七(ナナ)一(イ)六(ロ)で「七色」の語呂合せ。
デザイナー山内康弘が、「人と人、人と自然、世代と世代が虹のようにつながる日に」と制定。
梅雨明けのこの時期には、空には虹が架かるのが多い事から自然を大切に思う心、人と人の心が虹のように結びつきあえる日にと、7月16日を「虹の日」と制定した。
理念 もあるよ
1.自然と人を結ぶ虹を作ろう!
2.人と人を結ぶ虹を作ろう!
3.心と心を結ぶ虹を作ろう!
1.自然と人を結ぶ虹を作ろう!
2.人と人を結ぶ虹を作ろう!
3.心と心を結ぶ虹を作ろう!
見出しは、独立独歩・わが道を行く旅人ピンク・フロイド「The Dark Side of the Moon」
Appleでもよいかなと思ったものの・・・6色リンゴなんで、やめました
7月16日の出来事:「 旅 」
1885年:日本鉄道・宇都宮駅で日本初の駅弁販売。
「握り飯2個とたくあん2切れで5銭」
宇都宮駅前で旅館業を営んでいた白木屋の斉藤嘉平が、梅干し入りの握り飯2個にごま塩を振りかけ、タクアン2切れと一緒に竹の皮に包んで販売。
いたってシンプル。でもそれがよかったりして
7月16日生まれの「 究極の旅 」
1872年:ロアール・アムンセン(ノルウェー:探検家)
主に極地に挑んだ探検家として知られる。
イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日には探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。
今年は、111周年、今から楽しみな Doodle 、一発凄いのを希望
さらに、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物となる。
1911年10月20日に、アムンセンは4人の選抜隊とともにフラムハイムを出発、4台の犬ぞりを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始。途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たした。
帰路も順調で、1912年1月25日に一人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還した。
スコット隊の記録より
1月15日:「ノルウェーの国旗を見せられるというゾッとするような可能性がある。」
1月16日:遠方に人工物と思われる雪の塚、立てられた黒い旗を発見。
1月17日:そこには、ノルウェーの旗が翻っていた。
「極点…神よ、ここは恐ろしい土地だ、我々はまだ、1480kmの距離を、自らソリを曳いて、帰らねばならない。・・・」
1月17日:スコット達も南極点に到達。翌18日に英国国旗を立てる。
1月16日:遠方に人工物と思われる雪の塚、立てられた黒い旗を発見。
1月17日:そこには、ノルウェーの旗が翻っていた。
「極点…神よ、ここは恐ろしい土地だ、我々はまだ、1480kmの距離を、自らソリを曳いて、帰らねばならない。・・・」
1月17日:スコット達も南極点に到達。翌18日に英国国旗を立てる。
帰路、全員死亡。
実際には、1ヶ月も先んじられていたわけで、心構え・準備・計画・訓練から競争になっていなかったのでは?
この南極点到達を競った2パーティは、まるで日本の八甲田雪中行軍遭難事件での
○弘前第31連隊(少数精鋭、現地で食糧調達、地元の案内人等、周到な準備)の成功と、 ●青森第5連隊(参加者多数、荷物満載のそり14台を人力で引き、防寒対策は不十分、案内人断るなど、無知か慢心か。さらに指揮官の「天は我らを見放した」の一声により、「部隊の士気を一気に下げた」との指摘あり。)の参加者210名中199名死亡という痛ましい事故を思い起こさせる。
7月16日の誕生花:「 桧扇(烏扇) :個性的な美しさ・誠意 」
和名:ヒオウギ(檜扇)
英名:Leopard flower
別名:カラスオウギ(烏扇)
この植物の葉が平安時代に使われていた檜の扇に似た形をしていることに由来。
京都の祇園祭ではヒオウギを飾る習慣がある。
この植物には悪い霊を退ける力があると信じられていて、
英名:Leopard flower
別名:カラスオウギ(烏扇)
この植物の葉が平安時代に使われていた檜の扇に似た形をしていることに由来。
京都の祇園祭ではヒオウギを飾る習慣がある。
この植物には悪い霊を退ける力があると信じられていて、
同じく悪い霊を退けるために行われ始めた祇園祭にあうため。
この植物は、オレンジ色に赤の斑点模様という変わった姿の花を咲かせることから、
この植物は、オレンジ色に赤の斑点模様という変わった姿の花を咲かせることから、
「個性的な美しさ」という意味が付けられた。
では f-o-q