お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

市三宅城

2014-07-04 05:32:51 | 滋賀県
 市三宅城

2014/5/30

滋賀県野洲市のお城めぐり

 六角氏に従って織田軍攻められ落城した永原氏の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 市三宅城
よみ: イチミヤケ
別称:
所在地: 滋賀県野洲市市三宅
現状: 住宅街
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構: 土塁跡
規模:
文化財:
訪城日: 2011/7/28・2014/5/30


≪ 訪城記 ≫

自宅から市三宅城へ向かう。

長浜城前を通り県道2号湖岸道路を南下、彦根城の見える松原橋交差点信号を直進、馬場1丁目信号も直進、突き当りの三叉路を左折、県道2号に戻り東進、本町2丁目信号を右折、芹川を越えてベルロード通りを通って南下、犬上川を越え、さらに南下、賀田山町交差点信号を右折、宇曽川を越え、そのまま県道2号を南下、安土城前を通って南西に進み、日野川を渡り、冨波甲北交差点信号を右折、約650m北西に進んだ水田地帯の交差点信号を左折、南西に進み北野小学校前交差点信号を直進、京セラ工場西側を約1km進んだ市三宅集落内の交差点信号を右折、約230m西進した十字路を右折、細い路地を約80m北上した道が左に曲がるところの市三宅自治会館前に車を駐車させてもらう。

市三宅自治会館南側の安楽寺から東へ入る住宅街の間の細い道を約70m進んだ、住宅東側の空き地のようなところが市三宅城跡で大きなL字型の土塁が残っているのみで、この土塁上の北西隅には祠がある。


≪ 歴 史 ≫

永原氏の支城で、永原出雲守孝房が在城していたが、六角氏の観音寺城とともに織田軍に攻められ落城した。

≪ 写 真 ≫


市三宅城土塁


土塁上北西隅の祠


北東側からの土塁跡


安楽寺前の入り口


安楽寺

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線野洲駅から約1.1km、徒歩約20分。
<車>
名神高速栗東ICを降りて国道8号と合流して北上、野洲川に架かる野洲川大橋を渡り、小篠原交差点信号を左折、東海道新幹線高架下をくぐり、JR東海道本線の陸橋を渡り、久野部交差点信号を直進、北野小学校前交差点信号を左折、京セラ工場西側を約1km進んだ市三宅集落内の交差点信号を右折、約230m西進した十字路を右折、細い路地を約80m北上した道が左に曲がるところの市三宅自治会館前に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

市三宅城


紹介したお城の数 237城



織田信長事典コンパクト版
クリエーター情報なし
新人物往来社




豊臣秀吉事典 コンパクト版
クリエーター情報なし
新人物往来社

中島城

2014-04-26 05:13:51 | 滋賀県
 中島城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 小谷城攻防戦で浅井方の中島宗左衛門が守った陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 中島城
よみ: ナカジマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市小谷丁野町
現状: 山
築城年代: 天正元年(1573)
築城者: 中島宗左衛門
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切・横堀・虎口
規模:
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

丁野山城を降りて鞍部から東へ登ってすぐ山頂に土塁に囲まれた小さな曲輪があり、ここが小谷城攻防戦時に中島宗左衛門が守備していた中島城跡です。
北と東側の曲輪廻りに横堀に巡らしてある。
さらに東へ降りていくと堀切が見られる。


≪ 歴 史 ≫

天正元年 (1573) 小谷城攻防戦で浅井方の中島宗左衛門が守備をしていたが、丁野山城とともに落城した。

≪ 写 真 ≫


中島城曲輪


曲輪と土塁


北側横堀


東側横堀


中央土塁


曲輪の西側


虎口


東側の堀切


丁野山城、中島城の登城口


現地古城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線河毛駅から徒歩約1km、約5分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を左折、県道273号を西進、消防本部前交差点信号を右折、県道263号を北上、虎御前山を東に見ながら進み山脇交差点信号を左折、県道265号を西進、JR北陸線踏切を渡った北に河毛駅の駐車場がある。ここから徒歩で踏切を東に渡り、泉龍寺前の三叉路を左折、河毛駅東口前を北上、農道を北へ進み北陸道高架下をくぐり、弥勒寺の突き当りを右へ曲がり、約170m東進したところに登城口がある。登城口から約5分で中島城に着く。


≪ 位置図 ≫

中島城


JR北陸本線河毛駅


紹介したお城の数 210城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 ダブルズームキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR/ AF-S DX NIKKOR 55-300mm f/4.5-5.6G ED VR ブラック D5200WZBK
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ニコン

丁野山城

2014-04-25 06:01:05 | 滋賀県
 丁野山城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 小谷城攻防戦で朝倉勢の援軍が籠城した陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丁野山城
よみ: ヨウノヤマ
別称: 岡山砦・岡山城・芝山の古城
所在地: 滋賀県長浜市小谷丁野町
現状: 山
築城年代: 永正十五年(1518)
築城者: 浅井備前守亮政
形式: 山城
遺構: 本丸・土塁・堀切・竪堀・堀跡
規模:
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

虎御前山城から徒歩で丁野山城、中島城へ向かう。

虎御前山城を北へ降り、県道265号を西進、次の交差点信号を右折、県道263号を北上、北陸道高架下をくぐり、約270m北上した農道へ入る三叉路を左折、丁野山城、中島城のある山の裾沿いに約400m西進したところに北側の山に入る登城道があり、入口に古城図の案内板が建っている。

登城道を北へ登ってすぐに鞍部の分かれ道に着く。西へ登ると丁野山城、東へ登ると中島城へ行く。
西の丁野山城へ登ること約10分で山頂の説明板のある本丸に着く。西、北、東側に堀跡、堀の西側に土塁、堀切、竪堀がある。さらに踏付け道を西へ降りていくと竹藪付近に穴の淵に土塁を築いたような跡のある場所に着く。


≪ 歴 史 ≫

永正十五年 (1518) 浅井備前守亮政が築城する。
天正元年 (1573) 小谷城攻防戦に援軍として来援した越前朝倉勢の堀江甚助、久保田勘十郎、玉泉坊等が丁野山城に立て籠もったが八月十三日に落城した。


≪ 写 真 ≫


丁野山城本丸


本丸東側の堀跡


本丸北側の堀跡


本丸西側の堀跡


竪堀


堀切


穴と土塁


竹藪奥の土塁跡


鞍部分かれ道


丁野山城、中島城の登城口


現地古城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線河毛駅から徒歩約1km、約15分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を左折、県道273号を西進、消防本部前交差点信号を右折、県道263号を北上、虎御前山を東に見ながら進み山脇交差点信号を左折、県道265号を西進、JR北陸線踏切を渡った北に河毛駅の駐車場がある。ここから徒歩で踏切を東に渡り、泉龍寺前の三叉路を左折、河毛駅東口前を北上、農道を北へ進み北陸道高架下をくぐり、弥勒寺の突き当りを右へ曲がり、約170m東進したところに登城口がある。登城口から約15分で丁野山城に着く。


≪ 位置図 ≫

丁野山城


JR北陸本線河毛駅


紹介したお城の数 209城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 レンズキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR付属 ブラック D5200LKBK
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虎御前山城

2014-04-24 06:08:07 | 滋賀県
 虎御前山城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 浅井長政の小谷城を攻めるために織田信長が築いた前線基地の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 虎御前山城
よみ: トラゴゼヤマ
別称: 虎御前山砦
所在地: 滋賀県長浜市中野町・湖北町河毛・湖北町別所
現状: 山・虎御前山公園・矢合神社
築城年代: 元亀三年(1572)
築城者: 織田信長
形式: 山城
遺構: 織田信長陣地跡・木下秀吉陣地跡・堀秀政陣地跡・柴田勝家陣地跡・滝川一益陣地跡・丹羽長秀陣地跡・蜂屋頼隆陣地跡・多賀貞能陣地跡・大曲輪・曲輪・土塁・桝形虎口・馬場・横堀・竪堀・堀切・かざし堀
規模: 標高218.6m、比高110m
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

自宅から虎御前山城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、姉川に架かる姉川大橋を渡り、酢三叉路信号を右折、県道273号を東進、北陸道手前の宮部交差点信号を左折、県道510号を北上、北陸道高架下をくぐり、宮部信号から約1km北上した農道の交差点を左折、もう一度、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。ここに車を駐車する。

登り口には大きな地図付の案内板がある。虎御前山ハイキングコースを進み、藤棚を越えた上に東屋があるところが多賀貞能陣地跡で、丘を降りたところに矢合神社がある。神社右側を登っていくと虎御前山教育キャンプ場入口の木製鳥居があり、越えた左側の丘の上が蜂屋頼隆陣地跡です。ここから道が下りになり水道タンクを利用した見張台があり、進んでいくと丹羽長秀陣地跡のある教育キャンプ場ですが、取り壊し工事中で丹羽長秀陣地跡を見ることが出来ませんでした。ここから緊急自動車用の柵を越えて、さらに登ると尾根沿いの段曲輪の上にNTT電波塔があり、塔の上の古墳群上に滝川一益陣地跡、二つの堀切、尾根沿いの段曲輪、横堀、竪堀を抜けて小高い丘上に堀秀政陣地跡、さらに進み、三段の曲輪、大曲輪、長桝形虎口を抜けると、頂上の織田信長陣地跡に着きます。ここまで約50分です。
織田信長陣地跡を東側の切岸を降り、信長馬場を通り、次の木下秀吉陣地跡に約10分で着きます。陣地の小谷城方向に三角形の大曲輪があり、裾を堀が囲み、北西側にかざし堀、西側には土塁、虎口、堀切、道を西へ進むと前方後円墳上に柴田勝家陣地跡があります。


≪ 歴 史 ≫

元亀三年 (1572) 浅井長政の小谷城攻めの最前線基地として虎御前山に陣城を築き、翌元亀四年(1573)八月二十七日の小谷城落城まで信長の本営として使われました。

≪ 写 真 ≫


虎御前山城織田信長陣地跡


長桝形虎口


大曲輪


段曲輪


堀秀政陣地跡


堀秀政陣地跡前の竪堀


堀秀政陣地跡前の横堀


堀秀政陣地跡前の段曲輪


堀秀政陣地跡前の堀切


織田信長陣地跡東側降口の切岸


信長馬場


木下秀吉陣地跡


木下秀吉陣地跡降口の切岸


木下秀吉陣地跡西側の土塁


三角形の大曲輪


三角形の大曲輪裾


かざし堀


堀切と土塁


前方後円墳上の柴田勝家陣地跡


木下秀吉陣地跡西側の虎口


木下秀吉陣地跡北側裾


織田信長陣地跡南側の曲輪


滝川一益陣地跡


解体工事中のキャンプ場


見張台


蜂屋頼隆陣地跡


矢合神社


多賀貞能陣地跡


虎御前山城登り口


現地虎御前山城案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線虎姫駅から登り口まで徒歩約15分。織田信長陣地跡まで約50分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を直進、約1km北上した農道の交差点を左折、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

虎御前山城


虎御前山城登り口


紹介したお城の数 208城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

瀬田城

2014-02-09 08:46:05 | 滋賀県
 瀬田城

2014/1/23

滋賀県大津市のお城めぐり

 瀬田の土豪山岡氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 瀬田城
よみ: セタ
別称:
所在地: 滋賀県大津市瀬田2丁目13-26
現状: グランスイート近江・臨湖庵
築城年代: 永享年間(1429-41)
築城者: 山岡資広
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/4/6・2014/1/23


≪ 訪城記 ≫

膳所城から瀬田城へ向かう。

膳所城跡公園前の湖岸道路を琵琶湖沿いに南下、東海道本線、国道1号の高架下をくぐり唐橋西詰交差点信号を左折、瀬田唐橋を渡り、唐橋東詰交差点信号を右折、県道29号夕照の道を南下、東海道新幹線高架手前で道が琵琶湖岸に出る緩いカーブの琵琶湖側に道路の脇に少し余裕があるので、ここに車を駐車する。
この道路は通行量が多いので、道路脇に駐車するのは非常に危険です。前回来たときは、膳所城から距離はあるけど徒歩で来ました。

車を駐車した場所の道路東側のグランスイート近江・臨湖庵というマンションの北西隅に瀬田城趾碑と消えかかった木製の説明板が建っているのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

永享年間 (1429-41) 瀬田の土豪山岡氏の一族で田上城主であった山岡資広が築城する。
天文十四年五月 (1545) 細川晴元が山城宇治田原へ発向したとき、六角氏の被官とともに従軍する。
永禄十一年 (1568) 織田信長の入京後に織田方に属する。
元亀元年五月九日 (1570) 織田信長が京から岐阜へ戻る途次に瀬田城を宿所とする。
天正十年 (1582) 本能寺の変で主君織田信長を殺した明智光秀が瀬田城主山岡景隆を味方に引き入れようとしたが、景隆は光秀の行く手を妨げるため瀬田橋を焼き落としする。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で山岡隆景は、柴田勝家に内通したことが発覚して、豊臣秀吉に瀬田城を追われ、逃亡先の甲賀郡毛牧村において死去する。


≪ 写 真 ≫


瀬田城趾碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
京阪電鉄石山坂本線唐橋前駅から徒歩約15分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、くねった坂道を下り国道1号、東海道本線高架下をくぐり、まっすぐ琵琶湖岸へ向かって北上、京阪電鉄踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を右折、湖岸道路を東進、近江大橋付近で大きく右へ曲がり南下してすぐ、琵琶湖側にある膳所城跡公園が膳所城跡です。湖岸道路を挟んだ西側に公園駐車場があります。ここから徒歩で約3.3km、約1時間で瀬田城趾碑前。


≪ 位置図 ≫

瀬田城


紹介したお城の数 180城



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