【中国古来の経済観】
【司会者】:我們現在向您老請教這麼一個問題,中國五千年的傳統,五千年的智慧,但是在這個歷史當中,為什麼我們沒有經濟學家?
私たちは今老法師にこのような問題をお教え頂きたいのです。中国には五千年の伝統、五千年の智慧があります。しかしこの歴史の中に、なぜ経済学者がいないのでしょうか?
【浄空法師】:有,不是沒有。中國沒有經濟學家,中國這五千年人類怎麼生活的?五千年當中有多少大富長者,無論在工商業裡面,發財的很多,但是中國不是講經濟學家,中國人講財富從哪裡來的?是你命裡頭有的,這外國人他不講這些,這是真的。所以你看中國看相、算命,他有他的道理。江湖騙人的固然是不少,但確實有這個道理。你命裡面的財富從哪來的?是你過去生中所修的。所以生財有大道。儒佛道都講這個道理,你只要真的肯幹,袁了凡就是很明顯的例子,我自己也是很明顯的例子。我年輕的時候給人算命,財庫空空,沒財,也沒有官運,而且還短命,真是很悲慘的命運。可是遇到佛法之後,老師教給我,可以轉變的。老師告訴我,你財庫從哪裡來的?財庫從過去生中財布施,你布施的多,你財庫就多;布施的少,財庫就少。你過去生中沒有修財布施,吝嗇,你這一生就是貧窮的果報。這是真的,不是假的。如果再加上偷盜,以不正常的手段去謀取別人的財富,那你就更窮了,那就更苦了,你過去生中沒修。你修法布施,得聰明智慧;無畏布施,得健康長壽。無畏布施是你能夠幫助別人離開危險,離開災難,讓他身心得到平安,這一類就是叫做無畏布施。
います。いない訳ではありません。中国に経済学者がいなければ、中国五千年の人々はどう生活したのでしょうか?五千年の中にはどれほどの億万長者がいたでしょうか。工商業界を問わず、富を築いた人はたくさんいます。しかし中国では経済学者とは言いません。中国人は財産はどこから来ると説いたでしょうか?それは、あなたの「命」の中にあるものです。外国人はこのようなことは言いません。これは真実です。ですから中国では相を見たり、運命を占いますが、それはそれなりの道理があります。詐欺師も勿論少なくありませんが、確かにそれには道理があります。あなたの「命」の中の財産はどこから来るのでしょうか?それはあなたが過去世の中で修めたものです。ですから財を生むには正しい道があります。儒教・仏教・道教では、すべてこの道理が説かれています。本当にやる気さえあれば、袁了凡が明らかな例です。私自身も明らかな例です。私は若い頃運命を占ってもらうと、財源は空っぽで、官吏になる運もなく、しかも短命でした。本当に悲惨な運命です。しかし仏法にめぐり合ってから、老師は転換できるということを教えて下さいました。老師は言いました。あなたの財源はどこから来るのでしょう?財源は過去世の財施から来るのであり、施しが多ければ財源は多く、施しが少なければ財源は少ない。過去世において財施を修めず、ケチであったなら、あなたのこの一生は貧窮の果報があります。これは本当です。偽りではありません。もし更に窃盗をしたり、不当な手段で他人の財産を奪ったら、あなたは更に貧しく、更に苦しくなります。過去世で修めていないからです。あなたが法施を修めれば、聡明な智慧が得られます。無畏施を修めれば健康長寿が得られます。無畏施とは人を危険から回避させ、災難を回避させ、身心の平安が得られるように助けることで、この種のことを無畏施と言います。
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【注】 財施(ざいせ)・・・・金品を施しをすること。法施(ほうせ)・・・・仏法を説いて聞かせること。無畏施(むいせ)・・・・衆生の恐怖を取り除くこと。 因果の法則によれば、財施をすれば財を得られ、法施をすれば聡明な智慧が得られ、無畏施をすれば健康長寿が得られるという。中国では無畏施には、動物の肉を食べない菜食も含まれる。
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【司会者】:就是照您這樣的分析,中國歷史上不是沒有經濟學家,只是沒有西方那樣的經濟學家。
老法師のこのような分析に照らしてみると、中国の歴史には経済学者がいないのではなくて、ただ西洋のような経済学者がいないというだけのようです。
【浄空法師】:西方經濟學家是假的,是騙人的,不是真的,經濟學家他並沒有發財。
西洋の経済学者は偽物です。人を騙しています。本物ではありません。経済学者自身がお金を儲けていません。
【司会者】:而且真正的經濟學家,您是否認為首先應該是愛人類?
真の経済学者であれば第一に人類を愛するべきだと、老法師はそうお考えなのでしょうか?
【浄空法師】:對,不錯。
そうです。その通りです。
【司会者】:他給大家提出來的智慧應該是幫助人類生存的,而不是鬥爭。
彼らが人々に提示する智慧は、人類の生存を助けるものであるべきですね。闘争ではなくて。
【浄空法師】:鬥爭怎麼能致富?哪有這種道理!鬥爭能致富,那些小偷、強盜不都是大富大貴的?沒這個道理的。所以中國人守住一個最高的原則,隨順性徳是善的,違背性徳這就是惡的。性徳是什麼?中國人把它歸納為八徳,八個字,「孝悌忠信,禮義廉恥」,後人又加四個字,「仁愛和平」,這十二個字是性徳。你起心動念不違背這十二個字,你求富貴得富貴,求男女得男女,求長壽得長壽,佛家講「佛氏門中,有求必應」,為什麼?你隨順性徳。違背性徳,你是求不到的,違背性徳求到的,那是你命裡頭有的。
闘争でどうして富が得られるでしょうか?どこにそのような道理があるのでしょうか!闘争で富を築くのなら、泥棒や強盗たちは全部大金持ちになっているのではないでしょうか?そんな道理はありません。ですから中国人は一つの最高の原則を守ります。性徳に従えば善であり、性徳に背くものは悪なのです。性徳とは何でしょうか?中国人はそれを帰納して八徳としました。八字です。「孝悌忠信,礼儀廉恥」です。後世の人は更に「仁愛和平」の四字を加えました。この十二字が性徳です。あなたの起心動念(=思考の働き)がこの十二字に背かなければ、富貴を求めれば富貴を得、男女を求めれば男女を得、長寿を求めれば長寿を得ます。仏家では「仏氏門中,有求必応」(仏門においては、求めれば必ずかなえられる)と説かれています。なぜでしょう?あなたは性徳に従うからです。性徳に背いていれば、あなたは得ることはできません。性徳に背いて得られたものは、あなたの命の中にあったものなのです。
【司会者】:您知道現在有很多老人家,他們很辛苦,在做什麼?拿著板凳跑到股市裡去,把自己畢生的積蓄放到裡面去炒股。您老能不能對那些炒股的人講兩句?
老法師もご存知のように今多くのお年寄りは苦労しています。何をしているでしょう?腰掛けを持って株式市場に行きます。自分の一生涯の貯蓄を株の売り買いに投じています。そのような株に投資する人に対して少しお話し頂けませんか?
【浄空法師】:這是賭博,賭博就有輸贏,輸贏是命,你命裡沒有錢,你贏不到錢,你還把本賠掉了。所以你有那些錢不必去賭博,你節儉,你布施、放生,你說這多麼樂趣,生活愈簡單愈健康。我跟我的老師李炳南老先生,我跟他在一起十年,這最長的時間,我對他了解最透徹,他一天吃一餐,而且,他是山東人,吃饅頭,小饅頭,他就是一個饅頭,他一天就夠了,一餐就夠了。我也學他,我學他沒有辦法,他吃一個,我都吃兩個。
それは賭博です。賭博には勝敗があります。勝敗は命です。あなたの命の中にお金がなければ、お金を得ることはできず、元手を失ってしまいます。ですからそのお金で賭博をするのではなく、節約し、お布施をして、放生【注】することです。ここには多くの喜びがあります。生活は簡素であればあるほど健康になります。私は李炳南老師に十年ついていました。これは一番長い時間です。私は老師のことを最もよく理解しています。老師は一日一食で、しかも老師は山東省の人で饅頭を食べます。小さな饅頭を一つ食べれば、それで一日足りてしまいます。私も老師を真似したのですが駄目でした。老師は一つ食べ、私は二つ食べていました。
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【注】 放生(ほうじょう)・・・・健康長寿を願って、鳥や魚などの生き物を自然界に帰すこと。すべて因果の法則を前提としており、「生き物の生命を解放する」という原因を作り、健康長寿や病気平癒を祈るのである。日本ではほとんど見られないが、中国や台湾では頻繁に行われている。
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【司会者】:這一天就這一個饅頭嗎?
一日に一つの饅頭だけですか?
【浄空法師】:對,但我不行,我要吃兩個。所以他一個月的生活費用,在那個時候台灣錢六十塊,六十塊等於美金一塊半,那時候一比四十,一塊半。我一個月生活費用至少要九十塊,他六十塊,我要九十塊,我就沒有辦法能達到他的六十塊。所以老師看到我,我試驗了五年,老師說不錯!這樣的生活一生不求人,人到無求品自高。
そうです。しかし私は駄目でした。私は二つ食べていました。老師の一箇月の生活費は、当時の台湾で六十元でした。六十元は米ドルで一ドル五十セントです。その当時は(レートが)一対四十だったので、一ドル五十セントです。私の一箇月の生活費は最低でも九十元は必要でした。老師は六十元、私は九十元です。私はどうしても老師の六十元には達しませんでした。私は五年試しましたが、老師は私を見て「たいしたものだ!」と言いました。そのような生活は生涯人に面倒を掛けません。人は無欲であれば品格は自ずと高まるものです。
【司会者】:那人家說您每天吃得那麼不好,又那麼少,不痛苦嗎?不難受嗎?
それなら人は言います。毎日そのようなものを少し食べて、苦痛ではないのでしょうか?辛くはないのでしょうか?
【浄空法師】:我精神滿足,我工作能量不輸給別人,沒有影響。到以後我才得出個結論,飲食是能量的補充。我們人像個機器一樣,你的活動要靠能量來發動它。能量,這機器有的是耗能量的,有省能量的,就像汽車一樣,有省油的,有耗油的。這個到底它耗到哪裡去了?我給老師提出來,我說老師,我有個體會,能量的消耗,應當百分之九十五消耗在妄念上。他說對。於勞心勞力都很少,勞心勞力消耗能量消耗在妄想,打妄想,這個消耗能量太大。所以佛陀在世他們都是日中一食,為什麼?他沒有妄想,他平常保持著正念,沒有妄想,所以他消耗的就不需要那麼多,每天補充一次,夠了。阿羅漢得九次第定,那個妄念就沒有了,一個星期吃一餐,辟支佛比阿羅漢功夫更高,半個月吃一餐,道理在此地。
私の心は満たされます。私の活動するエネルギーは人に負けませんでした。影響しませんでした。後になって私は結論を出しました。飲食はエネルギーの補充です。私たち人間は機械と同じように、活動するにはエネルギーが要ります。この機械には、エネルギーの効率が悪いものと良いものがあります。車と同じように、燃費の良いものと燃費の悪いものがあります。それはいったいどこで消耗するのでしょうか?私は老師に提起しました。私の経験では、エネルギーの95%は妄念によって消耗します。老師は賛同しました。心身を働かせてもそれほど消耗しません。身心を働かせてエネルギーを消耗するのは、妄想によって消耗するのです。妄想すると、エネルギーの消耗が非常に大きいのです。仏陀が在世の頃、彼らは一日一食でした。なぜでしょう?妄想がないからです。仏陀は常に正念を保って妄想しませんでした。ですからそれほど多く消耗しません。一日一度補充すれば足りてしまいます。阿羅漢は「九次第定」を得ると妄念がなくなり、一週間に一食です。辟支仏(びゃくしぶつ)は阿羅漢よりも技量が高いので、半月に一食です。道理はここにあります。
【司会者】:您說的阿羅漢,就是普通的人他證了阿羅漢果,就能這樣?
老法師の仰る阿羅漢とは、普通の人が阿羅漢果を証すれば、それができるということでしょうか?
【浄空法師】:對,不錯。證阿羅漢果就是他能夠把對於世出世間一切法的執著沒有了,決定沒有執著,這個人就是阿羅漢。我們有執著,凡夫有執著;沒有分別的人是菩薩,不起心不動念這個人叫作佛。所以佛、菩薩、阿羅漢都是人。凡人,凡人就是你起心動念、分別、執著統統有,你是凡人。
そうです。その通りです。阿羅漢果を証するということは、世間(=俗世)と出世間(=仏菩薩の境界)の一切に執着がなくなり、絶対に執着しません。このような人が阿羅漢です。私たちには執着があります。凡夫には執着があります。分別する心がない人は菩薩です。起心動念(=思考の働き)がない人を仏と言います。仏、菩薩、阿羅漢はすべて人です。凡人には起心動念、分別、執着がすべてあります。その人は凡人です。
【司会者】:而且跟他們是相反的。
しかも彼らとは正反対です。
【浄空法師】:所以這个講能量的消耗,你愈往上面去的时候,他能量消耗愈少。
このエネルギーの消耗について言うなら、境地が高くなるほど、エネルギーの消耗は少なくなります。
【司会者】:相反的,不但消耗能量,消耗食物,而且还会受惡果報。
正反対であればエネルギーや食物を消耗するだけでなく、その上悪報を受けることになります。
【浄空法師】:對,因為什麼?病從口入。
そうです。なぜでしょう?病は口から入ります。
【司会者】:吃得愈多,危険愈大。
食べれば食べるほど、危険も大きいと。
【浄空法師】:對,不錯。東方人的道理,西方人做夢都想不到。
そう。その通りです。東洋人の道理は、西洋人には夢にも思いつきません。
【司会者】:剛才我們說到賭博,我們中國古人教給我們,賭博是沒好下場的。
先ほど賭博についてお話ししました。中国の古人は賭博に良い結末はないと教えています。
【浄空法師】:對,沒好下場,真的。而且開賭場的人,我常常講,那是謀財害命。那種行業縱然你現在是得到一些利潤,果報不得了,那是地獄果報。
そうです。良い結末はありません。本当です。しかも賭場を経営する人は、財を奪う為に人の命を害しています。そのような業界はたとえ今少しばかり利潤を得ていても、果報は大変です。それは地獄の果報です。
【司会者】:人家會問,現在世界各國都有股市。
それなら人は、「今では世界各国に株式市場があるではないか」と質問します。
【浄空法師】:對,是,那都在搞賭場,所以這個世界會變成這個樣子,會變成這麼多的災難。科學家提出的警告,這是大家很多人相信的,科學家提給我們最近的警告說是拯救地球的危機,拯救人的危機只剩下七年的時間。如果這個七年人要不知道反省,不知道回頭,那就沒救了。現在怎麼?還有七年,大家說七年時間還長,再過個二、三年,恐怕著急了,那著急大概來不及了。
そうです。すべて賭場を経営しているのです。だから世界はこのように変わってしまったのです。これほど多くの災難が起こるようになったのです。科学者の提示した警告を多くの人は信じています。科学者の最近の警告では、地球の危機を救い、全人類の危機を救うのに、たった七年の時間しか残されていません。もしこの七年に人が反省せず、改心できなければ、救いはありません。今はどうでしょう?あと七年あります。人々は七年ならまだ時間があると言いますが、あと二、三年すれば、恐らく焦り出すでしょう。そこで焦ってもおそらく間に合わないでしょう。
【司会者】:您能簡單的給大家分析一下,股市為什麼像賭場?
株式市場はどうして賭場なのか、皆さんに簡単に分析をして頂けませんか?
【浄空法師】:股市像賭場是大家都知道的。
株式市場が賭場のようなものだということは、誰でも知っていることです。
【司会者】:有的經濟學家也這麼說。
ある経済学者もそのように言います。
【浄空法師】:尤其在香港,香港現在買股票的人多少,賭馬的多少,為什麼?是用僥倖的心理去求財。
特に香港です。香港では今株券を買ったり、競馬をする人はどれほどいるでしょうか。なぜ思いがけない幸運に期待して財を求めるのでしょうか。
【司会者】:就是我賺了就一定有人賠。
つまり自分が儲ければ、必ず誰かが損をしています。
【浄空法師】:對,不錯,是!不是正當的,這是錯誤的。
そうです。その通りなのです!正当ではありません。それは間違いです。
【司会者】:如果大家都用這種心理去生活、去賺錢的話,民風狡詐。
もし人々がこのような心で生活し、金儲けをしていれば、民間の気風は狡猾になります。
【浄空法師】:沒錯。所以孟子說「上下交征利,其國危矣」。這個話講得很透徹,你現在看,現在不是一個國家上下交征利,全世界,所以世界動亂,世界危矣。你從因與果上來看,古人就很清楚,社會走向這個趨勢還得了!所以中國古聖先賢用教學的方法,用因果倫理道徳的教育,做什麼?防範人欲望的擴張,人有欲望,把它限制在一定的一個節度上。所以中國人講禮,禮就有節,你不能超過,不能不及,也不能超過。
その通りです。ですから孟子は「上下交征利,其國危矣」(上も下も入り乱れて利益を争い合えば、国が危うくなる)【注】と説いています。この話は非常に透徹しています。今見てみれば、今では上下入り乱れて利益を争わない国はありません。全世界です。だから世界が乱れ、危うくなっているのです。因と果から見れば、古人にはとても明瞭です。社会がこの趨勢に向かえば大変です!中国の古の聖賢は教学という方法を用い、因果・倫理道徳の教育を用いました。何をしたのでしょうか?人の欲望の拡張を防いだのです。人には欲望があるので、それを一定の節度に制限します。だからこそ中国人は礼を重んじるのです。礼があれば節度が保たれます。度を越してはなりません。至らなくても、度を越してもいけません。
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【注】 「上下交征利,而国危矣」 (『孟子』梁恵王上)
上下交(こもごも)利を征(と)らば,而ち国危うし。
君主から庶民まで誰もが利益を争えば、国が危うくなる。
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【司会者】:適當的享受。
適度に享受すること。
【浄空法師】:要適當,對。所以中國過去人情往來都是送禮,節慶婚喪喜這些事情都有送禮的。禮,家裡面都有一個本子,人家送我們多少,將來他有事情,我們還多少,不能超過太多,跟他一樣,或者多一點點,不能比他少。禮節,才有節度,人情厚道。
適度でなければなりません。そうです。中国では昔の人情の往来には、すべて贈り物をしました。祝祭日や冠婚葬祭などには贈り物をしました。礼については、家にノートがありました。誰がどのくらい贈り物をしたのか、将来用事があればどのくらい返すのか。多過ぎてはいけません。頂いた人と同じか、或いは少し多めにします。少なくしてはなりません。礼節があってこそ節度が保たれ、人情が厚くなるのです。
【司会者】:這個世間貧富貴賤本來就有差別的,而且這是客觀存在,哪個國家都是這樣,在我們中國管這叫福報不一樣,福氣不一樣。現在我們要請教一個問題,這個問題是經濟學家回答不了的,但是我相信他們也很想知道。比如說一個福報很小的人,鼓勵他貸款,借給他很多錢,讓他去消費,刺激他消費,他會有什麼果報?
この世間にはもともと貧富の格差があり、しかもそれは客観的に存在します。どの国でもそうです。中国ではそれを「福報」が異なる、「福気」が異なると言います。今一つの問題についてお伺いしたいのですが、この問題は経済学者では答えられません。しかし彼らも知りたいと思っていることでしょう。例えば福報のとても小さい人がいて、その人に融資を勧め、多額のお金を貸して消費させたとすれば、どんな果報があるのでしょうか?
【浄空法師】:這種現象在西方人是常見的,但是在過去的中國人絕對沒有這個現象。自己貧窮沒有福報,可以去乞食,乞丐。
その種の事は西洋人にはよく見られます。しかし昔の中国人には絶対にそのような事はありません。自分が貧しくて福報がなければ、乞食して、物をもらえば良いのです。
【司会者】:要飯。
乞食をする。
【浄空法師】:對,要飯。要飯,他沒有因果責任,為什麼?人家是布施給他的,他不是搶來的,不是偷來的,他得到的時候,他也能夠很安然的受用。如果是負債過日子,這個比乞丐果報還要可憐,這是中國人決定不能做的。那貧富之間這個差距,在事上講有,在理上講沒有,理太深了,不是一般人能懂得的。理上講是,你覺悟了,覺悟到自性,自性是圓滿的。你看佛在大經裡面告訴我們,自性它是究竟圓滿,智慧圓滿、徳行圓滿、才藝圓滿、福報圓滿,而且是平等的,人人如此。但是你跟佛是平等的,你現在為什麼不平等?你迷了自性,迷了自性,你有了障礙,有障礙的時候,你這個福報不能現前。就好比說你是個大富長者,你這個錢都在銀行裡,現在你身上一毛沒有,你吃飯還得討乞,為什麼?錢不在手上,你是真有錢,你拿不出來,就這麼個道理。所以迷了之後,六道眾生都迷,那怎麼辦?擺攤子,做小買賣,就搞這樣子。就是說你的性徳不起作用,那你就靠什麼?靠修徳。修徳,每個人修的就不一樣。
そうです。乞食です。乞食には因果の責任はありません。なぜでしょう?誰かがその人に施してくれるからです。奪い取ったのでも、盗んだのでもありません。人から施しを受ける時、施した人も心の安らぎを得るのです。もし負債を抱えて暮らすなら、それは乞食の果報よりも哀れです。これは中国人は絶対にできません。その貧富の格差は、事実上はありますが、道理上はありません。とても深い道理なので、一般の人には理解できません。道理から言えば、あなたは悟っています。自性を悟っています。自性は円満です。仏は大経(=無量寿経)の中で説かれています。自性は究極の円満であり、円満の智慧、円満の徳行、円満の才芸、円満の福報があり、しかも平等です。誰もがそうなのです。しかしあなたは仏と平等でありながら、今はどうして平等でないのでしょうか?自性を見失っているからです。自性を見失えば障碍が生じます。障害がある時、あなたの福報は現れません。例えばあなたが億万長者でありながら、お金をすべて銀行に預けてしまって手元に一銭もないようなものです。あなたは食べるのに物乞いをしなければなりません。なぜでしょう?お金が手元にないからです。あなたは大金持ちなのに、お金を引き出せません。このような道理です。六道の衆生は皆自性を見失っています。それならどうするのでしょう?露店を並べて小さな商いをするといった具合です。つまりあなたの性徳が作用していないのです。何に頼るべきでしょうか?徳を修めることです。徳を修めるのも、各人が修める徳は同じではありません。
>>天地に生きる人類が直面する最大の危機04/10につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/db4161cfbd0be27d73e30b308cb3c636