東京・浅草の初夏の風物詩「三社祭」が20日、最終日を迎えた。
浅草神社の境内から、重さ1トンを超す本社神輿(みこし)3基を担ぎ出す勇壮な「宮出し」が行われ、「ソイヤ、ソイヤ」のかけ声に合わせ、開業目前の東京スカイツリーが見える街角を練り歩いた。熱気に包まれた沿道では、詰めかけた見物客が盛んにシャッターを切っていた。
今年は三社祭の起源「舟祭(ふなまつり)」が始まって700年の節目。昨年は東日本大震災の影響で中止になったため、2年ぶりの開催となった。期間中の3日間の人出は、前回を約22万人上回る約184万人に上った。.
読売新聞 5月20日(日)から。
三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。 現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。 神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。
このことを表すかのように、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌「神輿深川(深川祭)、山車神田(神田祭)、だだっぴろいは山王様(山王祭)」の中には含まれていない。
旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。
但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザ(主に指定暴力団住吉会系の浅草高橋組や中村会)が組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主宰)」など問題点も多く、地元民の全面的支持は受けているわけではない。2007年7月13日には、「三社祭でみこしを担ぐ同好会30数団体のうち、約7割で暴力団員が代表になって」いると報じられた。祭りが暴力団の資金源になっているものとみられている。祭りには全身の刺青を露出した男性が多く参加している。2007年までの10年間に暴力団組員33人が都迷惑防止条例違反で逮捕されたほか、組員らが御輿の上によじ登って騒ぎを起こす行為が問題となり、2008年には本社神輿の担ぎ出しが中止になった。不安を訴える一般客も多く、2012年、都暴力団排除条例が施行されたことを受け、主催者側は暴力団組員らに組織名の入った半纏を着用させないよう要請するなどの対策に乗り出している。
本社御輿
一方で祭り好きの人々が同好会を結成し、各所の祭りを担ぎ回るようになった。現在は人員は足りているが、神輿同好会が参加している。ふんどしを締めている担ぎ手も結構多い。また、神輿に担ぎ手が乗ることは禁止されているものの、担ぎ棒の上にふんどし一丁、又はふんどしに半天だけの人が乗る例が後を絶たなかった。2006年(平成18年)には本社神輿二之宮が毀損するに至り、浅草神社と奉賛会の連名で改めて通達が2007年1月に出された。しかし2007年(平成19年)においても神輿に乗る担ぎ手が確認され、都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕者5人も出た事から、神社と奉賛会は2008年(平成20年)の祭での本社神輿の「宮出し」と「本社神輿各町渡御」「宮入り」を中止する事を決定した。このため来客数の激減が予想されたが、前年比より増加で終了した。雷門通り・馬道通りの迂回は継続される。2009年(平成21年)は、「神輿に担ぎ手が乗ると再び中止にする」下、再開した。
ただし、2011年(平成23年)は東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生に伴う社会的影響を考慮して中止が決定した。
2012年(平成24年)は、三社祭が行われて700年の節目に当たり、「舟渡御」が1958年(昭和33年)以来54年ぶりに行われた。
浅草神社の境内から、重さ1トンを超す本社神輿(みこし)3基を担ぎ出す勇壮な「宮出し」が行われ、「ソイヤ、ソイヤ」のかけ声に合わせ、開業目前の東京スカイツリーが見える街角を練り歩いた。熱気に包まれた沿道では、詰めかけた見物客が盛んにシャッターを切っていた。
今年は三社祭の起源「舟祭(ふなまつり)」が始まって700年の節目。昨年は東日本大震災の影響で中止になったため、2年ぶりの開催となった。期間中の3日間の人出は、前回を約22万人上回る約184万人に上った。.
読売新聞 5月20日(日)から。
三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。 現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。 神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。
このことを表すかのように、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌「神輿深川(深川祭)、山車神田(神田祭)、だだっぴろいは山王様(山王祭)」の中には含まれていない。
旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。
但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザ(主に指定暴力団住吉会系の浅草高橋組や中村会)が組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主宰)」など問題点も多く、地元民の全面的支持は受けているわけではない。2007年7月13日には、「三社祭でみこしを担ぐ同好会30数団体のうち、約7割で暴力団員が代表になって」いると報じられた。祭りが暴力団の資金源になっているものとみられている。祭りには全身の刺青を露出した男性が多く参加している。2007年までの10年間に暴力団組員33人が都迷惑防止条例違反で逮捕されたほか、組員らが御輿の上によじ登って騒ぎを起こす行為が問題となり、2008年には本社神輿の担ぎ出しが中止になった。不安を訴える一般客も多く、2012年、都暴力団排除条例が施行されたことを受け、主催者側は暴力団組員らに組織名の入った半纏を着用させないよう要請するなどの対策に乗り出している。
本社御輿
一方で祭り好きの人々が同好会を結成し、各所の祭りを担ぎ回るようになった。現在は人員は足りているが、神輿同好会が参加している。ふんどしを締めている担ぎ手も結構多い。また、神輿に担ぎ手が乗ることは禁止されているものの、担ぎ棒の上にふんどし一丁、又はふんどしに半天だけの人が乗る例が後を絶たなかった。2006年(平成18年)には本社神輿二之宮が毀損するに至り、浅草神社と奉賛会の連名で改めて通達が2007年1月に出された。しかし2007年(平成19年)においても神輿に乗る担ぎ手が確認され、都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕者5人も出た事から、神社と奉賛会は2008年(平成20年)の祭での本社神輿の「宮出し」と「本社神輿各町渡御」「宮入り」を中止する事を決定した。このため来客数の激減が予想されたが、前年比より増加で終了した。雷門通り・馬道通りの迂回は継続される。2009年(平成21年)は、「神輿に担ぎ手が乗ると再び中止にする」下、再開した。
ただし、2011年(平成23年)は東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生に伴う社会的影響を考慮して中止が決定した。
2012年(平成24年)は、三社祭が行われて700年の節目に当たり、「舟渡御」が1958年(昭和33年)以来54年ぶりに行われた。
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