七(な)八(は)で「なは」の語呂合せ。
沖縄県那覇市が2001年から実施。
単なる語呂合わせだが、1999年に「みんなで那覇のまちを愛し、未来の那覇のためにできることをやろう!」と那覇を愛する人々による手作りのまちおこしを考える日として、市民団体が中心となって、7月8日を「なはの日」とするイベントが開催されたのが「なはの日」の始まり。
市においても趣旨に賛同し、2004年から毎年7月8日を中心に、市の主催事業等になはの日の冠をつけるなど、市民の活動を支援する取り組みを実施している。
毎年7月8日を挟んだ期間、本市全域で様々なイベントが開催される。
市においても趣旨に賛同し、2004年から毎年7月8日を中心に、市の主催事業等になはの日の冠をつけるなど、市民の活動を支援する取り組みを実施している。
毎年7月8日を挟んだ期間、本市全域で様々なイベントが開催される。
去年2021年が、市制100周年の節目の年だったから、今年はどうでしょうか?
琉球新報社と那覇市が1967年当時、『本土に沖縄の名が付く列車を走らせよう!』をスローガンに列車名を公募した
関西~九州のブルートレインとしては最後まで走った「なは・あかつき」号。
本州で使用されていたのが赤と青のデザイン。EF66の先頭を飾っていた。
南国の植物のデザインが白く描かれている。
7月8日の出来事:「天明の大噴火・鬼押出し」
1783年:浅間山が大噴火。死者約2万人。
7月6日から3日間にわたる噴火で大災害を引き起こした。
最初に北東および北西方向(浅間山から北方向に向かってV字型)に吾妻火砕流が発生(この火砕流は、いずれも群馬県側に流下した)。
続いて、約3か月続いた活動によって山腹に堆積していた大量の噴出物が、爆発・噴火の震動に耐えきれずに崩壊。これらが大規模な土石雪崩となって北側へ高速で押し寄せた。
なお7月8日頃の爆発音については京都や四国、広島まで聞こえ、疑わしいが長崎まで聞こえたとする記録もある。
こちらは、1973年の噴火
まさに活きている火山
7月8日生まれの「 大河ファン 」
1961年:三谷幸喜(脚本家、劇作家)
NHKの大河ドラマは1970年代から視聴しており、特に三谷の中学から大学時代前半の頃に放送されていた『風と雲と虹と』『花神』『黄金の日日』『草燃える』等に熱中した。らしい。
ちょうどこの頃 f-o-q も見事にかぶって熱中してた。
『風と雲と虹と』で露口茂が演じた田原藤太の「黙れ小童!」という台詞を露口へのリスペクトとして、自身が手掛けた『真田丸』の中で西村雅彦の台詞に使い話題になる。
で、今からが三谷大河です。
『新選組!』 令和のなんちゃら代表もいたなぁ、さのすけ役で(前列右端)
『真田丸』 山南敬助の切腹から苦節12年、総長、堺のリターンだった?
『鎌倉殿の13人』 大丈夫か、小栗旬、いや、大悪役やりきっての大化けねらいか
7月8日の誕生花:「 蓮雄弁 」
古名の「蜂巣(はちす)」は、花後にできる果托が蜂の巣に見立て付けられた。
古名の「蜂巣(はちす)」は、花後にできる果托が蜂の巣に見立て付けられた。
はちすから転訛で「はす」と呼ばれるようになった。
ハスの花は仏教とともに伝来し古くから「蓮華」(れんげ)とも呼ばれ、
ハスの花は仏教とともに伝来し古くから「蓮華」(れんげ)とも呼ばれ、
また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)と呼び、野菜名として使われている。
仏教でハスは泥水の中から生じ清浄な花を咲かせ泥には染まらない姿が様々に意匠されている。
如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であったり、
仏教でハスは泥水の中から生じ清浄な花を咲かせ泥には染まらない姿が様々に意匠されている。
如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であったり、
厨子の扉の内側に蓮華をかたどった彫刻が使われる。
では f-o-q