文部科学省が行っている全国統一の学力テストについて、市町村あるいは学校単位での公表を行うかどうかで意見が割れているようです。
まず、公表の是非を考える前に、このテストの目的やねらいを明確にしておく必要があると思います。このテスト(生活習慣などのアンケートも含む)は、成績による学校の序列化をすることが目的ではなく、生徒の学力をあげるために、学校や自治体(市町村、都道府県レベル)または国レベルでどのような対策をとっていったらよいか、その指針となる資料であることが第一だと思います。その対策がひいては生徒の学力につながることになるからです。
そのために公表が必要かどうかということになると思います。
文部科学省は、全体の結果と同時に都道府県別の点数のみの公表を行っています。この方式だと、「都道府県に競わせ、成績の悪いところはがんばるように」というメッセージを実質発信していることになると思います。私はこの効果は逆に格差を生む危険性があると思います。
学力が高いといわれるフィンランドの成績が高いのは、各自治体に競争をさせたことによるのではなく、底辺層の徹底した底上げという教育政策があったことを今一度念頭におくべきではないでしょうか。日本の場合も高度経済成長を支えたのは、小学生の読み書き計算能力を全体としてあげるといった共通目標が国民にも教育関係者にも共有されていたということが大きいと思います。
行った結果をオープンにするということに反対なわけではありません。
ありのままの結果を様々な人が共有して考え、学力を伸ばすための指導の見直し改善は不可欠です。それには、結果を受け取る側のリテラシーも重要であり、もし、結果が学校序列化や学力の低い学校のバッシングに使われるだけのものならば、その公表は時期尚早と言わざるを得ないと思います。
まず、公表の是非を考える前に、このテストの目的やねらいを明確にしておく必要があると思います。このテスト(生活習慣などのアンケートも含む)は、成績による学校の序列化をすることが目的ではなく、生徒の学力をあげるために、学校や自治体(市町村、都道府県レベル)または国レベルでどのような対策をとっていったらよいか、その指針となる資料であることが第一だと思います。その対策がひいては生徒の学力につながることになるからです。
そのために公表が必要かどうかということになると思います。
文部科学省は、全体の結果と同時に都道府県別の点数のみの公表を行っています。この方式だと、「都道府県に競わせ、成績の悪いところはがんばるように」というメッセージを実質発信していることになると思います。私はこの効果は逆に格差を生む危険性があると思います。
学力が高いといわれるフィンランドの成績が高いのは、各自治体に競争をさせたことによるのではなく、底辺層の徹底した底上げという教育政策があったことを今一度念頭におくべきではないでしょうか。日本の場合も高度経済成長を支えたのは、小学生の読み書き計算能力を全体としてあげるといった共通目標が国民にも教育関係者にも共有されていたということが大きいと思います。
行った結果をオープンにするということに反対なわけではありません。
ありのままの結果を様々な人が共有して考え、学力を伸ばすための指導の見直し改善は不可欠です。それには、結果を受け取る側のリテラシーも重要であり、もし、結果が学校序列化や学力の低い学校のバッシングに使われるだけのものならば、その公表は時期尚早と言わざるを得ないと思います。