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★千貫神輿渡御★速報・今朝鳥越神社で。

2012年06月10日 | ★イベント★
東京の鳥越神社の本社神輿は、千貫神輿と言われているそうですが、 重量が本当に千...

ID非公開さん

東京の鳥越神社の本社神輿は、千貫神輿と言われているそうですが、
重量が本当に千貫もあるのでしょうか?

千貫とは、約4トンだそうです。

ベストアンサーに選ばれた回答
ID非公開さん

鳥越神社の本社神輿は、確かに実際に約4トンあります。
都内の千貫神輿のはしりで、江戸時代から別名「お化け神輿」とも言われ、現在と同じ大きさと重さの神輿が担がれていました。
今ある本社神輿は2代目で、初代の千貫神輿は関東大震災で焼けてしまいました。
鳥越神社は1350年以上の歴史がある古社で、平安時代からお祭りが盛んだったそうです。
俗に千貫神輿と言われている神輿の殆どは、実際には2トンから3トンだそうですが、鳥越神社の本社神輿は胴が太く鉛がギッシリ詰まっています。
深川の富岡八幡宮の一ノ宮神輿は、バブルの時にダイヤなどの宝石を散りばめ、お金をかけて作られました。
重さは約4.5トンもあり、現存する神輿では一番重いでしょう。
しかし重すぎて担ぐ事が出来ない為、約2トンの二ノ宮神輿が作られ、代わりに担がれています。
ちなみに三社祭りの三基ある本社神輿は一基あたり約1トンです。




















鳥越神社(とりごえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社である。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、平成24年度(2012年)は、6月9日(土)、6月10日(日)に開催される。

祭神
日本武尊:東国平定のおりにこの地に滞在したことを偲び、村民(平安後期まで白鳥村と呼ばれた)が奉祀したのが始まりとされる 天児屋根命:武蔵の国司となった藤原氏の祖神として祀ったものとされる
東照宮公:徳川家康を祀っていた松平神社(現蔵前4丁目16番付近)が関東大震災で焼失したため当社に合祀された

歴史
前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。

江戸時代までは約2万坪の広大な敷地だったが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられてしまった。

鳥越神社が土地を失ったのは、江戸城築城と隅田川や当時鳥越のすぐ近くにあった姫が池の埋め立てのためにたくさんの土が必要になり、鳥越の丘を崩して使用した。 その後、江戸城の城下町を形成するのと、旗本や大名屋敷の御用地とするために 幾度となく幕府に土地を没収されたもの。

それまで、鳥越の山にあった鳥越大明神と熱田神社と第六天神の鳥越三所明神のうち、 熱田神社が今戸に、第六天神が蔵前にそれぞれ移動させられた。鳥越大明神だけがその地に残されて、今の鳥越神社になった。 第六天神は今の第六天榊神社である。第六天榊神社の紋も鳥越神社と同じ七曜紋である。

祭礼
1月8日 とんど焼がおこなわれる。
6月9日に近い土曜日・日曜日 例大祭

例大祭
御本社宮神輿は、台輪幅4尺3寸の元祖千貫神輿で有名。
狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きくより重く感じるので、昭和の初めよりその重さから都内で最も重い神輿と言われていた。
毎年氏子により担がれ、氏子町内を渡御される神輿としては都内でも最大級で重い神輿である。
本社神輿は例年、日曜の朝6時50分(発輿式は6時半から)より宮出しされ午後9時に宮入となり神社に戻る。
本社神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き神輿を先導し、夜8時過ぎの宮入道中では神輿の周りに提灯を付け、高張り提灯に囲まれ宮入りする。
その荘厳かつ幻想的な姿により、夜祭りとしても有名で、暗闇の中を提灯の灯りがユラユラと揺れる事から、お化け神輿の別名もある。
平成9年(1997年)9月14日に、東京湾横断道路アクアラインの開通を記念し、「関東三大宮神輿」として浅草・鳥越神社の本社神輿、深川・富岡八幡宮の二之宮神輿、木更津・八剱八幡神社の宮神輿の連合渡御が行われ、木更津の地で合同奉舁が行われた。


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