バスに乗って猿田彦神社へ。
ここは太田命の子孫である宇治土公さんが宮司を務めている神社。境内で見かけたが柔和ですばらしい雰囲気を持った方だった。
天照大神は当初宮廷で祀られていたが、崇神天皇時、疫病などが流行ったため皇女豊鍬入姫命が神託を得て天照大神を祀るにふさわしい場所を求め、各地を転々とした。
そして、次の御杖代倭姫命が五十鈴の地に祀ったのが今の伊勢神宮である、とされている。その際、倭姫命をその地に案内したのが猿田彦の子孫太田命。
先祖猿田彦は天照大神の孫ニニギノミコトを案内し、その子孫太田命は天照大神の祀場所を案内する。
静岡の浜名惣社神明宮は太田命を祀っているが、現在の主祭神は天照大神である。
どうやら猿田彦を太陽神として崇敬していた人々を天照大神系の人々が征服し、祭神が上に載ったかのように猿田彦(太田命)から天照大神へ変化した、と思える。
しかし、その一方で太田命が不思議だ。わざわざ征服された者の子孫が案内する必要もない気がするのだ。
ま、とりあえず猿田彦本殿へ。
えっ! と、びっくり。千木の先端が平行である。猿田彦は男神であるのに、女神を祀っている?
と不思議がっていたのだが、一つのヒントを見つけた。
京都上賀茂神社の摂社大田神社である。この参道入り口にある案内に「天鈿女命一柱一座」とあるのだ。
つまり、猿田彦神社として祀られているのは、実はアメノウズメノミコトではないだろうか。
太田命は猿田彦の子孫であると同時に、アメノウズメノミコトの子孫でもあるのだ。
次回はアメノウズメノミコトについて。
ここは太田命の子孫である宇治土公さんが宮司を務めている神社。境内で見かけたが柔和ですばらしい雰囲気を持った方だった。
天照大神は当初宮廷で祀られていたが、崇神天皇時、疫病などが流行ったため皇女豊鍬入姫命が神託を得て天照大神を祀るにふさわしい場所を求め、各地を転々とした。
そして、次の御杖代倭姫命が五十鈴の地に祀ったのが今の伊勢神宮である、とされている。その際、倭姫命をその地に案内したのが猿田彦の子孫太田命。
先祖猿田彦は天照大神の孫ニニギノミコトを案内し、その子孫太田命は天照大神の祀場所を案内する。
静岡の浜名惣社神明宮は太田命を祀っているが、現在の主祭神は天照大神である。
どうやら猿田彦を太陽神として崇敬していた人々を天照大神系の人々が征服し、祭神が上に載ったかのように猿田彦(太田命)から天照大神へ変化した、と思える。
しかし、その一方で太田命が不思議だ。わざわざ征服された者の子孫が案内する必要もない気がするのだ。
ま、とりあえず猿田彦本殿へ。
えっ! と、びっくり。千木の先端が平行である。猿田彦は男神であるのに、女神を祀っている?
と不思議がっていたのだが、一つのヒントを見つけた。
京都上賀茂神社の摂社大田神社である。この参道入り口にある案内に「天鈿女命一柱一座」とあるのだ。
つまり、猿田彦神社として祀られているのは、実はアメノウズメノミコトではないだろうか。
太田命は猿田彦の子孫であると同時に、アメノウズメノミコトの子孫でもあるのだ。
次回はアメノウズメノミコトについて。