お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

和田山城

2013-11-29 21:34:36 | 滋賀県
 和田山城

2013/11/9

滋賀県東近江市のお城めぐり

 佐々木六角氏の居城、観音寺城の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 和田山城
よみ: ワダヤマ
別称:
所在地: 滋賀県東近江市五個荘和田町・神郷町
現状: 山
築城年代: 戦国時代
築城者: 佐々木義弼
形式: 平山城
遺構: 土塁
規模: 標高180.1m、比高80m
文化財:
訪城日: 2010/7/24・2013/11/9


≪ 訪城記 ≫

佐生城から和田山城へ向かう。

佐生城の登城口前道路の歩道附近から県道202号を北上、川を渡ってすぐの三叉路を右折、県道52号を約1.1km東進、ツジトミ五個荘工場の東角の三叉路を左折、約500m北上、五個荘和田町内へ入り、突き当りの三叉路を左折、すぐに右折、約50mで光明寺の前を左折してすぐに和田神社の鳥居前に着く。鳥居の横の空き地に車を駐車させてもらう。

和田神社の鳥居をくぐり、石段を登っていくと和田神社本殿に着く。社殿前の参道を右手に登っていくと、奥の社殿があり、手前の右側灯篭横にコン柱の和田山城址碑がある。
この社殿右手の笹の生える登り道の階段を登っていくと山頂に着く。
山頂付近の山道の右側の雑木林が生い茂る中に南側、北側の土塁、中央の喰い違い土塁を見ることが出来るが、木々が邪魔をして良く分からない。
私は大きな間違いをして山道をそのまま、まっすぐに通り越してしまい。こりゃ間違ったなと途中で気づき、引き返したところで、雑木林内へ入る踏付け道に気づき、なんとか土塁を見ることが出来た。
くれぐれも間違わないように!
階段を登り切ったところの山道の右側、雑木林内に遺構があるのみです。


≪ 歴 史 ≫

佐々木六角氏の居城、観音寺城の支城として、佐生城と相対峙する形で築かれる。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で箕作山城が落城すると、和田山城の守兵は戦わずに城を捨て敗走した。


≪ 写 真 ≫


登城口の和田神社鳥居


和田神社奥の社殿への参道道


和田神社奥の社殿と和田山城址碑


奥の社殿横の登城道


北側の土塁


中央の喰い違い土塁


主郭


南側の土塁

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR能登川駅から徒歩約30分。和田神社から約10分。
<車>
名神高速道路八日市ICを降りて国道421号八風街道を北西方向に進み、野々宮町交差点信号を右折、大凧通りを北上、建部日吉町三叉路信号を斜め左折北上し、建部幼稚園の三叉路を左折、近江鉄道本線を越え、県道209号を道なりに進み、東海道新幹線高架下を通り、五個荘南交差点信号を右折、国道8号を北上、簗瀬三叉路信号を左折、県道52号を約1.2km西進、ツジトミ五個荘工場の東角の三叉路を右折、約500m北上、五個荘和田町内へ入り、突き当りの三叉路を左折、すぐに右折、約50mで光明寺の前を左折してすぐに和田神社の鳥居前に着く。


≪ 位置図 ≫

和田山城


登城口の和田神社


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中井 均
サンライズ出版

佐生城

2013-11-28 20:19:13 | 滋賀県
 佐生城

2013/11/9

滋賀県東近江市のお城めぐり

 佐々木六角氏の観音寺城出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 佐生城
よみ: サソウ
別称: 佐生日吉城・佐野山城
所在地: 滋賀県東近江市佐野町・五個荘日吉町
現状: 山
築城年代: 戦国時代
築城者:
形式: 山城
遺構: 曲輪・石垣・土塁
規模: 標高158m
文化財:
訪城日: 2010/7/24・2013/11/9


≪ 訪城記 ≫

箕作山城から佐生城へ向かう。

鉄塔横の空き地を出て、前の道を西へ、東海道新幹線ガード下をくぐり、清水鼻交差点信号を右折、国道8号を北上、簗瀬三叉路信号を左折、県道52号を約2.3km西進、佐生バス停のある三叉路を左折、県道202号を南下してすぐの川に架かる橋を渡った道の右側に案内板がある。この付近の広い歩道に車を駐車する。

佐生日吉城への案内板のある川沿いの道を入ると墓地があり、案内板のある墓地手前から入る遊歩道を登って15分程登るといきなり目の前に石垣が見えてくる。南面に苔むした石垣があり、南西隅の隅石垣はとても立派です。
北面側にも一部石垣が残り、主郭中央に後藤但馬守城址碑があり、北西面に土塁跡が残る。


≪ 歴 史 ≫

佐々木六角氏の観音寺城の出城として同じ頃に築城され後藤氏が守備していたたようです。
永禄六年 (1563) 後藤賢豊父子が主君である六角氏に謀殺される「観音寺騒動」が起こる。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で観音寺城とともに落城する。


≪ 写 真 ≫


川沿いの案内板のある入口


墓地手前の登城口


遊歩道


東面の石垣


南面の石垣


南西隅の石垣


北面西の石垣


北面東の石垣


後藤但馬守城址碑


主郭北西の土塁


主郭

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR能登川駅から徒歩約20分。主郭まで約15分。
<車>
名神高速道路八日市ICを降りて国道421号八風街道を北西方向に進み、野々宮町交差点信号を右折、大凧通りを北上、建部日吉町三叉路信号を斜め左折北上し、建部幼稚園の三叉路を左折、近江鉄道本線を越え、県道209号を道なりに進み、東海道新幹線高架下を通り、五個荘南交差点信号を右折、国道8号を北上、簗瀬三叉路信号を左折、県道52号を約2.3km西進、佐生バス停のある三叉路を左折、県道202号を南下してすぐの川に架かる橋を渡った道の右側に案内板がある。この付近の広い歩道に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

佐生城


登城口


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近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版

箕作山城

2013-11-23 05:37:03 | 滋賀県
 箕作山城

2013/11/9

滋賀県東近江市のお城めぐり

 織田信長の上洛戦で落城した佐々木六角氏の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 箕作山城
よみ: ミツクリヤマ
別称: 清水城・箕作城
所在地: 滋賀県東近江市五個荘山本町
現状: 山
築城年代:
築城者: 佐々木政堯
形式: 山城
遺構: 主郭・曲輪・虎口・石垣・土橋
規模: 標高325.4m、比高210m
文化財:
訪城日: 2013/11/9


≪ 訪城記 ≫

自宅から箕作山城へ向かう。

自宅を出て国道8号を南下、東近江市に入り神崎中央病院前の清水鼻交差点信号を左折、東海道新幹線ガード下をくぐり、約300m進んだ道の右側に送電線の鉄塔があり、鉄塔の西側の道路脇に駐車スペースが少しある。ここに車を駐車する。

鉄塔の東側に南に入る道があり、資材置き場のような場所を通って獣除けの柵の扉を開け中に入り、ここから山頂を目指して人の通った跡を頼りに直登すること約35分、ようやく尾根道に出る。尾根道を東へ登り、途中には竪堀跡のような溝がいくつか見られる。
「平成の森」への案内看板のある分かれ道を南へ行くと、土橋があり、土橋を渡った先の頂上が箕作山城跡で登り口の虎口に石垣跡と土塁跡があり、山頂には鉄塔が建っている。
山頂から四方が良く見張らせて、最初の木々の間を抜ける直登からは想像つかないほどのギャップがあり、非常に気持ちよくなる。
山頂の東側に小さな曲輪跡があり、さらに東へ約20分行くと箕作城址碑がある。
もう一度、山頂に戻り、「平成の森」案内板のある尾根道を東へ行くと、またも鉄塔のあるところに大きな土橋があり、鉄塔を越えて進むと、道の右側に竪堀跡が見られる。
この道は遊歩道のような良い道なので、麓まで難なく降りられると思ったのだが、鉄塔のある丘付近から下へは、またも道がなくなり、送電線沿いの道なき道を降りることになってしまった。たどり着いた先は、登った入口の東側の獣除け扉で、結局登城口の鉄塔の場所に着いた。

ちなみに本丸跡の山頂の南に見える山が箕作山で、箕作山城のある山は清水山と呼ばれています。


≪ 歴 史 ≫

佐々木政堯が従弟六角高頼に対抗して清水山に築城する。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で、和田山城・箕作山城が攻められ、箕作山城には六角氏の家臣建部源八郎と吉田出雲守が籠城、佐久間信盛・木下藤吉郎・丹羽長秀らに攻められ落城する。


≪ 写 真 ≫


箕作山城の登城口


踏付け道


尾根道


尾根道沿いの竪堀跡


主郭手前の土橋


主郭虎口の石垣跡


主郭北西の土塁跡


主郭から東の小曲輪


主郭


主郭東の小曲輪


箕作城趾碑


東尾根道の大きな土橋


東尾根道沿いの竪堀跡


箕作山城全景

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線能登川駅から湖国バス八日市行きで約20分、伊野部バス停下車、山頂まで徒歩約30分。
<車>
名神高速道路八日市ICを降りて国道421号八風街道を北西方向に進み、野々宮町交差点信号を右折、大凧通りを北上、建部日吉町三叉路信号を斜め左折北上し、建部幼稚園の三叉路を左折、近江鉄道本線を越え、県道209号を道なりに進み、東海道新幹線高架下を通り、五個荘南交差点信号を左折、国道8号を南下、神崎中央病院前の清水鼻交差点信号を左折、東海道新幹線ガード下をくぐり、約300m進んだ道の右側に送電線の鉄塔があり、鉄塔の西側の道路脇に駐車スペースが少しある。


≪ 位置図 ≫

箕作山城


登城口


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近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版

鎌刃城

2013-11-03 21:38:47 | 滋賀県
 鎌刃城

2013/10/28

滋賀県米原市のお城めぐり

 六角氏、京極氏、浅井氏が争奪戦を繰り広げた境目の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鎌刃城
よみ: カマハ
別称:
所在地: 滋賀県米原市番場
現状: 山
築城年代: 十五世紀後半~十六世紀後半
築城者: 土肥氏
形式: 山城
遺構: 主郭・南副郭・北副郭・堀切・土塁・石垣・虎口
規模: 標高384m、比高250m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2010/5/3・2013/10/28


≪ 訪城記 ≫

自宅から鎌刃城へ向かう。

国道8号を南下、西円寺三叉路信号を左折、県道21号中山道を東進、北陸道高架下を通り樋口西三叉路信号を右折、北陸道の侵入口高架下をくぐり、県道240号を南下、北陸道高架下をくぐる手前、道の東側に米原市地域福祉センターゆめホールがあり、ゆめホールの駐車場に車を駐車させてもらう。

ゆめホールから徒歩で向かい、北陸道高架下をくぐり、「久礼の一里塚」を通り過ぎ、久礼の集落を通って山沿いの道を番場集落へ入り、番場信号を南下、約1.1km、約20分で蓮華寺の入り口に着く。東の蓮華寺方向へ向かい、名神高速高架下前に小さな鎌刃城案内板のある南へ向かう路地へ入り、すぐに道の左側に案内板がある山道のような側道を名神高速沿いに南下、彦根45のガード前に動物避けの門扉があり、開けてカード下をくぐると登城道に出る。くれぐれも門扉は開けたら閉めてください。
山道を入って行くとあと1.7kmの案内板のある分かれ道があり、案内に沿って斜面を上がった畝道を山中に入って行く。途中にあと1.3kmの案内板のあるところに土橋がある。後半は、山裾道を歩き、最後は、折れ曲がり道の斜面を登り切ったところに大堀切が見られる。ここまでやく50分。
大堀切から北の尾根を少し下ると堀切がある。さらに大堀切の西斜面を南へ100m行くと大石垣が見られる。
大堀切の南斜面を登ると北副郭に着く。登り切ったすぐの大穴のところが大櫓跡らしいです。中央東側には石垣造の桝形虎口、中央部に箱に入ったパンフレットがあるのでもらうと良い。
一段上がった南の曲輪には物見やぐらが復元されている。この付近の西側斜面に角石垣と小石垣が残っている。
北副郭の段々曲輪を登ると主郭へたどり着く。主郭北面に石垣造の桝形虎口、南面には土塁跡があり、土塁上に木製の鎌刃城趾碑が建っている。
土塁下に堀切があり、主郭南側が南副郭です。南副郭の奥には土塁跡と消えかけた説明板が建っています。
南副郭の土塁下には深い堀切、鎌刃城の名の由来である南の尾根に続く鎌の刃のような細い土橋が続き、堀切が途中にあります。細い尾根の最後には深い切り通しがあり、道が滝につながっています。
帰り道を引き返す途中、西番場集落へ降りる三叉路を西番場方面へ降りていくと大手口へ出ます。名神高速高架下の彦根43ガードを抜けるた右側の田んぼが殿屋敷跡で田んぼの前に小さな説明板が建っています。


≪ 歴 史 ≫

土肥氏が築城と伝わり、のち堀氏が居城とする。
文明四年 (1472) 坂田郡の土豪今井秀遠が堀次郎左衛門の籠る鎌刃城を攻める。
文明十八年 (1486) 多賀宗直に属する鎌刃城主堀氏成が今井秀遠に攻められる。
天文二年 (1533) 同四年(1535)、同七年(1538)に近江守護六角定頼が今井定清に命じて鎌刃城を攻め島秀安が城代となるが、佐々木六角氏に降った堀氏が再び城主となる。
永禄二年以降 (1559) 浅井方の城となる。
元亀元年 (1570) 浅井長政は織田方に降った堀氏に換えて百々越前守を入れる。姉川合戦後には織田信長が堀氏を最前線基地となる。
元亀二年 (1571) 浅井軍に攻められるが、横山城を守備する木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の加勢により落城を免れる。
天正二年 (1574) 堀氏が改易され廃城となる。


≪ 写 真 ≫


蓮華寺付近の案内板のある登城口


名神高速彦根45ガード下登城口


あと1.7kmの案内板付近の分かれ道


あと1.3kmの案内板付近の土橋


大堀切への登り道


入口の大堀切


大石垣


北副郭入口の大櫓跡


北副郭の桝形虎口


復元物見やぐら


角石垣


小石垣


主郭の桝形虎口


主郭


主郭南側土塁


主郭土塁上の木製鎌刃城趾碑


南副郭


南副郭の土塁


南副郭土塁下の堀切


南副郭から南の延びる細い尾根


細い尾根の堀切


切り通し


大手口


大手口入口


殿屋敷跡


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)


現地案内板案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線米原駅から湖国バス醒ヶ井行で約15分、西番場下車、徒歩約1時間。
<車>
北陸道米原ICを降りて樋口西三叉路信号を左折、北陸道の侵入口高架下をくぐり、県道240号を南下、北陸道高架下をくぐる手前、道の東側に米原市地域福祉センターゆめホールの駐車場を利用させてもらうと良い。ここから徒歩約20分で蓮華寺付近の登城口に着く。登城口から主郭まで徒歩約1時間。


≪ 位置図 ≫

鎌刃城


蓮華寺付近の登城口


殿屋敷跡


紹介したお城の数 144城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




戦国の山城・近江鎌刃城
米原市教育委員会
サンライズ出版

観音寺城

2013-11-02 05:37:35 | 滋賀県
 観音寺城

2013/10/27

滋賀県近江八幡市のお城めぐり

 佐々木六角氏が築いた巨石石垣造りの巨大山城 日本五大山城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 観音寺城
よみ: カンノンジ
別称: 佐々木城
所在地: 滋賀県近江八幡市安土町石寺
現状: 山・観音正寺
築城年代: 応仁・文明年間(1467-87)
築城者: 佐々木六角氏
形式: 山城
遺構: 本丸・平井丸・落合丸・池田丸・淡路丸・石垣・土塁・井戸・虎口
規模: 2500m×2000m、標高432.9m、比高325m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2010/3/22・2011/10/13・2013/10/27


≪ 訪城記 ≫

自宅を出て観音寺城へ向かう。

長浜城前を通り県道2号湖岸道路を南下、彦根城の見える松原橋交差点信号を直進、馬場1丁目信号も直進、突き当りの三叉路を左折、県道2号に戻り東進、本町2丁目信号を右折、芹川を越えてベルロード通りを通って南下、犬上川を越え、さらに南下、賀田山町交差点信号を右折、宇曽川を越え、そのまま県道2号を南下、北須田交差点信号を左折、東海道本線の陸橋を渡り、きぬがさ山トンネルを通って、トンネルを抜けたところにある繖公園東端の信号を右折、林道観音寺線を登る。ヘアピンカーブを通り沢の手前にある林道料金所前の駐車場に車を駐車して、ここから徒歩で観音寺城へ向かう。
林道通行料は普通車で500円です。

15分程で観音正寺駐車場に着く。
駐車場から観音正寺への道沿いの左斜面下に目加田屋敷跡があり、奥に井戸跡が残っている。道の右側には淡路丸があり、石垣に囲まれたかなり広い曲輪です。
淡路丸を出てすぐに佐々木城への案内板のある分かれ道を右手の山中へ向かうと、途中に立派な石垣や曲輪跡が見られる。
さらに登ったねずみ岩への案内板のある左手岩場の上に佐々木城址碑が建っている。
ねずみ岩の方向に降りると途中にも石垣を見られる。観音正寺への参道道へ戻り、観音正寺へ到着。
観音正寺の境内へ入り社殿前の分かれ道を左側の石垣下の道を西へ行くと本丸跡へ到着する。本丸西側に石垣が残る虎口、その下に大夫井戸跡と石垣、南側には水路跡と土塁跡、西側に石垣跡が残るっている。
本丸の南東、土塁の端に平井丸へ降りる道があり、出たところが平井丸南面の巨石石垣群の虎口です。平井丸の奥には庭園跡、入口の巨石石垣、門跡、平井丸入口の南西側に落合丸の石垣、さらに南への通路を行くと三段の曲輪がある。ここが池田丸で一番南の曲輪がものすごく広く、西側に石垣跡が残る。
石垣の多さと大きさにビックリします。

登城道はほかに、観音正寺の参拝道石段を教林坊から登る道と、西側の桑実寺から登る道があります。
最初に登城した時は、桑実寺から登って、桑実寺の長い石段に疲れてしまった苦い思い出があります。


≪ 歴 史 ≫

応仁・文明の乱で六角高頼は西軍の山名方に味方し、しばしば観音寺城に立て籠もったようです。
文明三年六月 (1471) 観音寺城の真正面に築かれた箕作城の同族六角政堯を討つ。
長享元年九月 (1487) 六角氏が社寺や公卿の荘園を横領したため室町幕府の討伐を受け、観音寺城を捨て甲賀の山中に逃げる。
延徳三年八月 (1491) 二度目の討伐を受ける。
文亀二年 (1502) 伊庭氏が反乱を起こし、この時も観音寺城を捨てて、音羽城に遁走している。
永正十三年 (1516) 再び伊庭氏が反乱を起こす。
大永五年 (1525) 六角定頼が江北に出陣している隙に伊庭氏が観音寺城を攻撃する。この時、後藤三郎左衛門が留守居をしている。
天文元年 (1532) 足利将軍足利義晴を観音寺城に迎え、義晴の結婚式と嫡子義輝の元服式を挙げている。
永禄十一年 (1568) 将軍足利義昭を擁して京へ上洛する織田信長の通行を拒否したため、信長に攻撃され、戦闘も交えず六角義賢・義治親子は甲賀へ遁走、落城する。


≪ 写 真 ≫


観音正寺の駐車場入口


目加田屋敷跡の井戸


淡路丸入口の石垣


淡路丸石垣


佐々木城への登城道


佐々木城址碑へ登る途中の石垣


佐々木城址碑


ねずみ岩へ降りる途中の石垣


ねずみ岩手前の通路石垣


観音正寺入口


観音正寺南側の登城道


本丸入口の石階段


本丸水路跡


本丸南側土塁跡


本丸虎口横の石垣


本丸虎口


本丸虎口下の大夫井戸跡


平井丸巨石石垣


平井丸門跡


平井丸虎口


平井丸


平井丸庭園跡


落合丸


池田丸


池田丸西側石垣


池田丸南側土塁跡


池田丸石垣


本丸南側斜面石垣

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線安土駅から徒歩約40分で石寺楽市の登城口、本丸跡まで徒歩約35分。
<車>
名神高速道路八日市ICを降りて国道421号八風街道を北西方向に進み、野々宮町交差点信号を右折、大凧通りを北上、建部日吉町三叉路信号を斜め左折北上し、建部幼稚園の三叉路を左折、近江鉄道本線を越え、県道209号を道なりに進み、東海道新幹線高架下を通り、国道8号を越え、県道202号を北西に進み、突き当りを道なりに右に曲がり塚本交差点信号を左折、繖公園東端の信号を左折、林道観音寺線を登る。ヘアピンカーブを通り沢の手前にある林道料金所前の駐車場がある。有料の林道を通れば観音正寺前まで行ける。


≪ 位置図 ≫

観音寺城


観音正寺


林道観音寺線料金所前の駐車場


石寺楽座会館


紹介したお城の数 143城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版