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三島由紀夫が死んだ日

2005年12月08日 00時46分22秒 | 読書
中条省平「三島由紀夫が死んだ日」 実業之日本社

 クレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」というなかなか面白い映画があった。みんながノスタルジーを感じる年代として提示されたのが1970年、大阪万博の年だった。確かに、この映画を見る年代、つまりクレヨンしんちゃんを見たがる子どもがいるような層(まさにぼくの年代だろう)にとって1970年はノスタルジーの源泉かもしれない。68年パリの5月革命以来の異議申し立てという格好悪そうな格好よさそうな思想的蜂起があり、その一方高度経済成長という世俗の欲望の爆発があった。
 そんな年に、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」、と書いた作家がいた。
 そしてその年、その作家は市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺を遂げたのだ。
 三島由紀夫が好きな人間にも嫌いな人間にもその事件は衝撃だった。この本は、その衝撃とそれをどのように咀嚼したかを、何人かの証言者によって語らせていく。
 死、それも切腹刎頸という形の死によってリアリティを与えられた三島由紀夫の人生や思想、という観点に、ああ、そうか、と妙に納得したのだ。
 だからこそ、楯の会のかっちりとした制服の下にあるのは、肉体という病、あるいは人間の実存という病なのか、という気がする。
 そして、その病をびりびりと感じていたからこそ、あの制服をまとったのではないか、まるでフローベールの描く自然のように美しくても生産的でないボディ・ビルの筋肉をまとったのではないか、とさえ思う。フローベールの自然が、農民が汗を流すものではないように、三島由紀夫の筋肉も肉体労働の必要から生じたものではない。
 小説の主人公のように、三島由紀夫は三島由紀夫を演じきった感じが否めないのだ。
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