お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

丸子城

2014-06-07 14:38:32 | 静岡県
 丸子城

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏七代氏親が斎藤氏の居城を拡張した駿府の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丸子城
よみ: マリコ
別称: 鞠子城・宇津谷城・赤目ヶ谷砦・三角城
所在地: 静岡県静岡市駿河区丸子
現状: 山
築城年代: 応永年間(1394-1428)・明応二年(1493)
築城者: 斎藤安元・今川氏親
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・北曲輪・東曲輪・大鈩曲輪・袖曲輪・大手曲輪・外曲輪・馬出曲輪・三日月堀・大西堀・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・桝形虎口・喰違い虎口・平虎口
規模: 800m×350m、標高136m、比高100m
文化財:
訪城日: 2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

ホテルから丸子城へ向かう。

静岡駅前を通る国道1号東海道に出て南西方向に進み、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から徒歩で静清バイパス高架下をくぐり、駿府匠宿へ入り、駿府匠宿おもしろ体験館の南側の路地を西へ入って行った山裾に案内板のある登城口がある。
急な階段を登ること約10分で丸子稲荷神社に着く。縄張図付の説明板もあります。
ここから細長い尾根伝いの外曲輪(駐屯地)が続き、いきなり大手曲輪手前の三日月堀が目に入り、土橋を入ると大手曲輪、竪堀を挟み北曲輪に入ります。北曲輪の北側に高い土塁跡が残り、この土塁の北側に堀切があり、痩せた尾根が続きます。
北曲輪の南西側の堀切を挟んだ台地上の曲輪が三の丸、次に竪堀で区切られた二の丸、続いて堀切を越えたら本丸入口の桝形虎口、そして広い本丸に入ります。外曲輪から本丸まで約20分。
本丸桝形虎口の両脇に土塁跡が残り、西側奥に説明板があり、東側の平虎口から袖曲輪に続きます。西側には喰違い虎口を降りて馬出曲輪、大鈩曲輪に続き、この付近の深い空堀と大鈩曲輪の三日月堀は見ごたえがあります。さらに本丸西側下には横堀が続き、竪堀も多数あり感動します。


≪ 歴 史 ≫

応永年間 (1394-1428) 今川氏の被官斎藤加賀守安元によって築かれ、斎藤氏代々の居館としていたようです。
明応二年 (1493) 今川氏親が遠江・駿河への進出をするため、斎藤氏の丸子城を接収して府中防禦を固めるために城域の拡張をする。
永禄十一年十二月 (1568) 甲斐の武田信玄が駿河へ侵攻し、丸子城は今川勢が退き、武田方の城となり、山県昌景が駐屯する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄は駿河を平定し、丸子城に諸賀兵部大輔、関甚五兵衛を在番に置く。
天正六年 (1578) 城将が屋代勝永に代わる。
天正九年三月 (1581) 高天神城落城前に武田勢は徳川軍に城を開け渡し退去する。徳川家康は丸子城に松平備後守を入れる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城となる。


≪ 写 真 ≫


丸子城本丸


本丸土塁


本丸喰違い虎口


本丸平虎口


本丸桝形虎口


二の丸西側の横堀と土塁


本丸と二の丸の間の堀切


二の丸


二の丸と三の丸の間の堀切


北曲輪


北曲輪の土塁


北曲輪と大手曲輪の間の竪堀


大手曲輪


大手曲輪入口の土橋


大手曲輪の三日月堀


外曲輪(駐屯地)


袖曲輪


馬出曲輪


馬出曲輪と大鈩曲輪の間の堀切


大鈩曲輪の三日月堀


大鈩曲輪


本丸西側の横堀


大西堀


丸子稲荷神社


急な大手登城道


山裾の大手登城口


駿府匠宿おもしろ体験館からの入口


現地縄張図(リンク付サムネイル)


現地丸子城主郭見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約30分、吐月峰入口バス停下車。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC出口信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。


≪ 位置図 ≫

丸子城


大手登城口(駿府匠宿おもしろ体験館)


紹介したお城の数 225城



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賤機山城

2014-06-01 07:21:34 | 静岡県
 賤機山城

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏居館「府中館」の詰城

≪ お城の概要 ≫

城名: 賤機山城
よみ: シズハタヤマ
別称: 龍鼻砦
所在地: 静岡県静岡市葵区大岩・昭府町
現状: 山・賤機山公園
築城年代: 応永十七年(1410)
築城者: 今川範政
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切
規模: 500m×50m、標高180m、比高150m
文化財:
訪城日: 2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

駿府城から徒歩で賤機山城へ向かう。

駿府城坤櫓から大手門跡を出て、静岡県庁前の御幸通りを北西に進み、浅間神社へ向かう浅間通り商店街を抜けて突き当りの大歳御祖神社へ入り、門を入った左側に賤機山古墳に登る階段がある。この階段を登り賤機山ハイキングコースを進み、賤機山古墳、麓山神社横を通り、約15分で慰霊塔のある広場着く。観世音菩薩像の右奥から下りのハイキングコースとなり、尾根道を約10分進むと深い堀切に出る。さらに登り道が右に曲がった辺りに土塁跡と削平地があり、左側の尾根を降りていくと出丸らしき尾根先の曲輪がある。右に曲がった土塁跡まで戻り、さらに痩せた尾根伝いに進むこと約15分で道の右側に土塁に囲まれた説明板と賤機山城塞阯碑のある小さな曲輪に着く。ここが本丸であまりに目立たないので通り過ぎてしまうところでした。本丸南側にも曲輪があり、道側に土塁跡、北側には二段の削平地と分かりにくい堀切がある。

浅間神社から100段の急な石段を登って賤機山古墳まで行くこともできる。ここからは賤機山ハイキングコースを登る。


≪ 歴 史 ≫

応永十七年~十八年 (1410-11) 今川氏四代範政が南北朝動乱期に南朝方の狩野氏の安倍城に備えて築城したと思われる。
永禄十一年十二月 (1568) 武田信玄の駿府侵入によって、その支配に降ったが、北条軍の援軍を警戒し武田軍は一時帰国する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄が再び駿府侵攻、府中に籠る今川勢を下し、駿河を手中にする。
天正十年 (1582) 徳川家康の駿府入りによって賤機山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


賤機山城本丸


賤機山城塞阯碑


本丸北側の土塁


本丸南側の土塁


南側の曲輪


北側一段目の曲輪


北側二段目の曲輪


北側の堀切


最初の深い堀切すぐの土塁


最初の深い堀切


最初の堀切


供養塔のある広場


賤機山古墳


賤機山古墳に登る階段登城口


大歳御祖神社


現地賤機山ハイキングコース案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約15分。赤鳥居バス停下車、賤機山ハイキングコースを約40分で本丸に着く。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC入口信号を右折、インター通りを北西に進み、東海道新幹線とJR東海道本線の高架下をくぐり、南安倍交差点信号を右折、線路沿いの国道1号東海道を進み、静岡駅前信号を左折、御幸通りを北西に進み静岡県庁前に出る。付近に有料駐車場があるので利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

賤機山城


登城口の大歳御祖神社


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