ゴールデンウィークに東北に旅に出かけたのですが、岩手県の花巻あたりも散策しました。宮沢賢治の故郷です。
さて、宮沢賢治の賢は、「賢い」 治は「治める」の意味がありますね。
旅を終えた朝、何気なくインスピレーションが来ました。
「それは賢い選択ですか?」という問いは、かなりパワフルではないかと・・・
今回は、そんなお話です。
皆さんは、「賢い人」というと、どんな人物を連想するでしょうか?「知識が豊富」「戦略家」「冷静」「スマート」みたいな感じでしょうか?
私は、賢さの中には、単に物事をよく知っているという知識量以外に、それをひけらかさない謙虚さや、さりげなくそれをそつなく実践で使えるクールさなども連想します。
そして何より、この「その選択は賢いか?」という問いは、とてもパワフルなものなのではないかと思ったわけです。人は誰でも、その選択が「賢いか、賢くないか?」をわりと直感的に判断できているのではないかと思います。ある行動を選択しなければならないという時に、「それが正しいか、正しくないか」というと、短期的には正しいけど長期的にはさほど正しくないとか、やってみないとわからないとか、判断に迷うことがあろうかと思います。しかし、AプランとBプランのどちらが賢いか?という問いの場合、割と直感的に素早く選べるように思います。理由は定かではありませんが・・・
そして、この賢さを定規として使うことが、複数の人が集まる場でコミュニケーションを取りながら意思決定するときに有効であるように思うのです。
正しさや正義がぶつかると、それは時に戦争にまで至ってしまう。
ところが、戦争が賢い選択かと問われれば、まずもって全人類が賢くないと思っているはずです。そういうマインドセットを全人類が持てるような日が来たら、きっと地上から戦争はなくなることでしょう。
さて、そんな「賢さ」にフォーカスした4回講座を5月19日から開催します。
ご興味ある方の参加をお待ちしています。
https://utyukenja0519n.peatix.com/