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司祭様はゆるりと肩をすくめた。
「べつに魂以外にも食べるものはありますし。今はそれよりも、この大地を眺める者と同じ視点で、この谷から。『世界』を見渡しているほうが楽しいのですよ」
そしてぬばたまの闇よりも濃くて深い黒い瞳が、僕の目をまっすぐ射抜いた。
「!」
その瞬間、加速する内心の焦りとは裏腹に、身動きができなくなって、声も出せなくなった。
「何が彼らの逆鱗に触れるか、何が彼らに気に入られるのか、同族である私にも分かりません。私たちは皆、気まぐれですから。なので大人しくじっとして、関わらずにやり過ごすのが一番でしょう。ここに住むものたちは、皆そうしています」
一方でその間、僕の耳の中でこだまする声があった。
『その女が悪魔でないことを祈ることね』
『悪魔はすでにこの大地を去った種族ですよ。忘れてしまいなさい』
誰とも知れない二つの声。けど『その女』が『彼女』であることだけは、不思議と確信が持てた。
「あと、助言ついでに忠告も。悪魔は意志のある音――ようは言葉ですね。言葉を交わすことで、他者に介入する力を得ます。努々油断なさらぬように」
ぱんっと軽く手が叩かれると、僕たちは解放された。
「それでは私もそろそろ祭に参加してきますが、皆さんはこのままごゆっくり」
闇のベールの向こうへ消えていこうとする司祭様に、僕は椅子を蹴って立ち上がり叫んだ。
「あの、僕も一緒に連れて行ってくれませんか⁉」
「はあ⁉」
声をあげたのはアダムでも、司祭様の目も大きくなったのが分かった。驚いて目を見開いたってことだろう。
「僕には探している人がいます。僕はその人のことを何も知らなくて、もしかしたら悪魔かもしれない。だとしたら、この機を逃せば、もう会えないかもしれない。少なくとも人間の身では、エクリプスの夜を二度も迎えることはきっとできないから」
「おぬし正気か⁉ 一体何を考えておる⁉ だいたいおぬしがその女と会ったのは十年と少し前の月夜であろう! 悪魔であるはずがないっ!」
アダムもここまで声を荒げることができたのか。
「そんなの分からない。ここに来てる保証もないけど、もしいたとして何もしなかったら、僕は後悔する」
「愚か者! よしんば生き残れたとしても、五体満足でいられるかも分からんのだぞ! 参加するなど到底許せん!」
「心配しなくても、僕だって死にたくはないから、彼らの逆鱗に触れないように行動するよ」
「分からず屋め! そういう話ではないと、どれだけ言えばよいのだ!」
不毛な応酬は、ふいに起こった笑い声に割り込まれて止まった。
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