昭和40年代の思い出&高3双子の年中時代の思い出

昭和40年代、東京下町・足立区での子供時代の思い出と年中だった双子息子こと。大好きな料理、お酒のことを描いてます

双子の父の昭和の思い出  日曜日のお昼

2020-11-15 10:28:32 | 昭和の思い出
双子の文の進学で、先ほどまで

奥さん、文と私、三人で大げんかでした。

文は「自習室行ってくる」と家を出て

私も「出かけてくる」と家を出ました

うーーん、帰ったら、まだわだかまり残ってなきゃいいなあ

と思います。

双子の父の昭和の思い出 学校給食1

2020-11-12 10:10:42 | 昭和の思い出
学校に行く大きな目的、楽しみが 給食でした。

そんな何でも食べる父でも、脱脂粉乳は苦手でした

残したり、捨てたりすると、真面目な女子が学級会で

言いつけされて、先生からこっぴどく叱られました。

だから、ビン牛乳に変わったときは、天国に行き着いた状態でした。

大好きだった給食の思い出、しばらく投稿します。

双子の父の昭和の思い出  オバケえんぴつ

2020-11-11 08:01:26 | 昭和の思い出
今のように物があふれていない時代でしたが

子供達は、何か面白いことはといつも考えて

創意工夫していました。その一つがこれ。

芯と鉛筆の木製部分の接着が良くなかったのか

机で芯の先を「トントン」と折れないようにやっていると

芯が鉛筆から抜けるようになりました。

文字を書くときは指先で反対側の芯を押さえていないと

書けないという、考えればおバカなことでしたが

夢中になって授業中「トントン」していました

双子の父の昭和の思い出  カナブン

2020-11-10 10:51:16 | 昭和の思い出
都内下町の昭和40年代。公害、光化学スモッグ

で東京はじめ地方も今より、とても環境良くありませんでした

なので、あちこちに畑、田んぼ、原っぱありましたが

カブトムシやクワガタなど全くいなくて、撮れるといえば

果樹に付くカナブンばかり。捕まえるとすぐにフンをするため

子供にもあまり人気のない虫でした。

そこで、こんなことして遊んでいたら、とっとも面白かったし

周りからも喜ばれました

双子の父の昭和の思い出  学校帰りのの物売り『パタパタ』

2020-11-09 12:46:26 | 昭和の思い出
通学路には、子供達に売りつけようと物売りさんが

いつも来ていました。子供達もそれが楽しみで

ついつい手を伸ばしてしまう子が多かったです。

この『パタパタ』。一目で気に入り家に帰り、貯金箱から

お金を握りしめて買いに戻りました。

以来どうなっているのか確かめて、自分で作ったりもしていました


双子の父の思い出  奥さんとの初デート

2020-11-07 07:32:45 | 双子
友達の紹介で居酒屋さんで会ってから

初めてのデート。カッコいいお店など

まるで知らない私は、当時1番好きだった

焼肉屋さんに行きました

食事中、油跳ねがあるのでこんなにしました

『あの時の、あれが結婚しよう』と思った瞬間

と言われました。エへへへッ

すみません。ちょいのろけです。

双子の父の昭和の思い出 駄菓子屋の秘密

2020-11-05 19:28:19 | 双子
駄菓子屋の秘密

いつも思ってました。『どうしてクジの1等って

最後まででないんだろう?』っと

駄菓子屋の秘密を知った後、決して新入荷には

クジはしませんでした。いつ、駄菓子屋のおばさんが

あたりを入れるのか。商品の数とクジの数をチェックして

当たりを狙う賢い子供でした