【山男の歌】
作詞:神保信雄
作曲:不詳
娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ
山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ
山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ
娘さんよく聞けよ 山男の好物はよ
山の便りとよ 飯盒のめしだよ
山の便りとよ 飯盒のめしだよ
山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ
娘心はよ 山の天気よ
娘心はよ 山の天気よ
山男同志の心意気はよ
山できたえてよ 共に学ぶよ
山できたえてよ 共に学ぶよ
春夏秋冬 山行く人の心はよ
山に憧れよ親しい友とよ
山に憧れよ親しい友とよ
娘さんよく聞けよ 山男に惚れたらよ
息子達だけはよ山にやるなよ
息子達だけはよ山にやるなよ
娘さんよく聞けよ 山男の心はよ
山で鍛えたよ 男意気だよ
山で鍛えたよ 男意気だよ
【いつかある日】
原詞:ロジェ・デュプロ
訳詞:深田久弥
作曲:西前四郎
いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったと
男らしく死んだと 父親には
伝えてくれ いとしい妻に
俺が帰らなくても 生きて行けと
息子たちに 俺の踏み跡が
故郷の岩山に 残っていると
友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケル立てて
俺のケルン 美しいフェイスに
朝の陽が輝く 広いテラス
友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌声を 聞かせてくれ
公式ブログ プロフィール
2007年3月21日(水)
プロフィール
竹内 洋岳(たけうち・ひろたか)
1971年生まれ 東京都出身 身長180cm 体重65kg 血液型O型 立正大学卒
株式会社ICI石井スポーツ所属 プロフェッショナル マウンテン・クライマー
登山好きな祖父の影響を受け、幼少より登山とスキーに親しむ。
高校、大学で山岳部に所属し登山の経験を積み、20歳で初めてヒマラヤの8000m峰での登山を経験。
1995年にマカルー(8463m)東稜下部初登攀により頂上に立ち、1996m年には、エベレスト(8848m)とK2(8611m)の連続登頂に成功し、その後、活動をヒマラヤに集中させていく。
1998年に8年間在学した大学を卒業し、株式会社ICI石井スポーツに入社。
2001年からは、ドイツ人クライマー、ラルフ・ドゥイモビッツや、オーストリア人女性クライマー、ガリンダ・カールセンブラウナーをメインパートナーとし、各国のクライマーと少人数の国際隊を組み活動。酸素やシェルパを使用せず、アルパインスタイルを積極的に取り入れた速攻登山で複数の8000m峰を継続するスタイルで注目を集める。
2007年にパキスタンのガッシャブルムII峰(8035m)で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負い生命の危機に陥ったが、各国登山隊のレスキューで奇跡的に生還した。もはや登山への復帰は絶望的とも言われたが、手術、リハビリにより、わずか1年後には、事故のあったガッシャブルムII峰へ再び挑み登頂に成功。多くの賞賛を受けた。
2012年5月26日、ダウラギリの登頂に成功し、日本人で初めて8000m峰14座完全登頂を達成した。
2002年に結婚、二児の父親の顔も持つ。
黒犬通信
The Black Dog Journal
プロ登山家・竹内洋岳(たけうち・ひろたか)
posted at 2012.05.05
4月21日の朝日新聞beの「フロントランナー」で、プロ登山家の竹内洋岳(41歳)が紹介されていた。上下関係や、個人と組織のことまで触れる内容で、とてもいいインタビュー記事だった。こんな人が日本のいろいろな分野ででてくると、日本はずっといい国になるだろうと思います。組織の前に個人 (individuality) を持った人、そんな人がもっと、もっと増えてこないと、無責任なサラリーマン根性の人間ばかりになっては、いま進行中の、日本の「第二の敗戦」はこれからあと20年も続くのでは?
以下、とても共感を覚えた彼の発言:
「2001年にドイツ人登山家の組織したナンガパルバット(8126メートル)の国際公募隊に参加。それまで経験した日本隊の組織登山とは全く違いました。お互いファーストネームで呼び合い、全員に登頂のチャンスがありました。幸い登頂でき、実力を認めてもらいました」
「8000メートルを超える高所登山は万全のコンディションでないと登頂できません。ささいなけがでもパーフォーマンスは落ちます。酸素の消費量を増やさないため、余分な筋肉はつけません。身長は180センチありますが、体重は60キロくらいがベスト」
「プロって、何かと考えたら、結局は覚悟だと思います。長男の幼稚園の入学願書に妻は『会社員』と書きましたが、私は『登山家』と直しました。確かに登山用品専門店ICIの社員ですが、会社から『プロ宣言』を認めてもらっています。日本では登山家という職業が確立されていません。プロを名乗ることが登山をスポーツや文化として根付かせる第一歩なのです」
「登山には競技スポーツのようなルールがありません。だから、自分で制約を加えないといけません。プロとして14座を登るとき、内容が問われます。無酸素なのか、酸素ボンベを使ったのか、と。欧州だと14座制覇は無酸素でないと評価されません」
「親しかった田辺治さんはダウラギリ1峰で雪崩で亡くなりました。私よりヒマラヤ経験の多い田辺さんでも、雪崩は容赦しなかった。本人は悔しいと思っているでしょう。でも、登らなければよかったという後悔はしていないと思います。だから、私が遭難しても悲しんでもらいたくないです」
「富士山が日本一高い山なのは誰でも知っています。じゃあ2番目は?あやふやになりますね。日本人なら3番目の山までは知っていてもらいたいです」
「14座についても、エベレストとK2をのぞくと同じでしょう。世界で14番目に高い山を子供たちが知るようになった時、山に対する考え方が変わるのではないでしょうか。それなれば志半ばで逝った山田昇さんや名塚秀二さん、田辺さんの再評価につながる」
事故後、失った右腕の代わりに義手で、登山を続けるラルストン。
アーロン・リー・ラルストン(Aron Lee Ralston)
生年月日:1975年10月27日 満36歳
クライマー(登山家)にして演説家であるアーロン・ラルストン(Aron Ralston)は、映画『127時間(原題:127Hours)』(原作自伝『奇跡の6日間 Between a Rock and a Hand Place』)で描かれたように、2003年の5月、アメリカ・ユタ州の渓谷で落石により巨大な岩に挟まれて身動きが出来なくなってしまう。右腕を自身で切断して出血多量の死の危険を賭して帰路を戻る途中、オランダから休暇に来ていたエリク&モニクとその息子アンディに助けられ、家族や友人達からの懇願により出動したレスキュー隊のヘリに救助され、手術の末に一命を取り留めた。その後は、義手での登山を行っているとのことである。
いつ危険が襲い掛かるかわからない、幸いにも彼は右腕を失うに留まったが命すら失うかもしれないのだ。
2003年4月、ブルー・ジョン・キャニオン(ユタ州東部、キャニオンランズ国立公園・ホースシュー・キャニオン地区のすぐ南)を歩いている時に、渓谷内で挟まっていた岩が外れて落ち、彼の右腕前腕部に落ちて、渓谷内の壁との間に腕を挟んで止まった。ラルストンは彼の旅の計画を誰にも伝えていなかったので、誰も自分のことを探しに来ないだろうと考えていた。
彼は自分自身の死を悟り、5日間で、150ml程しか残っていない水を少しずつ飲みながら、腕を引き抜こうと試みた。しかし800ポンド(約360キロ)ある岩が腕を挟んでいて、引き抜く努力は無駄になった。岩を持ち上げようとしたり壊しそうとしたりして3日経ち、脱水症状を起こして精神錯乱状態となり、ラルストンは脱出のために挟まった右腕前腕の中程を切断しようと試みた。彼は、腕が挟まった最初の数日で実験的に右腕を止血し、表皮に傷を入れて出血しないかどうか確かめている。4日目の時点で腕を引き離すには腕の骨を折らなければいけないことに気がついたが、彼が持っていた道具では骨を折るに不十分であった。5日目には飲み水が尽き、渓谷の壁に自分の誕生日と死ぬであろう日付を刻みつけ、自分自身をビデオ撮影して家族に向けて最後のメッセージを録画した。恐らくその夜は生き延びれないだろう思っていたが、翌朝(2003年5月1日木曜日)の夜明けにまだ生きているということに気がついた。その後すぐに「挟まった腕をねじって力を加えることで、前腕部の二本の骨(尺骨と橈骨)を折ることができるのではないか」と直感し、直ちに実行に移したが、彼の持っていたナイフが短かったために切断には1時間程かかった。彼はナイフのメーカーについて「レザーマン製以外のものを使った」とだけ言って、どのメーカーのものであるか言及していないが、「15ドルの懐中電灯を買った時に、万能ツールとしておまけでもらったものだ」と言っている 。
腕の切断に成功した後、彼は車を置いた場所まで戻らなくてはいけなかった。長く留まっていた狭い渓谷を脱出し、垂直の壁を片手で懸垂下降し、真昼の太陽の降り注ぐ中、渓谷を歩きとおした。自分の車を駐車したところまで8km程離れていたが、携帯電話を持っていなかった。歩いているうちに、オランダから休暇に来ていたマイヤー一家に遭遇した。彼らはラルストンに水を与え、救助を要請するために急いで移動した。ラルストン自身は救急要請される前に出血多量で死ぬのではないかと思っていたが(この時までに体重が40ポンド(約18キロ)減少していた。これは血液の25%に当たる)、偶然にもラルストンを探していたレスキュー隊がヘリコプターで着陸し救助された。腕を切断して6時間後のことであった。家族や友達が、ラルストンがいなくなったことで救助要請をし、救助の直前にキャニオンランズに捜索対象を絞ったところだった。
後日、切断されて残った腕は、国立公園の管理者によって岩の下から取り出された。トム・ブロコウによると、13人がかりで巻き上げ機と油圧ジャッキを使って岩を動かし、ようやくラルストンの腕を取りだすことができたという。腕は火葬にされた上でラルストンに渡された。6カ月後、NBCテレビでの事故の特集番組を撮影するため、彼の28回目の誕生日にトム・ブロコウと共に事故現場に戻った。その際「自分の右腕はこの事故現場のものだから」といって、右腕の遺灰を現場に散骨している。
映画『127時間』で、主人公である36歳のラルストンを演じた34歳の俳優ジェームズ・エドワード・フランコ(James Edward Franco)。彼の父ダグ・フランコはポルトガル&スウェーデン系、母ベッツィはロシア出身のユダヤ系、兄弟はトム&デイヴという2人の弟がいる。
〈DVDジャケット・裏〉
実話から生まれた奇跡のサバイバルサスペンス!
誰にでも、人生のターニング・ポイントは必ずやってくる。アーロン・ラルストンの場合、それは自分の底のように慣れ親しんだ場所での出来事だった。金曜の夜、いつものように1人でロッククライミングを楽しむため、ブルー・ジョン・キャニオンに向け出発した。そこで運命の瞬間が彼に襲いかかる。落石に右腕を挟まれ、谷底から動けなくなったのだ。死を目前にして初めて自分の人生と向き合うアーロン。生きたい。生き直したい!生命の限界を超えた127時間後、遂に彼は〈決断〉する――。
極限状態に陥ったとき、あなたならどうする…?
by「KINENOTE 映画ライフログサービス」
解説
単独でのロッククライミング中の事故により、谷間で身動きの取れなくなった青年の極限状態での体験を、実話に基づいて描く。監督は「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー監督賞に輝いたダニー・ボイル。ジェームズ・フランコ(「スパイダーマン3」)の主演男優賞を始め、アカデミー賞で6部門にノミネートされた。
あらすじ
タフなヒーロー気取りで人と深く関わらずに生きてきたアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)。開放的な陽気さとクールな一面を合わせ持つ魅力的な青年だ。ある金曜の夜、彼はいつものように1人でロッククライミングを楽しむため、慣れ親しんだユタ州、ブルー・ジョン・キャニオンに向けて出発する。それは、彼にとってどうということのない週末の過ごし方だったが、突然、過酷な運命が襲い掛かる。落石に右腕を挟まれ、狭い谷底から一歩も動けなくなってしまったのだ。助けを求める叫び声は無人の荒野に虚しく響き渡る。知識と経験を総動員して岩を撤去しようとするが、ガッチリと挟まった岩はピクリとも動かない。死を目前にして初めて自分の人生と向き合うアーロン。自分勝手に生き、両親にも、友達にも、恋人にも決して心を開かなかった。衰弱してゆく身体を引き裂くように襲い掛かる後悔、それと同時に湧き上がる“生きたい”という生への執着と情熱。そして生命の限界を越えた127時間後、遂に彼は決断する……。
“激流に身を任せ同化する”とは、北斗の拳におけるトキの台詞である。
元の台詞は「激流に逆らえばのみこまれる。むしろ激流に身をまかせ同化する。激流を制するは静水」。
概要
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意味としては「柔よく剛を制す(柔らかくしなやかなものが、かえって強く固いものを制する。転じて、弱い者が強い者に勝つこと)」とほぼ同様。激流に対し逆らっても飲み込まれる。よって逆に同化することにより、激流に打ち勝つという考え。
大都社版の表紙
13歳の誕生日、幸せの絶頂だった亜里沙を突然襲った惨劇!!父の死!友の裏切り!!そして地下への幽閉!!!4年の時を経て、今、地上へ戻った亜里沙の復讐が始まる――!!表題作を含め初期作品5本を収録した、ミステリー傑作集。
和田慎二の初期の作品で、当時の代表作だと言われた『銀色の髪の亜里沙』。読めば分かるが、『岩窟王』をモチーフにした作品であることは明白だ。エドモン・ダンテスと同様に自己中心的で自身の復讐という名の罪を正当化し、元友人達を発狂や自殺に追い込んで彼女らの心と人生と命を弄んだ亜里沙はただの罪人でしかない。
本条亜里沙
元の学校に「飛鷹アリサ」と名乗り、3人の元友人達に復讐した。
京崎美尾
唯一、亜里沙を心から大切にしている友人。
信楽紅子
信楽
青木恵子
川崎マサコ
それぞれ亜里沙を妬み・憎み、紅子の父である信楽と結託して亜里沙の家族を葬り去ったが、憎しみは憎しみを呼び亜里沙に復讐されて破滅した。
本条雪江
旧姓「飛鷹」。亜里沙の母親。信楽に捕らわれ、強制的に精神病院に閉じ込められ、亜里沙の名を叫びつつ食事を拒否して自殺した。
『機動戦士ガンダム』シリーズのダメな人ランキング - gooランキング
1979年の放送開始当時、勧善懲悪な子ども向けの内容ではなく、戦争を題材に大人の鑑賞にも堪えうるリアルな人間ドラマを描いた作品として一部ロボットアニメファンから熱烈な注目を集めた『機動戦士ガンダム』。その後に制作されたシリーズ作品においても、登場人物の人間性を掘り下げることに注力しているのが特徴です。
このシリーズとしての特徴ゆえに、登場するキャラクターの中には「ちょっと人としてどうなの…?」と視聴者が感じてしまう、いわゆる「ダメな人」も数多く存在します。そんなダメな人キャラの中でも「筋金入り」として視聴者の意見が一致しているのが、第一作『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイです。もともと内向的で一人でいることを好むアムロ・レイは、ふとしたきっかけでモビルスーツのパイロットとして戦場に立ち、周囲の人間との衝突や親しい関係にある人物の死など、厳しい現実と向き合うことになります。その折々に見せる彼の行動や言動は確かに「なんてダメな人なんだ」と感じてしまうものが多いですが、それゆえに弱さを持った生々しい存在として、ほかの登場人物以上に印象に残っているのかもしれませんね。
続く2位には《ガルマ・ザビ》、3位には《マ・クベ》と、予想通りファーストガンダムの登場人物が強さを見せましたが、歴代シリーズの名だたるダメな人を押しのけて4位に食い下がったのが、主人公が三世代にわたって交代する異色作『機動戦士ガンダムAGE』のフリット・アスノ。一部では主人公として活躍し、その後は息子のアセム・アスノが主人公の二部、孫のキオ・アスノが主人公の三部でも物語のキーマンとして登場する人物です。こちらも若くして戦場に立ち、厳しい現実に直面して悩み苦しむという点ではアムロ・レイと変わりはありませんが、心の弱さが「ダメな人」と判断されたアムロとは異なり、「地球を平和へ導きたい」という救世主願望、殲滅を願うほど激しい敵への復讐心という悪い意味での心の強さゆえに「ダメな人」と感じている人が多いようです。
ダメダメ爺さんがワースト(ダメな人で統計を取った=ワーストと同義語だよ。)第4位でトップ10の上位に入った!?駄目な奴のランキングだから上位であるほどダメ度が大きいそれにしても、アムロをトップにするのは酷い扱いだと思う。追いつけないんだと拗ねるハヤトやついていけなくてハヤトに乗り換えたフラウ・ボゥの方がダメ度は大きいのにね
白沢圭:聞け。明日香、おれたちは生まれるのが早すぎたのだ。おれたちは仲間が欲しかったんだ、4人だけでなく、もっと多くの…。だが、ことを急ぎすぎた。一粒の水滴が水たまりになり、やがて池となり川を作り海への道をたどるように……たとえ今のまま老いて死のうとも風のように水のように自然がそれを許すまで待てば良かった…戦いは待つことから始めるべきだったのだ。