貞観2年のこと。帝都長安もふくむ函谷関(かんこくかん)から西の地方に旱(ひでり)が続き、大飢饉となった。太宗は、左右の侍臣に向かって、こう申された。
「水旱(すいかん)が整わないため、この世に洪水や旱魃(かんばつ)が起きるのは、すべて人君(じんくん)が徳を失ったからである。つまり、朕(ちん)が徳を修められないために、このような天災が起きるのであるから、天はまさに、朕ひとりを叱責してほしい。人民に何の罪があって、このようなひどい困窮に遭わねばならないのか」
「人民のなかには、生活苦のあまり息子や娘を売るものがいると聞く。朕はこれを、まことに気の毒だと思う」
太宗は、すぐに御史大夫(ぎょしたいふ)の杜淹(とえん)を派遣して、被害のひどい地方の状況を調査させた。
さらに宮中の金庫からお金や財宝を出して......
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