で、とても好感が持てた。
端正さと艶っぽさという相反する、を併せ持った中一弥さんの挿絵も情景や情緒を想像させて自然と作品の中に入り込ませてくれたのだろうと思う。
(切り抜いて取っておけば良かったと程無く後悔した)

あと四話。松江に帰る理野が、その後どの様に生きて行くか、を最後まで追いたいと思います。

続く9/10からは、川上弘美さんの「七夜物語」が始まるそうです。
川上さんの作品は、まだ読んだ事が無いので、続けて読みたいと思います。


男視線の前作と、今、途中で読むのを止めている男都合の作品には無いだろう世界観を期待しています。




※下記、コメント欄より転載。

Comments: (2)

2009.9.8 09:24:19 夕螺 : 川上さんの連載は楽しみにしています。
僕は新聞の連載というのは読んだことがないのですが、これを機会に連載の面白さがどこにあるのか経験してみたいと思います。
新聞連載を本にした角田さんのものを読んだのですが、どうも僕としては新聞の連載というものは難しいものではないかという感想を持ちました。読者をひきつけることと中身とがちぐはぐになるとか。。。
その辺を川上さんはどのように?
中身の紹介では、七夜のそれぞれの短編的なものを書いていき、それを最後に結び付けて一つの世界を作る?こんな感じかな?
この手法は、詩集にもあって、銀色夏生さんの詩はこの中に入ると思います。
って、無責任な事を書きましたが、川上作品の不思議な世界の自然さを味わえるのかもしれません。



2009.9.9 03:20:48 猫目 : そうですね。書き出しから区切りまでが短い中で、着地点(?)を作りながら毎日繋いで行かなくては、ならないのですから、大変なのだろうと想像します。
細かく区切った上に、そこで惹き付けて読み続けさせる訳ですよね。
他紙で見たものでは、殆ど毎回が…
で、これって一般紙だよね?と、うんざりしたものも有りましたが。(読みませんでした)
毎回、山・谷、が有っても疲れますし。

「麗しき花実」は単行本になったら、また読みたいと思っています。

感想

2009-02-16 22:57:06 | 本・映画
さて、
昨日「徒然王子」の連載(朝日新聞)が終わりました。

今まで何回か書込んだ話題なので、
スルーしてそのまま、という訳にはいかないだろう。
という事で、ちょっとちょこっと書きます。



正直な第一声は、m(_ _)m
「おーーい」「もしもーーし?」。

あと数回で連載が終わると知ったその時から「終わる(終われる)の?」と感じていたのですが。


感想。
個々のお話は面白かったのですが、それを繋ぐ最後の締めが物足りなかった様に思います。(八十八。事後報告?)

最後遡った前世。その前の清貧(?)に生きたクリスチャンの前世からの反動?で放蕩に至った設定は話の流れ上理解出来るのですが。

それでも。
(もし誌面、連載回数の関係だったのなら?)
江戸放蕩編を抜いて(間引いて)でも現世の話(問題)に戻って、そちらにページを割いて欲しかった様な…。

「満たされない」を、埋めるを求めて転生を繰り返した過去生。

過去を学んで次に活かす、(だけ)なら王子でなくとも良い訳ですし、
王子(設定)ならやはり最後、国(社会)ともっとリンクさせて、この先(指針・可能性)の一、提示をもう少し見せて欲しかったという気がします。
何を書いて下さるのか期待していたので。(甘え?)

終局。
(ひえだの、ディスク?)アレイ君は語部(かたりべ)として今生の世に影響を与え、
王はニニギに対するアマテラスの如く(??)後見人として力を振るい(本来の姿を取り戻し)、
テツヒトは幽界と現世を行き来しつつトモヒトを教育する。

満たされなかった想い(学び)は来世に続く…


…最終話の最後四行で、語り手が自らテーマを語ってしまった?のだろうか?
『この国はどこへ向かうのか?
それはこれから生まれてくる者が決める事だが、歴史をないがしろにした者は歴史に復讐されるだろう。(本文引用)』

「歴史(及び経験)を大切に。その中で培った知恵を活かせ」
(もっと言えば神国日本の天皇制に踏み込んだ事なのか或いは自然回帰か)
(天皇制)難しい話になってしまった私には;う~ん。


最後;「まとめ」に代えて(?)。
5月に出る単行本第二巻(ブログ情報)に最終章の加筆を…
私は;期待します。(駄目;でしょうか?「完」ですものね)


色々と書きましたが、
新聞連載という形から、読み手も話をしっかり(?)把握、覚えていない事もあって、ここに書いたものは読後直後の印象です。
通してちゃんと読んだならまた違った感想になるかもしれません。
単行本第二巻の刊行を待ちたいと思います。



5月…
実は。会田誠さんの表紙絵がメッチャ楽しみなのです。
(って小説の方じゃないの?;)^^;

島田様、すみませんです。m(_ _)m
待ってます。


収録作読了

2008-11-17 23:30:15 | 本・映画
このカテゴリー(畑)に居座っている割には全然読書家でない私は、いわゆる「ベストセラー」というものを読んだ事が無い。
(威張って言う事では無い;)
だから、殆どの現代?作家さんの小説(近代それ以前も;)を読んで無いと言っても差し障り?;が無い。


先日、「徒然王子」から入った島田雅彦さんの既刊書「優しいサヨクのための嬉遊曲」(新潮文庫)を買って来た。(「来た」だけになっていた;)


この本を買うにあたって、先に手に取ったのが「エトロフの恋」。
買おうと思ったのだけれど、よく見たら三部作。ちょっと大変(時間的に)だと判断して、ここは<基本>とデビュー作を買いました。

まだ二作目;ですが、島田作品は読み易い感じがしています。
(読もうとして何度試みても、入って来ないってものも有りますよね?)



収録作「カプセルの中の桃太郎」の方を先に読む。
(表題作よりページ数が少ないので、すぐ読了出来るという予測だけでです;)

小市民の桃太郎の反抗期…

イデオロギー・反体制、時代意識というより、下ネタのオブラートに包まれた(男性の)通過儀礼のお話?なのでしょうか。
男、という概念の障壁を…という。


比喩の饒舌(上手)さに笑いながら、

男性は物心ついてから、男同士の中に於いて男を考える(競う)けど?
最初から生まれ出てからずっと、全人類;から女という概念で取り扱おうと、される女性は反抗期(目覚め)が早くて、それ故、反体制の使用(使い分け)に長けているかもしれない…

等と。
読後「やれやれ大変だね」と、同情?する様な気分になりました。^^;



ちょうど読み終えたところで、
TVに映る○葉さんが現れて。妙にクルシマ(主人公)と被った人物に見えてしまった。(違うけど)
永遠の◯供。


飼いならされた。乗り越えるべきものの不在。も、ながら。

さておき彼女の場合、
(自らが)神格化した対象の不在(失った)が、それに捕われる・こだわる、しがみつくという行動を、せさしめてしまった…
『絶対神(父)に認められた私』『ずっと認められ続け愛されたい私』『使徒』?
( →『期待に応えなければ……』)

自分を拠り所との対照(承認)からでしか(価値を)見いだせない?
…『同化(襲名)』したいは、その表れの顕著な例なのかな。

親(や既存の誰か)と同じスタイルで行くより、違う個を求めるのが(方が)常、多いのではないかと思うのだけど。
(『第二の◯◯』より、劣っていたとしてもオリジナルの「自分」ね)



ちょっと…
(親は)頭ごなしでも真綿でも、いけないんだなぁと。
反抗期(階段)って大切なんだなぁと。
ちょっと思った次第。


なんて。話がズレました;

という事で。着地は、
「(ありのままを)自己肯定しましょ」で。

いいかな?;