1853年のこの日(旧暦嘉永6年6月9日)、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡した。
蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられずと狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となった。幕府は、翌年のペリー再来に備えて品川沖に6基の砲台(台場)を作った。
イラストレイテッド・ロンドン・ニュース 第620号 1853年5月7日 アメリカ合衆国の日本遠征
翌年来航したペリーとの間で「日米和親条約」が結ばれ、日本の鎖国が終った。
7月14日の出来事:「 no answer 」
1970年:日本の呼称を「ニッポン」に統一することを閣議決定・・・。
佐藤栄作内閣の1970年の閣議では、「『日本』の読み方について、『【にほん】でも間違いではないが、政府は【にっぽん】を使う』と、『にっぽん』で統一する旨の閣議決定を行ったが、法制化には至らなかった」
NIKKEI 電子版より
中国側では『旧唐書』の「東夷伝」に初めて日本の名称が登場し、「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」「日本」という漢字による国号の表記は、日本列島が中国大陸から見て東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来するという説がある。
室町時代の謡曲狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。用例からすると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われている。
f-o-q は、勉強より『オールナイトニッポン』(英: All Night-NIPPON)だったなぁ。
バレー観戦での「ニッポン、チャチャチャ」はノリのよさで
バレー観戦での「ニッポン、チャチャチャ」はノリのよさで
7月14日生まれ「 ジャポニズム 」
1862年:グスタフ・クリムト(オーストリア:画家)
クリムトは、同時代の多くの芸術家同様、日本や東アジアの文化の影響を強く受けている。日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面などの美術工芸品を含むプライベートコレクションからも明らかで、1900年分離派会館で開かれたジャポニズム展は、分離派とジャポニズムの接近を象徴するイベントであった。特に浮世絵や琳派の影響は、クリムトの諸作品の基調あるいは細部の随所に顕著に見て取れる。
見出し画像の『赤子(ゆりかご)1917』は着物で富士山!てな感じでしょうか。
『The Dancer 1916』 『The Family 1910』
7月14日の誕生花:「 山百合:荘厳 」
和名:山百合
原産地:日本
別名:リョウリユリ(料理百合)、ヨシノユリ(吉野百合)
英名:Japan lily ・・・ ジャパン・リリィです
県花:神奈川県
「ユリの女王」とも呼ばれ、大正時代まではその球根が日本の主要輸出品目
「ユリ根」:ヤマユリの地下茎は縄文時代から食用
花の大きさは百合の中でも最大級、甘い香りも自生種には珍しく濃厚
緑濃い夏の森や林の中で鮮やかな花を咲かせる様子は「荘厳」
原産地:日本
別名:リョウリユリ(料理百合)、ヨシノユリ(吉野百合)
英名:Japan lily ・・・ ジャパン・リリィです
県花:神奈川県
「ユリの女王」とも呼ばれ、大正時代まではその球根が日本の主要輸出品目
「ユリ根」:ヤマユリの地下茎は縄文時代から食用
花の大きさは百合の中でも最大級、甘い香りも自生種には珍しく濃厚
緑濃い夏の森や林の中で鮮やかな花を咲かせる様子は「荘厳」
では f-o-q