毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

あゝ、荒野

2005年12月12日 16時40分45秒 | 読書


寺山修司+森山大道「あゝ、荒野」展

 ポッケに「書を捨てよ、町に出よう」の書を入れて、街に出た。
 渋谷はパルコパート1地下1階LOGOSギャラリー。寺山修司の唯一の長編小説「あゝ、荒野」と森山大道の写真とのコラボレーション(明日まで)。このパルコで、子どもの頃よく映画を見た。ぼくの見たガルボの映画はたぶん、全部この映画館でだった気がする。

 白と黒とで映し出された歓楽街の女たち、怪しい雰囲気の町並み、酒場で煮える男たち、暴れる学生、60年代の夜の新宿。そこでは映っているものと同じくらい、映っていない影の暗さが重要だと思う。そして何とも言えない猥雑さ。1960年代からおよそ40年。その月日だけがもたらしたわけではない、影と猥雑さが持ちうる物語性の豊穣さに改めて目を奪われた。その影と猥雑さから、さまざまなものが生まれ出てくる予感がする。
 明るく照らし出すことによって影を否定し、異様なほどの清潔感をもって猥雑さを避けてきたわれわれが21世紀に持ち得た物語のなんという希薄なこと。だけれど、その一方、新宿には60年代に通じる回路がまだ存在しているような気もする。
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諏訪神社(東京高田馬場)

2005年12月12日 11時18分23秒 | 観光

 猿田彦で訪れた玄国寺。そのすぐそば、同じ諏訪通りに面して諏訪神社があります。これが通りの由来になったのでしょう。
 本社は御柱祭で有名な長野の諏訪神社です。
 前から多くの方が指摘してきたことなのですが、日本を東西に貫く中央構造線沿いには多くの神社が集中しています。長野の諏訪神社もそう。しかも、諏訪神社は、フォッサマグナの西縁、糸魚川-静岡構造線が中央構造線とが交差するポイントにあります。言ってみれば二つの大きな境目に存在していることになります。
 境目は宗教・民俗的に非常に重要なポイントです。

 「占いの場所は、境の場所でなければいけない。そこは見える場所であると同時に、見えない世界を交錯させているからだということになる」(宮田登「妖怪の民俗学」)。

 あちらの世界から何がやって来るかわからない。境は神聖であると同時に恐ろしい場所でもあったのです(辻も同様です)。
 そこで境には道祖神や塞の神を置いて境の守護としました。

 ごらんの通り、この諏訪神社にも「塞の神」が石碑として祀られています。
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聖橋2

2005年12月12日 10時22分06秒 | 観光

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聖橋1

2005年12月11日 15時43分59秒 | 写真
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湯島聖堂

2005年12月10日 11時00分28秒 | 観光


 湯島天神とは別の、旧昌平坂学問所跡。
 この時期の祈りは必死です。
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猿田彦

2005年12月09日 18時06分19秒 | らくがき

 仕事で高田馬場に来たので、昼食にラーメンを食べ、腹ごなしに散歩しました。ラーメンは「さいたま屋」というところのつけ麺。ぼくの好きな「青葉」(サンシャインにできたので、ちょくちょく行ってます)に似て、魚が濃厚なだし。ただコクがいまいちかな。
 ぶらぶら歩いて、明治通りを横に入る諏訪通に。写真は、諏訪通りの玄国寺にあった、庚申の猿。庚申信仰は60日に一度庚申の日(陰陽五行では60で一回りするんです。還暦なんかもこの考え方ですね)、体の中にいる三尸という3つの虫が、その人間が寝ている間に体から抜け出し天帝に逐一どんな悪いことを行ったか報告に行く、という考えから起こりました。じゃあ、その庚申の日は寝ないでがんばってればいいんだ、でも一人だと寝てしまいそうだから、仲間を集めてみんな揃って夜更かしだ! と。こうした集まりを庚申講と言い、かつては非常にさかんな行事でありました。娯楽の少ない時代、こうしてみんなが集まって夜明かしをする、という非日常的な行為だけで盛り上がることができたんですね。徹夜するのに、六本木もダーツバーも必要じゃなかったんです(ぼくはどっちもあっても無理だけど。すぐに寝てしまう)。
 この庚申の猿と結びついたのがどこかユーモラスな猿田彦。「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨に、都電の駅名にもなっている庚申塚があります(近所におばさんが住んでいて、都電脇だから「チンチンおばさん」と不思議にも思わず、子どもの頃からずっと呼んでいました)。この庚申塚には猿田彦大神と大書きされた提灯が飾られ、庚申と猿田彦との結び付きをあらわしています。
 この猿田彦がすごく気になるんです、最近。今まで、なんかユーモラスで人の良さそうな感じだとばかり思っていたクラスメートが、実は、ものすごく深い存在なんじゃないか、と気づいて頬を赤らめた高校時代を思い出してしまいそうです(ウソです。ごめんなさい。そんな甘い記憶ありませんでした)。
 そんなわけで、しばらく猿田彦、続きます。

 それにしても、gooは「ジャンル」の指定が必須になったんだけれど、「猿田彦」のジャンルが思い浮かびません。そんなわけで「珍人」にしました。「珍神」があればいいのになあ。
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三島由紀夫が死んだ日

2005年12月08日 00時46分22秒 | 読書
中条省平「三島由紀夫が死んだ日」 実業之日本社

 クレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」というなかなか面白い映画があった。みんながノスタルジーを感じる年代として提示されたのが1970年、大阪万博の年だった。確かに、この映画を見る年代、つまりクレヨンしんちゃんを見たがる子どもがいるような層(まさにぼくの年代だろう)にとって1970年はノスタルジーの源泉かもしれない。68年パリの5月革命以来の異議申し立てという格好悪そうな格好よさそうな思想的蜂起があり、その一方高度経済成長という世俗の欲望の爆発があった。
 そんな年に、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」、と書いた作家がいた。
 そしてその年、その作家は市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺を遂げたのだ。
 三島由紀夫が好きな人間にも嫌いな人間にもその事件は衝撃だった。この本は、その衝撃とそれをどのように咀嚼したかを、何人かの証言者によって語らせていく。
 死、それも切腹刎頸という形の死によってリアリティを与えられた三島由紀夫の人生や思想、という観点に、ああ、そうか、と妙に納得したのだ。
 だからこそ、楯の会のかっちりとした制服の下にあるのは、肉体という病、あるいは人間の実存という病なのか、という気がする。
 そして、その病をびりびりと感じていたからこそ、あの制服をまとったのではないか、まるでフローベールの描く自然のように美しくても生産的でないボディ・ビルの筋肉をまとったのではないか、とさえ思う。フローベールの自然が、農民が汗を流すものではないように、三島由紀夫の筋肉も肉体労働の必要から生じたものではない。
 小説の主人公のように、三島由紀夫は三島由紀夫を演じきった感じが否めないのだ。
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沖縄そば

2005年12月05日 12時08分50秒 | らくがき
 
 昨日のバラ肉をラップに包んで会社にもってきました。
 会社の事務所だと簡単な自炊ができるので、沖縄そばを。
 う~ん、頂きます!
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味玉

2005年12月05日 11時01分18秒 | らくがき
 昔家庭科でゆで卵の作り方を習ったとき、水から卵を入れてあたためろ、と言われませんでした? 


 でもいきなり沸騰したお湯に冷蔵庫から取り出した卵を入れてもなんの支障もありません。ただ、熱いお湯の中に入れるので、おたまなどで慎重に。で、ふたをして弱火できっかり9分間茹でて下さい(ときどき鍋ごと静かに揺すって下さい)。

 卵自身の熱で中まで火が通ってしまうので、すぐに氷水で冷やします。
 で、きれいにむいて、昨日の豚バラ肉を作ったタレにつけ込みます。

 ほら、ラーメン屋さんなどで出てくる中身がとろーっと半熟の味玉のできあがり。1時間以上漬けるといいです。うまいです。
 で、残ったタレは冷凍庫で保管しておけばいつまでも持ちます(冷えてくると上で油が固まりますので、取っておくといいです)。
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お台場

2005年12月03日 13時17分22秒 | 観光


 ヴィーナス・フォートの天井みたい。まるで描いたようなお台場の空でした。
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向島百花園

2005年12月02日 12時23分16秒 | 観光


コニカミノルタのアンチシェイク(手ぶれ防止)は素晴らしい。
やわらかな水の流れを撮りたかったので、シャッタースピードを遅めに設定しました。60mm(35mm換算で90mm)のレンズでなんと1/3秒。これでぶれません。

仕事で両国に行ったので、そのついでに向島百花園へ。さすがに写真に撮ろうと思うような花はありませんでした。
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アンドレア・シェニエ

2005年12月01日 10時51分27秒 | 音楽
 わかりやすいコンセプトに基づいた演出が、舞台をよく見せていたと思います。
 舞台を閉じる斜めの幕から、幕間に映し出される映像まで、ギロチンずくめ(舞台をしきるポールや十字架まで斜め、と御念が入ってます)。強く迫ってくるフランス革命の血塗られた側面。イタリア人って、たまにこういう形でフランスを批判する。ジョルダーノのこのオペラもそうだし、ヴェルディの「シチリア島の夕べの祈り」もそう。あるいは現代においては「アルジェの戦い」か。
 他にも回転舞台を多用した舞台割り、回転するたびに天国と地獄のような落差が展開され、ダイナミックな舞台表現に心を奪われました。
 幕間のドラムロールがちょっとうるさかったり、マイクを通した表現や花火の効果音など疑問点も多いのも確か。もっとも、オペラ上演においてこういうことに不慣れなので、単に拒否反応を起こしているだけなのかもしれませんが。
 大きな感情を抱かせるラスト。これを希望ととるか、それとも、大人たちが倒れたのち、まだ国旗を担う子どもたちの姿に悲劇を感じるか、人によって解釈は分かれるかもしれません。明るい光と白い舞台(全体の基調だったけれど)に照らされた子どもたちの姿は、多くの人にとって希望を意味するものと映るでしょう。
 それにしても、第一幕で羊飼いに扮する貴族たち。ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という思想を、マリー・アントワネットあたりがどう解釈したのか、晩餐会などで羊飼いの少女のコスプレをするのが流行ったのだけれど、こうなっては社会体制は末期。この第1幕は、そうした革命前の退廃的な空気をよく描いていたように思います。
 さて、音楽は、もう、お客さん、みなさん、正直なんだからあ、と苦笑してしまいました。タイトル・ロールを演じたタナーよりも、代役でジェラールを歌ったレイフェルクスの方が激しく拍手を受けていました。これじゃ、カルメンはだめだけどカルメン以外の歌手はまあまあだった「カルメン」だとか、カラフ以外は好演だった「トゥーランドット」とかと一緒。アンドレア・シェニエがいまいちの「アンドレア・シェニエ」なんて。ルカーチは高音が鋭く耳に刺さる気がしたけれど、好演。マデリン役は役得もあったかもしれないけれど、その歌唱は胸に響きました。
 最後に指揮。鋭いリズムを刻み、血なまぐさい舞台とよくあってはいたものの、歌う、という感じはあまり感じられませんでした。
 どこかちぐはぐした印象はいなめないものの、全体を通してみれば、まあまあだったかな、という感じの舞台でありました。さ、これで2005年のオペラは終了。2006年モーツァルトの「魔笛」まで少し休憩です。さみしい。
(11月29日公演)
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