乘願再來
(1995-05-10朝食)
自己不肯認真修行,你的身體業報是命中注定的;如果自己肯發憤為佛法獻身,為一切眾生獻身,那你這個身體就不是你自己的了,而是乘願再來的。
自ら真剣に修行しようとしなければ、あなたの身体の業報【注1】は運命に定められた通りです。もし自ら堅く決心して仏法の為に身を捧げ、一切衆生の為に身を捧げるなら、あなたの身体はあなたのものではなくなり、乗願再来【注2】となります。
因此不必等到了西方極樂世界再來投生,只要現在的願力一轉,就能把自己業報的身轉成願力的身,這就是乘願再來。「乘願再來」是一念之間可以做得到的,這裡面一絲毫假都不能摻,是純真無妄的,摻一點假還是要受業報。
ですから西方極楽世界に行ってから、またこの世に生まれるのを待つ必要はありません。今の願力を転ずれば、自分の業報の身体は願力の身体になります。これこそが乗願再来です。「乗願再来」とは一念の間にできることなのです。この(一念の)中には少しの偽りも混ざってはなりません。純真(じゅんしん:心に穢れがないこと)無妄(むもう:偽りがないこと)です。少しでも偽りが混ざれば、やはり業報を受けます。
<注>
1.業報(ごうほう)前世や過去に行った善悪の行為による報い。(デジタル大辞泉より)
2.乗願再来(じょうがんさいらい)一切衆生に奉仕する決意をもってこの世に来ること。
<参考>
乗願再来