
赤坂日枝神社内の猿田彦神社
猿田彦を調べていくにつれ、一人の神とは思えないほど多くのモチーフが連なっていることに気づいた。それらが時に重なり合い、ときに反発し合い、猿田彦という存在をよりわからなくしているのだ。
先日「塞の神」について書いたが、天の八街(八方に分かれる境界)にいるところから、塞の神としての役割が猿田彦に預託されている。つまり(1)塞の神としての猿田彦。
この塞の神としての役割によって、多くの境界にアメノウズメノミコトとともに道祖神として祀られることになりました。(2)道祖神としての猿田彦。
そしてその異形ぶり。鼻が七咫、背の長さ七尺というから、天狗の様相である。現実猿田彦の面とされるものの多くは天狗そのものである。(3)天狗としての猿田彦。さらに口の脇が光輝き、眼は8咫の鏡のように赤赤と、赤いホウズキのようだ・・・。記紀において外見が詳述されるのは、このサルタヒコと八岐大蛇ぐらいなものだろうが、その描写がそっくりなのにも驚かされる。(4)八岐大蛇としての猿田彦。
道祖神とも関係があるのだが、アメノウズメノミコトととのコンビにおける(5)セックスによる呪術的な神としての猿田彦。
以前書いた(6)庚申信仰の猿と結びついた猿田彦。
さらに二見浦の二見輿玉神社、伊勢の猿田彦神社など、天照大神に先立つ(7)伊勢における太陽神としての猿田彦。
(8)沖縄の先導する神である「サダル神」としての猿田彦。
さらに、出雲の佐田神社に祀られる(9)佐田大神としての猿田彦(国つ神で「大神」がつくのは猿田彦のみ)。この考えだと、佐田大神として日の沈む出雲に生まれ、猿田彦として日の昇る伊勢に死んだ神となる。伊勢にも出雲にも潜戸があることも興味深い事実である(佐田大神は出雲の潜戸で生まれたとされる)。
記紀の記述のように、ニニギノミコトを道案内したあと、伊勢で貝に手を挟まれ溺れ死ぬようなちょい役で済む神ではないように思われる。むしろ、天孫降臨以前、猿田彦という太陽神を祀る古代王朝が存在したのではないか。だから、古代神道の残る沖縄にサダル神信仰が今まで残っているのだ。そして天孫降臨という新しい支配者が来たため、速やかに溺死せざるを得なかったのではないだろうか。
しかし、その大いなる神の死に寄せる感情がさまざまな性格を猿田彦に賦与し、今に伝えたのだと感じられてならない。