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1980年以前の中学に家庭科、未必修の男性諸氏に医療従事者を含め必要かも。

[三鳥二魚]食生活について語ろう

2024年01月14日 | 美容ダイエット

・三鳥二魚 さんちょうにぎょ
江戸時代の5大珍味として知られます。
三鳥とは、鶴(ツル)、雲雀(ヒバリ)、鷭(バン)で、二魚とは、鯛(タイ)、鮟鱇(アンコウ)のこととしています。
  ◇蝦夷地の鶴は織田信長の時代に南蛮料理として肉食を持ち込み支配階級の武士・貴族らにとって「薬食い」と称していました。
鶴が、江戸時代には肉は香りがよく高級食材で、室町時代までは仏教、中国の影響で禁忌としていましたが室町時代後期より上位の位置づけです。主に武家の祝いの席で肉・卵と共に供していた記録が、おもに人見必大著『本朝食鑑1695年(元禄8年)』にあります。日本の食物全般について、最も美味いは黒鶴で、次いで白鶴、真鶴(マナヅル)を賞味し、丹頂鶴タンチョウの肉は肉は硬くてまずいのですが、観賞用飼い、ないし中国の故事に倣(なら)ってタンチョウを不老長寿の象徴とし薬食いしています。
将軍家は冬場に江戸へ渡ってきた鶴を鷹狩りで仕留め、最初の獲物を初鶴として宮中に献上したほか、諸大名や公卿(くぎょう:上層貴族)の間では贈答品として鶴の肉が行き来していました。料理物語(1643年)、料理通(1822~1835年)、日養食鑑(1820年)などに記載しているようです。塩鶴は、松前藩など北方諸藩から江戸や上方にもたらされており、西鶴置土産(1693年)には、歌舞伎役者の坂田藤十郎が大津で鶴を1羽、銀10枚で買い、日常的に吸い物にしていたという話の紹介です。鶴肉は、庶民には手の届かない高級食材でした。
 雲雀(ひばり)、鷭(ばん)は、串焼き、丸焼き、焼き鳥や照焼きとして食べていたとのことです。
 ◇ヒバリは、ヒバリ科で体長17cm、雌雄同色ですが、メスは後頭の短い冠羽(かんう)をあまり立てません。留鳥(りゅうちょう・とどめどり)・漂鳥(ひょうちょう:地域内で季節によって居所を変える鳥)で全体に淡黄褐色をして頭などところどころの体に黒い縦斑が見られます。世界各地、広範囲に生息していますが、近年の土地開発で減少傾向です。さらに子育てに地表に巣をつくり、天敵に狙われやすようです。
  ◇鷭(バン)という鳥はあまりなじみがないですが、日本中に生息している鳥で 主に湖沼、川、水田、湿地などに大きさは約35㎝で鳩と同じくらいで見られて、「クエッ・クルルッ」と鳴き声が大きく、驚いて他の動物は水田に近寄ってこず「田の番をする鳥」としてバンの名が付けられたといいます。鷭はツル目クイナ科に分類する鳥です。 体は嘴(くちばし)が赤色、先が黄色、雌雄共に黒い羽毛に覆われ背の羽毛はオリーブ色、他は灰白色です。基本、留鳥だが本州に四月ごろ渡来、十一月ごろ南へ去ることもあるようです。
現在では、バンは、三鳥の中で唯一の2022年までは狩猟対象鳥獣だったのですが、2023年から五位鷺(ごいさぎ)と共に2鳥が対象鳥獣から外されています。
 江戸時代の珍味の「三鳥」を味わうことは不可能なようです。江戸時代の五大珍味である三鳥ニ魚(三鳥ツル、ヒバリ、バン。二魚アンコウ、タイ)のうち、もうこれで三鳥いずれも食べることが叶わなくなってしまいました。
日本で2023年4月現在鳥の狩猟対象となっているのは以下の26種に限られて原則として狩猟免許が必要です。
 1)カワウ、2)マガモ、3)カルガモ、4)コガモ、5)ヨシガモ、6)ヒドリガモ、7)オナガガモ、8)ハシビロガモ、9)ホシハジロ、10)キンクロハジロ、11)スズガモ、12)クロガモ、13)エゾライチョウ、14)ヤマドリ(亜種コシジロヤマドリを除く)、15)キジ(コウライキジを含む)、16)コジュケイ、17)ヤマシギ、18)タシギ、19)キジバト、20)ヒヨドリ、21)ニュウナイスズメ、22)スズメ、23)ムクドリ、24)ミヤマガラス、25)ハシボソガラス、26)ハシブトガラス。 (鳥獣保護管理法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律[環境省] )
二魚は、鮟鱇(あんこう)です。
 ◇鯛が魚の一位となったのは江戸時代からで、それまでは最高の魚は鯉でした。江戸時代以前では都の京都が海から遠く、入手できる鮮魚は淡水魚であり、その中では鯉が第一で、中国文化の影響ともいわれます。
江戸後期の俳文集『鶉衣(うずらごろも)1787~1788年』の百魚譜には「人は武士、柱は檜(ひ)の木、魚は鯛」とあります。黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう:1746年)には上中下の魚を用いた献立例を四季ごとに記しています。鯛・鮟鱇と共に上魚(あげいお)として記載し他の料理書にも客の身分相応の格の魚を用いよという記述が見られ、魚の格付を重視していたようです。フグは現在は高級魚ですが、フグによる中毒死が多く、下魚の格付けでした。中毒が多く、庶民も食べられる価格だったのです。シーボルトが記録した1826年の江戸の価格は、魚の7割が米1-升(約1.5キロ)より高くそしてサバやアマダイが1枚(尾)3百文で、フグは二百文だったようです。現在高級魚の値段の高い魚はほぼ上魚になっていますが、フグやマグロは意外にも下魚(げざかな)です。フグは中毒する、マグロは傷みやすく脂が多い魚で猫もまたいで通るほど不味いということから「猫またぎ」とも呼ばれ当時の人々に好まれなかったのです。
鯛は今でもなじみのある魚ですが、江戸時代には新鮮なまま江戸へ運ぶために「活鯛船(かつだいせん)」と呼ばれる生け簀付き船が作られていました。
◇そして近年に「西のふぐ、東の鮟鱇」と並び称される高級魚「鮟鱇」です。とくに茨城沖で獲れる深海200mに生息の魚の鮟鱇は質がよく上物であり、水戸徳川家から将軍家への献上品として用いられていました。鈎針(かぎばり)のついた釣り糸を100m以上の深さまで、大量に吊り下げて、海底にいる鮟鱇を引っ掛けるのだそうです。地域によっては底引き網漁も行われていました。
鮟鱇の吊るし切りは、江戸時代の『本朝食鑑』(平野必大、1697年)に既に紹介があり水戸藩から将軍家へ献上された高級食材でもありました。あんこう鍋のルーツは当時から鮟鱇のよく獲れた水戸藩(茨城県)の郷土料理・どぶ汁にあると言われています。どぶ汁は北茨城の郷土料理です。元々は平潟(ひらかた)の漁師が、当時売り物としてはそれほど価値のなかったあんこうを、船の上で暖を取るために食べ始めたと言われています。
あんこうの肝を鍋に直接炒りつけ、味噌を加え、あんこうと野菜から出る水のみで煮込むという、野趣溢れる濃厚な風味が特徴です。水を使用しないためあんこうの味が凝縮された濃厚な一品なようです。
今日では底引き網漁という漁法で全国で水揚げしています。 しかし北の冷たい海で生息するアンコウほど身が締まり、 味も良くなる事から、茨城産で水揚げされるアンコウの評価が高くなっています。

 時代と共に、自然開発、保存技術開発、情報システム開発・進歩で、江戸時代の五大珍味は食味の変化で、今日の食生活、食材に変化が見られています。未来に向かって、最近話題の昆虫食は、如何に❓❕

 

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