教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

正解のない問題についても議論する大切さ

2014-06-27 | 雑感(教育以外の話題)
実は、集団的自衛権のような日本にとって重大な決定が閣議でなされようとしていますが、あまり新聞やニュースでの話題にのぼっていません。
日本にとっては重大な岐路に立つ問題、こういった安全保障やTPPなど多国間の貿易交渉、また移民に関する法改正なども国会では話し合われているのですが一向に伝わってこないのです。

それよりも、最近、トピックとしてあがっているのは、サッカーワールドカップや都議会セクハラ発言です。

これはマスメディアにおいてもSNSにおいても共通して象徴的です。

これも、ざっくり言えば国民性なんだなと思います。

ごく一般的な普通の家庭で、エネルギーや安全保障などの問題が丁々発止で話されることはほとんど無いと予想されます。

私は、これも教育が関わっていると思います。
学校では、こうした国の重要政策などの話題を積極的にとりあげたり議論する土壌がそもそもないのです。

かつて、日本が戦争に向かっていった時や、原発政策にかじを切っていった時も同様だったものと思われます。
こうした議論がすみずみまでされないうちに、ごく一部の人々の利権やおろかな決定によって、大変な傷や影響を後世に残すということに私たちは、もっと自覚的でなくてはならないと思います。


正義か悪かといった 簡単なジャッジが可能な議論については、徹底的に悪を追及して、たたく。
それはテレビの影響があるのかもしれません。勧善懲悪的な番組を観て育つ子供は多いですので。
正解がはっきりしたものを求めたがる現代人の気質を表しているのかもしれません。

しかし、一方で複雑で判断が難しい問題については、思考停止に陥って、話すことがあたかもタブーであるかのようになる。

そろそろこの習慣を教育から変えていく必要があるようです。
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