浄空法師説法研究

浄空法師の説法に学びながら、日本語に翻訳して紹介しています。

人類に降りかかる災難の根源とは何か2/12

2013-04-20 | 調和が危機を救う

【人心と自然災害の関係】

【司会者】:老教授,我們繼續往下就災難問題向您老請教。今年的五月十二號,四川大地震。在半個月之前,您老突然在自己的家鄉,安徽省湯池鎮,就發起倡議舉辦「中峰三時繫念法會」,名字叫「護國息災法會」。我們知道在佛門裡面,這個法會是專門超度亡靈的,就是對去世的那些人是非常有好處的。我也非常仔細的分析了您那一段時間的講話,大家在網上實際上是都看得到的。您至少有六次,六次之多您提到對社會大眾的提醒,就避免這個災難,而且在地震前三天就是五月九號,您特別提到災難是怎麼發生的,地震是怎麼發生的。在網上能看到的是世界各地的人,他們會問一個問題,這是巧合嗎?
老教授。引き続き災難の問題についてお伺いしたいと思います。今年の五月十二日、四川大地震【注】が起こりました。その半月前に、老法師は突然ご自分の故郷である安徽省湯地鎮で、「中峰三時繫念法会」を行うことを提起されました。名称は「護国息災法会」です。私たちは仏門ではこの法会は特に亡霊を済度するもので、亡くなった人々に対してご利益があるものと理解しています。私もあの時の講話を非常に詳細に分析しました。誰でもインターネットで見ることができます。あなたは少なくとも六回以上社会の大衆に対して災難を回避することについて忠告されています。しかも地震の三日前の五月九日には、災難はなぜ発生するのか、地震はどうして発生するのかを特に提起されていました。インターネットで見た世界各地の人は質問することでしょう。これは偶然の一致なのでしょうか?
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 【注】 四川大地震・・・・2008年5月12日、四川省汶川県で発生した大地震。中国では512大地震、汶川地震とも言われる。
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【浄空法師】:說巧合也可以,也能講得過去。這個災難,在佛法裡面講確實是人不善的心行所產生的一個現象。這裡面有很深的一個道理,那就是佛講的「境隨心轉」。境是環境,心就是念頭,從小的來說,我們這個身體,我們的意念要是善沒有絲毫惡,你的身體會很舒服、會很健康、會不生病。如果你天天有煩惱、天天有顧慮、天天在計較,那你就很容易生病。就是你心在轉,你整個身體隨著你的念頭在轉。再擴大外面也同樣的,我們居住的環境,這一般人講風水,我們居住的環境,能不能給自己帶來快樂?也是你的心轉境界。所以風水家講「福人居福地,福地福人居」,就這個道理。你的心善良,你住這個地方風水不好,你住上個二、三年,它就變好了。
偶然の一致と言っても良いでしょう。話の筋は通ります。災難というものは、仏法では間違いなく人の不善な心が生み出す現象だと説かれています。そこには深い道理があります。それが仏様が説かれた「境随心転」(境は心に随って転じる)です。「」とは環境、「」とは意思のことです。小さい所から言えば、私たちの意念が善で少しの悪もなければ、あなたの身体は心地良く、健康になり、病気になりません。もし毎日のように悩み、毎日のように心配し、毎日何かを気に掛けていれば、あなたは病気になり易くなります。つまりあなたが心を転じれば、あなたの身体全体はあなたの意思に従って転じるのです。更に外に拡大しても同じです。一般の人は風水を大切にしますが、私たちの住む環境が自分に安らぎを与えてくれるかどうか。それもあなたの心が環境を転じます。ですから風水家は「福人居福地,福地福人居」(福のある人は福のある土地に住み、福のある土地には福のある人が住む)と言います。正にこの道理です。あなたの心が善良であれば、住んでいる場所の風水が悪くても、二、三年住んでいれば良くなってしまいます。

【司会者】:您所講的這是個原理。
老法師の説かれているのはこのような原理なのですね。

【浄空法師】:原理,它就轉變了。再擴大到整個世界也是一樣,我們這個地區的居民,如果人心不善,他就可能會發生現在講的自然災害,其實是從人心的感應。佛給我們講的,人的不平,那就是地震的原因。
原理です。それは変化するものです。更に全世界に拡大してみても同じです。ここに住んでいる住民の心が不善であれば、今言うところの自然災害は発生するでしょう。実際には人心が感応したのです。仏様は私たちに説かれています。人の不平(=心が不公平で、平らかでないこと)、それこそが地震の原因なのです。

【司会者】:人心不平。
人心が不平であると。

【浄空法師】:不平,就是地震,他就會感得地震。
不平、それが地震です。それが地震と感応するのです。

【司会者】:就是我很傲慢,我看不起他?人心不平。
つまり傲慢さや、人を見下す事でしょうか?それが人心の不平であると。

【浄空法師】:對。人心的瞋恨、怨恨,這就是說溫度上升,這個地球溫度會上升。
そうです。人心の怒りや、恨み辛みは、温度を上昇させます。この地球の温度が上昇します。

【司会者】 發熱。
熱を発するのですね。

【浄空法師】:對,不錯。愚痴就是風災,貪欲就是水災。所以你看看現在地球上居住的人,哪個地方的人沒有貪瞋痴?而且貪瞋痴這種的現象,比過去要加很多倍。我們怎麼看法?三十年、三十年,中國人講三十年是一世,你看那個「世」字是三個十,三十年叫一世。三十年前的人跟現在三十年後的人,那個貪瞋痴懸殊就很大,再往上就是六十年前,他的速度就更小,不是沒有,有。你看到我們抗戰期間,你退到兩個三十年前,六十多年前,人有沒有貪?有,但是很少,沒有現在這麼嚴重。雖然是自利,他看到別人有同情心。我們在抗戰期間做流亡學生,那時離開家庭、離開父母走到外面,但是每個人看到你他都照顧你,現在沒人照顧你了。
その通りです。愚痴は風災、貪欲は水災です。今地球に住んでいる人で、どこの人が貪瞋痴がないでしょうか?しかも貪瞋痴による現象は、過去に比べて何倍も増えています。私たちはどう見ているのでしょう?中国人は三十年を一世としていて、その「世」という字を見ると三つの十で構成されています。三十年を一世と言います。三十年前の人と今の人では、貪瞋痴には大きな違いがあります。更に遡って六十年前なら、(意念が働く)速さは更に少ないでしょう。無くはありません。あるのです。私たちは抗日戦争(=日中戦争1937‐1945)の期間を見てみれば、三十年を二つ遡ります。六十年前、人に貪欲さはあったでしょうか?ありました。しかしとても少なくて、今ほど深刻ではありませんでした。利己的であっても、他人を見れば同情する心がありました。私たちは抗日の期間は流浪の学生でした。あの時家庭を離れ、両親から離れて外に出ましたが、どの人も面倒を見てくれたものです。今では誰も面倒を見てはくれません。

【司会者】:您老人家八十二歲高齡,走遍世界各地,各國政要下到販夫走卒都跟您老打過交道。這麼多年來,您親眼所看到的世間就是這樣,愈來愈貪瞋痴慢,災難也就愈來愈多。
老法師は八十二歳のご高齢で、世界各地を歩かれ、各国の政府要人から庶民まで交流されています。長年に渡って、ご自身の目でご覧になった世間は、正にこのようであると。貪瞋痴慢は増々増長しています。また災難も増々多くなっています。

【浄空法師】:對,不錯,災難就愈來愈多。所以你看到因,你就會知道果。災難能不能化解?在我們中國老祖宗跟佛陀的口氣裡頭是肯定的,可以化解。
そうです。その通りです。災難は増々多くなっています。あなたは因を見ることができれば、果を知ることができます。災難は解消できるのでしょうか?中国のご先祖様と仏陀の話では、間違いありません。解消できます。

【司会者】:那科學家不這麼認為。
しかし科学者はそう考えていません。

【浄空法師】:可以,他不相信!
できます。しかし信じません!

【司会者】:他認為這是自然災害。
科学者は自然災害だと考えています。

【浄空法師】:他不認為這個自然災害是我們意念造成的,這點他不承認,那就一點辦法都沒有了。
科学者はこの自然災害は私たちの意念が造り出したものだとは考えません。この点を認めません。それではまったくどうにもなりません。

【司会者】 我發現您說的這個原理,好像只有在佛經裡才講得非常直接、徹底。
私は気がついたのですが、老法師が仰るその原理は、仏典の中にだけ非常に直接的に、徹底して説かれているようです。

【浄空法師】:講的徹底、講的圓滿。
徹底して円満に説かれています。

【司会者】:儒家是接近。
儒家はそれに近いようです。

【浄空法師】:對,有,接近,不錯,儒跟道都接近、都講到,但是他沒講到佛那麼樣圓滿。
そうです。近いです。儒教と道教はどちらも近いです。どちらも説かれています。しかし仏教ほどには円満に説かれていません。

【司会者】:中國的儒釋道很像是預防災難的一部經典。
中国の儒教・仏教・道教は、まるで災難を予防する経典のようですね。

【浄空法師】:對,那你要是真照這個做,我們這個世界就變成極樂世界。所以我講經的時候也講過不少次,極樂世界跟我們這個娑婆世界有沒有兩樣?沒有兩樣!為什麼那個世界那麼好?釋迦牟尼佛給我們介紹的世界那麼好?佛說的裡頭有一句話你要注意到,那個世界「皆是諸上善人俱會一處」,他們那個地方的人是上善!上品的善人。
そうです。あなたが本当にそれに依拠して実行すれば、この世界は極楽世界に変わります。ですから私は講経の時に何度も話しています。極楽世界と私たちの娑婆世界に違いはあるのでしょうか?違いはありません!なぜその世界はそれほど良いのでしょうか?釈迦牟尼仏が紹介して下さった世界はなぜそれほど良いのでしょうか?仏陀が説かれたこの言葉に注意してみて下さい。その世界は「皆是諸上善人俱会一処」(皆諸々の上善の人が、一つ処に集まっている)のです。その場所にいる人は上善なのです!上品の(=最上の)善人です。

【司会者】:心是最好的。
心が最も良い人々ですね。

【浄空法師】:對,不錯。我們現在這邊是上品的惡,在從前古時候是下品惡,再慢慢演變為中等的惡,現在我們是上等的惡,這災難就愈來愈多了。
そうです。その通りです。今日のこの世界は上品(じょうぼん)の悪です。昔は下品(げぼん)の悪でした。少しずつ中等の悪になり、今日私たちは上等の悪です。これでは災難は増々多くなります。

【司会者】:我們現在是在香港,走在街上我看大家,覺得自己都很美、都很快樂,彷彿在真是天堂,購物的天堂,消費的天堂。
私たちは今香港にいます。街を歩いて人々を見ると、自分はとても美しく、楽しいと思い、本当に天国のようです。買い物の天国、消費の天国です。

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:但是這真的在原理看起來,對照,拿顯微鏡一看、拿放大鏡一看,上品十惡。
しかしそれは本当に原理を見て、照らし合わせ、顕微鏡で観察し、虫眼鏡で観察すれば、上品の十悪です。

【浄空法師】:對,沒錯。不錯,上品十惡充滿了貪瞋痴慢,這是真的不是假的。貪瞋痴慢要達到一個飽和點,這個宇宙會毀滅。從前中國的教育就是防止你惡念的擴張。所以你說中國人自古以來教的什麼?從小就教你讓,忍讓、謙讓、禮讓,沒有教你競爭。競爭提升就是鬥爭,鬥爭提升就是戰爭。
そうです。その通りです。上品(最上)の十悪【注】には貪瞋痴慢が充満しています。それは真実であり、偽りではありません。貪瞋痴慢がある飽和状態に達すれば、この宇宙は壊滅するでしょう。昔の中国の教育は、正に悪念の拡張を防止するものなのです。ですから中国人は昔から何を教えてきたのでしょう?子どもの頃から譲ることを教えました。忍譲、謙譲、礼譲。競争することは教えませんでした。競争が拡大すれば闘争になり、闘争が拡大すれば戦争になります。
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 【注】 十悪・・・・殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見。十悪業。
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【司会者】:有人就想請教您老這個問題,如果當時在五月份之前、在地震之前,如果直接的把這些災難的訊息,直接跟社會大眾、通過媒體直接講出來難道不可以嗎?
ある人は老法師にこのような問題をご教示頂きたいと思っています。当時五月より前、地震の前に、メディアを通してこれらの災難の情報を直接社会の大衆に話せば良かったのではないでしょうか?

【浄空法師】:不可以,為什麼?社會大眾會說你妖言惑眾,會起反效果。所以我們在這種情形之下,只有勉勵學佛的同學,我們大家要發善心,要斷惡修善,要破迷開悟。從自己內心做起,護自己就護國家,自己的災消了,外面的災也就減輕了。
駄目です。なぜでしょう?社会の大衆は、妖言をもって大衆を惑わすと言うでしょう。逆効果になってしまいます。ですから私たちはこのような状況下で、仏法を学ぶ人にだけ、善の心を発して、悪を断って善を修め、迷いを破り悟りを開くよう励ましました。自分の心から始めることです。自分を護ることは国家を護ることであり、自己の災いが解消されれば、外界の災いも軽減されます。

【司会者】:這個「護國息災法會」就是這個宗旨?
この「護国息災法会」とは、このような宗旨なのですね?

【浄空法師】:對,不錯。我們看到全世界災難太多,所以希望全世界的淨宗同學,我們同時、同心、同力,這個力量就會很大。不但化解局部的,我們希望對全世界的災難都能把它減輕。
そうです。その通りです。私たちは全世界に災難が多過ぎるのを見ています。ですから全世界の浄宗の学友たちが、時を合わせ、心を合わせ、力を合わせること。この力は大きなものです。局部的に解消するだけでなく、私たちは全世界の災難が軽減されることを願っています。

【司会者】:我了解,有這樣的信息說,在過去好像是在台灣九二一大地震之前,您老也曾經在台灣跟一些人說過,就是說有可能會發生大地震。
私の理解では、このような情報があります。過去には台湾の9・21大地震【注】の前にも、老法師は台湾で一部の人に大地震が発生するかもしれないと話されたそうですね。
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 【注】 921大地震・・・・1999年9月21日、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生した大地震。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/921%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87
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【浄空法師】:不錯。
その通りです。

【司会者】:那後來媒體就群起攻之。後來地震之後,很多人震醒了,開始重新認識淨空老教授,重新認識佛法。那麼現在就出現一個問題,在佛門我們知道,好像不允許有占卜?
その後でメディアは一斉に攻撃しました。その後、地震が起きた後で多くの人が目を覚まされ、改めて浄空老教授を認識し、改めて仏法を認識しました。そこで今このような問題が出てきます。仏門では、私たちの理解では、吉凶を占ってはならないのではないでしょうか?

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:預測、看相、算命這是不許可的。
予測したり、相を見たり、運勢を占うといったことは許されないのですね。

【浄空法師】:對。
そうです。

【司会者】:社會大眾該怎麼來看待,您對大家的這種提醒也好、警告也好?
社会の大衆は、老法師のこのような警鐘、或いは警告に対して、どのように受け止めたら良いのでしょうか?

【浄空法師】:這個東西要回復到根本,根本是教育。所以根本一定要肯定人性本善,這是真的不是假的。不善是他學壞了,不善是習性。所以像孟子講性善,荀子講性惡,孟子講的性善不是夫子講的,夫子講那個是性本善,孟子講的那個善是習性,習性的善,不是本性。本性的善是什麼?不是善惡的善,本性沒有善惡,善惡是相對的,本性是沒有相對的,那叫純淨純善。那個才是至善,才是真正的大圓滿。
このことは根本に立ち返らなければなりません。根本は教育です。根本とは、必ず人の本性は本来善であることを肯定することです。これは真実であり、偽りではありません。不善というのは悪いことを学んで悪くなったのです。不善は習性です。ですから孟子が性善を説き、荀子は性悪を説きました。孟子が説いた性善は孔夫子が説いたのではありません。孔夫子が説いたのは性はもともと善であるということです。孟子が説いた善は習性の善であり、本性ではありません。本性の善とは何でしょうか?善悪の善ではありません。本性に善悪はありません。善悪は相対的なもので、本性には相対はありません。それを「純浄純善」と言います。それこそが至善であり、真の大円満なのです。

  人要怎麼樣回歸到本性?他要不迷,他就不會到人間來了,他到人間來,他已經迷了,那就必須要教育。所以中國人是最懂得教育,知道教育的重要,也知道教育的方法,那幾千年來收到教育的效果,這是我們不能夠疏忽的。我們不能說老祖宗一樣都不行,老祖宗一樣都不行能夠把子孫綿延到五千年,今天在世界上還算不錯,這是什麼?這要歸功老祖宗的徳,不能把老祖宗恩徳給忘掉了,那你就大錯,那將來就要受大災難。為什麼?你已經是忘本了,這是很重要的一樁事情。所以我們要相信老祖宗的智慧,相信老祖宗的教誨,你只要是依教奉行,絕對不會有差錯。
人はどうすれば本性に回帰できるのでしょうか?迷いのない人は人間界に来ることはありません。人間界に来たのであればすでに迷いがあるのです。それなら教育しなければなりません。中国人は最も教育を理解しています。教育の重要性を知っています。また教育の方法を知っています。数千年来教育の効果を得て来たのですから、これを疎かにしてはなりません。私たちはご先祖様はすべて駄目だと言うことはできません。ご先祖様がすべて駄目であれば、子孫は延々と五千年も続くことはありません。今日この世界に存続しているのは大したものです。これは何でしょうか?これはご先祖様の徳の賜物であり、ご先祖様の恩徳を忘れてはなりません。それは大きな間違いです。それでは将来大きな災難に見舞われるでしょう。なぜでしょう?あなたが根本を忘れているからです。これはとても重要なことです。ですから私たちはご先祖様の智慧を信じ、ご先祖様の教誨を信じることです。教義に依拠して実行すれば、絶対に間違いはありません。

>>人類に降りかかる災難の根源とは何か 3/12 につづく・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fayuan/e/dd8149a12aead1e37ff2d816dbc673fc


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