先日、ある友人から、「議論と対話の違いって何でしょう?」という質問をもらいました。
国語辞典(精選版 日本国語大辞典「議論」の解説)によれば
議論・・・
① 互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。 意見を戦わせること。 また、その意見。
② ある事柄を問題として、論ずること。
対話・・・
直接に向かい合って互いに話をすること。 また、その話。 多くは二人の場合にいう。
とありました。
「議論になってない」とか「対話になってない」というのを、聞くこともありますね。
この2者の違いが曖昧になっていると、物事が進みにくい、しっくり納得がいかないということがあろうかと思います。そこで今回はこのことについて、少し考えたいと思います。
議論の目的は、解決したい課題があり、その解決に向けての話し合いの場合が多いですね。あるいは、ある用語の解釈や考えについて話し合うというのもあります。どちらにしても、結論を導き出すことを目的としているのではないかと思います。
それに対して、対話は、お互いに聴き合ったり、自分の納得を深めたり さらなる問いがそこから生じたりと、聴いたり、自分の考えや感情を口に出して表現する。最終的な結論や正解が出なくても、対話という行為自体に価値があるような気がしています。
ただし、最初から「ここでは議論のみに限ります」とか「ここでは対話のみに限ります」と宣言して話し合いが起きることはワークショップなどを除いては、通常はないため、議論と対話の両方のモードが入り混じっていることが多くなるわけです。
”場”をどういうものにしたいか によって、どちらのモードを使うのか、話し合いの場を持つ人、参加者、特にファシリテーターは意識して進めていくことが大事なのではないかと思っています。
”場”をどういうものにしたいか によって、どちらのモードを使うのか、話し合いの場を持つ人、参加者、特にファシリテーターは意識して進めていくことが大事なのではないかと思っています。
「相手は自分のことを聴いてくれてない」「自分の主張ばかりしている」「解決を求めている」「解決は求めていない」など、さまざまなシチュエーションはあるので、どういう設計で話し合いをするのかというのを意識しないと場は混乱していきます。
例えば、対話の場が設定されているのに
「きみ、そうじゃないんだよ(決めつけ)」「それじゃ だめなんじゃん(ジャッジ)」「もっと こうしたほうがいい(アドバイス)」など、議論のフレーズが入れば、納得感のある場にはなっていかないことでしょう。
逆に、結論を出したい場なのに、「チェックインがやたらと長いなぁ」「個人の感想だけだよね」「結局この場では何が結論だったの?」と不満があるとしたら、本来、議論の場にすべきなのに、対話のみが行われていたということになっているのだと思います。
もし、話し合いの場に参加していて、もやもや感があるのだとしたら、
もし、話し合いの場に参加していて、もやもや感があるのだとしたら、
議論か対話か いまは参加者のために、どちらのモードが重視されることが善いことなのだろうというのを意識しながら会の主催者も参加者もファシリテーターも意識しながら進行すると、いまより、よりよい場が作られていくのではないかと思うのです。