お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

膳所城

2014-02-08 08:21:50 | 滋賀県
 膳所城

2014/1/23

滋賀県大津市のお城めぐり

 徳川家康の天下普請第一号の琵琶湖に面した膳所藩の居城 日本三大湖城

≪ お城の概要 ≫

城名: 膳所城
よみ: ゼゼ
別称: 石鹿城
所在地: 滋賀県大津市本丸町7-10
現状: 膳所城跡公園
築城年代: 慶長六年(1601)
築城者: 徳川家康
形式: 水城
遺構: 本丸跡・二の丸跡・三の丸跡・北の丸跡・復元城門・堀・土塀・移築城門(膳所神社表門・北門・和田神社表門・篠津神社表門・若宮八幡神社表門・御霊神社高麗門・建部大社表門・近津尾神社表門・鞭崎神社表門・新宮神社表門)・移築二重櫓(芭蕉会館)
規模: 本丸約145m×99m、二の丸約90m×132m
文化財: 膳所神社表門・篠津神社表門・鞭崎神社表門が国指定重要文化財
訪城日: 2010/4/6・2014/1/23


≪ 訪城記 ≫

自宅から膳所城へ向かう。

自宅を出て湖岸道路を南下、矢場帰帆島、イオンモール草津を過ぎ、大萱六丁目三叉路信号を左折、川沿いの道を東進し次の信号のある三叉路を左折、北上した次の信号を左折して有料から無料になった近江大橋を渡り、近江大橋西詰信号を左折、南下してすぐ、琵琶湖側にある膳所城跡公園が膳所城跡です。湖岸道路を挟んだ西側に公園駐車場がありますが、満車だったので南側の市立膳所市民センターの駐車場に車を駐車しました。

湖岸道路の本丸町信号を渡った琵琶湖岸に膳所城跡公園があり、城門が堀、土塀が復元されていて、湖岸には石垣の部材らしい石が転がっている。
復元城門の横に膳所案内絵図を見て近隣の移築城門へ向かことにする。
まずは膳所城跡公園を西へ約300m行った膳所神社へ、膳所神社には移築本丸大手門の表門と移築城門の北門がある。膳所神社の北側にある膳所高校内には膳所藩の藩校遵義堂跡の碑がある。
膳所神社から東へ約70mの信号を約350m北上したところにある和田神社にも移築城門の表門があり、和田神社までの途中には膳所藩主代々の墓所のある縁心寺がある。和田神社から約30m北の分かれ道を左へ約200mの突き当りの響忍寺が膳所藩家老村松八郎右衛門の屋敷だった。
膳所神社東の信号まで戻り、ここから約400m南下した十字路を左折、約170m東へ行った突き当りを右折して約60m南下したところに篠津神社へ入る参道があり、神社入り口に北大手門だった高麗門が移築されている。さらに約370m南下した突き当りを左折した京阪電車線路手前に若宮八幡宮のも本丸犬走り門だった移築城門がある。琵琶湖岸へ向かうと歴代藩主を祀った本多神社がある。
車で移動して、御霊神社にある移築高麗門、茶臼山公園にある芭蕉会館となっている移築二重櫓を見に行く。


膳所城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

慶長六年六月 (1601) 関ヶ原合戦後に大津城に入った徳川家康は本多正信の進言によって大津城を廃城にして、琵琶湖に突出した膳所城を築き、大津城主戸田一西が移る。縄張は築城の名手藤堂高虎です。その後、一西の嫡男氏鉄が継ぐ。
元和二年 (1616) 戸田氏が摂津尼崎に転封となり、代わって本多康俊が入封する。
元和七年 (1621) 康俊の嫡男俊次が継ぐが、移封され、代わって菅沼定芳が入封する。
寛永十一年 (1634) 定芳が丹波亀山へ移封となり、代わって石川忠総が入封する。
慶安四年 (1651) 本多俊次が再び入封して、以後、本多氏十三代の居城として明治を迎える。
寛文二年五月 (1662) 大地震により、膳所城天守は傾き大きな被害を被り、大改修によって本丸と二の丸を合体して本丸となり、三の丸が二の丸となった。
明治三年 (1870) 膳所城は解体され、廃城となり、本多康穣が最後の城主となった。


≪ 写 真 ≫


膳所城跡公園入口の復元城門


膳所城跡公園入口の復元堀と土塀


膳所城跡公園内の膳所城址碑


本丸跡の膳所城跡公園


湖岸に残る石垣石


膳所神社


膳所神社表門(移築本丸大手門)


膳所神社北門(移築城門)


膳所高校内の藩校遵義堂跡


膳所城主の菩提寺縁心寺


和田神社


和田神社表門(移築城門)


家老屋敷跡の響忍寺


武家屋敷の門


篠津神社


篠津神社表門(移築北大手門)


本多神社


本多公浜御殿跡


若宮八幡宮


若宮八幡宮表門(移築犬走り門)


芭蕉会館(移築二重櫓)


御霊神社


御霊神社の移築高麗門


現地膳所城下町案内絵図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
京阪電鉄石山坂本線膳所本町駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、くねった坂道を下り国道1号、東海道本線高架下をくぐり、まっすぐ琵琶湖岸へ向かって北上、京阪電鉄踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を右折、湖岸道路を東進、近江大橋付近で大きく右へ曲がり南下してすぐ、琵琶湖側にある膳所城跡公園が膳所城跡です。湖岸道路を挟んだ西側に公園駐車場があります。


≪ 位置図 ≫

膳所城(膳所城跡公園)


膳所神社


和田神社


篠津神社


若宮八幡宮


御霊神社


芭蕉会館


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近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版

浅小井城

2014-02-04 06:24:18 | 滋賀県
 浅小井城

2014/1/12

滋賀県近江八幡市のお城めぐり

 浅小井氏を継いだ深尾氏代々の居館跡

≪ お城の概要 ≫

城名: 浅小井城
よみ: アサゴイ
別称: 武双山湖月城
所在地: 滋賀県近江八幡市浅小井町
現状: 畑
築城年代: 鎌倉時代初頭
築城者: 浅小井四郎長家
形式: 館
遺構:
規模: 100m×100m
文化財:
訪城日: 2014/1/12


≪ 訪城記 ≫

水茎岡山城から浅小井城へ向かう。

水茎岡山城の登城口前の湖岸道路脇道から湖岸道路へ出て、琵琶湖沿いに北東へ、湖岸白鳥川三叉路信号を右折、白鳥川沿いに県道26号を南東へ進み、小船木町交差点信号を左折、県道2号を北東へ進み、浅小井町へ入ってすぐの川手前の交差点を左折、南岸の堤防道を川沿いに北へ進み、約350m進んだところにある交差点を右折、橋を渡り約200m集落に入った道の左側にある浅小井ふれあいセンターの駐車場に車を駐車させてもらう。

浅小井ふれあいセンターの北東側の住宅北側の広い畑が浅小井城跡で、畑へ入る道の左側の小さな木々の中に消えそうな文字の説明板が建っていて、この付近一帯の畑が館跡だそうです。
さらに北東側の住宅街の中に小さな多武木神社があり、中に説明書きが飾られています。


≪ 歴 史 ≫

浅小井四郎長家が浅小井城に居住し、文治三年(1187)、この館で病死する。子の清長の代より深尾氏を名乗るり、代々居住し、館主は加賀守・加賀介を名乗る。
深尾加賀守元秀の代に佐々木六角高頼の命によって、文亀元年(1501)に初めて城を築くとある。


≪ 写 真 ≫


浅小井城の説明板


浅小井城跡の畑


多武木神社

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線近江八幡駅から徒歩約4km、約1時間20分。
<車>
名神高速八日市ICを降りて国道421号を八風街道を西進、国道8号を通過して、県道26号を北西に進み、音羽町交差点信号を右折、県道2号を北東へ進み、浅小井町へ入ってすぐの川手前の交差点を左折、南岸の堤防道を川沿いに北へ進み、約350m進んだところにある交差点を右折、橋を渡り約200m集落に入った道の左側にある浅小井ふれあいセンターの駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

浅小井城


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水茎岡山城

2014-02-03 06:52:30 | 滋賀県
 水茎岡山城

2014/1/12

滋賀県近江八幡市のお城めぐり

 足利幕府十二代将軍足利義晴が生まれた土豪九里氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 水茎岡山城
よみ: スイケイオカヤマ
別称: 岡山城
所在地: 滋賀県近江八幡市牧町
現状: 山
築城年代: 永正五年(1508)
築城者: 九里備前守信隆
形式: 平山城
遺構: 曲輪・腰曲輪・土塁・堀切
規模: 1,000m×1,000m、標高187.7m、比高104m
文化財:
訪城日: 2011/3/13・2014/1/12


≪ 訪城記 ≫

八幡山城から水茎岡山城へ向かう。

市立図書館前の道を西進、白鳥川を越えて大房交差点信号を右折、白鳥川沿いに琵琶湖岸へ進み、湖岸白鳥川三叉路信号を左折、琵琶湖岸沿いの湖岸道路を西進、湖岸道路が山の間を抜ける手前、道の右側にある老人ホーム「水茎の里」の手前で、湖岸道路脇の未舗装の側道へ入り、老人ホームの西側で広い道の端に車を駐車可能です。ここに車を駐車する。

老人ホームの西側、湖岸道路の南側の山が水茎岡山城跡で、山の中腹にある水道施設へ登る急な階段を登り、水道施設からまだ上へ登るのですが、非常に急で、登った時期も悪く、雪が残った状態でよく滑ります。私も2回滑ってドロドロになりました。登り切った台地状の竹藪内の通路を抜けると深い堀切があり、この堀切を越えた先に東西に長い曲輪があり、真ん中が堀切で分断されています。西側の曲輪の先から下に降りて、曲輪の北側下にある腰曲輪沿いに最初の堀切に向かって行くと、土塁跡や曲輪の切岸を見られます。
山を下りて湖岸道路を西に歩くと、湖岸道路の右側にも山があり、この山の頂上が本丸だそうですが、登る道がわかりませんでした。
山の間を進む湖岸道路頂部の右側に水茎岡山城趾碑と慰霊碑が建てられていて、前の石板には説明が書いてあります。


≪ 歴 史 ≫

永正五年 (1508) 九里備前守信隆が築城し、同年に第十一代将軍足利義澄を迎え、守護する。
永正八年二月 (1511) 城内で十二代将軍義晴が誕生する。
永正八年八月 (1511) 義澄が京へ攻め上ったが、敗走して帰城後に死去する。
永正十一年 (1514) 佐々木六角氏の謀略で信隆が殺され、子の浄椿が城主となる。
永正十七年 (1520) 佐々木六角定頼の奇襲により落城する。
大永五年 (1525) 九里氏の残党が水茎岡山城に立て籠もり、黒橋の戦いで佐々木六角氏に敗れ、九里氏は滅亡し、水茎岡山城は廃城となった。


≪ 写 真 ≫


登城口


竹藪内の通路


堀切


東側の曲輪


曲輪真ん中の堀切


西側の曲輪


腰曲輪


腰曲輪と土塁跡


切岸


水茎岡山城趾碑と慰霊碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線近江八幡駅からバスで元水茎か牧町西口で下車、徒歩約40分で登城口。約20分で頂上の曲輪。
<車>
名神高速八日市ICを降りて国道421号を八風街道を西進、国道8号を通過して、県道26号を北西に進み、音羽町交差点信号を左折、県道2号を西進、白鳥川を越えて小船木町交差点信号を右折、白鳥川沿いに琵琶湖岸へ進み、湖岸白鳥川三叉路信号を左折、琵琶湖岸沿いの湖岸道路を西進、湖岸道路が山の間を抜ける手前、道の右側にある老人ホーム「水茎の里」の手前で、湖岸道路脇の未舗装の側道へ入り、老人ホームの西側で広い道の端に車を駐車可能です。


≪ 位置図 ≫

水茎岡山城


登城口


水茎岡山城趾碑と慰霊碑


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中井 均
サンライズ出版

北之庄城

2014-02-02 09:46:58 | 滋賀県
 北之庄城

2014/1/12

滋賀県近江八幡市のお城めぐり

 佐々木六角氏観音寺城の付城

≪ お城の概要 ≫

城名: 北之庄城
よみ: キタノショウ
別称: 岩崎山城
所在地: 滋賀県近江八幡市北之庄町・南津田町
現状: 山
築城年代: 十六世紀前半か
築城者:
形式: 山城
遺構: 上段曲輪・下段曲輪・堀切・空堀・虎口・土橋・土塁
規模: 標高251m
文化財:
訪城日: 2014/1/12


≪ 訪城記 ≫

八幡山城から徒歩で北之庄城へ向かう。

八幡山城の北の丸から尾根つたいに北東へ進むこと約25分で北之庄城へ着く。途中の下り坂は非常に急で、雪がところどころに残るため、よく滑るのでこの時期は注意が必要です。また、堀切や空堀らしき溝もあります。
上段曲輪手前の北之庄神社からの登城道と合流するところに縄張図付の説明板が建っています。
説明板から北東へ行くと小さな堀切、台地状に盛り上がった削平地と大きな堀切、空堀があり、さらに曲輪の西側に土橋状の通路があり、東側の窪地が虎口のようです。さらに進むと凹んだ地形がいくつかあり、凹凸が入り組んだ状態の下段曲輪があります。まだ雪が残っていて状態が良く分からなかったので残念です。
降りるときは、北之庄神社方向に下山しました。登城口は神社の社殿右側の倉庫の右側から登ります。


≪ 歴 史 ≫

佐々木六角氏の観音寺城の付城だそうです。築城者等の詳細については良く分かっていないようです。

≪ 写 真 ≫


上段曲輪の堀切


上段曲輪の空堀


上段曲輪の土橋


上段曲輪の虎口


上段曲輪東側の窪地


上段曲輪


下段曲輪


池状の窪地


下段曲輪東側


下段曲輪土塁跡


下段曲輪の土橋


北之庄神社の登城口


北之庄神社


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線近江八幡駅からバスで豊年橋和船のりば口で下車、徒歩約15分で北之庄神社。神社脇の登城口から約30分で北之庄城。
<車>
名神高速八日市ICを降りて国道421号を八風街道を西進、国道8号を通過して、県道26号を北西に進み、県道多賀交差点信号を左折、住宅街を南西に進み玉木交差点信号を右折、突き当りを左折、八幡堀沿いの次の交差点を右折して八幡堀を渡り、突き当りが市立図書館で、この裏山が八幡山城です。図書館の駐車場を利用すると良い。他に日牟禮八幡宮前の道沿いに駐車場有。北之庄神社への道が狭いため、日牟禮八幡宮の駐車場に車を置いて歩く方が良い。徒歩約15分で北之庄神社。


≪ 位置図 ≫

北之庄城


登城口の北之庄神社


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中井 均
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八幡山城

2014-02-01 08:23:18 | 滋賀県
 八幡山城

2014/1/12

滋賀県近江八幡市のお城めぐり

 八幡山山頂に築かれた関白豊臣秀次の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 八幡山城
よみ: ハチマンヤマ
別称: 八幡城
所在地: 滋賀県近江八幡市宮内町・舟木町・南津田町・北之庄町
現状: 山・村雲瑞龍寺・八幡公園
築城年代: 天正十三年(1585)
築城者: 豊臣秀次
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・西の丸・北の丸・出丸・豊臣秀次館跡・空堀・石垣・虎口
規模: 1,200m×1,000m、標高283.8m、比高100m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2010/5/30・2014/1/12


≪ 訪城記 ≫

自宅から八幡山城へ向かう。

自宅から通称湖岸道路を南下、近江八幡市に入り、大中干拓を通り過ぎ、西の湖から琵琶湖へ流れる長命寺川沿いの渡合橋北詰交差点信号を左折、橋を渡り県道26号を山沿いに南下、県道多賀交差点信号を右折、住宅街を南西に進み玉木交差点信号を右折、突き当りを左折、八幡堀沿いの次の交差点を右折して八幡堀を渡り、突き当りが市立図書館で、この裏山が八幡山城です。図書館の駐車場に車を駐車する。

図書館の裏山の麓が八幡公園で西端に雛壇状の屋敷跡と石垣が残っていてすばらしい、上段が豊臣秀次屋敷跡です。
公園の中央上段に豊臣秀次像があり、裏側に登城口の登山道があり、ロープウェーの下を通って日牟禮八幡宮裏からの登山道と合流する。さらに登って行き、山裾道を回って不動明王鳥居前を左に登り、ロープウェー降口に出る。ここまで約20分。
ロープウェー降口の石段附近に石垣が残り、その上の展望館のお土産屋さん辺りが二の丸跡です。
ロープウェー降口から西の丸まで道沿いに良く残る石垣が見られる。お願地蔵尊を通って、次の分かれ道を右に登った先の頂上に村雲御所瑞龍寺があり、ここは秀次公の生母が菩提を弔うために創建された寺で、本丸跡です。
本丸の周りには西の丸跡、出丸、北の丸があり、西の丸からの琵琶湖の眺めは最高です。また、眼下に水茎岡山城も見えます。西の丸から出丸へ降りられるのですが、現在は通行禁止でいけません。北の丸からは安土城、観音寺城が見え、ここから尾根つたいに北之庄城へ行くことが出来ます。
お手軽に八幡山城へ行きたい方は、日牟禮八幡宮横のロープウェー乗り場からロープウェーを利用すると良いでしょう。


八幡山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正十三年 (1585) 羽柴秀次が八幡山山頂に八幡山城を築く。
天正十八年 (1590) 豊臣秀次が尾張清洲城に移り、代わって京極高次が城主となる。
文禄四年 (1595) 関白豊臣秀次の自害、京極高次の大津城移封により八幡山城は廃城となった。
昭和三十八年 (1963) 瑞龍寺が京都より移設される。


≪ 写 真 ≫


豊臣秀次館跡への登り口


雛壇状の曲輪と石垣


豊臣秀次館跡の虎口


豊臣秀次館跡の虎口の石垣


館跡


八幡公園の豊臣秀次公像


豊臣秀次公像裏側の登城口


ロープウェー


登山道


ロープウェー降口付近の石垣


お願地蔵尊


二の丸跡


本丸虎口の石垣


本丸虎口


村雲御所瑞龍寺の門


村雲御所瑞龍寺


西の丸跡


出丸降口


西の丸からの眺め


本丸北西の石垣


本丸北東の石垣


北の丸跡


日牟禮八幡宮側の登城口


日牟禮八幡宮


八幡山ロープウェー乗り場


八幡山ロープウェー


現地八幡山案内図(リンク付サムネイル)


現地八幡公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線近江八幡駅からバスで公園前下車、徒歩約5分で八幡公園、公園から登山道で山頂まで徒歩約20分。ロープウェーで約4分。
<車>
名神高速八日市ICを降りて国道421号を八風街道を西進、国道8号を通過して、県道26号を北西に進み、県道多賀交差点信号を左折、住宅街を南西に進み玉木交差点信号を右折、突き当りを左折、八幡堀沿いの次の交差点を右折して八幡堀を渡り、突き当りが市立図書館で、この裏山が八幡山城です。図書館の駐車場を利用すると良い。他に日牟禮八幡宮前の道沿いに駐車場有。


≪ 位置図 ≫

八幡山城


豊臣秀次館跡


登城口


紹介したお城の数 175城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版