今日は2014年6月30日。
マスメディアのニュースによれば、政府は集団的自衛権行使容認ついて閣議決定しようとしています。例えばこちら。 これは、第2次世界大戦後の日本の方針を大きく変えるものとなるはずです。
すなわち、同盟を結んだ国等が敵とみなす国に対し、日本も戦場に出ていき戦うということになるからです。
また、この問題に関して、昨日(6月29日)、抗議する人が焼身自殺(未遂に終わるが大やけどを負う)を図るという事件が発生したのですが、新聞、テレビなどのマスメディアではほとんど放送されていません。扱っていたとしても非常に小さい扱いです。
海外のメディアでは大きく取り上げられているにもかかわらずです。
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戦争を好き好んで望んでやる国などあろうはずはない。
しかし、いまも世界のあちこちで戦争・武力衝突が起きている。
それはひとつに、世界には沢山の武器があり、作られ続けているという問題が根深くあると思います。
日本は厳格に銃規制が行われている国なので、発砲事件は少ない。しかし、アメリカをはじめ銃が普通に流通している国では、「だれも好きこのんで他人を傷つけたくはない」はずなのに、武器を使ってしまう。 ここに人間の愚かさがあるわけです。
「防衛のために武器を持つ」 このこと自体が、非常に地球があさはなか文明レベルしか持っていない象徴ではないでしょうか?
存在すると何かの折に使いたくなる・・・自分の防衛、仲間の防衛、国の防衛と称して。・・・
今の社会から観て、戦国時代の日本、どうでしょうか? 領地のため、君主への忠義のため、たくさんの命が捨てられる時代。
そんな時代は来てほしくないし、今から思えば、ナンセンスだと感じることでしょう。
同じです。未来の文明が進んだ賢い状態を想像してバックスキャン(未来から現在を観る)してみれば、地球を何度も破壊し、全生態系を汚染することができる核兵器を保有していること自体が全くもって野蛮に映るはずです。そして、”国””民族”というアイデンティティで境界を引き、敵・味方にわけて戦う。 全く持って古くて野蛮な考え方に気づくはずです。それではなわばり争いで生死をかけている動物たちと何ら変わりがありません。
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日本は、広島・長崎で原爆という大量殺戮を経験しました。核兵器で攻撃されたのも最初です。これが最後であってほしいですが。
一方で、日本は戦後において、アジア・アフリカ・中東などに技術援助やインフラ整備で多大な貢献をしてきており、こうした多くの国で日本は尊敬を受けています。
長い伝統文化を持つのと同時に、多様な文化を受け入れて統合したり、新しい文化として成長させるのも器用な国民です。
震災後の日本人のふるまいや、何かあったら知らない人がつながって命を救う国民性(山手線での事故救出)、サッカーワールドカップでの会場清掃を当たり前に行うといったこともできる国民性があります。
日本は、世界平和に積極的に貢献していくために以下のスタンスをとるべきではないかと考えます。
『グローバルに人や経済の交流がある昨今、敵・味方といった線引きで競争・搾取をして生き残るという思想から脱皮する。すなわち、ひとびとの叡智を結集して国家という概念すら越え、人類規模での利益ある社会貢献をすること(インフラ整備や技術提供、和の精神や思想)。また、積極的な文化・芸術・スポーツなど、交流の機会を圧倒的に増やし、相互交流による相互理解により敵をつくらないこと。争いある国あらば、中立的な立場から、紛争解決に向けて場を設け、対話を促進することにより、武力衝突のない対話のある関係を築くことに積極貢献する』
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「武力をもたなくて、本当に大丈夫なのか? 隙をあたえれば攻撃されるのではないか?」
そういう考えをお持ちの方も多いかもしれません。
しかしこの連鎖はそもそもおかしいことを誰かが発信していく必要があります。
私はそれをここで発信していきたい。
武力には武力で という発想は、恐怖から生まれています。
もう地球の人類誕生から数百万年が経過しています。
こうした武力には武力でというのは、まったくもって野蛮で古い考え方であることに気づきたいものです。
{コスタリカは戦力を放棄した平和政策をとってから、他国が武力干渉できなくなりました。
そして周辺国の争いの調停を積極的に行っています。
そういったスタンスを取ることから、周辺国からは、「コスタリカを責めるやつがいれば、おれたちが許さない」という意識を持ってもらえているわけです。}
※{ }内の記述については、伊藤千尋さん(コスタリカ訪問8回以上、朝日新聞サンパウロ元支局長)講演会からお聞きした内容およびそのときに配布された資料などから、かつてブログに書いたものからの引用になります。2013年4月現在の情報になります。
詳細については、こちらです。
なお、コスタリカの状況については、現地で暮らしている方のブログなどから、平和教育がそれほど一般家庭には浸透していない、治安もそれほどよくないいった意見もあることを申し添えておきます。
日本も同様、平和な世界を願って発展してきた国。
武力をつかわない、もっと賢い平和を世界にもたらす方法を、いま、叡智を結集して考える時かと思います。
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八百万の神の国 八方美人でいいじゃない
マスメディアのニュースによれば、政府は集団的自衛権行使容認ついて閣議決定しようとしています。例えばこちら。 これは、第2次世界大戦後の日本の方針を大きく変えるものとなるはずです。
すなわち、同盟を結んだ国等が敵とみなす国に対し、日本も戦場に出ていき戦うということになるからです。
また、この問題に関して、昨日(6月29日)、抗議する人が焼身自殺(未遂に終わるが大やけどを負う)を図るという事件が発生したのですが、新聞、テレビなどのマスメディアではほとんど放送されていません。扱っていたとしても非常に小さい扱いです。
海外のメディアでは大きく取り上げられているにもかかわらずです。
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戦争を好き好んで望んでやる国などあろうはずはない。
しかし、いまも世界のあちこちで戦争・武力衝突が起きている。
それはひとつに、世界には沢山の武器があり、作られ続けているという問題が根深くあると思います。
日本は厳格に銃規制が行われている国なので、発砲事件は少ない。しかし、アメリカをはじめ銃が普通に流通している国では、「だれも好きこのんで他人を傷つけたくはない」はずなのに、武器を使ってしまう。 ここに人間の愚かさがあるわけです。
「防衛のために武器を持つ」 このこと自体が、非常に地球があさはなか文明レベルしか持っていない象徴ではないでしょうか?
存在すると何かの折に使いたくなる・・・自分の防衛、仲間の防衛、国の防衛と称して。・・・
今の社会から観て、戦国時代の日本、どうでしょうか? 領地のため、君主への忠義のため、たくさんの命が捨てられる時代。
そんな時代は来てほしくないし、今から思えば、ナンセンスだと感じることでしょう。
同じです。未来の文明が進んだ賢い状態を想像してバックスキャン(未来から現在を観る)してみれば、地球を何度も破壊し、全生態系を汚染することができる核兵器を保有していること自体が全くもって野蛮に映るはずです。そして、”国””民族”というアイデンティティで境界を引き、敵・味方にわけて戦う。 全く持って古くて野蛮な考え方に気づくはずです。それではなわばり争いで生死をかけている動物たちと何ら変わりがありません。
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日本は、広島・長崎で原爆という大量殺戮を経験しました。核兵器で攻撃されたのも最初です。これが最後であってほしいですが。
一方で、日本は戦後において、アジア・アフリカ・中東などに技術援助やインフラ整備で多大な貢献をしてきており、こうした多くの国で日本は尊敬を受けています。
長い伝統文化を持つのと同時に、多様な文化を受け入れて統合したり、新しい文化として成長させるのも器用な国民です。
震災後の日本人のふるまいや、何かあったら知らない人がつながって命を救う国民性(山手線での事故救出)、サッカーワールドカップでの会場清掃を当たり前に行うといったこともできる国民性があります。
日本は、世界平和に積極的に貢献していくために以下のスタンスをとるべきではないかと考えます。
『グローバルに人や経済の交流がある昨今、敵・味方といった線引きで競争・搾取をして生き残るという思想から脱皮する。すなわち、ひとびとの叡智を結集して国家という概念すら越え、人類規模での利益ある社会貢献をすること(インフラ整備や技術提供、和の精神や思想)。また、積極的な文化・芸術・スポーツなど、交流の機会を圧倒的に増やし、相互交流による相互理解により敵をつくらないこと。争いある国あらば、中立的な立場から、紛争解決に向けて場を設け、対話を促進することにより、武力衝突のない対話のある関係を築くことに積極貢献する』
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「武力をもたなくて、本当に大丈夫なのか? 隙をあたえれば攻撃されるのではないか?」
そういう考えをお持ちの方も多いかもしれません。
しかしこの連鎖はそもそもおかしいことを誰かが発信していく必要があります。
私はそれをここで発信していきたい。
武力には武力で という発想は、恐怖から生まれています。
もう地球の人類誕生から数百万年が経過しています。
こうした武力には武力でというのは、まったくもって野蛮で古い考え方であることに気づきたいものです。
{コスタリカは戦力を放棄した平和政策をとってから、他国が武力干渉できなくなりました。
そして周辺国の争いの調停を積極的に行っています。
そういったスタンスを取ることから、周辺国からは、「コスタリカを責めるやつがいれば、おれたちが許さない」という意識を持ってもらえているわけです。}
※{ }内の記述については、伊藤千尋さん(コスタリカ訪問8回以上、朝日新聞サンパウロ元支局長)講演会からお聞きした内容およびそのときに配布された資料などから、かつてブログに書いたものからの引用になります。2013年4月現在の情報になります。
詳細については、こちらです。
なお、コスタリカの状況については、現地で暮らしている方のブログなどから、平和教育がそれほど一般家庭には浸透していない、治安もそれほどよくないいった意見もあることを申し添えておきます。
日本も同様、平和な世界を願って発展してきた国。
武力をつかわない、もっと賢い平和を世界にもたらす方法を、いま、叡智を結集して考える時かと思います。
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八百万の神の国 八方美人でいいじゃない