先日の真我100巻記念講演会に出た時に、
あ~っと思った事が実はあった。
もし、私がYSコンサルタントのスタッフ時代に気づいていればと後悔の念にかられた。
佐藤学長が、あれほどまで熱弁奮って、真我の目覚めの尊さを訴えている。
悟りを、自分一人だけのものにせず、世界中の人たちに目覚めてほしいと訴えている。
そして、それでもピンときていない私たち参加者から質疑応答の時間まで取って下さり、
その質問に対して、全力で答えている。
佐藤学長の講演会は、100%参加者のための講演会だ。
そして、参加者全員の背後にいるバックモチベーションの人たち、先祖子孫に向けての愛の講話だ。
だから、佐藤学長の講話は、私たちが真剣に聞けば聞くほど魂に響く。
まさに、感動し魂動する時間だった。
しかし、最後の橋渡しの時間になって、その空気はガラッと変わってしまった。
時間を忘れて、佐藤学長の講話に没頭していた参加者の多くの方が、突然時計を見始め、荷物をまとめ帰っていく人が出てくる。
本当は、佐藤学長の講話を日常生活で、自分自身が具現化していく一番大事な話なのに。
なんでこうなってしまうのか。
実は、私がYSコンサルタントのスタッフ時代も、結構あったような気がする。
理由を私なりに、その場で考えてみた。
誰彼が悪いというわけではなく、私もスタッフの側だと、そうなってしまうのですが、
要は、橋渡しの時間が単なるセミナーの紹介で、コマーシャルの時間になっている事だ。
広告宣伝になってしまっている。
テレビを見ていても、よくあるけど、コマーシャルの時間になるとチャンネルを変えたり、トイレに行ったりする。
同じように、佐藤学長の話が終わって、橋渡しの時間になった途端、席をたち始めた人が続出した。
そして、司会の方もセミナーのチラシを読み上げるだけ。
そして、申込書の回収に必死にスタッフが回るが、
最後のアンケートは後ろの回収ボックスに入れてくれとまとめたのはびっくりした。
アンケートの方が大事ではないのか。
お客様の声の方が大事ではないのか。
セミナーの申込数よりも、セミナーの内容そのものを、お客様の声を聴いて、さらにより良きものにしようという発想がないのか。
黄金の谷の法則と山の法則の違いが、
佐藤学長の講話と橋渡しの時間ではっきり見えた気がした。
橋渡しのシステムを使って、真我の実践を継続し続けていく事が大事だと思います。
目的は、受講生が真我の実践を一生続けていく事だと思います。
そのこと自体が、この世に生まれてきた目的を既に達成していると、以前講師が仰っていた。
受講生がスピンアウトしないように、受講生のための橋渡しなのだ。
なのに、セミナーの受講勧奨になってしまっている。
心の学校が売上を上げるための時間になってしまっている印象を受けた。
そもそも、佐藤学長は、真我の発信を、ビジネスの仕組みの中でやっている。
真我を商品にして、ビジネスをしているのではない。
ビジネスが目的ではない、真我の発信が目的なのだ。
心の学校が繁栄するのが、セミナーに誘致するのが目的ではない。
全世界の人が、真我に目覚めるのが目的なのだ。
真我の目覚めができるなら、極端に言うと、心の学校がナクナッテモいいのです。
何のための心の学校なのか。
何のためのセミナーなのか。
改めて、過去のYSコンサルタントのスタッフをやっていた頃の私自身に問いかけました
何のための橋渡しなのか。
そこを、受講生である私たちも気づくことが、悟りにつながるコアな大事な事だと思いました。
神シーズ、真我に目覚めたいというニーズ、真我の愛をもとめる叫びに応えるためだけに心の学校があることを、
自覚すべきだったと、今、私は、思います。
個人的な見解を書かせて頂きました。
ありがとうございました。
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